岐阜地方裁判所 昭和52年(ワ)317号 判決 1982年12月10日
目次
当事者の表示
主文
事実
(当事者の求めた裁判)
第一請求の趣旨
第二請求の趣旨に対する答弁
(当事者の主張)
請求原因
第一当事者
第二本件災害の発生
第三河川の設置・管理の瑕疵 その一
一 瑕疵の推定
二 被告の長良川の設置・管理の瑕疵
第四河川の設置・管理の瑕疵 その二
一 本件破堤の沿革
二 破堤時の状況
三 破堤原因
四 被告の、長良川の設置・管理の瑕疵
五 予備的主張
第五損害
一 原告冨田幸子、同冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子を除くその余の原告らの損害について
二 原告冨田幸子、同冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子の損害について
請求原因に対する認否及び反論
第一請求原因第一について
第二請求原因第二について
第三請求原因第三について
第四請求原因第四について
第五請求原因第五について
被告の主張
第一河川管理責任について
第二長良川の概要
第三本件水害の経過
第四本件堤防の欠陥の不存在
第五本件破堤の生起機構とその予測不可能性
一 本件破堤の生起機構
二 昭和五一年九月降雨・洪水の異常性
三 地盤の性質の予測不可能性
四 本件堤防に係る河川管理責任
被告の主張に対する原告らの認否・反論
第一被告の主張第一について
第二被告の主張第二について
第三被告の主張第三について
第四被告の主張第四について
第五被告の主張第五について
(証拠)<省略>
理由
第一当事者
一 原告ら
二 被告
第二長良川及び本件破堤箇所付近の概況
一 長良川流域の概況
二 長良川の治水
三 本件破堤箇所付近の概況
四 本件破堤箇所付近の堤防
第三本件災害の発生
一 気象の概況
二 長良川の降雨及び洪水
三 破堤経過
四 破堤後の状況
第四破堤原因
一 破堤原因究明についての基本的考え方
二 丸池の存在について
三 浸潤について
四 漏水(地盤パイピング)について
五 被告の主張する破堤原因について
六 まとめ
第五河川の設置・管理の瑕疵
一 河川の設置・管理の瑕疵の基本的考え方
二 瑕疵の推定について
三 長良川の設置・管理の瑕疵
1 本件破堤箇所の堤防の危険性
2 危険性の認識予見と除去措置の施行可能性について
3 被告の諸制約論について
4 異常な降雨、洪水の主張について
四 瑕疵についての結論
第六被告の責任
第七原告冨田幸子、同冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子を除くその余の原告らの損害について
一 損害の概要
二 損害の特殊性
三 建物損害について
四 家財損害について
五 農作物損害について
六 家畜損害について
七 機械、器具、車輛損害について
八 商品、製品、原材料損害について
九 加工賃損害について
一〇 休業損害について
一一 特殊な損害について
一二 慰謝料について
一三 原告らの各損害額について
第八原告冨田幸子、同冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子の損害について
第九結論
別紙目録
原告目録<省略>
認容金額一覧表
請求金額一覧表<省略>
原告別主張損害一覧表<省略>
相続関係一覧表<省略>
原告別認定損害一覧表<省略>
原告 1−一
坂正三
外一二七九名
右原告ら訴訟代理人
伊藤淳吉
野島達雄
榊原匠司
後藤昭樹
山本秀師
大道寺徹也
小栗厚紀
服部優
山田幸彦
山田敏
稲垣清
今井重男
立岡亘
古田友三
在間正史
被告
国
右代表者法務大臣
坂田道太
右訴訟代理人
伊藤好之
右指定代理人
西川賢二
外二三名
主文
一 被告は、別紙認容金額一覧表原告欄記載の原告らに対し、それぞれ、同表欄記載の各金員及び内同表欄記載の各金員に対する昭和五一年九月一二日から、内同表欄記載の各金員に対する昭和五七年一二月一一日から、各支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。
二 右原告ら(但し、同表欄が空欄である原告らを除く。)その余の請求をいずれも棄却する。
三 別紙認容金額一覧表原告欄に記載のない原告らの請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は被告の負担とする。
五 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
(当事者の求めた裁判)
第一 請求の趣旨
一被告は、原告らのそれぞれに対し、別紙請求金額一覧表記載の金員及びこれらに対する昭和五一年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二訴訟費用は被告の負担とする。
三仮執行宣言
第二 請求の趣旨に対する答弁
一原告らの請求をいずれも棄却する。
二訴訟費用は原告らの負担とする。
三担保を条件とする仮執行免脱宣言
(当事者の主張)
請求原因
第一 当事者
一 原告ら
原告冨田幸子、同冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子(原告番号二の237ないし240)を除くその余の原告ら(但し、別紙相続関係一覧表相続人欄記載の原告らについてはそれぞれその被相続人ら)並びに亡冨田智太郎は、昭和五一年九月一二日当時岐阜県安八郡安八町に居住していた者、又は同地内に資産を有していた者であるが、後述のとおり、同日午前一〇時二八分、同町大字大森地先の長良川右岸33.8キロメートル付近(以下本件破堤箇所という)において長良川の堤防が決壊して、同郡安八町及び墨俣町の約一七平方キロメートルが長良川濁流に冠水し、最大約四メートル、平均約二メートルの湛水が同月一六日以降まで続くという災害となつたため、右災害により甚大な被害を受け、またその際の水防活動により被害を受けたものである。
二 被告
被告は、河川法九条一項により一級河川に指定されている長良川を管理するものである。
第二 本件災害の発生
一 降雨
1台風一七号は、昭和五一年九月一〇日から同月一二日まで九州南西海上に停滞し、本州を縦断していた寒冷前線は、その影響を受けて全国的に強い雨を降らせた。長良川流域では、同月八日午後から同月一三日にかけて総雨量九六一ミリ、破堤時までの総雨量九五〇ミリの断続的豪雨に見舞われた。
2本件破堤箇所付近では、同年九月一二日夜明け頃から雨は小降りになり、破堤前約三時間の間はほとんど降雨はなかつた。
二 水位
1右降雨のため、墨俣水位観測所地点(長良川39.2キロメートル地点、本件破堤箇所より5.4キロメートル上流、以下墨俣地点という。)における長良川の水位は、同月九日午前九時頃にTP(東京湾中等潮位を基準にした水位)11.53メートル(零点高から7.31メートル、以下TPと表示のないものは零点高からの水位、なお、この零点高は墨俣水位観測所のそれでありTP4.22メートル)、同月一〇日午前六時頃にTP9.81メートル(5.59メートル)、同月一一日午後二時頃にTP11.38メートル(7.16メートル)、同月一二日午前五時頃にTP11.36メートル(7.14メートル)と、破堤時までに四回のピークを示して増減したが、いずれのピークも計画高水位TP12.16メートル(7.94メートル)を下回るものであつた。
2破堤当日は、午前五時頃に第四回目のピークを迎えたが、午前六時頃より水位が下がり始めたところ、本件破堤は、その四時間後に発生した。決壊時における水位はTP約10.72メートル(約6.5メートル)である。
三 水防作業
1昭和五一年九月一二日午前六時三〇分頃、本件破堤箇所の堤防裏小段に、亀裂が発見された。
2同日午前七時五〇分頃、右亀裂の状態を知るため、堤防法面の草刈が始められ、最終的には約二〇〇名の地元住民が水防団とともに右作業及びその後の水防作業に従事した。
3同日午前八時頃、亀裂の状態からみて、水防団その他住民の力で修復することが困難であると判断した安八町建設課長坂博の要請によつて、建設省長良川第二出張所長堀敏男は土木業者高田建設をして押さえ盛土工法による堤防の補修工事を施行させることの決定をした。
4同日午前九時頃、草刈は終了したが、建設省が前記工事用に発注した山土が届かないので、地元住民及び水防団は、準備作業として、山土を堤防に撒く際の土留を作ることに決め、長さ2.3ないし2.4メートルの杭を堤防小段下の亀裂から法先の方へ四メートル以上離れた法面に二列に打ち、次いで、この打つた杭に横にした丸太を針金で結わえる作業に入つた。
5破堤直前に工事用のブルドーザーが現場へ運ばれて来たが、トラックからブルドーザーを降ろす寸前に破堤が始まつたのでそのまま引き返した。
四 破堤の経過
1発見時の亀裂の状況は、二条の亀裂が1ないし1.5メートルの高さの雑草の下にあり、うち一条の亀裂は、裏小段中央より西寄りに堤防を縦断する方向に走つており、その長さは、堤防に接して堤内側に存在していた通称丸池という池(以下丸池という。)の、堤防と平行方向の幅と一致する約八〇メートルであつた。他の一条の亀裂は、裏小段肩下に法先と平行して走つており、丸池北側に対応する場所から南に向け約二〇ないし三〇メートルの長さであつた。亀裂の幅は二条とも丸池北側、とくに丸池北寄り約三〇メートル位の間が大きく、小段中央の一条は亀裂というより落ちこみとでも表現されるべきもので、最大約五〇センチメートルの落差があつた。亀裂の両端は糸をひくように細くなつていた。試みに亀裂の中に竹を挿し込んでみたところ、手応えがほとんどなかつた。
2同日午前八時前頃から、丸池の北側及び東側に設置されていたトタン塀の丸池側で、丸池内に捨てられていた空缶が風もないのに鳴り、堤防では雑草の根の切れる音がした。これらの音は破堤まで徐々に激しさを加えながら続いていた。
3同日午前八時頃、亀裂には長さ二メートルのポールがほとんど抵抗なく突き刺さつた。同八時三〇分頃、亀裂は裏小段より上の裏法面に拡大し、深さは約1.5メートルに達していた。亀裂の最も大きい部分は丸池北端に対応する地点から約一〇メートル南の部分であつた。小段は全体に五〇ないし六〇センチメートル位沈下していた。
4杭打ちの進み方からみて、堤防は、亀裂の激しい丸池の中心に対応する箇所から北寄りの部分で法面が軟かく、これより下流(南)方向の法面は軟化していなかつた。
杭打ち中も亀裂は拡大を続け、丸池側が沈下し、亀裂が上へ登つていくように裏小段の法面が天端の方へ向い崩れていつた。
同日午前一〇時頃には、亀裂の中に段々と濁り水が溜つて来て泡が見えていた。亀裂による崩れは二メートル以上に達していた。しかし、小段の表面は比較的固く足が埋まることはなかつた。
5杭打ちが終る頃、丸池の水は、魚がいるように堤防寄りのあちこちでゴボゴボ動いており、大きいものは直径二〇センチメートル程の水の盛り上りや渦巻きとなつていた。これはガマ(本件災害地近傍において用いられている湧水の呼称)が噴いているためと思われた。
6同日午前一〇時過ぎ頃から破堤直前にかけて、杭の列が丸池の中心に対応する位置から北の部分で丸池側に押されて湾曲し、堤防沿いのトタン塀も池の方に湾曲しているようであつた。しかし、天端舗装は沈下しておらず、犬走りも固かつた。
7その後、裏小段から下の法面にかけて堤体は少しずつ沈下していつた。
破堤直前には全体が下がつて平地のようになり、小段がどこかわからないような状態で、亀裂は皿のように中央部が低くなつている形状となつた。
8同日午前一〇時二八分頃、杭に丸太を結びつけていた針金が連続的に切れ、堤防の犬走りから小段にかけて堤防法線と平行に地震のような揺れが起り、法面全般に無数の亀裂が入つた。その部分の堤体が丸池の方へ押し流され、トタン塀は音を立てて弓なりに曲り、何か大きなものが池の中へ滑り込んだような水の跳ね上がる音がし、トタン塀の池側で、塀の上約二ないし三メートルの高さに達する水しぶきが上つた。堤防は裏法面が一瞬削ぎ落とされたような状態となり、その直後に天端舗装部及び表法肩も落下した。土塊は、二度にわたつて、但し実感としてはほとんど同時に崩落した。右崩落は丸池中心よりやや北にあたるあたりで南北約三〇メートルにわたつて生じた。なお、崩落した堤体土はそれほど湿潤していなかつた。
9堤防の表法面部分は、川の水面から約1ないし1.5メートルの高さで断崖状となつて残つたが、この部分は旧堤(拡幅工事前に存した輪中堤、後記第四の一の1及び2参照)にあたると思われ、その頂部は水平ではなく凹凸があつた。
数分後、少しずつ川の水が堤内に流入し始め、やがて残つていた表法面部分を崩して濁流が堤内地へ流れ込むに至り、本格的な破堤に発展した。なお、杭打ちをした小段下の法面は土塊のままで流入水によつて西側に押し流された。
その後決壊口は、下流側に拡大し、同日正午頃には約八五メートルに達したが、この決壊口は、内側でみるとほぼ丸池の範囲であつた。
10破堤が始まるまで天端や法面で作業をしていた水防団員及び地元住民は、崩壊と同時に土砂に押し流され、あるいは天端からアスファルトに乗つたまま落下した。天端上の消防車、トラック等の車輛も転落した。
多くの者は腰まで埋まりながらも這つて逃げることができたが、安八町善光部落の区長として水防活動に従事していた亡冨田智太郎は逃げ遅れ、濁流に飲込まれて死亡した。
第三 河川の設置・管理の瑕疵
その一
原告らは、主位的主張として、越流によらず、又は計画高水流量、計画高水位以下で破堤した場合、その事実のみから、当該河川の設置・管理に瑕疵のあることが推定されるから、本件においても、被告の長良川の設置、管理に瑕疵があつた旨主張する。
一 瑕疵の推定
1過失の一応の推定の法理
不法行為責任等における過失の要件については、判例上、いわゆる過失の一応の推定の法理、すなわち、一定の事実から、過失という要件にあてはめるべき特定の具体的事実の存在を推認するのではなく、直ちに過失そのものの存在を推認することが認められている。すなわち判例は、過失の具体的内容を特定することなく選択的ないし概括的な主張をもつて足りるとしており(最判昭和三二年五月一〇日民集一一巻五号七一五頁、最判昭和三九年七月二八日民集一八巻六号一二四一頁)、結局なんらかの過失があつたとの主張を容認するのと実質上差異がないからである。右の法理は、事実上の推定の範ちゆうに含まれるものではあるが、推定の対象が過失等法律に規定された抽象的要件事実そのものである点が異なつており、したがつて、過失という要件にあてはまるべき特定の具体的事実の主張を要しない。
ところで、右法理はそのまま国家賠償法二条の公の営造物の設置・管理の瑕疵の推定にもあてはめることができる。なぜならば、右法理は当該事件の専門性、技術性から由来する被害者側の具体的事実の特定(主張・立証)の困難性を公平の見地から緩和するため採用されてきたものであるが、本件河川災害のごとく営造物管理責任をめぐる事件にあつても、専門性、技術性において異なるところがないからである。
2瑕疵について
国家賠償法二条の「営造物の設置又は管理の瑕疵」とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく賠償責任については過失の存在を必要としない(最高裁判所昭和四五年八月二〇日判決、民集二四巻九号一二六八頁)。
しかして、「営造物が通常有すべき安全性を欠いている」かどうかの判断基準は、営造物の瑕疵を中心に論ずべきものであり、河川の営造物責任を論ずるには、「河川の設置・管理の瑕疵」つまり「河川の通常有すべき安全性の欠如」の判断基準は何かということが重要となる。
3瑕疵の推定
洪水が堤防を越流することなく、又は洪水が計画高水流量、計画高水位以下の規模であるのに、堤防が破堤したとすれば、当該堤防は破堤地点において何らかの欠陥を有していたと、換言すれば、その破堤は、当該堤防が破堤地点において通常備えるべき安全性を有していないために生じたものであると合理的に推認できることは以下に述べるとおりである。したがつて、右に述べた一応の推定の法理により、越流なき破堤、又は計画高水流量、計画高水位以下の規模の洪水による破堤は、そのことだけで、当該河川の設置・管理の瑕疵を推定させるものである。
(一) 河川管理の目的が災害防止すなわち治水にあることは河川法一条、二条一項の規定からも明らかであり、同法一三条一項によれば、右の目的に資するため、河川管理施設等の構造基準は安全性の確保を中心に定められ、例えば堤防は、溢水、洗掘、漏水による決壊のないような構造のものでなければならない。
ところで、わが国では明治以降治水の方法として、河川のいずれの地点においても外水が溢水して堤内地に氾濫することなく、外水を河道に閉込め下流へ安全に流下せしめることを目的としたいわゆる高水工法が採用されてきている。この場合、堤防は、必要不可欠かつ最も基本的な河川の管理施設であつて、その目的に従い各地点における水位、流量、地形、地質、堤防の来歴、過去の水害の状況等あらゆる条件を考慮した安全な構造を有するものでなければならない。このことは、地域住民の関与を排して国が独占管理している堤防は破堤してはならないことを示している。そして、それは溢水せずして破堤することがあつてはならないとの地域住民の堤防の安全性への信頼(ひとたび破堤すれば広範な地域が水没し、堤防にすべてを託す輪中地域では特に信頼が強い。)に合致し、裏打ちされているものである。
実定法で定められている河川管理の目的とこれに従つて講ずべきものとされている具体的措置をみれば明らかなように、河川法は水害防止の観点からの安全性の確保を中心課題に据えて河川管理者の義務を法的義務としてとらえ、その内容を画定しているのであるが、注目すべきは、河川管理の基本となるべき「工事実施基本計画」の中に、基本となるものとして基本高水、計画高水流量及び計画横断形を定めるべきものとしていることである。このことは、河川法が前提としている治水対策が、原則として前記の高水工法にあり、河川が計画高水流量の流水を安全に流下させるに十分な機能、構造を有すべきことを予定し要求していることにほかならず、計画高水流量をもつて河川の安全性の基準としていることをも示しているのである。もつとも計画高水流量は、河川管理者によつて設定される河川行政上の安全基準であるから、安全性確保のための必要条件であるにすぎず、その定め方が客観的にみて、河川に要求される通常の安全性を担保しうるものであるかどうかは、おのずから別問題である。しかし、計画高水流量が安全性の必要条件であるという限度であつても、水害訴訟のうえで重要な機能を果すという認識に立てば、河川の安全性を判断するにあたつて、一定の客観的な枠組みを措定することができるのである。
したがつて、河川の通常有すべき安全性とは河川が溢水せずに破堤することがあつてはならないことであり、溢水なき破堤が生じたときは端的に河川(その管理施設を含む。)に瑕疵が存するものとみなされ、河川管理者の反証が許されないといつてよいのである。まして、計画高水流量、計画高水位以下の洪水で溢水せずして破堤したとのことであれば、かかる堤防はこれを安全に流下させるに足りる行政上要求された構造すら備えていなかつたとみなされても止むを得ないものといえよう。
なお、特定の河川における具体的河川管理施設等が、一般河川管理における一般的河川管理施設等の最低一般基準たる「構造令」にすら適合していないときは、河川行政の実務上最低具備しなければならないと当然に予定されていた構造すら備えていなかつたということになり、かかる箇所が破堤した場合には、その事実のみから、当該河川の設置・管理に瑕疵が存在していたとみなすことも十分合理的な理由が存するのである。
(二) また、堤防は外水が堤内へ溢水しないようにするために設置されるものであり、予想される最大洪水に対処するために、一定の高さ、横断形をもつて設置されるものと考えられる。そうである以上、予想された最大洪水以下の規模の洪水によつて堤防が越流することなく破堤したならば、それは当該堤防が何らかの欠陥を包蔵していたためであると考えるのが一般常識に合致する。
(三) 建設省土木研究所の報告によれば、昭和二二年以降昭和四四年までの間に一級河川で破堤にまで至つた二八三事例のうち八二パーセントにあたる二三一例が堤防越流を破堤原因としており、この結果に基づき同報告は、「越水を除いた他の原因によるものは少ないから、越水の生じないような河積を確保すれば、大部分の破堤は防止できるわけで、逆にいうと堤体の安全性は元来かなり高く、越水が生じなければ破堤する例は少ないということにもなる。」と指摘している。さらに同報告は、「最近の破堤は河川改修の遅れている支派川、あるいは山間部に多く起つており、比較的小断面の堤防の破堤が多いことを指摘することができる。」としており、中下流域における破堤事例は稀であり、まして中下流域における越流によらない破堤は稀有の事例であると推察される。
以上の過去の破堤事例の分析は、一級河川の中下流部において越流によらない破堤が起つた場合、そのことのみから破堤箇所に予定された安全性に欠けるものがあつたと推定することの現実的合理性を裏付けている。
二 被告の、長良川の設置・管理の瑕疵
長良川において、計画高水流量は毎秒七五〇〇立方メートル(但し岐阜市忠節地点)であり、計画高水位は墨俣地点でTP12.16メートル(7.94メートル)、本件破堤箇所でTP10.66メートルであり、堤防天端高は墨俣地点でTP14.16メートル、本件破堤箇所でTP12.66メートルである。
ところが、本件破堤の経過は前記第二のとおりであつて、本件洪水の水位は、墨俣地点で昭和五一年九月九日午前九時頃に最高水位TP11.53メートル(7.31メートル)、本件破堤時にTP約10.72メートル(約6.5メートル)であり、本件破堤箇所で破堤時にTP9.13メートルであり、一貫して計画高水位をはるかに下回るものであつた。本件洪水の流量も、右水位からみて、一貫して計画高水流量を下回るものであつたことは明らかである。
したがつて、本件破堤は、堤防天端高以下の、しかも計画高水流量、計画高水位以下の洪水によつて惹起されたものであるから、右事実のみから、本件堤防が本件破堤箇所において通常備えるべき安全性を欠いていたこと、すなわち、被告の、長良川の設置・管理に瑕疵があつたことが推定される。
第四 河川の設置・管理の瑕疵
その二
仮に、前記第三の主張が認められないとしても、原告らは予備的主張として、被告の長良川に対する設置・管理の瑕疵にあたる具体的事実を以下のとおり主張する。
一 本件破堤箇所の沿革
1西濃輪中地域の特性と森部輪中の成立
(一) 原告らの居住する岐阜県安八郡安八町は揖斐川と長良川にはさまれて、濃尾平野の中枢に位置する低湿地域である。
(二) ところで、濃尾平野は西から東へ漸次隆起しており、同平野南部を縦断する木曽三川の河床横断面は木曽川、長良川の順に西に行くほど低くなつている。これは、濃尾平野構造盆地運動と呼ばれる、濃尾平野西部が沈降し、東の猿投山塊側が隆起する傾動運動が第三紀中新世の中頃から現在まで続いている結果であり、また、木曽三川のうち木曽川が土砂の流出、掃流、推積において最大であることにもよるものとされている。
(三) 木曽三川は、明治期における木曽川下流改修工事以前にはその本支流の流路が網状に相互に連絡しあいながら流下していたが、右(二)で述べた作用により、木曽川が時の経過とともに濃尾平野西部に移動し、平野南部ではほぼ集中して流下することとなつた。とくに江戸時代初期に木曽川左岸の犬山から弥富までの連続堤防(いわゆる御囲堤)の完成により、木曽川の洪水流が長良・揖斐両川に一層激しく流入することとなり、濃尾平野に低湿化と洪水の激化がもたらされることとなつた。
(四) 河川が平野部で作る地形には扇状地・三角洲とならんで自然堤防、すなわち洪水時に常水路からあふれ出た水がその運搬物を沈積させて出来た相対的微高地がある。濃尾平野では木曽三川が網状に連結していたため、この自然堤防は島状にかつその外周部に環状に形成され、これに囲まれた内部が後背湿地となつた。濃尾平野における人の居住は、地盤の高い北部の扇状地から自然堤防・後背湿地帯へ拡大したが、その際集落を洪水から守るため自然堤防を利用して人工の堤防が築かれることとなつた。
(五) 堤防は、当初は上流よりの洪水の直接の攻撃を回避するため、自然堤防の上流側に尻無堤を築くことから始められたが、江戸時代以降、無堤部分に築堤をなし、完全な連続堤として懸回され、囲繞されることとなつて、いわゆる輪中堤が完成した。
(六) 懸廻堤の完成は治水技術の大きな進歩であり、輪中内の生命財産の安全性の確保及び農業生産の恒常的な収量保障などの点からも大きな前進であつた。しかしながら、河道は固定され、土砂の推積による河床の上昇を来たし、相対的に堤内地が低くなつていき、各輪中の懸廻堤の完成につれて生じた洪水の河道集中による洪水位上昇と相まつて、洪水による破堤入水の危険及び被害の程度を増大させることとなつていつた。
(七) 安八町は、かつての輪中のうち森部、中須、大明神、北今ケ淵、中村、結及び牧(一部)の各輪中を包含している。そのうち森部と結の輪中が古くから立地し、かつ輪中堤の完成も古い。森部輪中堤は、慶安三年(一六五〇年)八月の揖斐川・長良川大洪水の水害復旧工事の施行により、森部、南今ケ淵、大森、氷取、善光、大野、南条の七か村の懸廻堤を完成したとされ、その時期は同四年(一六五一年)頃で、遅くとも寛文五年(一六六五年)を下らない。
2本件破堤箇所の特色
(一) 破堤地形
破堤地形とは、堤防の決壊により流入した洪水によつて、二次的に形成された決壊箇所及びその周辺の特異的地形をいい、その基本的内容は、流入した洪水によつて堤防地盤及び堤防直近の堤内外地が洗掘され、洪水の流入が止んだ後に洗掘部に残存した湛水部(落堀又は押堀)並びに堤内側後背部に形成された主として砂からなる微高地(砂入)である。
この破堤地形の特色としては、(1)堤防直下に池や田などの相対的低地が存すること(輪中の土地利用形態としては、輪中中央の後背湿地帯に比し相対的に地盤の高い堤防付近に住居・畑などが存するのが一般的である。)、(2)堤防が弧を描いて湾曲していること、(3)落堀が堤内側に池として存続する場合、堤防近くに最深部があること、(4)池にガマが存すること、(5)土地利用の区画が乱れていること、(6)堀田(悪水停滞による稲の水腐れを防止するため、田の一部を短冊型などに掘削し、掘削部すなわち掘潰れの隣接部を掘削土で嵩上げして不作を免れようとするもの)の密度・方向が周辺の田と相違していることなどがあげられる。また、破堤地形のみられる堤防決壊箇所は、古くから切所と呼称されており、その付近は破堤や治水と関連する字名が付されていることがあり、また、治水に縁りのある神社が堤防上に設置されたり、郷倉または護倉と呼ばれる水防倉庫が設置されることが多い。
(二) 本件破堤箇所の破堤地形
本件破堤箇所付近の地形、とくに後記3のとおり昭和初期になされた堤防拡幅工事(以下新堤築堤工事という。)より前の輪中堤(以下旧堤という。)及び丸池(以下旧丸池という。)は以下のとおり典型的な破堤地形を呈していた。
(1) 旧丸池は旧堤堤内側に旧堤に接して存し、旧堤は堤外側に弧を描いて湾曲していた。すなわち、旧堤と旧丸池は落堀を確認するのに最も容易で重要な特徴を備えていた。
(2) 丸池は後記4(三)のとおり堤防寄りが深く、後記4(二)のとおりガマが存在していた。
(3) 本件破堤箇所は、地元住民から切所と呼称され、危険箇所として認識されていた。
(4) 本件破堤箇所を含む付近の小字名は畚場であり、これは、古くから治水工事用具であるもつこ(畚)を必要とした場所を意味する。
(5) 本件破堤箇所の旧堤上に、治水的危険度の高い場所に設置されるのを通例とする郷倉(又は護倉)と呼ばれる水防倉庫が設置されていた。
(6) 旧丸池上流部の旧堤上には神社が存在していた。
(7) 字畚場は、森部輪中の最低地で、輪中内の排水の集中する場所にあたり、堀田、それも最も堀潰れの多い田舟型の堀田が存したところである。
ところで、明治二一年一二月調字絵図及びこれに基づく地籍図によれば、堀潰れの少ない土地が丸池を南から西に囲うように存在しており、これらの土地が周辺に比較して相対的に地盤が高いことを示している。また旧丸池とその南の排水機場にある池との間の田は、南北の方向の堀潰れであるが、その上流側(北)及びその西の田は東西の方向の堀潰れであり、右両池の間にある堀田は、他の堀田とは別の時期に作り直されたと推測される。
以上から、丸池を南から西に囲う形で存する微高地は、破堤によつて生じた砂入であると推定できる。
(三) 本件破堤箇所の治水歴
文献等に残された本件破堤箇所周辺の治水歴に関する記載から、本件破堤箇所が往時の洪水等により破堤またはこれに類する被害を受けたことを示すものは以下のとおりである。
(1) 名森村史によれば、明和二年(一七六五年)八月大森村字畚場で堤が切れ、五反二歩池となつたとあり、往昔以来三川出水被害状況(以下往昔三川出水という。)によれば、明和二年八月三日安八郡大森堤塘六六間破壊とある。
(2) 名森村史によれば、寛政一〇年(一七九八年)四月八日洪水で……大森村でも堤切入り一町一反二畝二〇歩池となり、森部村薬師前でも堤切れであつたとあり、切所長五八間について普請された記録がある。一方、濃洲徇行記によれば、大森村の項に「輪中悪水落杁二腹此村と南条村との境にあり此に池三ケ所あり是は皆先年切所の水用とみえたり。」とあつて、寛政年間にすでに旧大森村内、旧南条村との境、つまり字畚場及び字新田において破堤の結果形成されたと認められていた池が存在していたことがわかる。明治六年絵図、地籍図により、これらの池は旧丸池と下流側の新設杁樋堤内池(以上字番場)及び堤外の池(字新田)であると考えられる。
(3) 名森村史によれば、明治二一年(一八八八年)七月の洪水により安八郡大森村字畚場急破所において堤防復旧工事が実施されたとある。その工事内容として、堤防の内腹欠所、外腹欠所及び堤防水中の法内法先各下埋と字畚場欠所四三間余に杭木、束竹が根杭として設置されている。
(4) 明治二四年(一八九一年)一〇月二八日発生した濃尾地震により森部輪中の堤防は大きな被害を受けた。名森村史によれば、道路、橋、堤防等の崩壊無数であり、復築箇所中、本件破堤箇所周辺では、大森村長良川堤防三か所、南条村長良川堤防六か所等であつたとの記載がある。
なお、特に堤防際に池の存在する箇所の被害が大きく、丸池地点の堤防も半分程崩落したが、崩落した箇所は地震の折ガマが噴出した。
なお、これ以外にも、慶安三年(一六五〇年)天和三年(一六八六年)、元禄四年(一六九一年)等に破堤等の被害記録があるが、本件破堤箇所に関するものとは断定できない。
(四) 以上を総合すれば、本件破堤箇所は、過去の洪水により少なくとも二回以上の破堤を経験したところであつて、丸池は右破堤により形成された落堀(押堀)であると断定できる。
3新堤築堤工事
昭和二年から同五年にかけて、内務省土木局による木曽川上流改修工事(大正一〇年から昭和二二年)の一環として、本件破堤箇所付近の堤防拡築工事がなされた。右新堤築堤工事は以下のとおりなされた。
(一) 旧堤の構造
旧堤の天端幅は三間、天端高は新堤のそれより3.3メートル低かつた。勾配は表勾配一割五分、裏勾配二割、堤敷は一二ないし一三間であつた。旧堤の堤材は田の下1ないし1.5メートルにある真土または青土と呼ばれるシルト質粘土が使われていた。旧堤防尻には、二間物及び三間物、末口3ないし3.5寸の松の杭が送り三本(一間に三本の間隔)の割合で打たれていたが、丸池と接する約八〇メートル区間は送り三本で二列に打たれていた。丸池に面している部分の法尻には根笹が生えており、葺やまこもも少し生えていた。杭の辺りの深さは約3.7メートル(二メートルのポール二本をつないで――つないで重ねた部分二〇センチメートル位――水面上に頭が五ないし一〇センチメートル出るくらい)であつた。
(二) 堤体材料
丸池の埋土と新堤の堤材は、現在の一宮線(新幹線と平行)の上流二〇〇ないし三〇〇メートルの堤外地の河原から採取、運搬されたが、土質は置土(沈泥のことで、洪水の時に河原の表面に堆積したシルト質細砂、但し、荒砂も多少混つていた。)であつた。
(三) 拡築工事の内容
拡築工事は、嵩上げ、腹付け工事を加えて旧堤を拡幅し、あわせて、旧堤が堤外側に湾曲している地点は堤内側に腹付けし、堤内側に湾曲している地点は堤外側に腹付けして、旧堤を直線化することが図られた。
本件破堤箇所においては、旧丸池が堤内側に堤防に接して存在し、旧堤がその縁を通つて大きく堤外側に湾曲していたため、旧丸池の東半分約四〇パーセントを埋立てたうえ、もつぱら堤内側にのみ腹付けし、堤防の表法面よりはみ出すに至つた旧堤法面部を削り取る工事がなされた。その結果、その直上下流部では旧堤が新堤に包み込まれるようになつたのに比し、本件破堤箇所では、旧堤体が新堤断面中表小段より下の表法尻にかけて一部に残存するのみとなり、堤体の大部分は拡築された堤体で、堤体中心線が旧丸池の上を横断することとなつた。
(四) 拡築工事の方法
旧丸池の埋立てにあたり、池の排水、ナメ泥(ヘドロ層、沈泥)を除去する基礎処理は行われず、また腹付けにあたり、旧堤法面の芝の除去もなされず、段切りも約三メートルの間隔で四、五本、約二〇センチメートルの深さに行われただけであつた。
池側の腹付けは、土運搬用に敷設された線路から、そのまま高まきの方法により土砂を投下して徐々に池側へ埋出し、線路を池側へずらして新堤の堤防法線まで埋出しを済ませ、上方に盛土をするという方法で行われたが、投下された土砂の締固め工事は行われなかつた。
また、丸池の埋立てが完了し、築堤が終つた後も丸池に接する新堤法尻には、土留め工事や護岸工事は施されなかつた。
(五) 築堤工事中の事故
旧丸池の埋立てを始めて一週間程して、埋出した土に約二〇センチメートルの亀裂が発生し、機関車が丸池まで土砂を運搬してくると、ほぼ丸池の長さにわたつて亀裂から先が池側へ崩壊し、土運搬車三〇輛中の二八、二九輛が線路とも丸池へ転落する事故が発生した。さらに三、四日程過ぎてから、第二回目の崩壊事故が起り、土運搬車一五、一六輛が丸池に転落した。
(六) 丸池の状況
丸池のナメ泥は他の池に比較して多く、工事中埋出した土砂が池に押し出されるのが認められた。なお、新堤築堤により丸池が縮少した結果、以前よりさらにナメ泥が堆積しやすくなつた。
また、丸池内にガマがあつたらしく、ポンプで排水しようとしても水が減少しなかつた。
4新堤築堤後の状況と管理
(一) 本件破堤箇所裏法尻の沈下現象
新堤築堤後、本件破堤箇所の裏法尻が丸池側に沈下した。そこで、昭和六、七年頃、裏法尻の補修工事がなされ、周囲の田より約三〇センチメートル高く、三間幅で法先を埋出したが、埋出部分の池側には土留工事が施されなかつた。この埋出部はその後も引き続き沈下し、二、三年後には水田として利用されるようになつた。さらに、昭和四〇年頃までの間に、この埋出部が丸池の方へすべり、一五センチメートル程沈下した。このため、田の池側に沿つて垂直に打たれていた杭が押し出されて横に傾いた。昭和四〇年代中頃からは、埋出した田に水がついて、耕運機が沈んでしまうため、田としては使用されなくなり、破堤前には周囲の水田の高さよりもさらに低くなつて池の中に没し、その部分には葦が生えるに至つた。
(二) ガマの状況
(1) 昭和七年一月新犀川の吐口末端より水路工事(いわゆる新犀川掘削工事)が着手され、同一一年に完成した。この工事後、薬師池付近のガマが激化した。
(2) 昭和二三年の福井地震の後、丸池付近の数個所にガマが発生した。また、丸池の下流に接して通称「ひようたん池」と呼ばれる池が存在したが、昭和二〇年代後半にこの池にもガマの発生が見られた。
(3) 昭和三四年の伊勢湾台風の増水時に、本件破堤箇所犬走り付近にガマが噴いた。この後、外水位が約6.5メートルに達すると、「背割堤」と本堤の間の堤外地の畑にガマが噴き始め、さらに外水位が九メートル以上になると、本件破堤箇所犬走り付近にもガマが発生するようになつた。また、丸池北東角の堤脚下の水路内にもガマが発生し、水路畔は長靴でも歩けないほど軟くなることがあつた。
(4) 昭和四一、四二年頃、丸池でカイドリが行われた。その折、八馬力のポンプ二台で約二八時間連続して丸池の水を排水したが、排水しきれなかつた。地元では、従来から、丸池にはガマがあるから、他の池のようにカイドリして魚を捕えるのは難しいと言われていた。
(5) 丸池の中心部(北岸から一五ないし二〇メートル、堤防水際から五ないし九メートルの位置)に直径七ないし八メートル程の範囲で藻も生えず、冬でも直径五メートル程の氷の張らない場所があり、そこは夏は水が冷たく、増水期には池の中から直径三〇センチメートル程の部分が噴き出てくるということがあつた。
(三) 丸池の状況
丸池の深さは深いところで五メートル以上あつて、堤防寄りが深くなっていた。特に東北部は断崖状に急に深く、川の淵のようになつていた。
(四) 漏水
昭和一〇年頃より、長良川が増水する都度、降雨がなくても本件破堤箇所の裏小段のすぐ下付近から水の浸み出しが見られるようになつた。
(五) 天端の沈下
昭和四二、四三年頃、堤防天端のアスファルト舗装が行われたが、建設省の測量によると、丸池付近を中心に名神高速道路から新幹線鉄橋までの間は、天端が新堤築堤時より一メートル程沈下していたことがわかつたので、出土を入れてかさ上げされた。
(六) 法先の陥没
昭和四八、四九年頃、破堤部北端部付近の表法尻と畑の境界部付近に幅約1.5メートル、法面高(斜面高)約三メートルの凹陥部が発生した。この凹陥部は崩壊土が畑に認められなかったことから、法崩れではなく、陥没と判断された。この陥没は昭和五〇年に小段の約半分のところまで拡大して幅四ないし五メートルとなり、同五一年にはさらに拡大して、小段の道は軽自動車が通れないほど狭まった。
(七) トタン塀の設置と境界杭
昭和五〇年三月と同年一二月の二回にわたつて、丸池の北側と東側にL字型にトタン塀が設置された。このうち、丸池と堤防との間に設けられた堤防沿いのトタン塀は堤体の裏小段下法面の下端から約二メートル西側に設置された。このトタン塀からさらに西へは約一割五分の勾配で幅三メートルの斜面があり、その先は丸池の水際に接していた。このように、昭和五〇年一二月当時、本件破堤箇所は丸池との間に約二メートルの平場と、その先に約三メートルの斜面(全体で約五メートルの犬走り)があつた。また、堤防敷地と民有地との境界杭は排水路の東側にあり、それは堤防沿いのトタン塀から約三メートル西側になる。
(八) 背割堤の消失
昭和四三年頃、堤外民有地と河道の境につくられていた「背割堤」(高さ一尺ないし一尺五寸)が河川水の洗掘により消失した。この「背割堤」は本堤に水が至るのを1ないし1.5時間遅らせる効果があつた。
(九) 薬師池の埋立
昭和四七年頃、道路工事の残土で薬師池が埋められた。
(一〇) 陳情
(1) 昭和三〇年代に揖斐川以東水害予防組合委員富田初次が丸池、中須川締切部、薬師池付近にガマが出て特に危険であるから堤防補強を厳重にやつて欲しい旨、木曽川上流工事事務所長、大須の出張所長に陳情した。
(2) 昭和四二年、揖斐川以東水害予防組合は、県や建設省の出先機関に対し、再度、丸池等の危険箇所対策について陳情したが、何ら対策は講じられなかつた。
(3) 昭和五一年四月七日、六月三日、同月二五日の三回にわたり、揖斐川以東水害予防組合委員富田初次は木曽川上流工事事務所長等に丸池付近の河川敷の桑の木の伐採を陳情した。建設省は丸池付近の視察を約したが、同年九月六日、揖斐川を視察しただけで、長良川は視察せず、何らの防止策も施さなかつた。
二 破堤時の状況
破堤時の状況については、前記第二に述べたとおりであるほか、以下の事実があつた。
1本件破堤箇所付近の状況
(一) 昭和五一年九月九日午後三時頃、森部の薬師堂の北側民家床下にガマが発生した。そこは堤内側法先から七、八メートルの位置にあり、泥水と砂が勢いよく噴出した。その民家の南側の水田にも、二、三箇所ガマが発生した。この付近の堤防先にはブロック積がなされていたが、そのブロック積が、ガマで堤防下の泥が逃げたため、二〇ないし三〇センチメートル程沈下して凹んでいた。
(二) 同月九日夜から翌一〇日午後三時頃まで降雨はなかつたが、内水位はポンプによる排水を続けているにもかかわらず上昇した。
(三) 同月一〇日午後一時四〇分頃までに、長良川右岸沿いの堤内地にガマが多数発生し、そのうち三箇所を町において業者または水防団に命じ、月の輪工法で応急処置を講じた。
また、丸池上流五〇メートルの堤防法先の水路と畑の境の所に一箇所と、そこより五〇ないし六〇メートル堤防から西に離れた農道上に一箇所ガマが発生した。
今回のガマで特徴的なことは、常時ガマが発生する箇所以外にも発生したということ、いつもは井戸水のようにきれいな水が噴くのに、今回に限つては相当濁つた水が噴いたということ、そして、噴く量が非常に多かつたということである。
(四) 同月一一日午後一一時頃、出動中の水防団は、森部輪中排水機場の三〇ないし五〇メートル上流部(丸池南端から約五〇メートル下流)の堤防表法肩から表法面にかけて一箇所、さらに、同排水機場下流部の堤防表法肩及び裏法肩に各一箇所、計三箇所の陥没を発見し、補強工事をした。
(五) 同月一二日午前二時頃、排水機場付近の三箇所の陥没の修理をおえ、パトロールを再開した水防団員は、丸池中心から上流に向つて約三〇ないし四〇メートルの堤防表法面に陥没を発見した。この陥没は表法肩の位置で約3.5メートルの幅をもつており、亀裂は水面下に達していた。そして、陥没は天端の道路舗装の下に東西に約二メートルの奥行をもつて洞窟状の空洞を形成していた。舗装道路直下における陥没の深さ、幅はわからない。この陥没は杭打ち、土のう積みをし、小型ダンプ二台の山土を入れて埋め、ビニールを覆つて応急修理した。
2破堤後の状況
(一) 決壊口の状況
決壊口は流入水によつて標高マイナス六メートル(高水敷から一二メートル下)まで洗掘され、浸食面は堤防基礎下の砂層に達した。
(二) 土質調査結果
決壊口の両側において、建設省の委託で応用地質調査事務所(コンサルタント)がボーリング等の土質調査を行つた。その結果は次のとおりである。新堤はシルト質細砂(ローム質の置土)、旧堤は旧堤基礎と同質の不透水性のシルト質粘土(真土)で、旧堤の裏法尻から旧丸池底にかけて腐植質の泥(旧丸池の池底堆積物であるナメ泥)が一ないし二メートルの厚さで挾まれている。そして、その下(標高マイナス二メートル程度以下)は河成沖積層で、透水性のクイックサンド型の中細砂(粒度分析の結果によると、分級のよい粒径0.1ないし0.2ミリメートルの細砂)が四ないし五メートルの厚さで分布し、さらに、その下は基底礫層と不整合面を挾んで、不透水性の海成シルト質粘土(旧伊勢湾堆積層)が分布している。
(三) 復旧工事
昭和五一年九月一三日決壊口で測量と仮締切工事が始められ、同月一七日仮締切が完了し、同月二五日仮本堤が完成した。次いで、決壊現場において建設省が行つた本堤防の復旧工事の内容は次のとおりであつた。
(1) パイピング(後記三(二)参照)を防ぐため、堤外側護岸の内側に長さ一五メートルの鋼矢板を打ち込んだ。
(2) 堤外側法面にコンクリートブロックで護岸を施した。
(3) 丸池を埋め立て(ナメ泥は除去した。)、かつ、堤内側を約四〇メートル拡幅した。
(4) 堤材には山土を使用した。
三 破堤原因
一般に破堤原因としては、越流、洗掘、残留水圧、浸食、浸潤及び漏水の六つがあるとされているところ、前記第二の本件破堤経過に照らし、越流、洗掘、残留水圧及び浸食はいずれも本件破堤原因でないことが明らかである。
よつて、本件破堤原因が、残る浸潤及び漏水のいずれによるものであるかについて、本件破堤の状況と本件破堤箇所における堤体の安定に影響を及ぼす要因との両面から検討を加える。
1破堤状況からみた破堤原因
(一) 浸潤
河川水あるいは降雨量が堤体へ浸透すると、堤体土の空隙が水で飽和またはこれに近い状態に浸潤し、堤体土の単位容積重量が増し、せん断強度(堤体の抵抗力)が低下して、法面のすべり崩壊を生ずるに至る。降雨、洪水の継続とともに、降雨や河川水は水位の高い堤外側から水位の低い堤内側へと堤体を通して浸透し、堤体内の浸潤面(堤体を浸透する水流のつくる面を浸潤線と呼ぶこともある。)は堤体下部より上方へと徐々に上昇し、この浸潤線が堤内裏法尻に到達すると、水の浸み出しや法尻のはらみ出しが起こり、これが進行すると次第に大きなすべりへと進展し、ついには破堤に至ることがある。これを浸潤による破堤という。
ところで、浸潤を本件破堤の原因として想定すると、前記破堤経過に照らし、次のとおりの矛盾がある。したがつて、浸潤を本件破堤の原因としてとらえる余地はほとんどない。
(1) 浸潤作用によつてすべりが発生する場合、浸潤線と裏法面の交点以下の裏法面は水によつて飽和し、裏法面は軟弱化する。本件堤防においては最高浸潤線の位置は裏法先の犬走り付近となるから、犬走り付近では堤体土が浸潤された状況(いわゆる水の浸み出し、軟弱化やはらみ出し現象)が生ずるはずである。
ところが、本件破堤箇所の堤防裏法面には、犬走り及びその直上法面のどこにも破堤前に右に述べたような軟弱化、はらみ出し、水の滲出等の現象はみられなかつた。なお、丸池中心より北寄りの部分の小段付近の法面が軟弱となり、亀裂内に濁り水の浸み出しがあつたが、これは、堤体の不同沈下によつて生じた亀裂に溜つていた雨水が浸み出したためと考えられ、浸潤線の上昇によるものではない。
(2) 右に加えて、亀裂から下部の崩落した堤体は大きな土塊のままの状態で流入水に押し流されており、またすべり発生後の残存堤体に水の滲出はおろか湿潤すら認められていない。
(3) 破堤直前に丸池内でみられた水面の波立ち、水の盛り上がりないし渦巻き現象は、本件破堤が浸潤作用によるとすると説明できない。
(4) 浸潤作用によつて発生するすべりの形態は、一般に、堤防裏法面のうち法尻部に生じた小規模なすべりが法面上部に向つて徐々に拡大し進行していくものであつて、大きなすべりを一気に発生させるものではない。
ところが本件破堤におけるすべりの形態は一気にすなわち、一次すべり及び二次すべりが同時的連続的に発生したもので、二次すべりのみならず一次すべりも大きくかつ深いものであつた。
(5) 浸潤作用によつて法すべりが生ずる場合、法すべりが発生した時点において浸潤線は最も上昇していたといえ、また、堤内の浸潤線の高さは洪水と降雨の影響を受けるが、外水位変動の影響が裏法尻部での浸潤線の変動として現われる時間差は、敷幅五〇メートルの堤防で約一時間と指摘されている。
ところが、本件破堤は、外水位のピークが過ぎてから5.5時間、降雨が中断してから2.5時間を経過した時点で発生したものであるから、浸潤線の高さが下降しつつあり、堤防の安全性が回復しつつある時期に生じたものである。
(二) 漏水
漏水は、河川水位が上昇すると、河川水が堤防に浸透して裏法尻から浸み出したり、あるいは、透水層が直接露出している河道あるいは高水敷の掘削部から堤内側へと向けて堤防地盤を通つて水が進入し、透水層内の水頭(水位)を高め、その結果、堤内側の表層の最も抵抗の少ない部分にわき水が起きる現象である。前者を、堤体漏水、後者を地盤漏水(基盤漏水)というが、堤体漏水は、浸潤について述べたのと同様の根拠から、本件破堤の原因とは考えられない。
地盤漏水による破堤は、河川水が水圧の増加によつて堤防地盤を浸透して堤防の堤内側へ流出するとき、土粒子が水とともに流出することによつて、法崩れまたは陥没をひき起こして破堤に至るものをいう。地盤漏水が破堤の原因となるような場合には、その水量が多く、かつ土砂を含み一般に水は濁つている。また、地盤漏水が進むと次第に細粒部を洗い流してパイピング現象を呈し、法先あるいは法先から離れた箇所に表土を突き破つてすりばち状の噴出口ができる。その結果破堤に至る場合をパイピングによる破堤という。そして、地盤パイピングによつて破堤する場合には、それが深いほど、法面の崩壊やすべりは大きくかつ深くなるとされている。
そして、本件破堤の状況を検討すると以下のとおりであつて、本件破堤は地盤パイピングによる破堤と想定するのが最も無理がない。
(1) 本件破堤は、堤防裏法面小段付近に発生した亀裂に始まる法面崩壊によるものであるが、この亀裂は、地盤漏水ないしは地盤パイピングによつて堤内寄りの地盤の土粒子が大量に洗い流された結果、その上の堤体が陥没ないし不同沈下を起こしたために発生したものと考えられる。
(2) 本件破堤時における堤体のすべり面が深くかつ大きかつたこと、崩落した堤体が大きな土塊のままの状態を保つて丸池側へ押し流されたことは、堤体の地盤自体にすべりを生じさせる原因すなわち地盤漏水、特に地盤パイピングがあつたことをうかがわせるし、さらに、前述の地盤パイピングによる破堤の形態にも合致する。
(3) 破堤直前に丸池の水面にみられた波立ち、とくに、いくつかの水の盛り上がりないしは渦巻き現象は、河川水が堤体基盤の土砂とともにパイピングによつて丸池内へ噴出し、しかもその量が多量であつたために生じたもの(いわゆるボイリング現象)と考えるのが自然である。
2堤体の安定に影響を及ぼす要因からみた破堤原因
堤体の安定に影響を及ぼす要因にはさまざまなものがあるが、これを二分すると、破堤当時、長良川流域全体又は本件破堤箇所を含むある程度広がりをもつた区間に普遍的ないしは共通に存在していた要因すなわち一般的要因と、本件破堤箇所に固有に存在していた要因すなわち特異的要因とに分けることができる。そして、何故本件破堤が本件破堤箇所という特定の地点で発生したかを究明するためには、一般的要因のみでこれを合理的に説明しえないから、特異的要因を明らかにすることこそが重要である。したがつて、降雨量及び降雨継続時間、河川の水位及び洪水継続時間、降雨及び河川水位の重複などといつた一般的要因を本件破堤原因究明の手がかりとすることは誤りである。
以下、特異的要因について述べる。
(一) 透水地盤
本件破堤箇所が過去の洪水により破堤した箇所であり、丸池が押堀(落堀)であることは前記一2に述べたとおりであるが、過去に破堤した箇所が地盤漏水を起こしやすいことは河川工学上の常識とされている。すなわち、破堤箇所は破堤時に河川からの流入水によつて数メートルから一〇メートル以上の深さに洗掘され、不透水性の表土はえぐり取られてなくなる。深掘れした場所には、洪水流量が減少していくにつれて粗粒の礫分の堆積から次第に粒径の小さい砂が堆積していく。この砂層や礫層が透水層となつてパイピングを引起こすとされている。
本件破堤後に、被告が行つた本件破堤箇所付近のボーリング調査の結果によると、同地点付近は堤防天端から一六ないし一九メートル(TPマイナス三ないし六メートル)下に、厚さ三メートルの透水性の砂層が存在し、さらに、その下に砂礫層が存在することが判明している。一方、今回の破堤によつて洗掘された箇所の深部はTPマイナス六メートルに達しているが、これは洪水減少時に堆積した砂礫層の表面の深度であるから、洪水流入時にはもつと深くまで土砂がえぐり取られたものと考えられる。以上を総合すると、過去の破堤時に形成された旧丸池の深部は透水性の砂層に到達しており、この部分には不透水性の表土は存在しなかつたと推定できる。したがつて、旧丸池底は漏水を発生させやすい地盤構造を有していた。
なお、前記一3(六)のとおり丸池の水を排水することができなかつたことは、旧丸池内にガマ(パイピング)が存在したことを強く推定させるもので、この地点の地盤の特質からくる当然の帰結である。
(二) 軟弱地盤
前記ボーリング調査によれば、旧堤裏法尻から旧丸池底にかけて、腐植質の泥が一ないし二メートルの厚さで存在することが判明している。これは、丸池生成以後新堤築堤時までの長年月の間に、周辺の宅地や農地から丸池内に流入したり、丸池内に繁殖した動植物由来の有機物質あるいは浮遊物質が池底に沈澱、堆積して生成したナメ泥層である。新堤築堤工事により、旧丸池の約半分が埋められて新堤の堤敷となつたため、右軟弱なナメ泥層(当初はもっと厚さがあつたと推定される)の上に新堤が乗る形となつた。
このナメ泥層は湿潤するとすべりやすく、堤体を不安定ならしめるものである。新堤築堤工事中の二回にわたる崩壊事故(前記一3(五))、築堤後の裏法尻の沈下、崩壊及びその補修による埋出部の沈下(前記一4(一))はいずれもこれを示している。
(三) 旧堤の堤外側への偏在
本件破堤箇所の堤防は、前記一3(三)に述べたとおり新堤築堤工事が行われ、その上下流部と異なり、旧堤が堤外側に偏在する構造となつており、このため、粘性土の旧堤裏法斜面から丸池底の傾斜面へと連続する大きな斜面に、湿潤するとすべりやすいナメ泥層をはさんで、砂質土の新堤の堤体が乗る形となり、堤内側へすべりやすい構造を有していた。
さらに前記一3(四)に述べた新堤築堤工事における工法上の手抜きがあつたことが、本件破堤までの間の自然の力による旧堤と新堤の腹付け部分の接合や締め固まりを考慮にいれても、新堤腹付け部分の堤内側へのすべりを誘発しやすくしていた。
他方、粘性土の旧堤が堤外側へ偏在していることは、砂質土の堤防に比べ、また旧堤を包み込んでいる本件破堤箇所の上下流部の堤防に比べ、河川水の堤外側法面からの浸透をよりしゃ断するという効果をもつていた。
(四) 残された丸池の放置
新堤築堤後丸池の残された部分は埋立てられることなく、そのまま池として放置されたため、パイピングを起こしやすい地盤構造がそのまま放置されたこととなつた。すなわち、旧丸池の深部は透水層が露出していたと推定されることは前記(一)に述べたが、残つた丸池の深部も同様透水層が露出していたか、そうでないとしても池底の透水性の表土はうすく、パイピングを起こしやすい状態が継続した。さらに、丸池においては、その周辺部に比べ土の代わりに池水があるだけ水頭損失(抵抗)が小さくなり、しかも丸池が堤防に接して存在することにより浸透径路長が短かい分だけ水頭損失が小さくなるから、一層パイピングを発生させ、集中させる結果となつた。そして、昭和一一年の新犀川掘削工事(前記一4(二)(1))により、犀川河道の表層の不透水土が除去されて透水土が露出した結果、この部分から丸池内へのパイピングはさらに激化したと推定できる。前記一4(二)ないし(五)の事実は残された丸池の放置によるパイピングの助長を物語るものであるし、前記一4(一)の埋出部の沈下及び前記一4(六)の事実はパイピングによる堤体の沈下をうかがわせるに足るものがある。
次に、本件破堤箇所は、その他の箇所に比べ、残された丸池の深さだけ堤防が高かつたことになり、しかも裏法尻から丸池底への勾配は天端から裏法尻までの勾配よりも急であつたのに法尻に幅約五メートルの埋出部が存在したのみであつた。以上のとおり、丸池が残されたことは堤体を不安定な形状としていた。
新堤築堤時および数年後の裏法尻の補修時に、裏法尻に護岸、土留めなど堤脚保護工事を施さなかつたため、裏法尻は無防備に常時池水と接触していたことになるが、このことは、堤体支持力の低下を招き、堤体の丸池内へのすべりや崩落を招きやすい状況をつくり出していたことになる。
また、本件破堤箇所は、他の箇所と比べて、丸池の掘れている分だけ押さえ盛土の役割を果たすものが存在しないことになり、堤体のすべり破壊を助長しやすい状況となつていた。
(五) 特異的要因からみた破堤原因
以上の検討から、本件破堤箇所の特異的要因として、①パイピングを発生させ、集中させやすい要因及び②堤内側へのすべり破壊を呼びやすい要因が存在したことが明らかとなつた。右要因からすると、本件破堤は、地盤パイピングが原因となつて、堤内側へすべり破壊を起こしやすいという弱点を持つ本件破堤箇所の堤防を破堤させるに至つたと考えられる。
他方、本件破堤箇所の堤防が、河川水や降雨の浸透によつてより浸潤しやすいという特段の要因は何もなく、かえつて、前記(三)のとおり河川水の堤外側法面からの浸透をしや断する点で堤体の安定に寄与する要因をもつていた。したがつて、堤体の安全に影響を及ぼす要因の面からも、本件破堤原因を浸潤に求めることはできない。
3本件破堤の生起機構
以上によれば、本件破堤の原因は地盤パイピングに求める以外にない。そして、地盤パイピングによる破堤の一般的生起機構に照らすと、本件破堤の生起機構はおよそ次のとおり推定される。
(一) すでにくり返し指摘したように、丸池地点の地盤はとりわけパイピングを起こしやすい構造を有していた。さらに、新堤築堤後も丸池を放置したことは、丸池地点で浸透水の水頭損失(抵抗)を低下させ、パイピングを発生、集中させる要因となつていた。
そのため、新堤築堤前から旧丸池内にはガマ(パイピング)が発生していたし、新堤築堤後も丸池内にガマの発生がみられた。
(二) 本件破堤箇所のように、丸池に接して堤防が築かれ、堤脚部に押さえがないと、堤体のせん断抵抗力が低下して堤体は不安定となる。
(三) パイピングの水脈(水みち)は、いつたんそれが発生すると、高水位を経験するごとに(砂の排出量の累積量に対応して)徐々に拡大していく傾向があるから、旧堤時代はもちろんのこと、新堤築堤の後も、何回もの洪水を経験することによつて、パイピング水脈はその都度拡大し、そのため、堤脚部が沈下する傾向にあつた。
(四) 本件破堤箇所においては、不透水性のシルト質粘土の旧堤が堤外側に湾曲し、旧丸池を堤内に抱くような形となつていたので、旧丸池底のナメ泥が旧堤裏法尻に覆い被さる状態となつていた。
新堤築堤時には、このナメ泥を除去せずに丸池方向に高まきによつて埋出しが行われたが、締固めの作業は行われなかつた。また、旧堤裏法の芝は除去されず、段切りも不十分であつたため、新堤腹付け部分は弱く、すべりを起こしやすい構造となつていた。
その上、新堤裏法先の丸池に突つ込んでいる斜面は断崖状で水面上の勾配より急となつており、しかも、丸池の最深部から立ち上がつているので、池底から天端までの比高は、周辺部に比べて高くなつており、全体として不安定な形状を呈していた。
(五) 今回の洪水時においても、長良川の水位が上昇する度に、堤防下で透水砂層を通る従来のパイピング水脈が活動し、丸池やその付近にガマが噴き出した。ガマは地盤のシルト分が洗い出されて濁つていた。
(六) 破堤の前日から第四波の高水位到来によつて、丸池内のパイピング水脈が拡大してボイリングが激化した。このようなパイピングの激化に伴い裏法尻付近に堤体の陥没による不同沈下が発生した。この不同沈下のため、破堤当日の最終の水位のピークにかけて裏小段付近に亀裂が発生し、堤体はさらに弱体化するに至つた。
(七) 破堤直前になつて、パイピングはさらに激化し、丸池内にはいくつかのポイリングがみられ、水面が盛り上がつた。パイピングの砂の洗い出しによる地盤の欠損にボイリングの振動も加わって、亀裂の拡大とともに、亀裂から下部の堤体が沈下、崩壊し、いわゆる一次すべりをひき起こした。
一次すべりによつて支えを失つた上部堤体は極めて不安定は状態となつた。
(八) 新堤腹付け部分と旧堤の間に挾まれたナメ泥層は水を含むとせん断強度が急激に低下する。そのため、パイピングの拡大で空洞化した堤防地盤の沈下が引金となつて、ナメ泥層を絶好のすべり面とする崩壊(いわゆる二次すべり)が発生し、その部分から河川水が流入して本格的破堤へと進展した。
(九) 破堤直後、ボイリングによつて、密度が疎になつた堤体地盤は、破堤によつて透水性砂層まで洗掘され、洪水減水時の砂礫の堆積後の標高はTPマイナス六メートルとなつた。
四 被告の、長良川の設置・管理の瑕疵
1本件破堤箇所に存在した欠陥
前記三2で述べた本件破堤箇所につき堤体の安定に影響を及ぼす各要因は、そのまま本件破堤箇所に存在した欠陥と考えられ、これを整理すると以下のとおりである。これらの欠陥の存在により、本件破堤箇所には堤防が通常備えるべき安全性が欠如していたものである。
(一) 地盤の構造をめぐる欠陥
(1) 丸池は過去の破堤により形成された押堀であるから、本件破堤箇所の地盤はパイピングを起こしやすい透水地盤という欠陥をもつていた。
(2) 新堤築堤時丸池を埋め立てず放置したことは、丸池地点の水頭損失を低め、パイピングを招きやすく、集中させやすいという欠陥を残すこととなつた。
(3) その結果、丸池内には新堤築堤前からガマ(パイピング)が発生していたし、新堤築堤後も高水位が到来する都度ガマが活動、拡大し、そのため、丸池に接する裏法尻は沈下する傾向がみられた。
(二) 堤体の性質、形状をめぐる欠陥
(1) 新堤築堤時、旧丸池底に存在した軟弱なナメ泥層の上に、新堤腹付け部分が乗る形となつたが、このナメ泥層は水を含むとすべりやすく、堤体を不安定ならしめる欠陥となつていた。
(2) 本件破堤箇所の堤防は湾曲した不透水性の旧堤が堤外側に偏在し、旧堤裏法斜面に土質の異なる砂質土の新堤が乗る形となつており、堤内側へのすべりを助長しやすい欠陥があつた。
(3) 新堤築堤時、丸池側への拡幅に当つて、旧堤法面の芝の処理をなさず、段切りも不十分のまま、高まき工法を採り、締固めも行わなかつたため、新旧堤体の接合面には弱点が存在した。
(4) 本件破堤箇所の堤防は、丸池の存在により、池底から天端までの比高が周辺部より高く、不安定な形状となつていた。
(5) 新堤築堤時及び数年後の裏法尻補修時に、裏法尻に護岸、土留めなどの堤脚保護工事を施さなかつたので、堤体支持力の低下を招く欠陥があつた。
(6) 本件破堤箇所は、周辺部と比べて、丸池の掘れている分だけ押さえ盛土の役割を果たすものがなく、堤体の滑動を助長しやすい欠陥があつた。
2欠陥の予見可能性
(一) 地盤の構造をめぐる欠陥の予見
(1) 丸池が押堀であること、したがつて本件破堤箇所の地盤が透水地盤であることは、被告が、新堤築堤時又はその後に、次の調査の一部でも実施していれば容易に知りうるところであつた。
すなわち、①現地における聞き込み調査による、本件破堤箇所が周辺住民間では永年にわたつて「切所」という過去の破堤箇所であることを示す呼称で呼ばれていたこと、及び丸池が「底なし池」、「魔池」などと呼ばれ、丸池ではカイ取りをすることができないといわれており、ガマの存在を思わせる状況があつたことの確認、②地図による調査、現地における調査による、本件破堤箇所を含む付近の小字名が「畚場」という過去に治水工事が行われたことを認識させうる地名となつていたこと、本件破堤箇所の輪中堤防上に郷倉(または護倉)と呼ばれる水防倉庫が設けられていたこと、新堤築堤まで丸池上流部に治水にかかわりのあると思われる神社が存在したことなどの確認、③現地調査による、旧堤に接して広大な丸池が存在し最深部は堤防寄りにあつたこと、旧堤は丸池に沿つて堤外側に湾曲していたこと、堤内地の地形、特に、堀田の数、位置、方向が周辺地域と異なつていることなどから、本件破堤箇所が典型的な破堤地形の特徴を具備していたことの確認、④文献・記録などの調査による、本件破堤箇所の決壊歴の確認などである。
なお、被告および岐阜県は本件破堤箇所を含む一連区間をCという低いランクの漏水危険区間に指定していた。この指定ランクは実態にあわず、妥当とは考えられないが、少なくとも、被告が本件破堤箇所を含む一連区間を漏水危険箇所として認識していたことを示すものである。
ちなみに、新堤築堤にあたつて、工事担当官の一人である高橋忠男は、丸池が過去の破堤によつてできた押堀であることを知つていたし、丸池内のガマの発生をも推測していたものであつて、この事実は、パイピングの予見可能性の有無をあらためて論ずるまでもなく、被告が現実の予見をもつていたことをうかがわせるものとして看過することのできない重要な事実である。
(2) 新堤築堤後丸池を放置すれば、本件破堤箇所の水頭損失がより小さくなる結果、パイピングを招きやすく、これを集中させる因となることは、河川工学のごく初歩的な知識があれば予見しうるところである。
(3) 新堤築堤後において、日常の現地視察や周辺住民からの情報収集により、本件破堤箇所の堤防に生じた次の異常を知ることにより、本件破堤箇所におけるパイピングを予見しえた。
すなわち、①新堤築堤数年後の補修の際、丸池側に設けられた幅約五メートルの埋出部が年月の経過とともに沈下して水田となり、さらに、昭和四〇年代半ば頃から水田にも供しえなくなるまで沈下して葦生えとなつていたこと、②丸池内の北東部寄りには、夏期には水が冷たく藻も生えず、冬期には水が暖く氷の張らない場所があり、河川の増水時には水の噴き出る現象があつたこと、③昭和二三年の福井地震の後、丸池周辺の数箇所にガマが発生したこと、④昭和二〇年代後半、丸池の下流側に接して存在したヒョウタン池にもガマが発生したこと、⑤昭和三四年の伊勢湾台風時、本件破堤箇所犬走り付近にガマが噴いたこと、⑥昭和四一、二年頃、丸池のカイ取りをした時、丸池の水を排水し切れなかつたこと、⑦昭和四八、九年頃、破堤部北端部付近の表法尻と畑の境界部付近に幅約1.5メートル、斜面高約三メートルが陥没し、発見されたことなどである。
(二) 堤体の性質、形状をめぐる欠陥の予見
(1) 丸池底にはナメ泥が堆積していたが、これは池のもつ特性で、ナメ泥層の存在は予測しなければならないことである。新堤築堤に当つて、いつたん丸池の水の排水に着手したのも、被告がナメ泥の存在を予測し、それが堤体の安定に与える悪影響をおそれたからにほかならないと思われる。
新堤築堤工事中に二度にわたつて丸池の埋出部が崩落していること、新堤築堤後数年を経ずして裏法尻が崩壊して欠損を生じたこと、右の補修に当つて埋出された部分が沈下していつたことなどの事実から、堤防の不安定は容易に予見しうるものであつた。
(2) 旧堤の堤外側への偏在、新堤築堤工事の際とられたずさんな工法からくる新・旧堤体の接合面の弱点、丸池地点における比高大からくる不安定な形状、堤脚保護工事の欠如、及び押さえ盛土の不存在などの諸要因から、本件破堤箇所における堤体の不安定を予見することもまた、河川工学の技術水準に照らして容易なことであつた。
3結果の回避可能性
(一) 地盤の構造をめぐる欠陥の回避
パイピングを発生、拡大させやすい地盤上の欠陥に対しては、透水経路(パイピングの水脈)を締切・しや断する対策をとる必要があるが、新堤築堤時またはその後の維持・管理の過程において、次のような対策の一部を実施することにより、破堤を回避することは可能であつた。
(1) 丸池を埋立てる。
(2) 堤外高水敷にブランケットを設ける。
(3) 矢板、粘土刃金、しや水壁、コンクリート壁を設置する。
(4) 基礎地盤の透水性土を透水性の小さな良質の堤体用土で置き換える。
(5) セメントその他の薬液を透水層に注入する。
(6) 堤防断面を増大するか押さえ盛土を置く。
なお、本件破堤箇所の復旧工法は前記二2(三)のとおりであつて、これによれば、被告自身、今回の破堤原因をパイピングと認め、丸池の存在その他に起因する堤体の弱点を解消しようとしたと推察される。
(二) 堤体の性質、形状をめぐる欠陥の回避
この点の欠陥を解消するには、以下に述べるような対策のいずれかを講ずることにより、破堤を回避することができたと考えられる。
すなわち、まず本件破堤箇所の堤防の性質、形状上の弱点の多くは、既に述べたところから明らかなように、丸池の放置に起因するのであるから、丸池の埋立ては弱点を解消するための容易かつ有効な対策であつた。
次に、ナメ泥層が存在する軟弱地盤上へ築堤するときは、これを除去し、すべりを防止するために、築堤工事上次の対策を講じることに留意することが必要であつた。
(1) 不良工事の典型ともいうべき高まき工法をとらず、一定の厚さだけまき出しをした後突き固めをして、順次所定の高さにまでかさ上げする。さらに、旧堤法面の芝を除去して、完全な段切りを施してすべりを予防する。
(2) 堤体の不安定な形状の弱点を補うべく、堤防断面を増大するか押さえ盛土を置く。
(3) 裏法尻の崩壊を防止するために、堤脚部に法止め工として、丸池底から空石積、空ブロック積、縁コンクリートを設けるとか、力杭を打つなどの堤脚保護工を講じる。
4結論
以上に検討したごとく、本件破堤箇所には、パイピングによる破堤を発生させやすい地盤上並びに堤体の性質、形状上の欠陥が存在したのであるが、この欠陥の存在により、本件破堤箇所の堤防は、堤防が通常備えるべき安全性を欠いていたと考えることができ、既にこの点において、被告の、長良川の設置・管理には、国家賠償法二条にいう瑕疵があつたということができる。
仮に、右の欠陥の存在自体から直ちに被告の、長良川に対する設置・管理に瑕疵があつたといえないとしても、右の欠陥は、被告が本件堤防を設置し、管理するに当つて、当然に予見しうるものであり、この欠陥を解消して、破堤という最悪の結果を回避することも可能であつたのであるから、いずれにしても、被告には、国家賠償法二条にいう、長良川に対する設置・管理の瑕疵があつたこととなる。
よつて、被告には、本件破堤によつて原告らが蒙つた損害を賠償する責任があるといわねばならない。
五 予備的主張
仮に、本件破堤箇所の堤防が浸潤を原因として破堤したとしても、被告が本件破堤箇所の堤防の設置・管理につき責任を免れることができないことは以下のとおりである。
1前記三2(三)のとおり、本件破堤箇所では、旧堤が堤外側に湾曲して内包されていたため、長良川中下流域の他地域の堤防に比べて河川水の浸透が小さかつたのであるから、浸潤による破堤の可能性を検討するについては、浸潤線は他の箇所よりも上昇していなかつたにもかかわらず本件破堤箇所で破堤した理由を検討しなければならず、本件破堤箇所の堤体又は地盤に固有の欠陥が存在したことにその理由を求める以外に途がない。
前記四1のとおり、本件破堤箇所の堤体及び地盤には以下(一)ないし(三)に述べる欠陥が存在していた。
(一) 新堤築堤の際、丸池の約半分を埋めて堤敷としたが、旧丸池底に堆積していたナメ泥層は湿潤するとすべりやすく、その上に乗つた新堤体の滑動を助長する層を形成しており、そのため河川水・雨水の長期間の浸透によつて、ナメ泥は浸潤し、すべりに抵抗する摩擦力を減少させることとなる。
(二) また、本件破堤箇所においては、旧堤が堤外側へ偏在して丸池底まですべりやすい斜面を形成しており、旧堤の段切りや有機質物の除去をなさなかつたこと、堤体の締め固めが不十分であつたこととあいまつて、一層すべりやすい構造となつていた。
(三) さらに、新堤築堤の際、旧丸池の約半分は埋立てられず新丸池として残存し、その後今回洪水まで約五〇年の長きにわたつて放置された。新堤は高まき工法によつて丸池を埋立てているので、池水面以下の部分は水上の部分に比して勾配が急となり断崖を呈しており、また、新丸池底より立ち上っているので比高は一連区間の他の堤防より丸池の深さだけ大であつて、それ自体不安定な形状であつた。堤体のすべりを抑止する領域を欠いていたことになる。
このような欠陥は、浸潤によるすべりの場合であつても、堤内側にすべりを起しやすく堤防の安定性を低下させるという点では全く共通であり、前記四で述べたことは、浸潤破堤の場合にもそのまま該当する。
2また、仮に、被告の主張するような、堤体地盤の難透水性層の不連続部分からの河川水の浸透による浸潤線上昇のための破堤であるとしても、被告は責任を免れない。
すなわち、仮に、本件破堤箇所堤体地盤に難透水性層の不連続があるとしても、被告の主張するような自然堤防的堆積過程によるものでないことは後記被告の主張に対する原告らの認否・反論第五の一4のとおりであり、一方、丸池が押堀であること、かつての破堤により旧丸池部分の難透水性の表土が洗掘掃流されていると考えられること(今回の破堤では、TPマイナス六メートルまで洗掘された。)、その上に何ら格別の手当をすることなく新堤が築堤されていること等を考えれば、本件破堤箇所において堤体地盤の分布状況等に特異性が存するとすれば、本件破堤箇所が「切れ所」、すなわち、かつて破堤しそこに形成された押堀であることに由来することは明らかである。
このような押堀の場合、右に述べたとおりかつての破堤により難透水性層の表土は洗掘掃流されているのであるから、透水性砂層が露出し、あるいは、少くとも他地点よりも表土が薄いという弱点がある。したがつて、その上に格別の手当なく堤防を築堤すれば、透水性砂層を通して堤体への地盤からの浸透作用が生ずるのは当然のことである。
ところが、被告は、かかる弱点を有する地盤の上に、前述のごとく何らの対策もとらないままに、堤内側へ極めてすべりやすい構造の新堤を築堤したものであり、本件破堤が浸潤線上昇によるものであるとするならば、それは、右の地盤の欠陥に、堤体の構造と丸池の存在という欠陥が重なつたことによつて発生したものであり、本件破堤箇所の堤防が通常有すべき安全性を欠いたことによって発生したということができる。
丸池が押堀であること、破堤箇所の堤体がすべりやすい不安定な構造を有していたこと、丸池が堤防の安定を損う機能を果していたことが容易に予見し得たことは前記四2のとおりであり、旧破堤箇所が透水性地盤を形成し、地盤漏水や地盤から堤体への浸潤を呼びやすいことは河川工学上の常識である。このような箇所に何らの対策を施すこともなく築堤すれば、地盤パイピングや地盤から堤体への浸潤により、堤体の安定性が害されることも容易に予見し得たことは明らかである。
そして、右の予見に基づき破堤という結果を回避する対策も前記四と基本的に同じであつて、これを実施することも容易に可能だつたのである。
第五 損害
一 原告冨田幸子、同富田定幸、同富田きよみ及び同冨田ゆみ子(原告番号二―237ないし240)を除くその余の原告ら(但し、別紙相続関係一覧表相続人欄記載の原告らについてはそれぞれその被相続人ら、以下本項においては単に原告らという)の損害について
1損害の概要
原告らは、昭和五一年九月一二日当時、岐阜県安八郡安八町地内に家屋を所有していた者、又は、同地内の家屋を借受けて居住していた者であるが、本件水害によつて、ところによつては一〇日間にも及ぶ浸水期間のみならず、その後長期間にわたつて生活の本拠を奪われ、もつて基本的な生活環境を破壊され、以下に述べるとおりの各種損害を蒙つた。
(一) 建物の被害
原告らの居住する安八町二九〇〇戸余のうち、一七四四戸が床上浸水(最高三メートルに及ぶ)、三六六戸が床下浸水、八四戸が半壊の被害を受けた。これらの家屋のほとんどに壁、床の剥落、剥離及び汚損、基礎部分の移動、亀裂等の被害があり、畳、建具等はほとんど使用不可能な状態であつた。
(二) 家財の被害
堤防決壊直後に避離命令が出されたが、家屋床上へ悪泥水が短時間に到達したため、原告らは、家財道具を搬出、移動する間もなく避難しなければならなかつた。このため、各家庭に残された仏壇、寝具、衣類、家具、調度品等の多くの家財は、数日間にわたる悪汚水のため、流失若しくは汚損され、ほとんどが使用不能となつた。
(三) 田畑、家畜の被害
本件被災地では、例年一反当り優良品質米八俵(四八〇キログラム)以上の収穫をあげてきたところ、悪汚水、泥水に冠水し、出穂期にあつた稲はほぼ壊滅状態に陥り、若干の収穫米も品質の下落を招いて商品価値を失つた。
畑作も同様に、冠浸水のため、疏菜類は腐敗、生育不良となり、果樹は枝葉の損傷、根部の障害をうけ壊滅状態となつた。商品として販売するため栽培されていた植木、花卉、盆栽等も冠水のため流失、枯死した。
養豚、養鶏その他の家畜類も流失、へい死するなどほとんど全滅した。
さらに、田畑の農耕土(表土)が流失し、あるいは農耕土へ砂利等が流入するなど、農地自体にも相当の被害がある。
(四) 機械、農耕具、自動車の被害
織機、農作業用機械、工作機械等事業用の機械、器具及び自動車は、流失若しくは浸水による腐触、悪泥の付着、部品の毀損等により、使用不能となり、あるいは修理を余儀なくされ、修理しても機能の十分な回復が得られず、短期間に廃棄、買換を行わざるを得ないものが多かった。とりわけ、安八町の主要産業の一つであつた織物の機械類の被害は甚大であつた。
(五) 在庫商品等の被害
製造加工業における原材料、仕掛品、半製品、完成商品、小売、卸業における在庫商品は、流失し、あるいは浸水によつて商品価値を失つた。
(六) 加工賃被害
縫製、金属加工など委託を受けて加工した加工品が流失あるいは浸水による汚損のため委託者に納入することができず、加工賃収入が得られなかつた。
(七) 休業損害
原告らは、浸水中及び退水後の家屋、家財等の復旧作業や本件水害による生活基盤、事業基盤の被害回復を図るため、数日から数か月に及ぶ欠勤、休業を余儀なくされた。
(八) 精神的苦痛
本件水害は、原告ら及びその家族に消えることのない恐怖と不安と衝撃を与えた。すなわち、目の前で限りなき愛着の家屋・家財等があいついで冠浸水するのを原告ら及びその家族は、恐怖と不安の眼でなす術もなく、ただ茫然とこれを見つめるほかなかつた。
また、原告ら及びその家族らは、本件堤防決壊により文字どおり着の身着のまま、安八町役場、小学校その他の公共施設等に避難を余儀なくされ(なかにはいつたん落着いた避難先が再度危険となり、濁水の中を他所へ移動した者もある)、そのまま退水するまで数日間にわたり避難所生活を過したのであるが、この数日間は、避難に際して離別した家族の安否を気づかいつつ、飲料水・食事・就寝・用便等すべての面で、不自由、不衛生な生活を余儀なくされた。
そして退水後帰宅してからも、建物、建具の損壊、家財、衣類等の汚損、散乱、これらに付着した汚物、ゴミ等のため、その後の始末に一週間ないし一か月を費さざるを得ず、その後も生活基盤の復旧に多大の辛苦が積み重ねられてきた。ある原告は、生涯をかけて蒐集してきた貴重な品を、またある原告は、思い出の品を奪い去られ、その他数々の愛蔵品を失い、あるいは放棄せざるを得なくなったことのほか、右辛苦のため健康を害し病床に臥すなど、その精神的苦痛は償い切れないものがある。
しかも、本件破堤及び層をなして押し寄せる濁水の記憶が、降雨の都度よみがえり、今なお水害に対する恐怖、不安が去らないのである。
2損害における特質
原告らにほぼ共通した本件水害による被害の概要は以上のとおりであつて、その具体的内容、態様は各原告につきそれぞれ異なつているが、いずれも原告らの生活基盤、事業基盤そのものを破壊する被害の甚大性を特徴としている。
表1 浸水建物の損害率表
床上浸水深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水深さ
(cm)
損害率
(%)
1~10
15.0
33
23.7
56
32.4
79
40.2
102
47.6
125
54.5
148
59.6
11
15.4
34
24.1
57
32.8
80
40.5
103
47.9
126
54.8
149
59.8
12
15.8
35
24.5
58
33.2
81
40.8
104
48.2
127
55.1
150
60.0
13
16.2
36
24.9
59
33.6
82
41.1
105
48.5
128
55.4
155
61.0
14
16.6
37
25.3
60
34.0
83
41.4
106
48.8
129
55.7
160
62.0
15
17.0
38
25.7
61
34.4
84
41.7
107
49.1
130
56.0
165
63.0
16
17.4
39
26.1
62
34.7
85
42.0
108
49.4
131
56.2
170
64.0
17
17.8
40
26.5
63
35.0
86
42.3
109
49.7
132
56.4
175
64.5
18
18.2
41
26.9
64
35.4
87
42.6
110
50.0
133
56.6
180
65.0
19
18.6
42
27.2
65
35.8
88
42.9
111
50.3
134
56.8
185
65.5
20
19.0
43
27.6
66
36.1
89
43.2
112
50.6
135
57.0
190
66.0
21
19.4
44
27.9
67
36.5
90
43.5
113
50.9
136
57.2
195
66.5
22
19.8
45
28.3
68
36.8
91
43.9
114
51.2
137
57.4
200
67.0
23
20.2
46
28.6
69
37.2
92
44.2
115
51.5
138
57.6
205
67.5
24
20.6
47
29.0
70
37.5
93
44.6
116
51.6
139
57.8
210
68.0
25
21.0
48
29.3
71
37.8
94
44.9
117
52.1
140
58.0
215
68.8
26
21.3
49
29.7
72
38.1
95
45.3
118
52.4
141
58.2
220
69.5
27
21.6
50
30.0
73
38.4
96
45.6
119
52.7
142
58.4
225
70.0
28
21.9
51
30.4
74
38.7
97
46.0
120
53.0
143
58.6
230
70.5
29
22.2
52
30.8
75
39.0
98
46.3
121
53.3
144
58.8
235
71.3
30
22.5
53
31.2
76
39.3
99
46.7
122
53.6
145
59.0
240
72.0
31
22.9
54
31.6
77
39.6
100
47.0
123
53.9
146
59.2
32
23.3
55
32.0
78
39.9
101
47.3
124
54.2
147
59.4
かかる損害の賠償を求めるについて、旧来の損害賠償理論の枠内で考える限り必然的に多種目の損害費目の下に個別の損害を集積して行わざるを得ないこととなるが、これらの個々の損害を一々列挙することは不可能に近く、しかも個別的に、滅失したものについて正確な交換価値の評価をし、滅失に至らぬものについての減価価値を算出することを原告に求めるのも極めて困難なことを強いることとなる。特に本件訴訟は、原告一二〇〇名余に及ぶ水害訴訟であるから、各原告につき全損害に関する個別的具体的な主張立証を要求することは結局各原告に不可能を強い、損害の回復を図ろうとする途を閉ざすことになる。
したがつて、水害のように多岐多様多数の動産、不動産等につき混然とした被害があり、多数の被災者を出している場合には、その地域に居住し、水害に遭つたという事実が立証されるかぎり、一般経験法則に照らし、相当程度の価値的損害を受けたことは明らかであるから、合理的と思われる資料を用いて損害額を算定することは、妥当な損害額算定方法である。
3損害の内訳とその各算定方法
原告らは、本件水害により蒙つた損害を以下(一)ないし(一〇)に記載した内訳項目毎に、その記載方法で算定することとする。
(一) 建物損害
建物の浸水による損害額は、社団法人日本損害保険協会(以下、損保協会という。)発行の「保険価額評価の手引き」(以下「手引き」という。)及び「火災保険損害調査資料第三輯(風水害損害調査資料)」(以下「損害調査資料」という。)に従い、浸水時における建物の価額に経験則上妥当な損害率を乗じて算出する(以下右のような損害保険の分野において一般に用いられる方式を損保方式と略称する。)。
(1) 損害率は、次<前頁>の表1(「損害調査資料」所載)に基づき、「床上浸水深さ」に応じ損害の程度を百分比によつて表わす方式により求める。なお、「手引き」及び「損害調査資料」は表1を木造専用住宅以外に適用することを当然の前提としているが、工場、倉庫等は床がないため、浸水位から一律に床の高さ五〇センチメートルを控除した数字を表1適用のための浸水位とする。
右損保方式の損害率は、損保業界の長年にわたる適正な損害額の把握のための努力の結晶でありその中核をなすものであつて、極めて妥当性が高いものである。被告は、水害統計の損害率を挙げて、損保方式の損害率の信用性を争うが、水害統計の損害率が私人の損害を賠償するための一手段としてどの程度有効かについて何ら資料も提示されず、また、水害統計の損害率は床上浸水五〇センチメートル未満、五〇ないし九九センチメートル、一〇〇センチメートル以上の三段階の把握で、損保方式の損害率と比べかなり大ざつぱな目安で分類されているから、この損害率と損保方式の損害率と格差があることを理由に、損保方式の損害率そのものの信用性を論ずることは転倒した議論である。
(2) 建物の価額は、「手引き」に従い、浸水時におけるその建物の再取得価額に残価率を乗じて算出する。右再取得価額は、次表2の構造用途別新築単価に、地方別建築費用指数岐阜県内0.84及び総床面積を乗じて算出する。
表2 構造用途別新築単価表
(三・三平方メートル当り)
①
木造専用住宅・店舗
三〇万円
②
木造工場・倉庫
一五万円
0.84及び総床面積を乗じて算出する。
また、右残価率は、次表3の建物の耐用年数、低湿地補正率0.8、最終残価率0.2により、次の式により算出する。耐用年数を経過した建物の残価率は0.2とする。
表3 建物の耐用年数表
①
木造・軽量鉄骨
二四年
②
防火木造(木骨モルタル)
二二年
③
鉄筋コンクリート
六〇年
④
ブロック造
四五年
⑤
簡易建物
一〇年
被告は、建物の価額について、実際の取得価額を基礎に適正な物価上昇率及び減価償却を考慮して算定すべきであると主張する。確かに、一般論としての具体的妥当性は被告主張の方式が勝ると思われるが、実際の取得価額を明らかにすることができない場合は原告主張の方式に依拠するほかないところ、長く居住してきた建物についてその取得価額を正確に立証することは極めて困難であり、資料が乏しければ逆に不正確になる危険が存することからして、原告は、「手引き」及び「損害調査資料」に基づき再取得価額を算定するのがむしろ妥当であるとしたものであつて、表2の再取得価額は極めて控え目な算定額である。
また、被告は、建物の減価率について、原告の方式は木造家屋経年減点補正率基準表に照らして合理的でないと主張するが、「手引き」の経年減価率を毎年一律に定ある方式は、建物評価上通常行われている方法であつて、不合理であるとする根拠は全く見出しがたい。
(3) したがつて、建物損害額は、次の各式により求める。
(耐用年数を経過する前の建物)
(耐用年数を経過した建物)
表4 浸水家財の損害率表
1 平家建の場合
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水
深さ
(%)
損害率
(%)
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
0
2.8
30
39.6
60
64.1
90
82.0
1
4.5
31
40.6
61
64.8
95
84.3
2
6.2
32
41.5
62
65.5
100
86.5
3
7.8
33
42.4
63
66.2
105
88.5
4
9.4
34
43.3
64
66.9
110
90.3
5
10.9
35
44.1
65
67.5
115
91.8
6
12.5
36
45.1
66
68.2
120
93.3
7
14.0
37
45.9
67
68.9
125
94.5
8
15.4
38
46.8
68
69.5
130
95.6
9
16.8
39
47.7
69
70.2
135
96.4
10
18.2
40
48.5
70
70.8
140
97.1
11
19.6
41
49.4
71
71.5
145
97.6
12
20.9
42
50.2
72
72.1
150
98.0
13
22.1
43
51.1
73
72.7
160
98.3
14
23.4
44
51.9
74
73.3
170
98.7
15
24.5
45
52.7
75
73.9
180
99.1
16
25.7
46
53.5
76
74.5
190
99.4
17
26.8
47
54.3
77
75.1
200
99.6
18
27.9
48
55.1
78
75.6
210
99.8
19
29.0
49
55.9
79
76.2
220
99.9
20
30.0
50
56.7
80
76.7
230
99.9
21
31.0
51
57.5
81
77.3
240
100.0
22
32.0
52
58.2
82
77.9
23
33.0
53
59.0
83
78.4
24
33.9
54
59.7
84
79.0
25
34.9
55
60.5
85
79.5
26
35.9
56
61.2
86
80.0
27
36.8
57
62.0
87
80.5
28
37.8
58
62.7
88
81.0
29
38.7
59
63.4
89
81.5
2 二階建で、一階部分に浸水の場合
(a) 延床面積に対する一階床面積の割合が6/10以上の場合
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
0
1.9
28
25.7
56
41.6
84
53.7
1
3.1
29
26.3
57
42.2
85
54.1
2
4.2
30
26.9
58
42.6
86
54.4
3
5.3
31
27.6
59
43.1
87
54.7
4
6.4
32
28.2
60
43.6
88
55.1
5
7.4
33
28.8
61
44.1
89
55.4
6
8.5
34
29.4
62
44.5
90
55.8
7
9.5
35
30.0
63
45.0
95
57.3
8
10.5
36
30.7
64
45.5
100
58.8
9
11.4
37
31.2
65
45.9
105
60.2
10
12.4
38
31.8
66
46.4
110
61.4
11
13.3
39
32.4
67
46.9
115
62.4
12
14.2
40
33.0
68
47.3
120
63.4
13
15.0
41
33.6
69
47.7
125
64.3
14
15.9
42
34.1
70
48.1
130
65.0
15
16.7
43
34.7
71
48.6
135
65.6
16
17.5
44
35.3
72
49.0
140
66.0
17
18.2
45
35.8
73
49.4
145
66.4
18
19.0
46
36.4
74
49.8
150
66.6
19
19.7
47
36.9
75
50.3
160
66.8
20
20.4
48
37.5
76
50.7
170
67.1
21
21.1
49
38.0
77
51.1
180
67.4
22
21.8
50
38.6
78
51.4
190
67.6
23
22.4
51
39.1
79
51.8
200
67.7
24
23.1
52
39.6
80
52.2
210
67.8
25
23.7
53
40.1
81
52.6
220
67.9
26
24.4
54
40.6
82
53.0
230
67.9
27
25.0
55
41.1
83
53.3
240
68.0
(b) 前同割合が5/10以上6/10未満の場合
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
床上浸水
深さ
(cm)
損害率
(%)
0
1.7
30
23.8
60
38.5
90
49.2
1
2.7
31
24.4
61
38.9
95
50.6
2
3.7
32
24.9
62
39.3
100
51.9
3
4.7
33
25.4
63
39.7
105
53.1
4
5.6
34
26.0
64
40.1
110
54.2
5
6.5
35
26.5
65
40.5
115
55.1
6
7.5
36
27.1
66
40.9
120
56.0
7
8.4
37
27.5
67
41.3
125
56.7
8
9.2
38
28.1
68
41.7
130
57.4
9
10.1
39
28.6
69
42.1
135
57.8
10
10.9
40
29.1
70
42.5
140
58.3
11
11.8
41
29.6
71
42.9
145
58.6
12
12.5
42
30.1
72
43.3
150
58.8
13
13.3
43
30.7
73
43.6
160
59.0
14
140
44
31.1
74
44.0
170
59.2
15
14.7
45
31.6
75
44.3
180
59.5
16
15.4
46
32.1
76
44.7
190
59.6
17
16.1
47
32.6
77
45.1
200
59.8
18
16.7
48
33.1
78
45.4
210
59.9
19
17.4
49
33.5
79
45.7
220
59.9
20
18.0
50
34.0
80
46.0
230
59.9
21
18.6
51
34.5
81
46.4
240
60.0
22
19.2
52
34.9
82
46.7
23
19.8
53
35.4
83
47.0
24
20.3
54
35.8
84
47.4
25
20.9
55
36.3
85
47.7
26
21.5
56
36.7
86
48.0
27
22.1
57
37.2
87
48.3
28
22.7
58
37.6
88
48.6
29
23.2
59
38.0
89
48.9
建物損害額=延床面積m2/3.3m2×3.3m2当り/新築単価×地方別建築費用指数(0.84)
×0.2×一階床面積m2/延床面積m2×損害率
(二) 家財損害
家財の浸水による損害額は、損保方式に基づき、浸水時に存した家財額に、経験則上妥当な損害率を乗じて算出する。
(1) 損害率は、次の表4①、②、(表4①及び②は「損害調査資料」所載)に基づき、「床上浸水深さ」に応じ損害の程度を百分比によつて表わす方式により求める。なお表4②は、「損害調査資料」所載の損害割合認定方法に基づき、延床面積に対する一階床面積の割合が一〇分の五から一〇分の六までのものにつき、これを最低限の一〇分の五とみなして算出したものである。
(2) 家財額は、次表5の家財簡易評価表(「手引き」所載)に基づき以下のとおり算出する。
まず、基礎家財額を、原告年令別に、表5「夫婦のみの時価(A)」C欄から求め、なお、居住建物の面積が、原告年令区分に応ずる「建物の面積」欄記載の面積の上限よりも三三平方メートル以上広い場合には、右基礎家財額に1.1を乗ずる。次に、世帯員の構成に応じ、「家族一人当りの時価(B)」欄により求めた合計額を右基礎家財額に加算するが、居住建物の面積が前同様該当欄に記載の面積の下限よりもはるかに狭く三三平方メートル前後でアパート又は小住宅の場合には、右家財合計額に0.6を乗ずる。
なお、家族構成員の家財も、原告の出捐によるものであり、原告の損害と評価するものである。本件においては、原告のみならず家族の家財も全く同一の状態で被災し、損害が発生しているのであるから、家族は原告とは法的主体が異なるからとしてこれを認めないとすると、明白に存する損害が補填されないこととなるし、あるいは、家族の一人一人が原告になるべきであるとすると、原告数が現在の数倍となつて極めて煩瑣な手続を要求することとなり、被災者に法的救済を拒む結果となる。
次に、被告は、家財の避難が可能であつたのに単に浸水位だけを基準に推計することは合理的でないと主張する。しかしながら、破堤した当時の騒然とした状況、破堤と同時に避難命令が執行され、世帯主を除く家族全員が右命令とほぼ同時に避難してしまつていたことから、ほとんどの原告方では家財の避難は全くできなかつたという事情にある。
表5 家財簡易評価表
単位:万円
世帯主の年令
建物の面積
夫婦のみの時価(A)
家族1人当りの
時価(B)
a
標準世帯
c
b
年収
時価
年収
時価
年収
時価
25才前後
(含未満)
50~83m2
前後
(15~25/3.3m2)
300
以上
260
200
前後
210
150
未満
160
小中学生以下
1人 22
高大学生
1人 45
成人の家族
1人 65
独身
110
30才前後
66~99m2
前後
(20~30/3.3m2)
450
以上
420
300
前後
310
200
未満
260
35才前後
66~99m2
前後
(20~30/3.3m2)
550
以上
520
350
前後
420
250
未満
310
40才前後
66~115m2
前後
(20~35/3.3m2)
600
以上
630
400
前後
470
300
未満
370
45才前後
66~115m2
前後
(20~35/3.3m2)
750
以上
680
500
前後
520
350
未満
420
50才前後
(含以上)
66~115m2
前後
(20~35/3.3m2)
850
以上
730
550
前後
570
400
未満
470
さらに被告は、表5の家財簡易評価表は東京都における調査を基礎として作成されたものであるから、本件被災地の損害額算定には用いられないと主
表6 在庫高表
(a) 小売業平均在庫高および商品回転率表
業種
従業員1人
当り在庫高
売場面積
3.3m2当り
在庫高
高品
回転率
呉服
(千円)
2,700
(千円)
490
(回)
4.7
紳士服
1,600
360
6.5
婦人子供服
1,100
220
9.4
洋品雑貨
1,500
240
6.8
衣料品(総合)
1,700
240
6.9
寝具
1,300
300
7.3
食料品(総合)
590
110
26.4
酒類
950
210
15.8
精肉
330
170
48.5
鮮魚
180
60
71.0
青果物
240
70
59.2
パン菓子
220
110
26.0
靴
1,400
240
8.0
履物
1,800
330
6.2
鞄・袋物
1,400
140
7.9
医薬品
1,700
540
6.0
化粧品小間物
1,800
210
5.5
家具
2,300
150
6.8
金物荒物
2,100
300
7.0
陶磁器
1,600
130
6.1
電気器具
2,100
470
8.0
書籍
910
140
15.7
文房具
1,400
500
7.3
スポーツ用品
1,700
370
6.5
時計メガネ
2,500
720
4.0
自転車
1,100
140
8.6
カメラ写真材料
1,500
890
8.1
玩具
1,700
230
5.5
楽器レコード
1,800
520
7.0
スーパーマーケット
(食料品)
600
100
25.3
氷雪販売業
120
50
81.4
肥料・飼料販売業
1,400
500
29.1
コンビニエンスストア(食料品)
980
80
22.2
塗料販売業
1,600
―
21.3
木材販売業
1,600
―
13.0
建築材料販売業
2,300
―
13.8
農機具販売業
2,900
―
6.3
機械器具販売業
2,100
―
15.9
機械工具販売業
3,500
―
9.0
(b) 卸売業平均在庫高および商品回転率表
総合織物
(千円)
3,500
(回)
16.0
輸出絹織物
6,700
17.3
服地
3,200
11.2
呉服
4,600
8.5
既製服
1,900
12.0
寝具
2,800
11.6
繊維雑品
2,100
10.1
砂糖・食料品
3,200
16.1
生鮮食料品
600
95.8
酒類
2,000
22.8
缶詰・びん詰
5,500
11.7
菓子
970
20.1
その他食料品
2,100
17.9
靴
1,700
18.5
ゴム履物
3,000
7.6
鞄・袋物
1,700
13.5
日用品雑貨
2,100
11.7
医薬品
2,900
8.3
金物
2,900
11.0
紙・紙工品
2,500
12.6
文房具
2,500
6.0
自転車
3,300
6.3
電気器具
1,500
17.1
化粧品
1,700
7.2
陶磁器・ガラス器
990
14.5
張する。しかしながら、広い建物に長年居住してきた原告らの家財よりも狭い住居に居住するサラリーマンの家財が高額とはとうてい言えず、また原告らは、一律に表5のうち低所得層の家財額を採用しているのであつて、極めて控え目な評価をしているのである。
また被告は、水害統計の保有家財額との相違を主張するが、水害統計の評価額の合理性について何ら説明されていない以上論拠とはならない。
(3) したがつて、家財損害額は次式により求める。
家財損害額={基礎家財額(×1.1)+家族の付加家財額合計}(×0.6)×
損害率
なお、貴金属、宝石、書画骨董、彫刻物又は美術品で、一個の価格が五万円以上のものについての損害は、右の家財損害には含まれず、またピアノもこれには含まれない。さらに仏壇は、原告ら居住地区での信仰上の特色から、通常の家財的仏壇とは全く事情が異なつている。
よつて、いずれも後記「特別の損害」に含める。
(三) 農作物損害
(1) 稲作
稲作の冠水による損害は、六〇キログラム(一俵)当り少なくとも金一万五〇〇〇円以上である。なお、平年991.7平方メートル(一反)の水田につき少くとも四八〇キログラム(八俵)の米の収穫をあげていた。したがつて、稲作損害は次式によつて求める。
稲作損害額=冠水面積(m2)÷991.7m2
×12万円
(2) 畑作
畑作の冠水による損害は、991.7平方メートル当り少くとも金六万円以上である。
なお、畑において営業として植木等を植栽していた場合は、前記によらず、後記「特別の損害」に含める。
(四) 家畜損害
原告毎に具体的に算出する。
(五) 機械、器具、車輛損害
(1) 機械、器具の全損の場合は、その物の再取得価額の一〇パーセント(いわゆる最終残価率)の額をもつて損害額とする。
自動車の全損の場合は、その当時の同種車輛の中古価格をもつて損害額とするが、機械、器具の例によることもある。
(2) 修理を要する物については、現に修理に要した費用の額又は修理見積額とし、自ら修理した場合は第三者に修理させた場合に要するであろう見積額とする。
(六) 商品、製品、原材料損害
(1) 小売、卸売業販売業の場合
右損害は、損保方式に基づき、被災当時原告らが所有していた商品等の価額に、前記表4の浸水建物の損害率表の損害率を乗じて算出する。右商品等の価額の算出は、次の表6在庫高表(手引き」所載)によることとし、このうち従業員数及び売場面積を基準とする両在庫高のうち低い方による。
なお、事例により、原告毎に算出する。
(2) 製造業の場合
原告毎に具体的に算出する。
(七) 加工賃損害
原告毎に具体的に算出する。
(八) 休業損害
自営業者の本件水害による休業損害につき、原告毎に具体的に算出する。
(九) 特殊な損害
以上の各損害項目では把握できない特殊な財産的損害を本項目の特殊な損害として挙げる。既に述べたもののほか、前記(八)には含まれない給与所得者の休業による賃金減少その他である。
損害額は原告毎に具体的に算出する。
(一〇) 慰謝料
原告らは本件水害により前記1(八)のとおりの精神的苦痛を受けた。さらに、原告らが本件水害により蒙つた財産的損害は、前記(一)ないし(九)に列挙した項目(その損害額の算定自体いずれも控え目なものである。)のみでは、その全体を網羅することは到底不可能である。
よつて、右精神的労苦及び前記(一)ないし(九)の項目では把握しえない財産的損害の存在に鑑み、原告らの請求しうる慰謝料額は、被害の程度に応じ、左の額を下らない。
(1) 居宅に床上五〇センチメートル以上の浸水を受けた場合 一〇〇万円
(2) 居宅に床上五〇センチメートル未満の浸水を受けた場合 七〇万円
(3) 居宅の床下に浸水した場合
三〇万円
(4) 居宅以外の建物(工場、店舗、倉庫、納屋等)に浸水(床上、床下)した場合 三〇万円
(5) 右(1)ないし(4)に記載のもの以外の被害を受けた場合 二〇万円
4原告らの個別の損害
原告らがそれぞれ本件水害により蒙つた損害及び右3記載の方法に基いて算出したその損害額は、別紙原告別主張損害一覧表記載のとおりである。
なお、原告らは、個別の損害における前記2の特質のため、右損害を各被害報告書(損甲各号証)によつて立証するものであるが、右被害報告書の作成には慎重なる手順が踏まれている。すなわち、統一的な説明に基づき原告らが作成した損害調査表について、各担当代理人が、個別的にヒヤリングを行い、さらに関係資料を照合し、被害報告書作成の段階にも原告らに面接し説明を求めながら記載を進め、その正確を期したものである。なお右被害報告書の記載の裏付資料として、住民票、固定資産の課税証明、耕作証明が用いられているが、これら資料の量はぼう大なので、被告の了解を得て右各資料を提出しないこととした。
また、その記載内容のうち、建物所有権の帰属は、安八町作成の家屋課税台帳の記載により確定したものである(個別的には登記簿により確認したものもある。)。当地区にあつては、相続があつても登記上未処理であつたり、建築されても未登記のままの場合が比較的多いので(この点は都市部と事情が異なる。)、むしろ登記簿では実際と相違する場合が多く、町当局が課税上の見地から所有者及び建物を確認して作成した台帳の方が信頼できると判断されるのである。次に粗利率の把握は業種、業態によつては困難な点があるが、原告本人らはその業に携わつており、経験的に粗利率を相当程度正確に把握しているものである。一部には一〇〇%の粗利率の記載もあるが、この数字の出る織物業、縫製業は、小規模な賃加工業であり、原材料及び機械を問屋、元請から提供され、もっぱら労働力を提供しているにすぎない状態であつて、何ら異常ではなく、このことは、休業損害を請求している原告らの損害額から判断される月収が、賃金センサスによる同年令の労働者の賃金額をはるかに下回つていることからも証明されるところである。
5損害の填補
原告らのうち一部のものは、別紙原告別主張損害一覧表記載のとおり、その損害の填補として、農業災害補償法に基づく農作物共済金の給付を受け、あるいは建物共済金、各種損害保険金の給付を受けた。
6内金請求
よつて、原告らは被告に対し、前記3のとおり算出した各損害合計額(別紙原告別主張損害一覧表「小計額」)より前記5の損害填補額を控除した金額の内金として、予備的に、右金額に相当な弁護士費用(同表「弁護士費用」のとおり)を付加した金額の内金として、同表請求金額欄記載のとおり、それぞれ、三三万円、五五万円、一一〇万円、二二〇万円、三三〇万円又は五五〇万円のうちいずれかの金額を(なお、同一世帯で二人以上が原告となつている場合には、当該世帯で右金額のうちいずれかの金額を)、本訴において請求する。なおそのうち別紙相続関係一覧表記載の被相続人らは、同表記載のとおり死亡したので、同表記載のとおり、それぞれの本訴請求債権を相続した原告らがその支払を請求する。
二 原告冨田幸子、同冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子(原告番号二―237ないし240)の損害について
1冨田智太郎(大正八年一〇月一三日生)は、昭和五一年九月一二日当時、岐阜県安八郡安八町善光二三八番地に家屋を所有して居住していたものであるが、本件破堤のため前記第二の四の経過で死亡した。
2冨田智太郎の損害の額は次のとおりである。
(一) 得べかりし利益の喪失
金六八七万二〇〇〇円
冨田智太郎は、本件破堤当時、満五六才の健康な男子で、農業を営むかたわら、株式会社安田製作所に勤務し、同会社から一か月平均一〇万円以上の賃金を得ていた。そして、満五六才の男子の就労可能年数は少くとも一一年以上存すると考えるのが相当であるから、同人が本件破堤によつて死亡したため喪失した得べかりし利益は次のとおり金六八七万二〇〇〇円となる。
{年間の収入−年間の生活費}×就労可能年数{新ホフマン係数}
=(120万円−120万円×1/3)×8.590
=687万2000円
(二) 葬儀費用 金七〇万円
冨田智太郎は本件破堤当時善光部落の区長であつたから、葬儀費用としては少くとも金七〇万円が相当である。
(三) 生命侵害による慰謝料
金一五〇〇万円
冨田智太郎は六人家族の支柱として幸福な生活を送つていたところ前記のとおり死亡したものであるから、右死亡に対する慰謝料としては、少くとも金一五〇〇万円が相当である。
(四) 建物損害
金二九九万七四一六円
冨田智太郎は本件破堤当時、①木造瓦葺平家建居宅、床面積約133.00平方メートル(昭和三年新築)、及び②軽量鉄骨造スレート葺平家建納屋、床面積67.00平方メートル(昭和四七年新築)の建物を所有していたが、本件水害による最高浸水位は①につき床上二五〇センチメートル、②につき床上三〇〇センチメートルであつた。そこで、前記一3(一)の算出方法に従つて計算すると、建物損害額は、①につき一四六万二五一六円、②につき一五三万四九〇〇円である。
(五) 家財損害 金六二四万円
冨田智太郎は本件破堤当時、世帯主として①の建物に居住し、原告冨田幸子(妻、昭和四年一一月六日生)、同冨田定幸(長男、同三五年一〇月三〇日生、高校生)、同冨田きよみ(二女、同三七年七月二三日生、中学生)、同冨田ゆみ子(三女、同三九年一〇月五日生、小学生)及び冨田志やう(亡父の妻、明治三九年一月二〇日生)と共に居住していた。そこで、前記一3(二)の算出方法に従つて計算すると家財損害額は金六二四万円である。
(六) 農作物損害金
九七万七二三〇円
冨田智太郎が本件破堤当時耕作していた田は7.934平方メートル、畑は二八四平方メートルであり、全て冠水した。そこで前記一3(三)の算出方法に従つて計算すると、農作物損害は田につき金九六万〇〇四八円、畑につき一万七一八二円である。
3損害の填補
金六二万五〇〇〇円
(一) 農作物共済金
金四六万六〇〇〇円
(二) 建物共済金
金一五万九〇〇〇円
4相続関係
冨田智太郎の有する一切の権利は、同人の死亡により、相続人である原告冨田幸子がその三分の一を、原告冨田定幸、同きよみ及び同ゆみ子が各六分の一宛をそれぞれ相続によつて取得した。
したがつて、原告冨田幸子らが相続によつて取得した損害賠償請求権は次のとおりである。
(一) 原告冨田幸子
金一〇七二万〇五四九円
(二) 原告冨田定幸、同きよみ及び同ゆみ子
各金五三六万〇二七四円宛
仮に、前記2の(四)ないし(六)の各損害について、冨田智太郎の死亡時には未だ被害が発生しておらず、右建物、家財、農作物についての一切の権利が相続によつて原告冨田幸子らに移転した後に被害が発生したとするならば、原告冨田幸子らはその共有財産である右建物、家財、農作物について固有の損害を蒙つたものであるから、各人の損害額は共有部分(相続分)割合に応じたものとなる。そこで、原告冨田幸子らの固有損害の額に、相続によつて取得した前記2(一)ないし(三)の損害の額を合算すると、前記(一)、(二)と同一の金額となる。
5内金請求
原告冨田幸子らは右のとおりの損害賠償請求権をそれぞれ有するものであるが、その内金として原告冨田幸子は金七七〇万円を、原告冨田定幸、同きよみ及び同ゆみ子は各金三八五万円宛を本訴において請求することとし、なお予備的に、右損害賠償請求権に相当な弁護士費用を付加した金額の内金としての請求をする。
請求原因に対する認否及び反論
第一 請求原因第一について
一 一のうち、原告ら主張どおりの日時(但し、時刻は午前一〇時三〇分頃)及び場所において、長良川の堤防が決壊し、安八町及び墨俣町の一部が浸水したことは認めるが、その余の事実は知らない。
二 二の事実は認める。
第二 請求原因第二について
本件水害の経過については、被告は、以下のとおり認否するほか、後記被告の主張第三のとおり主張するものである。
一 一のうち、1の事実は認めるが、2の事実は否認する。なお、昭和五一年九月一二日には午前六時から午前九時までは降雨があつた。
二 二のうち、1の「本件破堤箇所より5.4キロメートル上流」との部分は否認し、その余の事実はすべて認める。
三 三のうち、1及び3ないし5の事実はすべて認める。2のうち、草刈が始められたことは認めるが、その開始時刻は午前九時頃である。その余の事実は知らない。
四 四について
11のうち、亀裂の条数及び長さについては否認し、その余は知らない。
22の事実は知らない。
33の事実は否認する。
44のうち、第一文は知らない、第二文以下は否認する。
55の事実は否認する。当時、丸池には高さ二メートルのトタン塀が設置されていたこと、ゴミ捨場のような状態であったことなどから、丸池内にガマがあるかどうか確認できる状況にはなかつた。
66の事実は知らない。
77の事実は否認する。
88のうち、針金が切れたことは認めるが、その余の事実は否認する。
99の事実は否認する。
1010のうち、消防車、トラック等が転落したこと、冨田智太郎が死亡したことは認めるが、その余の事実は知らない。
第三 請求原因第三について
原告らの主張は争う。
一まず、原告らの主張は特定を欠き、失当である。
すなわち、本件において主要事実とは、公の営造物が通常有すべき安全性を欠いていたとする特定の具体的事実及びそれと結果との具体的因果関係であるところ、原告らの、越流なき破堤又は計画高水流量、計画高水位以下の破堤という主張は、単に破堤という結果が発生した旨の主張に止まり、右具体的要件事実の主張はない。
なお、原告らは瑕疵推定論により、越流なき破堤又は計画高水流量、計画高水位以下の破堤という事実を主張している以上、要件事実の主張としては十分である旨主張している。しかしながら、原告らの主張する瑕疵推定論が誤りであることは、以下のとおりである。
1原告らのいう瑕疵推定論は、その当否は別として、その性質上、事実上の推定の範ちゅうに属すべきである。したがって、主要事実が特定した後の裁判官の自由心証ないしは心証形成過程の問題であって、挙証責任とは全く関係がない。これが推定によつてその存否が推定される主要事実は、本来その挙証責任がある側から主張されるべきである。
原告らの主張は、請求原因事実の特定の問題を右の如き事実上の推定理論で論じようとした点に誤りがある。
2原告らの引用する最高裁判例は、いずれも過失の認定につきいわゆる選択的認定をしたものであつて、裁判所の認定判断の問題である。したがつて、右判決をもつて直ちに、当事者の主張として何らかの過失の主張で足りるとしたものということはできない。
なお、これらの裁判例は、いずれも「注射液の不良か注射器の消毒不完全」(最判昭和三二年五月一〇日)、「注射器具、施術者の手指あるいは患者の注射部位の消毒不完全」(最判昭和三九年七月二八日)という各事実について、これらの診療行為は、医師としての通常の注意さえ守れば、常に安全確実な診療行為であることが、現代の医学上、学理的・臨床的に確認されている範囲の行為であることから、他の原因が存しない限り、これらの事実に経験則を適用すれば、いずれの事実かを特定をすることなく、医師の診療行為につき過失を認定しうるとするものである。
したがつて、これらはいずれも経験則を適用しうるだけの実体を備えた事実であり、これらから診療行為上の過失のあったことが経験則上導き得ることが当然の前提となっていることが右裁判例からも窮われるのである。
しかるに、原告らは本件において、「計画高水位以下の洪水による破堤」から「設置・管理の瑕疵」を「一応の推定の理論」によって推定しようとしているものであるが、「計画高水位以下の洪水」という事実は、前述した各裁判例で述べられている諸事実とは異なり、その具体性を欠くものであり、しかも計画高水位は後述するように、計画策定上の一指標に過ぎないものであつて、堤防の構造の安全性を推定するに足りるだけの実体を備えていないことはいうまでもなく、また、これから堤防の安全性についての何らかの経験則を導出すことはできないものであり、まして原告らが主張するような国家賠償法二条に規定されている設置・管理の瑕疵を推定するなどということは到底できるものではないのである。
二仮に、原告らのいう瑕疵推定理論が認められるとしても、越流なき破堤又は計画高水流量、計画高水位以下の破堤という事実からは、河川の設置・管理の瑕疵を推定することはできない。
1そもそも、河川について国家賠償法二条の営造物の設置・管理の瑕疵を判断するにあたつては、道路についての従来の瑕疵について示されてきた基準とは異なる、河川の本質から生ずるところの河川管理上の諸制約(経済的制約、社会的制約、時間的制約等)を考慮した上での、我が国河川の一般的水準及び社会通念によつて個別具体的になされなければならないことは、後記被告の主張第一に詳述するとおりであるから、原告らが主張するような計画高水位以下の洪水については、洪水継続時間等洪水特性の如何を問わず、いかなる場合においてもこれを安全に流下させなければならないとの絶対的義務を河川管理者に課し、これを前提として、計画高水位以下の洪水によつて破堤した場合には、そのことのみから直ちに設置・管理の瑕疵が推定されるというような単純な思考方法によつて瑕疵を推定することは、前述の河川管理の本質等にも全く整合しないものである。
2(請求原因第三の一3(一)について)
原告らがその主張の根拠とする河川法一条は、その目的として洪水・高潮等による災害の発生の防止等を挙げているが、右規定は河川管理の究極において目指すところを明らかにした理念的な規定であるから、右規定からは、原告らの主張するような「堤防等は計画高水位以下の洪水に対して絶対的な安全性を有すべきである。」といつたような具体的義務はそもそも発生しないのである。
次に、同法一三条一項にいう水位とは、その法文からも明らかなように、流量、地形、地質等と同列に並べられた考慮すべき抽象的な一つの要素として規定されているにすぎず、したがつて、その水位が具体的に計画高水位を指すものでないことは、いうまでもない。また、同条一項二項の規定は、河川管理の一部たる堤防等の「構造の安全性」についての規定にすぎず、しかも右規定からも明らかなように、水位は、堤防の構造の安全性を確保する場合において考慮すべき一事項にすぎないのであつて、水位以外の流量、地形、地質、その他河川の状況及び自重、水圧、その他の予想される荷重を併せて総合的に考慮しなければ、堤防等の構造の安全性は確保できないものであるから、水位のみをもつて堤防の構造の安全性を欠いていたものと推定しえないことはいうまでもなく、まして河川の設置・管理の瑕疵までも推定するというのは、まつたく理由がないのである。なお、法一三条は、予想されるあらゆる自然条件に対応しうる安全な堤防を確保するというような、いわば堤防の構造についての河川管理者の絶対的な安全確保義務を規定したものではなく、河川改修事業の実情、特質、これを実施するうえでの諸制約、当時における技術水準等からみて合理的と認められる程度の堤防等の構造の安全性を確保することを目的とするものである。
しかして、同法一六条及び施行令一〇条は、河川行政上の基本的目標として、各水系ごとに工事実施基本計画を策定し、その中で河川改修上の一指標として計画高水位を定めることとしているが、工事実施基本計画等に定められている計画は、河川改修の目標としての計画上の概念であり、その内容について、即座に実施すべき義務を負うようなものではなく、まして、この計画がすべて実現されるべきであるとか、現に実現されているべきものであるというようなものではないことは当然のことであり、また、計面高水位も、河川ごとに具体的な数値をもつて表示されてはいるが、それは河川の個々具体的な箇所(改修を必要とする箇所)についてその特殊性を具体的に考慮して定められているのではなく、当該河川が有する一般的特性(施行令一〇条二項所定の諸事情)を考慮して、当該河川全体の改修の標準的な一つの指標として定められるにすぎないものであつて、その際に堤防の構造(安全性)は抽象的かつ概括的に考慮されるに止まり、具体的かつ詳細な堤防の構造(安全性)までもが考慮されるものではない。河川の具体的箇所の堤防の構造については、具体的な工事実施の段階で、計画高水位、計画高水流量、地形、地質等を併せ考慮して当該箇所に適合した具体的な構造を定めているのである。
したがつて、法一六条及び施行令一〇条で工事実施基本計画に計画高水位を定めることとしているからといつて、計画高水位が堤防の構造の安全性を保障しているとみることができないことはいうまでもなく、まして計画高水位をもつて堤防の設置・管理の瑕疵が推定されるとすることは到底できるものではないのである。
さらに、法令等により工事実施基本計画において、計画高水流量・計画高水位を定めることが義務付けられている理由は、我が国河川のもつ自然特性から、洪水の大小が一般に最大流量によつて左右され、このため、我が国における大水害は、一般に短時間に集中して多量の降雨があり、大きな最大流量の洪水が発生した時に生ずる傾向にあるため、計画高水流量・計画高水位を治水施設整備のための指標とする必要があることによるものである。しかして、計画高水流量・計画高水位といつた指標によつて、その他の定量的に表示されない洪水継続時間、堤体上への降雨等の様々な作用に対する堤防の安全性までもが担保されているものでないことはいうまでもないのであるから、工事実施基本計画に計画高水流量・計画高水位が規定されているからといつて、これによつて堤防の構造の安全性の存否を推定することはもちろん、堤防の設置・管理の瑕疵までを論ずることができないことは当然のことである。
3(同(三)について)
原告らの主張は、要するに稀な破堤事例であれば、瑕疵推定の根拠になるとするものであるが、洪水は自然現象であつて、その作用等については必ずしも科学的に十分解明されておらず、また、地形、地質等個別の要因が洪水の作用に大きな影響を及ぼしていることから、個々の破堤事例については、それぞれの固有の事情を明らかにした上で、原因を確定する必要があり、事例が稀であることの一事をもつて瑕疵を推定するがごときは失当であるといわざるをえない。
第四 請求原因第四について
一 一について
11について
(一) (一)のうち、低湿地域であることは否認し、その余の事実は認める。
(二) (二)について、甲第二一三号証に同旨の記載があることは認める。
(三) (三)のうち、木曽川が時の経過とともに濃尾平野西部に移動し、木曽三川が同平野南部を集中して流下するようになつたこと及び濃尾平野西部に低湿化と洪水の激化がもたらされるようになつたことは知らない。その余の事実は認める。
(四) (四)について、「長良川」岐阜大学長良川研究会編に同旨の記載があることは認める。
(五) (五)について、甲第二一三号証に同旨の記載があることは認める。
(六) (六)について、「洪水による破堤入水の危険及び被害の程度を増大させる結果となつていた」との点を除き、甲第二一五号証に同旨の記載があることは認める。
(七) (七)の事実中、安八町が七輪中を包含していること、森部輪中が七か村で形成されたことは認めるが、その余の事実は知らない。
22について
本件破堤箇所が原告らの主張する破堤地形の特色を有しているかどうか明らかでなく、仮にその特色を具備しているとしても、本件破堤箇所が切所であつたとは直ちにいえない。
(一) (一)について甲第二一五、第二一六号証に同旨の記載があることは認めるが、破堤地形に関する研究は本件破堤後とり上げられた研究分野で、学問的にいまだ確立されたものではない。
(二) (二)について
(1) (1)のうち、旧丸池付近の旧堤が湾曲していたことは認めるが、これをもつて丸池が落堀であることの重要な特徴であるとすることは争う。
(2) (2)の事実は否認する。
旧丸池の水深は堤防寄りで1.5メートルないし2メートル程度であつた。また、新堤築堤時において二〇メートル余の犬走り及び平場が設けられたため、丸池内の堤防寄りには一七メートル以上の平場が存在していたことは明らかである。よつて、新堤築堤以前及び以後のいずれにおいても丸池の堤防寄りが深かつたという事実はない。
さらに、仮に丸池周辺にガマがあつたとしても、本件破堤とは何ら関係がない。
(3) (3)の事実は否認する。
地元住民らから当該箇所につき陳情等がなされた事実はなく地元住民らに危険意識はなかつた。
(4) (4)のうち、小字名が畚場であることは認めるが、その余は争う。畚とは、ワラ、ムシロまたはワラナワを網状に編み、四隅に吊紐をつけて、土や肥料、農産物等の運搬に使われたものである。よつて、畚場の地名から原告ら主張のような危険箇所を推定することはできない。
(5) (5)の事実は否認する。
なお、護倉は堤防上に適度の間隔をおいて設置されたもので、これが設置されていても、治水上危険度の高い場所であるとはいえない。
(6) (6)の事実は認めるが、本件破堤とは何ら関係を有しない。
(7) (7)は争う。明治二一年の字絵図からは、原告らの主張するような破堤に伴う砂入であると推測することは到底できない。
(三) (三)について
冒頭部分は争う。
(1)ないし(3)及び(4)のうちの前段について、各史料に同趣旨の記載があることは認めるが、その記載が本件破堤箇所あるいは丸池に関するものであるか否かについては明らかではない。(4)後段の事実は否認する。
(四) (四)の主張は争う。これまで認否してきたところから明らかなように、本件破堤箇所が過去に破堤を経験した場所であるとする原告らの主張は理由がない。
33について
新堤築堤工事がなされたことは認めるが、その具体的内容は以下に認否するほか、後記被告の主張第四の二のとおりであつた。
(一) (一)のうち「杭の辺りの深さが約3.7メートルであつた」との点は否認する。葦は水深一メートル前後が生育の限度とされているから、原告らの右主張には矛盾がある。
(二) (二)のうち堤材が原告らの主張するような置土であつたことは否認し、その余の事実は認める。
(三) (三)のうち前段は認めるが後段は知らない。
(四) (四)のうち旧丸池の基礎処理に関する主張は争う。この点については当時の技術水準に照らし十分な施工が行われたものである。その余の事実は否認する。新堤築堤工事にあたつては、二〇メートル余の犬走り及び平場を造り、その先に盛土の安定を図るための土留工が行われている。
(五) (五)の事実は否認する。脱線事故は一回であり、土運車が三輛ほど池の中へ落込んだもので、その原因は運転ミスによるものであつた。
(六) (六)のうち後段は知らない。
44について
(一) (一)の事実は否認する。本件水田は昭和二二、三年頃より田植期の降雨や水田への水の引き方によつて、水が溜りやすい場所であつたもので、このため耕作をやめた結果葦が自然に成育し、これが放置されていたものである。本件水田が沈下した事実はない。
(二) (二)のうち(1)及び(2)の事実は知らない。仮にこれらの事実があつたとしても、本件破堤とは何ら関係がない。(3)ないし(5)のうち、昭和三四年の伊勢湾台風の増水時に、本件破堤箇所犬走り付近にガマが噴いたこと、水路畔は長靴でも歩けないほど軟くなることがあつたこと及び丸池にガマが存在した旨の各事実は否認し、その余の事実は知らない。
(三) (三)ないし(五)の事実はいずれも否認する。
(四) (六)の事実は否認する。本件破堤箇所を含む長良川の堤防において毎年一回除草工事を行つていた安田慶郎、浅野勉は、原告ら主張のような凹陥部を確認していないし、昭和五〇年撮影の航空写真によつても右凹陥部の存在は認められない。
(五) (七)のうち昭和五〇年に二回にわたつて丸池の北側と東側の堤防沿いにトタン塀が設置されたことは認めるが、その位置の詳細等については不知。
(六) (八)の事実は知らない。
(七) (九)の事実中、道路工事の残土の点は否認し、その余は認める。
(八) (一〇)の事実はすべて否認する。原告らの主張する陳情はいずれも本件破堤箇所とは全く関係のないものである。
なお、丸池は、昭和四七、四八年頃からは安八町の所有、それ以前は大森村一村総持ちで、河川区域外であつたから、地元においても埋立てることができたものである。しかるに埋立てが行われなかつたということは、丸池が危険であるという認識は地元において全くなかつたことを示すものである。
二 二について
11について
(一) (一)のうち、森部の薬師堂の北側民家床下にガマが発生したことは認めるが、ブロック積が沈下した原因については争う。
(二) (二)のうち、内水位が上昇したことは知らない。仮に上昇したとすれば、その原因は、九日午後から同夜一〇時頃にかけてあつた約五〇ミリメートルの降雨と、森部排水機場の集水地域については、上流から流端末の排水機場への内水の流下に長時間を要するという地域特性である。
(三) (三)のうち、安八町内においてガマが発生したことは認めるが、その余の事実は知らない。
(四) (四)のうち、原告らの主張する陥没の発生場所が森部排水機場の三〇ないし五〇メートル上流部であること、及びそれが補修されたことは認めるが、その余は知らない。なお、原告らが主張する陥没とは法崩れである。
(五) (五)の原告らの主張する陥没は否認する。但し、丸池北端から五〇メートルの地点に法崩れが生じた事実はある。
22について
(一) (一)の事実は認める。
(二) (二)のうち、原告ら主張の土質調査が行われたことは認める。その結果については、新堤は砂質ローム、旧堤は粘性土であり、「旧堤の裏法尻から旧堤池底にかけて腐植質の泥が一ないし二メートルの厚さで挾まれている」との事実はなく、また、その下層は0.1ないし0.2ミリメートルの細砂ではないが、その余の事実は認める。
(三) (三)の事実は、ナメ泥を除去したとの点を除き、原告ら主張のような工事が復旧工事としてなされたこと、及び同期日に完成したことは認める。
三 三について
本件破堤原因が、越流、洗掘、残留水圧及び浸食ではないことは認める。
なお、本件破堤原因は、後記被告の主張第五の一のとおり浸潤によるものであつて、原告ら主張のような漏水(パイピング)によるものではない。
11について
(一) (一)について
本件破堤が浸潤によるものではないとの主張は争う。
(1) (1)について、
本件において、最高浸潤線の破堤時の位置は犬走り部分より高かつたから、原告らの主張は根拠がない。また、本件堤防の土質からみて、浸み出し、軟弱化等の現象がみられなくても浸潤状態が否定されるものではない。
はらみ出し現象が裏小段法面に存在したこと、小段亀裂にポールを力いつぱい突き刺すと1.8メートルも入つたこと、亀裂の近くで杭を打とうとすると中がズボズボのような状態であつたこと等から浸潤現象は相当進んでいた。
(2) (2)について
崩落土塊に関する原告ら主張の事実は浸潤による破堤を否定する根拠とはならない。その余の事実は否認する。
(3) (3)について
原告ら主張の事実はなく、仮にあつたとしても浸潤とは直接関係がない。
(4) (4)について
原告らの主張するすべりは二次すべり(後記被告の主張第三の五参照)を指すが、二次すべりは一次すべりの結果発生したもので破堤原因の究明上特段の意味を有しない。本件で問題となるのは一次すべりである。浸潤によつて本件のようなすべりが生じうることは後記被告の主張第五の一のとおりである。
(二) (二)について
本件破堤が地盤パイピングによる破堤と想定できるとの主張は争う。
まず、原告ら主張の事実からはパイピングを想定することは全くできない。すなわち、同(1)の亀裂は陥没沈下ではなくすべり現象である。同(2)のすべりは二次すべりであつて、一次すべりの結果にすぎないから、これをもつてパイピングを想定できず、また土塊についてはすべり現象においてみられるものであり、パイピングとは何ら関係がない。(三)の事実はなかつた。
次に、仮に本件破堤がパイピングによる破堤であるとすれば以下の矛盾があるから、本件破堤はパイピングによるものではない。
(1) 原告らの主張によれば、パイピングの出口は丸池の底であるというのであるが、そうすると、パイピングの直径はその出口に近い程大きいことからいつて、出口付近の法尻から陥没、沈下が発生するはずであり、小段付近に最初に亀裂が現われることはあり得ない。
(2) パイピングによつて地盤が空洞化すれば陥没現象が生ずるはずであるが、このような現象は確認されていない。
(3) パイピングによる破堤とすると、小段付近をすべり面とする一次すべり全く説明できない。すなわち、仮にパイピングによつてすべり現象が発生するとすれば、すべり面はパイピング発生層を通ることとなるが、一次すべりは原告らの主張するパイピング発生層すなわち堤防基礎地盤の透水層とは無関係である。
(4) また、右のようにすべり面がパイピング発生層を通つているはずであるから、パイピングによるすべりが発生した後、すべり面からパイピングによる大量の水が急激に吹出て来るはずであるが、このような現象は認められていない。
(5) 原告ら主張のパイピングが発生していたとすれば、その大きさは相当大きな穴であるから、洪水継続中常に大量の水が丸池に流入しており、丸池の水位は他の内水面に比べ相当に上昇していたはずであるが、そのような事実は確認されていない。
(6) 破堤後実施した地質調査において、洗掘面にも丸池の底にも、パイピング跡とみられる穴が全く確認されていない。
(7) パイピングによる沈下、陥没はパイピング穴が存在する範囲での局所的なものに止まるものであるから、小段の亀裂が四〇ないし六〇メートルに達していることが説明できない。また、パイピングによる亀裂はパイピングの方向に沿つて、すなわち堤防の横断方向に発生するものであるが、そのような亀裂は確認されていない。
22について
冒頭の主張は争う。一般的要因を本件破堤原因究明の手がかりとすることは誤りであるとする原告らの主張は失当であつて、原告らのいう一般的要因が破堤要因として欠くことができないものであることは後記被告の主張第五の一3、5のとおりである。
(一) (一)について
丸池が落堀であることは争う。地質調査の結果、本件破堤箇所付近に透水性の砂層及び砂礫層が存在したことは認める。「洪水流入時にはもつと深くまで土砂がえぐりとられた」との点は争う。
丸池底が漏水を発生させやすい地盤構造を有していたとの原告らの主張は争う。すなわち、地質調査結果によれば、丸池の底には厚さ二ないし四メートルの難透水性層の粘性土が堆積しており、砂層等は確認されていない。また、本件破堤箇所付近の土質構造は、最上部に粘性土、以下砂層、砂礫層、海成粘土層という、濃尾平野中下流部の一般的な土質構造にすぎない。とくに本件破堤中央部では砂層の上部粘性土は約TPマイナス二からマイナス六メートルまで四メートルの厚さで分布し、難透水性となつている。よつて原告らの主張は全く根拠がない。
(二) (二)について
旧堤裏法尻から旧丸池底にかけて腐植質の泥が存すること、旧堤と新堤との接合部分にナメ泥層が存することはいずれも否認する。
本件破堤箇所の地盤が軟弱地盤であるとの原告の主張は争う。
(三) (三)について
原告らの主張はいずれも争う。なお、本件破堤の一次すべりは新堤腹付部の一部に発生したもので、原告らの主張するように新旧両堤の接合部分ですべりが起きたものではない。また、堤防の浸透をしや断する効果については、破堤箇所とその周辺とはおおむね同様であつて、本件破堤箇所の特異的要因とはならない。
(四) (四)について
原告らの主張はすべて争う。既に主張したとおり、丸池底部は透水性地盤ではなく、また、丸池内の堤防寄りには一七メートル以上の平場が存在していた。また、本件破堤の一次すべり面は丸池底を通つていないから、丸池の存在は本件破堤とは何ら関係がない。
(五) (五)について
原告らの主張は争う。これまで主張してきたところから、原告らの主張がその理由を欠くことは明らかである。
33について
すべて争う。
四 四について
11の主張は争う。原告らの主張する欠陥は、破堤原因が地盤パイピングであることを前提としているので、この点において既に失当であるが、右欠陥が存しないか、あるいは存しても欠陥といえるようなものではなかつたことは、既に前記三2(一)ないし(四)で主張したとおりである。
22の主張は争う。原告らの主張する欠陥が存在しないことは右に主張したとおりであるから、その予見可能性を論ずること自体意味のないことである。なお、以下のとおり補足する。
(一) 地盤の構造をめぐる欠陥の予見の(1)について
原告らの主張する諸調査によつては、原告らの主張する事実が判明するものとはいえず、まして原告らの主張する欠陥を予見することなど到底できない。仮に右調査から何らかの事実が判明し得たとしても、あまりにも古くかつ不確かな事実であつて、堤防の築堤あるいは改修に際し考慮すべき事情にはあたらない。
なお、本件破堤箇所を含む一連区間が水防注意箇所のCランクに指定されていることは認めるが、これは水防活動を効果的に行うため七二〇メートルの区間にわたつて指定されたもので、本件破堤箇所自体は漏水の恐れのある箇所にはあたらない。また、Cランクに指定されているからといつて、原告ら主張のような欠陥を予見することはできない。水防注意箇所は、河川改修のためではなく、水防の観点から指定されるものだからである。
(二) 地盤の構造をめぐる欠陥の予見の(3)について
原告らの主張する事実が仮に存在するとしても、これらの事実からパイピングを予見することは不可能である。
33の主張は争う。本件堤防は、後記被告の主張第四の五のとおりの実績を有しており、そもそも原告ら主張のような結果回避措置をとることを必要とするものではなかつた。
なお、原告らの主張する復旧工法は、激甚災害対策特別緊急事業として実施されたもので、現実に破堤した以上今後災害を受けることのないように復旧し、民生の安定を図ることを目的として行われたものであり、特にパイピングの防止を目的として行われたものではない。また、同事業として他の箇所でも同様の工法が行われているもので、本件破堤箇所について特別な工法を行つたものではない。
さらに、これらの事業を事前に実施していれば災害を回避しえたのではないかとの主張については、何らの危険の徴候も見られなかつた本件破堤箇所について前記事業と同水準の事業を実施することは、そもそもありえないし、これを行うことは限られた予算のなかで、効率的に治水施設の整備を図るという治水事業全体のあり方に反するものであり、失当である。
44の主張は争う。
五 五の主張はすべて争う。
第五 請求原因第五について
一 一について
11のうち、本件水害により、安八町の一部が浸水したことは認め、その余は知らない。
22の主張は争う。
原告らは、本訴において、民事訴訟の本則たる個別具体的な損害額算定の方法を放棄し、推計による概算の手法であるいわゆる損保方式により損害額の主張立証を行わんとしているが、右手法の失当なることは以下のとおりである。
すなわち、本件損害賠償請求は、浸水によつて原告らの個々の財産上に生じた実際の損害についてその填補を求めるものであるから、原告としては、被害財産を個々に特定した上、その個々の財産ごとにどのような被害が生じたのかその内容と程度を具体的に明らかにし、その被害による損害の額を個々具体的に主張立証しなければならないことは論をまたないところである。
ところが、原告らが主張する損保方式は、多数の保険契約を画一的・能率的に処理するとともに損害調査事務を簡易迅速に行う目的で、保険の目的物の保険価額や浸水被害による損害額につき一応の目安を得るための標準的な指標にすぎず、個別事情による調整が予定されているものである。したがつて、仮に保険の実務において、同方式によつて保険価額や損害額が決定される場合があるとしても、それは関係当事者間に争いがないことを前提とするものであり、保険の実務でも争いがある場合には、本則に戻つて個別的・具体的な実際の損害額の認定・判断をすることが予定されているものである。したがつて、原・被告間に損害額につき争いがあり、損害額の証明が要求されている民事訴訟において、損保方式をそのまま借用することの不当なることは極めて明らかであると言わねばならない。また、次項で詳述するように、このような方式では、単に被害規模の想像値が得られるだけであり、到底民事訴訟で要求される損害の証明がなされうべきものではないのである。
原告らは、損保方式を採用する理由として、個別具体的な損害立証の困難を挙げているが、本件は家屋流出被害の事案ではないのであるから、個々の被害財産を現認し、その具体的な損害額を算定することが不可能とは認め難く、現に原告らは、被害報告書の「家財被害の一覧表」において、雑多な家財についてすらその品名と被害内容(流出・汚損・被害なしの別)を逐一具体的に掲げているのだから、各財産ごとに個別具体的な損害額の主張・立証を要求しても、決して原告らに不可能を強いることにはならない。原告らが企図する損保方式による損害の立証は、つまるところ、立証活動の懈怠にほかならず、仮に、右のような推計方式が許されるならば、実際の損害額に関する被告の反証の機会を奪うものであつて到底承服できない。
33の主張は争う。原告らが主張する損保方式は以下のとおり推計の方式としても著しく合理性を欠いており、民事訴訟における損害の立証方法として到底採用しうる余地のないものである。
(一) 同(一)(建物損害)について
建物の浸水被害について賠償を求め得る損害とは、修復が可能な場合には支払修復費用又は見積修復費用であり、修復が不能な場合には交換価値の減価をいうのであるから、これらを個別的・具体的に主張・立証すべきである。
原告らは、建物の浸水損害につき、被災時の建物価額に浸水損害率を乗じて算出するものとし、損害率については損保方式の「浸水建物の損害率表」を使用している。
しかしながら、第一に、建物価額について、原告らは被災建物と同種の構造の建物の平均再建築費を基礎として推計しているが、原告らの建物の材質、構造等は一律ではないのであるから、その価額評価にあたつては、平均再建築費によるのではなく、実際の取得価額を基礎に適正な物価上昇率及び減価償却を考慮して算定すべきものである。また、建物の減価率について、原告らは、各年一律の割合で減価していくものとしているが、例えば固定資産税の評価基準における「木造家屋経年減点補正率基準表」では、表7に示すようにその減価率は各年一律ではないのであつて、この点からも原告ら主張の減価率は合理的とはいえない。
第二に、浸水建物の損害率について、原告らは損保方式の「浸水建物の損害率表」を使用しているが、損保方式と同様に水害による損害額の概数を把握するための確立された手法として次表8の「水害統計」(建設省河川局)があるが、同統計においても、浸水被害を受けた建物について各浸水位別の平均的な損害率を算出しているところ、これと損害保険協会による損害率とを比較すると、両者の損害率の間にはかなりの格差がある。このように推計による概算手法である限り、その手法の如何によつて相互の間に大きな格差の存することが避けられないのであつて、これをもつてしても民事訴訟の損害賠償額の立証に原告ら主張のような推計手法を用いることの不当なることは明らかである。
第三に、原告らはすべての建物について右損害率表を使用しているが、「損害調査資料」においては、右損害率表は木造専用住宅であるモデル建物についてのモデル的な損害率を示しているものであつて、損保方式では木造専用住宅以外の建物の損害については個々に調査の上損害割合を判定することと
表7 木造家屋経年減点補正率基準表
1 専用住宅、共同住宅、寄宿舎及び併用住宅用建物
延床面積1.0m2当再建築費評点数別区分
27,000点未満
27,000点以上
45,000点未満
45,000点以上
72,000点未満
72,000点以上
経過年数
経年減点
補正率
経過年数
経年減点
補正率
経過年数
経年減点
補正率
経過年数
経年減点
補正率
1
0.80
1
0.80
1
0.80
1
0.80
2
0.75
2
0.75
2
0.75
2
0.75
3
0.70
3
0.70
3
0.70
3
0.70
4
0.66
4
0.68
4
0.68
4
0.69
5
0.62
5
0.65
5
0.67
5
0.67
6
0.58
6
0.63
6
0.65
6
0.66
7
0.55
7
0.60
7
0.63
7
0.65
8
0.51
8
0.58
8
0.61
8
0.63
9
0.47
9
0.56
9
0.60
9
0.62
10
0.43
10
0.53
10
0.58
10
0.61
11
0.39
11
0.51
11
0.56
11
0.59
12
0.35
12
0.49
12
0.55
12
0.58
13
0.32
13
0.46
13
0.53
13
0.57
14
0.28
14
0.44
14
0.51
14
0.55
15
0.24
15
0.41
15
0.49
15
0.54
16以上
0.20
16
0.39
16
0.48
16
0.52
17
0.37
17
0.46
17
0.51
18
0.34
18
0.44
18
0.50
19
0.32
19
0.42
19
0.48
20
0.30
20
0.41
20
0.47
21
0.27
21
0.39
21
0.46
22
0.25
22
0.37
22
0.44
23
0.22
23
0.36
23
0.43
24以上
0.20
24
0.34
24
0.42
25
0.32
25
0.40
26
0.30
26
0.39
27
0.29
27
0.38
28
0.27
28
0.36
29
0.25
29
0.35
30
0.24
30
0.34
31
0.22
31
0.32
32以上
0.20
32
0.31
33
0.30
34
0.28
35
0.27
36
0.25
37
0.24
38
0.23
39
0.21
40以上
0.20
(注) 新版評価ハンドブック(固定資産評価基準)
自治省固定資産税課編 67ページより抜すい
されているのであるから、これをあらゆる種類の建物に対して適用することは損保方式の適用を誤るものである。
(二) (二)(家財損害)について
まず、所有家財額について、原告らは損保方式の「家財簡易評価表」により、世帯主の年令、年収、居住建物面積及び家族構成だけを基礎に一律に推計しているが、これでは単に所有家財額の大雑把な規模が想像できるだけで、その不当なることは前述のとおりである。原告らの主張する「家財簡易評価表」の内容についても、同表は東京都における調査を基礎として作成されたものであるから、主として年功序列型賃金制を前提にした都市型サラリーマンを対象としたものであると考えられるところ、これをそのまま本件被災地域に居住する住民の損害額算定に用いることは、当事者間の自由な契約に基づく損害保険の範囲内では格別、民事訴訟における損害額算定の手段としては妥当でないものといわざるを得ないし、前述の「水害統計」においても、保有家財の現在価額が示されているが、これによれば昭和五一年度の全国における平均所有家財額は約二二九万円となつており、原告ら主張の「家財簡易評価表」の額とはかなりの差があり、原告らの主張額は疑問とせざるを得ない。
なお、原告らは、右計算において、自己以外の家族構成員各自に属する家財についても、原告ら自身の蒙つた損害だとして主張しているが、それらは原告らの損害とはいえないのであるから、原告らにその賠償請求権が帰属しないことは明らかである。
次に、原告らは、被災家財の損害額について、損保方式の「損害割合簡易認定基準表」を使用して推計しているが、その不当なることも建物損害に関し述べたと同様である。また、個々の家財品の収容場所は各家庭により異なり千差万別であり、水災の予知如何によつては家財の避難が可能であることなどが容易に想定できるにもかかわらず、これらの要因を一切無視して、単に浸水位だけを基準に推計することは、推計方法自体としても到底合理性があるとはいえない。
(三) (三)(農作物損害)について
畑作について、作付品目の種類により、その単価も異なるものであるから、何らの根拠を示すことなく一律に反当たり六万円以上の損害があるとの主張が不当であることはいうまでもない。
(四) (六)(1)(商品、製品、原材料損害のうち小売・卸売等販売業の場合)について
表8 水害統計
(建設省編)
浸水深等の規模
床下浸水
床上浸水
土砂堆積(床上)
全壊
(流出)
資産種類等
50cm未満
50?99cm
100cm以上
50cm未満
50cm以上
家屋
(木造+非木造)
Aグループ
Bグループ
Cグループ
0.03
0.053
0.083
0.124
0.072
0.126
0.210
0.117
0.192
0.330
0.43
0.57
1.0
家庭用品
―
0.086
0.191
0.366
0.50
0.69
事業所
償却資産
在庫品
―
―
0.180
0.127
0.314
0.276
0.443
0.398
0.54
0.48
0.63
0.56
農・漁家
償却資産
在庫品
―
―
0.156
0.199
0.237
0.370
0.311
0.510
0.37
0.58
0.45
0.69
(注) 1 A、B、Cの各グループ区分は、地盤勾配の区分で、Aは1/1000未満、Bは1/1000〜1/500未満、
Cは1/500以上である。
2 家屋の被害率は、木造、非木造の別の値を合成したものである。
原告らは、売場面積又は従業員数だけを基礎に商品在庫高を推計し、これに損保方式の損害率を乗じて損害額とするが、これでは単に被災規模の想像値が得られるだけで、その不当なことは家財損害について述べたと同様である。
また、「手引き」によれば、損保方式においても在庫額は会計記録によつて正確に算出することが可能であるとなし、仮に、これが推計にあたつても、単に従業員数又は売場面積だけの単純な基準のみを基礎としているものではない。しかるに原告らは、損保方式のうち従業員数又は売場面積だけを基礎に在庫高を推計し、これに同方式の損害率を乗じて損害額とするが、在庫品の品目、数量及び金額は、売場面積又は従業員数だけではなく立地条件、売上高、商品回転率、経営規模、経営状態等によつて大きく左右されるところ、右の重要な要素を捨象した推計は、推計方法自体において著しく合理性に欠けるものといわねばならない。
さらに、「手引き」によれば、損保方式においても、該数値と実際の在庫高等との間には、相当の格差があることを認め、これが使用にあたつては、実情をよく調査することを前提としているのである。しかるに原告らは、右立地条件や経営状態等の事情を何ら考慮することなく、該数値が最も真実に近いものとして一律にこれを使用せんとするものであつて、損保方式の予定するところとも乖離すること甚だしく、その失当なることは多言を要しない。
(五) (一〇)(慰謝料)について
本件は、生命、身体等に被害を及ぼした訳ではなく、一応安全に避難ができた事案であること、家屋流出といつた被害が生じた訳でなく、浸水被害に止つた事案であること、本訴における原告らの財産的損害に関する主張が網羅的かつ高額であつて殊更これを慰謝料によつて補完すべき必要が認められないことなどを総合すると、財産的損害の賠償に付加して精神的損害に対する慰謝料の請求を容れる余地はないものというべきである。特に、居宅以外の建物に浸水した場合及び農作物損害等を受けた場合については、その損害は各個別の物的損害の項目で計上されるべきものであつて、これらについて慰謝料を請求する余地はそもそも存しない。
なお、原告らのうち法人については、特段の事情がない限り慰謝料請求権が存しないことは確立した判例である。
44の主張はすべて争う。
被告の反論は以下のとおりである。
(一) 原告らの損害の立証について
原告らは、原告らの損害額算定の基礎となる事実を証明するものとして被害報告書を提出している。
しかしながら、右被害報告書の各記載事項については、原告ら代理人において前記家屋課税台帳、耕作証明書、請求書等の書面でその内容を確認したというのであるから、これらを書証として提出することは極めて容易であるにもかかわらず、これを提出しない。およそ、多数当事者の損害賠償請求訴訟であるからといつて、原告らが個別に訴訟を行う場合に比べて手続面ないし実体法の解釈、適用の上で何らか特別の利益を受け、損害賠償請求の要件が特に緩和されるというようなことはあり得ないのである。現に、原告らは、損害につき個別、具体的にこれを主張するものであるから、原告ら各自の被害の有無、内容、程度等につき個別訴訟の場合と同様に立証すべきところ、原告らは、前記のように容易な立証方法が存するのに、あえてこれを立証せず、原告ら本人の一方的供述を記載したアンケート方式による被害報告書の提出を以て事足れりとするのであつて、これをもつて損害の立証がなされたものとは到底いい得ないのである。
あまつさえ、原告らの被害報告書については、以下に述べるとおり、その記載内容に極めて疑問の存するところであり、このようなアンケート方式による立証は到底措信するに足らないものである。
(1) 原告らに建物損害があつたとするためには、当該被災建物の所有権が原告らに帰属していなければならないことはいうまでもないところ、例えば、表9<表9被災建物一覧表略>のとおり第一グループ(原告番号一―1ないし127)の原告ら一二七名のうち、不動産登記簿上所有権登記がなされていないもの、また、登記がなされていても登記簿上の所有名義が原告とは異なるものが合計八四名にも及んでおり、被害報告書に被災建物の所有者として記載されている者が当該建物の所有者であるか否かは極めて疑問の存するところである。
(2) 被害報告書の別紙家財被害の一覧表の記載は事実に基づいて記入されなければならないが、例えば、原告山北稔(原告番号三―18)は、災害発生を遡るはるか以前に二才で死亡し、到底家財を有していたとは考えられない子供の家財について、家財被害の一覧表所定の全品目にわたり未成年女子用の家財被害として記入しており、その記載内容が虚偽であることは疑うべくもなく、この一事をもつてしても原告らの家財被害の一覧表の記載内容は措信し難いものである。
(3) 原告らは、車輛、農機具等の機械類の損害について、全損があつた場合には、その再取得価額に残価率を乗じて損害額を算定することとしている。
しかして、この再取得価額についての原告らの記載をみるに、例えば、原告白木学(原告番号二―159)は、この再取得価額として残価率を乗じた後の残価を計上しており、原告らが再取得価額自体の意味を理解せずに被害報告書に記載し、さらに原告代理人がこれを十分にチェックしていないことは明らかである。
(4) また、原告らは、全損の場合以外の機械等の損害として修理費を計上するが、これが損害といいうるためには、現に修理を行っていることが必要であるところ、例えば、原告山北稔は、修理費を計上している四トンダンプについて修理を行つておらず、修理費について全く事実に反する記載をなしていることが明らかである。
(5) 原告らは、休業による損害について、売上げ高に粗利率を乗じて算出するとしているが、この休業損害算定の重要な要素となる粗利率については、縫製業、撚糸業等の加工業種でも一〇〇パーセントという率はあり得ないものであるところ、例えば前記第一グループ及び第二グループ(原告番号二―1ないし236)の原告らで休業損害を申立てている織物業、縫製業等を営む原告ら五九名においては、粗利率を売上げの一〇〇パーセントとするものが五九名中一〇名も存するとともに、これら同一業種中においても、その粗利率は三〇パーセントから一〇〇パーセントと合理的範囲を超えたばらつきが見られ、原告らが粗利率について正確かつ共通の認識をもつて被害報告書に記載をなしたとは到底考えられないものである。
(6) 原告代理人らは、損害調査表をもとに各原告らの被害報告書を作成した際、その内容について十分にチェックを行つたとしているが、原告金森憲夫(原告番号一―97)は、その損害額が九三万三二一七円であるにもかかわらず請求額がこれを上回る一一〇万円となつており、この一事をもつてしても、原告代理人らが被害報告書の内容を十分にチェックしたものとは到底いい難いのである。
以上指摘の各諸点は、原告ら一二〇〇名余のうちのわずか一四名の原告らに対する本人尋問及び被告が試験的に一部の原告らの被害報告書の記載内容について調査した結果から判明した一例であつて、これらごく一部のサンプルから前述のような問題点が指摘できることからすれば、原告ら一二〇〇名余全体の被害報告書の記載内容について、更に多くの問題点が指摘できると推定でき、以上の事実をもつてすれば、原告らがその立証方法とするアンケート方式による被害報告書は全く信用することができず、これをもつて原告らの損害額算定の基礎となる事実が証明されたものとは到底いえないのである。
(二) 損保方式の適用の誤りについて
(1) 建物損害の過大評価について
被告は、原告らの主張する損保方式の建物損害への適用が不法行為の損害の認定方法として合理性を有するか否かを検討するため、その損害の態様等が明確になつている唯一のものである別件事件(当庁昭和五二年(ワ)第二九三号事件、同第六〇八号事件)についてなされた証拠保全記録をもとに、その記録にあらわれた建物につき修理等をなし、復旧するためにはどの位の費用が必要であるかを専門家に鑑定させたところ、その費用は二一三万円と見込まれ、損保方式を適用して算定された控え目な損害額三九三万円を一八〇万円下回つており、建物損害の算定について、損保方式を適用することが現実の損害算定の場において不合理な結果をもたらすものであることが裏付けられるのである。
(2) 家財簡易評価表の適用について
原告らの使用する家財簡易評価表は、世帯主が一定の年令である場合の平均的な居住家屋の広さ、所得及び所有家財額を一覧表としたものであり、例えば世帯主の年令が三五才前後の場合のCランクの世帯とは年収二〇〇万円以上二五〇万円未満の世帯をいうのであつて(年収二〇〇万円未満の世帯は、同表では世帯主年令三〇才前後及び二五才前後の世帯にそれぞれ分類されている。)同表は各世帯主年令に応じた平均的所得とその場合に対応する標準的な世帯の所有家財額についての目安を与えているにすぎないのである。
したがつて、仮にこの表から逸脱するような世帯(例えば世帯主の年令が三五才前後で所得が二〇〇万円未満の世帯)については本表は適用することができないのであるから、原告らにおいては、本表適用の前提として自らの所得額を明らかにする必要があるところ、原告らは、各世帯主年令ごとに所有家財額が最も小さくなるCランクの所得を適用したとし、自らの所得額についてはなんらの立証も行つていないが、これは同表の意味するところを著しく誤解し、その適用を誤るものであるから、このような方法によつて家財の損害額を算定することは損保方式における手法としても妥当ではないのである。
(3) 家財損害額の過大評価について
原告らは、家財に係る損害の算定について損保方式を適用することとし、その立証として被害報告書中で「家財被害の一覧表」を作成し、各家財品目につき流出、汚損、被害なしの別を明らかにしている。原告らの作成に係るこの家財被害の一覧表は、原告ら各自に生じた具体的な損害の程度を表わすものと考えられるので、同一覧表を基礎として原告らの家財損害額を算定すると、表10<表10 家財損害積算見積額対比表略>のとおりであり、その額が損保方式により算出した額を下回る世帯が第一グループ一二七名中二三名みられ、このことからすれば、損保方式を本件原告らの家財損害額の算定に用いること自体全く不合理であることは極めて明らかである。
(4) 家財損害の二重計上について
原告らのうちには、損保方式により算定した家財損害に加え、別途特殊損害として仏壇・ピアノ・じゆうたん等に係る損害を申し立てているものが相当数みられるが、これらは家財損害中に包含されるものであるから、両者を別途に主張することは、同一損害に対して二重の損害賠償を請求するものであつて許されないものである。
(5) 浸水位について
浸水位は、損保方式により損害額を算定する場合における重要な指標となるべきものであるが、この点について「損害調査資料」においては「その測定方法については一階及び二階の各部屋の浸水深さを測定し、平均値を求める。」としており、浸水位の厳密な測定を義務付けているのである。
しかるに、各原告らは、この浸水位を被害報告書に記載するとともに、これを明らかにするものとして写真を添付したとしているが、被告がその一部を調べただけでも、調査に係る原告らすべてについて、写真を全く添付していないか、写真は添付しているものの当該写真には痕跡もなく、これからは被害報告書に記載された浸水位が全く明らかではないか、又は、写真により一応の痕跡が認められるも添付写真からみれば、単に一か所のみ測定しているにすぎず(前記別件事件第一〇準備書面によれば浸水位については、居間及び和室と二箇所について測定しているが、それぞれ1.73メートル、1.42メートルと異なつた浸水位を示していることからも、一箇所のみの浸水位の測定では不十分であることが明らかである。)損保方式所定の浸水位の測定方法がなされていないものかのいずれかに該当しており、このような証明方法では、一センチきざみで損害額を算定する損保方式で予定される浸水位の証明があつたものとは到底いえないのである。
55の事実はすべて認める。
66のうち、別紙相続関係一覧表記載の原告らがそれぞれ主張どおりの相続人の地位にあることは認めるが、その余の主張はすべて争う。
二 二について
二のうち、冨田智太郎が原告ら主張のとおり死亡したことは認めるが、その余はすべて争う。
被告の主張
第一 河川管理責任について
被告は、まず本節において、河川管理のあり方を判断するための前提の認識要件たる諸事項と、これを前提とした河川管理責任についての考え方を述べ、次節以下において、本件堤防についての管理責任について述べることとする。
一 河川管理
1河川と河川管理
河川は、降雨・降雪という自然現象によつて生じた多量の雨水・融雪水が高いところから低いところへ流下していく径路として自然的に発生し、長い年月の間に形成されてきたもので、いわば本来的に河川周辺の土地に洪水氾濫をもたらすという危険を内包しつつ存在するものである。したがつて、その危険を完全に回避することは不可能であり、そのような河川について治水事業という方法によつて時間をかけながら、順次その危険を軽減していくその努力の過程が治水面からみた河川管理である。
2治水事業の沿革と現状
明治以降、我が国の河川事業にも近代的な土木技術が導入され、主要な河川を国の直轄事業として改修するようになり、明治二九年には、その後約七〇年間河川法制の中核となつた旧河川法が制定されて、大河川の改修工事が逐次進められた。さらに、昭和七年には中小河川改修補助制度が創設、実施された。
戦争中には治水事業も縮少の一途をたどり、河川は荒廃したが、戦後、河川改修工事も逐次再開され、昭和二六年に公共土木施設災害復旧事業費国庫負担法が制定され、昭和三五年には治山治水緊急措置法及び治水特別会計法が制定されるとともに治水事業一〇箇年計画が策定され、国の治水投資を計画的に行うこととなつた。
さらに、昭和三九年には現行河川法が制定され、河川管理体制の確立が図られ、これに応じて昭和四〇年、前記一〇箇年計画を廃止して、新たに治水事業五箇年計画が策定され、治水事業はさらに推進されることとなつた。その後治水事業は数次の改定を経て、現在第五次治水事業五箇年計画(昭和五二年度から五六年度、総額七兆六三〇〇億円)に基いて事業が実施されている。右第五次計画は、当面の整備目標を流域面積二〇〇平方キロメートル以上の主要大河川については、戦後三〇年間に発生した最大洪水とし、その他の早期に改修を必要とする中小河川については、時間雨量五〇ミリメートル相当の降雨(五年ないしは一〇年に一回発生)として改修を行うこととする治水事業の長期構想に基づき、その一段階として定められている。
このようにして、明治八年から昭和五二年までの我が国における治水投資累積額(災害復旧費を含む。)は約二一兆円(昭和五〇年度価格換算)に達し、昭和五五年度の河川関係事業予算(海岸災害復旧費を含む。)は一般会計予算の2.4パーセント、公共事業費予算の15.2パーセントを占めている。
しかし、後述するように、我が国の自然条件から必要とされる治水投資額の膨大さ、人口や産業の都市集中と土地利用の高度化による河川周辺への資産等の集中に伴う治水投資の必要額の増加などにより、右当面の整備目標に対する昭和五二年度末における河川の整備状況は、大河川にあつては約五四パーセントの整備率、中小河川にあつては約一四パーセントの整備率であり、当面の整備目標である前記対象洪水に対してさえも水害の発生は依然として防止し得ない状況にある。ちなみに、昭和四〇年から五二年までの全国の水害被災状況をみると、年平均一般資産等の被害額は一三八五億円、年平均被災家屋は二八万五四七四棟に及ぶのである。
3我が国の河川の自然的特性
日本列島は延長二〇〇〇キロメートルにも及ぶが、その幅は広いところで三〇〇キロメートル程度にすぎず、しかも高さ二〇〇〇メートルから三〇〇〇メートルの脊梁山脈が縦走している。このため河川は一般に急勾配で流路が短く、したがつて流域面積も小さい。
また、我が国はアジア大陸と太平洋の境に位置するため、大陸性の気流と海洋性の気流が交わり、低気圧の径路となつており、前記地形的要因との相乗作用で、豪雨による洪水が起こりやすい特性を有している。特に、毎年八月から九月にかけて熱帯性低気圧が台風となつて来襲し、広い地域にわたり多量の豪雨をもたらしており、戦後三〇年間において、約一〇〇の台風が来襲し、このうち二〇以上が大きな洪水と災害を引起こしている。
以上のような地形的・気象的特性が相まつて、我が国の河川の自然的特性を形成している。すなわち、我が国の河川は①急勾配で水の出が早く、②洪水のピーク流量が大であり、③ハイドログラフ(洪水流出時間曲線)の型がシャープであり、したがつてダムによる洪水調節が効果的に行えるとともに、洪水時に高水位の流水が堤防に浸透する浸透作用の時間が相対的に短時間となるという特性に対応する形で築堤、護岸の施工等が行われ、④河状係数(最大流量/最小流量)が極めて大きく、⑤流出土砂が多量であるなどの特性を有している。
4河川管理の特殊性
右のような特性を持つ河川について、その特性を踏まえて洪水氾濫の危険を順次軽減していくことが治水面からみた河川管理であるが、河川管理は、基本的に自然所与的に存在する河川という場において、降雨・降雪等の自然現象を対象に行われるものであるがゆえの特殊性を有しており、その特殊性を道路管理との対比で考えると次のとおりである。
(一) 道路は、人・車という人為的なものの用に供されるものであるために、その作用等に限度がありそれによる外力の予測が比較的容易であるが、河川は、流水という自然現象を対象とするため、その作用等の予測は一般的に困難である。
(二) また、道路は、それを設置することによつて危険も創り出されるものであるから、安全を確認し、予測される危険に対して一応の対応措置を講じた上で管理を開始できるが、河川は、本来的に危険を内包したまま管理を開始せざるを得ない。
(三) さらに、管理を開始したあとにおいても危険回避手段として、道路では通行止め等の緊急の手段もあるが、河川にはそのような手段はなく、結局、築堤等により治水施設を設置する以外にない。
(四) しかも、河川は、以下に述べるとおりの財政的、時間的、技術的、社会的制約下において管理しなければならないという不可避性を有しているのに対し、道路は、諸制約に応じて管理するか否かの選択も可能である。
さらに、河川管理には次のような避けがたい諸制約が存する。
(一) 財政的制約
全国の河川をそれぞれの工事実施基本計画ないしは改修計画に定められている長期的目標水準にまで到達させるためには、一〇〇兆円を上回る投資が必要と見積られており、前記2の当面の整備目標を達成するだけでも約三〇兆円(昭和五五年度治水事業費の約二五年分に相当)を要する。ところが他にも多岐にわたる行政需要があり、それぞれの行政目的・効果等を勘案して調和をとつて国力を配分していくことが必要であるから、治水事業に投資しうる予算にはおのずと限界がある。
(二) 時間的制約
河川改修は、その効果をできるだけ発揮させるため、早期にしかも全川にわたつて平均的に工事を進捗させる「段階的改修」と呼ばれる施行方法がとられるが、長い延長の工事であり、大規模なものであるため、当然に長い工期を要し、この工事期間中に洪水氾濫の生ずることも止むを得ない。
(三) 技術的制約
治水面における河川管理は、流水という自然現象を対象としているため、自動車のように事前に実用負荷でテストを繰返して作用やその結果の確認をすることが困難である。そこで、河川工学においても、過去の洪水時の経験を基礎として理論的あるいは実験的に研究を重ね、その信頼度は次第に向上してきているものの、結局、流水の作用に対する河川の安全性については、実際の洪水によつて初めてテストされ検証されていくという宿命を持つている。
ところで、堤防は、洪水時の土砂の堆積作用等によつて形成されてきた自然の地盤の上に土によつて築造される構造物であり、また、多くの堤防が、古くに作られた堤防を洪水の経験を経る都度等に順次嵩上げしたり拡幅したりしてできあがつているものであることから、基礎地盤及び堤体自体の内部構造の不規則さが避けられず、全川にわたつて堤防の安全性が完全に均一なものとはなり得ない。
しかし、堤防は、その形、大きさ、材料、地盤などの多くの要素が総合して洪水氾濫防止という一つの機能を発揮するものであつて、そのうち一つの要素について基準を設けるとか、一つの要素のみを取上げて堤防の安全に対する影響を考察し得るようなものではない。したがつて、実際の築堤は、かなり広範囲にわたる性質の堤体材料により、また、地盤は築堤工事が可能な程度の地盤であればその状態を詳細に調べるようなことはせず、過去の築堤と洪水時の経験から得られた知見をもとに、総合的、経験的判断に基づき行われるのであつて、築堤後実際に生起する洪水ごとに堤防の現実に具備する機能が検証され、あるいは前述の不規則要因等に起因する相対的に弱いところが明らかとなり、そのような箇所については、更に堤防の拡築や護岸の設置等が行われることによつて、堤防の機能面が補強されていくのである。
このような次第であるから、越水はしていないが計画高水位以上の水位が発生した場合であるとか、計画高水位以下の水位であつても洪水が異常に長い時間にわたつて継続した場合などには、長大な堤防の中で地盤ないしは堤体材料等に起因して相対的に弱い箇所から堤防の損傷が現われ、その損傷が拡大してついには破堤に至ることがあるのも、堤防が自然の地盤の上に土によつて築造されているものである以上やむを得ないものであるが、このような異常な洪水が発生した場合に、長大な河川堤防のどこからいかなる形態で損傷が現われ破堤に至るかを的確に事前に察知することは、到底不可能な事柄である。
(四) 社会的制約
河川改修の施工にあたつては、用地取得についても、地価の高騰、地域住民の強固な所有権意識や生活問題等がからんでますます困難となつており、工事の進捗の障害となつている。
また、昭和三〇年代から四〇年代半ばに至る我が国の経済の高度成長及び人口、資産の都市集中等により、宅地化の進展など河川の流域の土地利用は大きく変化し、このような状況の下で河川流域の宅地化による保水機能の低下、地下浸透の減少、雨水流下時間の短縮等による流出機能の変化により河川に対する負荷が高まるとともに、従来の土地利用の状態では浸水被害として意識されていなかつた内水氾濫が浸水被害として顕在化する結果となるなど、社会の変化は治水事業の既定の目標が未達成のままでも新たに発生した浸水被害への対応を要求し、河川管理者はこれに対する対応を余儀なくされていくのである。
以上述べてきた河川管理の特殊性と河川管理上の諸制約の下において、最も効率的に治水施設を整備して水害を軽減させていくためには、①社会的合理性を持つた目標水準を定め、②年々の国家財政力と見合つた工事量を、③整備が急がれる箇所から、④段階的に施工していくことを基本的な理念としなければならない。そして、整備にあたつては、我が国における河川の自然的特性を踏まえるとともに、過去の経験の蓄積とそれに基づく研究成果による知見によつて逐次治水施設を整備していくことになるのである。
このような次第であるから、治水の安全度の向上を図るにはおのずから限界があり、河川の管理行為自体の効果として水害発生を根絶せしめることを望むことはできない。このことは、我が国の法制上でも水害発生の危険を前提として水防法が特に定められていることからも理解されるのである。
河川について「営造物の設置・管理の瑕疵」を論ずる際には、このような河川管理の本質を十分に理解した上で判断するのでなければ、到底正当な結論に到達することはできないのである、そうでなければ、単なる災害の発生の事実から、いわば結果責任を肯定する誤りを犯し、また、技術的に事前には持ちえない特定の災害の危険の把握を予測可能であつたと誤認することにもなりかねないのである。
5河川改修に関する基本的事項
(一) 河川改修の計画対象
現在、河川改修計画上対象とする洪水の基本は、河川法一六条に規定されている工事実施基本計画に定められる計画高水流量である。
すなわち、同法一六条は河川管理者に河川工事の実施の基本計画の作成義務を課し、河川法施行令一〇条一項は、右工事実施基本計画の作成の準則として、洪水、高潮等による災害の発生の防止又は軽減に関する事項については、過去の主要な洪水、高潮等及びこれらによる災害の発生の状況並びに災害の発生を防止すべき地域の気象、地形、地質、開発の状況等を総合的に考慮することとし、二項で工事実施基本計画には基本高水(洪水防御に関する計画の基本となる洪水をいい、ダムで洪水調節を行う前の高水流量のこと)並びにその河道及び洪水調節ダムへの配分、そしてこれを受けた主要地点における計画高水流量、計画高水位、計画横断形(堤防及び河床の横断形の計画)等を定めなければならないとしている。
ところで、河川改修は、全国のそれぞれの河川について相互に均衡をとりつつ計画する必要があり、そのための統一的な指標として降雨の年超過確率が用いられている。そして、所定の年超過確率を持つ降雨をもとに、洪水流出モデル(流域の降雨量から洪水流量を求める数式モデル)を用いて洪水流出波形を求め、これをもとに既往洪水等を総合的に考慮して基本高水を決定し、この基本高水を合理的に河道・洪水調節ダム等に配分して、各地点の河道・洪水調節ダム等の計画の基本となる流量が定められる。この流量が、計画高水流量なのである。
なお、この工事実施基本計画は、いうまでもなく治水事業について行政上の目標とすべき計画であり、前記諸制約のもとで、この目標に向つて治水事業が進められるのである。したがつて、河川管理者にこの計画の目標とする水準を直ちに確保しなければならないという法的義務があるというようなものではない。この基本計画に基本的事項として定量的に明示されている計画高水流量もまた、計画上の目標なのである。
また、この計画に基づいて、どのような手順で治水施設を整備していくかは、河川管理者の行政的判断にゆだねられているところであるが、前述のとおり、この計画目標の達成には相当長期間が必要であるので、治水事業を計画的・段階的に実施していくため、工事実施基本計画の範囲内で当面の目標を設定し事業を実施していく方法を採つている。
(二) 堤防等の構造の基準
河川法一三条に基づく河川管理施設構造令(以下構造令という。)は、一八条において堤防の構造の原則について「堤防は護岸、水制その他これらに類する施設と一体として計画高水位以下の水位の流水の通常の作用に対して安全な構造とするものとする。」と規定し、一九条以下において「流水の通常の作用」に対して安全であるべき堤防の一般的技術基準について規定している。
堤防は、前記の我が国の河川の自然的特性、すなわち大流量が短時間に発生するという特性に対応して、このような河川による水害を最も効率的に減少させる改修方式として設置されるもので、また、過去の洪水時の経験の集積を出発点として築造され、具体的な洪水時の経験を通じてその機能を検証し、あるいはそのような経験の結果を堤防拡築等に反映させる形で補強を行うことにより造られてきたものであるが、そのような過去の洪水の経験から知見した堤防等の対応方法を集大成したのが構造令なのである。それゆえ、これらに規定する構造を具備しておれば、「流水の通常の作用」に対して安全な構造をそなえたものとしていることは明らかである。
ところで、洪水時に堤防が受ける作用とこれに対する堤防の構造は、単に水位のみと係わつているものではなく、水位の継続時間、流水の速さ・方向等の洪水の諸要素や堤体上の降雨とも係わりを有するものである。しかし、これらの点については、①我が国の河川改修の第一目標は、流下断面積を確保することにより、洪水を河道から溢水させないことにおかれていたこと、②右の点については、それがもたらす作用との係わりにおいて定量的な把握を行い、これに対して直接的な対応をするということが的確にできないこと、③右の点に対しては、経験的な知見によつて設置される現在の通常の堤防によつてこれに対処してきたものであるが、この実績が十分であることから、堤防についてこれらの点を特別にとりあげて問題とする契機はなく、工事実施基本計画にも計画対象として明示されていない。しかし、そうであるからといつて、これらの点について全く考慮を払つていないのではなく、堤防の構造上、定量的にどれほどの数値を想定しているものであるか一概にはいえないが、それぞれの河川の堤防が過去に経験したこれら洪水継続時間等の程度及びこれがもたらす作用の程度に対応してきているということができ、このように堤防の築造は、計画高水流量のみを基準として、あるいは計画高水位のみを対象として行われるわけではない。
二 河川管理責任
1営造物の設置又は管理の瑕疵について
国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国又は公共団体の賠償責任については、その過失の存在を必要としない(最判昭和四五年八月二〇日民集二四九巻九号一二六八頁)、すなわち、公の営造物の設置又は管理の瑕疵は、公の営造物の瑕疵と同旨でなく、その存否の判断に当つては、管理主体の過失という主観的要素とは切り離し、当該営造物が事故当時、客観的にみて通常有すべき安全性を欠いていたかどうかにより判断するのが相当である。
しかして、「営造物の設置又は管理の瑕疵」の有無は、客観的に管理者の管理行為が及びえないような状況のもとにおいては、営造物の管理、すなわち、その維持・修繕等に不完全・不十分な点があつたということはできないはずであり、そのような意味において、営造物の安全性の欠如、ひいては事故の発生が管理者にとつて回避可能性がなかつたり、不可抗力によると認められる場合には、そこに「管理の瑕疵」はないものというほかない。
また、「通常有すべき安全性」は、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきものとされている(最判昭和五三年七月四日民集三二巻五号九〇九頁)。
してみれば、営造物の設置又は管理の瑕疵は、営造物の前記物的瑕疵及び管理主体の営為について、当該営造物の構造用法等諸般の事情を総合考慮して具体的に判断されるべきものと考えられる。
2河川堤防の設置又は管理の瑕疵について
河川については、前述したような特殊性などが存するから、河川という営造物の設置又は管理の瑕疵については、これらの事情を十分に考慮した上でその判断がなされなければならない。その際、築堤義務に関する裁判例(最判昭和五三年三月三〇日民集三二巻二号三七九頁等)が、参考とされるべきである。右裁判例においては、管理主体の築堤という営為がどのような場合に法的義務となるかの点について、河川の特性、河川全流域の自然的・社会的条件、河川工事の経済性等あらゆる観点から総合的に判断して決すべきものであること、すなわち、河川管理についての右通常有すべき安全性の判断に当たつては、「我が国の河川管理の一般的水準及び社会通念」が重要な判断基準となることが示されているのである。
さらに、加治川水害訴訟第一審判決(新潟地判昭和五〇年七月一二日判例時報七八三号三頁以下)は、「河川は、いわゆる自然公物であつて、もともと危険が内在しているが故に、国はこれを管理し改良工事等の治水工事を行つてその安全性を高めてゆくべき政治的責務を負つているのである。この点設置管理するが故に危険のある道路ときわめて対照的であつて、この性質の差異を無視し河川についても道路同様法律上絶対的安全確保義務を課するのは早計であり、相当でないというべきである。」「また、道路の場合には、道路の廃止、一時閉鎖等が可能であるから、これによつて事故を皆無にすることが可能であるが、河川にはこのような方法は存しない。従つて河川においては、水害を皆無にするためには、長大な堤防を構築する等の治水工事を行う外ないが、これには膨大な費用と時間と人員とが必要であり、到底一朝一夕では達成不可能である。つまり、比較的容易な危険回避手段の存在は法律上絶対的安全確保義務を認める一根拠となるが、道路と異なり河川にはこのような方法が存しないのである。」「河川について要請される法律上の安全確保義務の範囲程度は、河川が前述のような特殊性を有していることに徴すると、道路の場合と異なり、かなり狭いものとならざるを得ないと考えられる。」と、まず道路との比較において、河川の特殊性が河川の設置・管理の瑕疵の範囲を狭めていることを明らかにしたうえ、「国は、河川について、洪水等による災害の発生を防止するため万全の措置を講じ、もつて国民の生命、身体、財産を保護すべき政治的責務を負つている。(河川法一条、災害対策基本法一条、三条等参照)。しかし、このことは、河川について、法律上も絶対的安全確保(=結果防止)義務を負つていることを意味しないし、また、一方、法律上いかなる安全確保義務も負つていないことを意味しない。」とし、「一般に政治的責務と法律上の義務との関係については次のように説かれている。この見解は、河川の法律上の安全確保義務の限界を見極める上で非常に有効である。
政治的責務は、国が国民全体に対し負うべき抽象的義務ないし責任であるから、政治的責務を負つていることは直ちに個々の国民に対し法律上の義務を負つていることを意味しない。しかし、国が政治的責務に著しく違反し、全法律秩序の見地(公序良俗、条理ないし健全な社会通念)からみて国家賠償責任を負わせるのが正義公平に合致し相当であると考えられるような場合においては、政治的責務は法律上の義務に転化する。換言すれば、健全な社会通念等に照らし、個々の国民が国に対し、その作為または不作為を期待し、信頼しうる事情が存するときには政治的責務は法律上の責務となるけれども、そうでない限り法律上の義務とはならない。
しかして、かかる見解による限り、河川について要請される法律上の安全確保義務の範囲程度は、河川が前述のような特殊性を有していることに徴すると、道路の場合と異なり、かなり狭いものとならざるを得ないと考えられる。」と述べており、その控訴審判決(判例時報一〇一八号六〇頁以下)もこれを肯定している。
以上のとおり、河川について国家賠償法二条の営造物の設置・管理の瑕疵を判断するに当たつては、河川の本質及び道路についての従来の瑕疵について示されてきた基準とは異なる河川の本質から生ずるところの河川管理上の諸制約(経済的制約、社会的制約、時間的制約等)を考慮した上での我が国河川の一般的水準及び社会通念によつて個別具体的になされなければならない。
第二 長良川の概要
一 長良川流域の概要
伊勢湾に注ぐ木曽・長良・揖斐のいわゆる木曽三川は、長野・岐阜・滋賀・愛知・三重の五県にわたる広い流域を有し、その流域面積は約九一〇〇平方キロメートルに及び、互いに源こそ遠くに離れて発するが、いずれも広大な濃尾平野を貫流してほとんど同一地点に集まつて伊勢湾に注ぐわが国でも有数の大河川である。
木曽三川のうち、中央を流れる長良川は、岐阜県郡上郡高鷲村奥本谷の大日岳(標高一七〇九メートル)に源を発し、諸溪谷からの支流を合わせて同郡白鳥町を経て同郡八幡町で左支川吉田川、右支川亀尾島川を合わせて美濃市に入るが、このあたりまでが古生層の山地を深く浸食して峡谷をなしている。そして同市で岐阜県武儀郡板取村の左門岳(標高一二二四メートル)に発する板取川を合わせ、関市において同郡美山村の尾並坂峠(標高三四三メートル)より発する武儀川と、八幡町の杉坂(標高五七三メートル)より発する津保川を合わせて岐阜市に至る。そして同市西部で右支川伊自良川を合流し岐阜県海津郡海津町において木曽川と併流し、桑名市において揖斐川に合流して伊勢湾に注ぐ。流域面積一九八五平方キロメートル、幹川流路延長一五八キロメートルである。流域の山岳地帯は飛騨山地・両白山地の南部であるが、この山地面積は一四二八平方キロメートル、全流域の約七〇パーセントを占める(図1参照)。
二 河道の変遷
濃尾平野は、かつては現在の伊勢湾を含む大きな海湾であつたといわれ、木曽川、長良川、揖斐川その他の諸河川から海に流送される土砂によつて形成された沖積平野である。同平野を流れる諸河川はいつたん氾濫すればその度に河道を変えるいわゆる暴れ川であつたといわれており、幾度かその流路が変遷した歴史を有している。
長良川筋については、天文三年(一五三四年)九月及び慶長一六年(一六一一年)八月の洪水で長良川本川の河道が大きく変つたといわれており、中小の支派川においても数々の洪水によつて幾度となくその流路が変遷したものと考えられる。
三 洪水の歴史
1明治前
長良川については、天文三年(一五三四年)、慶長一六年(一六一一年)、寛永八年(一六三一年)、寛政一〇年(一七九八年)文化八年(一八一一年)の各洪水があり、いずれも破堤し、死者多く被害甚大であつた。
2明治以降
明治年代においては、明治元年、同一八年、同二一年、同二六年、同二九年七月及び九月、同三六年、同三八年、同四三年に洪水があり、大正年代においては大正一三年に洪水があり、昭和年代に入つてからは昭和一三年七月、同二八年九月、同三四年八月及び九月、同三五年八月、同三六年六月、同四〇年九月、同五〇年八月の各洪水が数えられる。
明治二九年の二度にわたる洪水は、美濃の平野部分のほとんどが浸水し、罹災者は七月洪水において一九万人、九月洪水において二七万人を数えたといわれている。また昭和年代には、昭和三四年から三六年にかけて三年連続して記録的な洪水が生起したが、そのうち昭和三四年九月の洪水は、災害史上未曽有の大災害を中部地方にもたらした伊勢湾台風によるものであり、昭和三五年八月洪水は、長良川では右洪水をさらにしのぐ規模の洪水であつた。
四 長良川の改修の経緯
1改修計画及び計画高水流量の変遷
明治二〇年、木曽川下流改修計画(いわゆる明治改修)が策定され、国が直轄河川工事として木曽三川の改修に着手することとなつた。その一環として、長良川に関する最初の計画高水流量は毎秒一五万立方尺(毎秒約四一七〇立方メートル)と定められた。
大正一〇年、木曽川上流改修計画が策定されたが、これは下流改修工事に続き左岸岐阜県羽島郡桑原村、右岸同県安八郡大薮町から岐阜市上流までの約三〇キロメートルの区間の改修工事であつた。その際、明治二九年の大洪水を基準として計画高水流量が毎秒一六万立方尺(毎秒約四四四五立方メートル)に改訂された。
さらに、昭和二八年に木曽川改修総体計画が策定され、従来の上下流別の改修計画を一本化し、上下流一貫した改修計画として見直し総合することとなつたが、計画高水流量も毎秒四五〇〇立方メートルと改訂された。
昭和三〇年代に入つてから既定の計画高水流量を大幅に突破する洪水が相次いで生起し、上流部では氾濫により大被害を受けた。このため、昭和三四年九月及び同三五年八月の両洪水を主要な対象洪水として、岐阜市忠節地点において基本高水のピーク流量を毎秒八〇〇〇立方メートルとし、そのうち毎秒五〇〇立方メートルは上流部ダムによる洪水調節を行い、河道部の計画高水流量は毎秒七五〇〇立方メートルとする大幅な流量改訂を行つた。
河川法一六条に基づく現在の木曽川水系工事実施基本計画においては、前掲流量、すなわち毎秒八〇〇〇立方メートルを基本高水のピーク流量、毎秒七五〇〇立方メートルを計画高水流量とし、長良川の改修工事を実施していくうえの基本の流量としている。同計画においては、長良川上流部に多目的ダムを建設し、これにより洪水調節を行つて下流の洪水を軽減するとともに、築堤、河道の掘削、しゆんせつ等を行い、洪水の安全な流下を図り、さらに、岐阜市や羽島市、それらの周辺の低地地域に対しては、内水排除施設を設置することとしている。
2改修工事の実施
長良川における最近の改修工事は、右の工事実施基本計画に基づき、河積の不足する箇所の掘削、築堤を実施して河積の確保を図るとともに、堤防の補強等を重点的に行つている。さらに内水対策として、地区内の湛水被害を軽減するため排水機場の増設を図つてきている。
ちなみに、昭和四七年度以降昭和五一年度までの過去五箇年間の全国(北海道を除く。)と長良川の直轄管理区間の一キロメートル当りの河川改修費を比較すれば表11のとおりであり、同表から明らかなとおり、国はこれまで長良川の重要度等を勘案して、長良川の改修に対しては全国の直轄河川の平均的な水準以上の努力を払つてきているものである。
3堤防の管理
(一) 維持修繕
堤防の機能を確保するための堤防設置後の維持修繕については、毎年度河川事業費のうちの相当額を維持修繕費として配分し、必要に応じて実施してきている。
維持的な事業としては、堤防の除草、塵埃の除去、河川敷の竹木の伐採、堤防天端の補修等を、また修繕的な事業としては、既設の護岸、水制及び根固め工の補修、堤防法面の整備等をそれぞれ実施している。
右のうち、堤防の除草については、従前は地元民の手でほとんどが行われていたため、維持修繕費の中の所要の経費が計上されるようになつた歴史は浅いが、現在では木曽三川の直轄管理区間の全川にわたつて実施しており、また、その時期等についても、限られた予算をもつて最大の効果をあげるため、出水期、草木の生育繁茂、種子成熟、枯草による火災の防止等の諸条件を総合的に勘案して実施している。
破堤当時についていうと、たまたま本件破堤箇所については未施工であつたが、本件破堤箇所付近の除草にはすでに着手しており、早晩本件破堤箇所についても実施が予定されていたのである。
また、河川敷における竹木の伐採は、一般的にいえば、治水上の支障を排除するうえで必要なところから、従来その必要がある場合には、官民地を問わず河川の状況を考慮して必要に応じ相当の措置を講じてきている。もつとも、河川敷における竹木のうち、元来養蚕のため栽植されてきている民地上の桑の木については、土地所有者の同意等を必要とする関係上伐採するについてはおのずから制約を受けざるを得ないのが実情である。
(二) 河川巡視
堤防その他の河川管理施設の点検は、平常時における河川巡視と出水時における河川巡視に分けられ、平常時における河川巡視は、さらに毎年出水期前に行う一斉点検と日常巡視による点検とによつて実施している。このうち、出水期前に行う一斉点検は、出水期に向けて必要な点検を行い、適切な措置を講ずるためのものである。
日常の河川巡視は、河川管理施設の保全の現況確認だけでなく、河川の利用状況の確認、河川敷地の管理、違法行為の発見、水質監視、許認可行為の指導監督等々の多岐にわたつている。
出水期における河川巡視は、河川管理施設の異常な状況の早期発見等のために行うもので、水防の見地からいえば、市町村等の水防管理者の水防活動ともあいまつて水防の万全を期するために行うものである。
表12 昭和五一年九月豪雨の降雨量
〔建設省雨量観測所観測・単位ミリメートル〕
観測所
最大日雨量
最大二日雨量
最大三日雨量
最大四日雨量
総雨量
白鳥
二八六
四一七
六二六
七五七
九二九
八幡
二九六
五〇九
六七五
九五八
一、〇七八
美濃
三六五
四一三
五一七
七八五
八四四
葛原
四〇八
五七九
七七七
九四八
一、一一七
忠節
三一六
四四八
五五二
八四八
八九七
長良川流域における流域平均
(岐阜市忠節地点上流)
二六七
四二五
五七四
八〇五
九四五
被告の場合、右に述べた各場合における河川巡視を、限られた職員現員でなしうる限りのたゆまざる努力を払つて実施してきているものである。
第三 本件水害の経過
一 気象
昭和五一年九月四日カロリン群島付近に発生した台風一七号は、同月八日午後三時には南西諸島の沖大東島の南方海上に達し、一方この時間にはシベリヤ東部のアムール河中流域に延びる気圧の谷があり、日本海西部には前線に伴う低気圧があつて東進し、前線が九州にまで延びていた。木曽川以西の各地ではその影響を受けて既に前日七日から雨が降始めていた。
気圧の谷と前線の接近に伴い、八日午後から三重県中部を中心に再び雨が降始め、この雨域は、鈴鹿山脈に沿つて北上し、午後三時には岐阜県西濃地方に達し、時間雨量二〇ミリメートルないし三〇ミリメートルの強い雨が降出し、午後一〇時には愛知県西部、岐阜県西部、三重県の所々で時間雨量三〇ミリメートルないし四〇ミリメートル、所によつて五〇ミリメートルを超える非常に強い降雨となつた。
台風一七号は、その後九日には沖縄付近に進み、さらにゆつくり北上したが、その動きは極めて遅く、一〇日からはほとんど動きを止めて、一二日まで九州南西海上において三日間にわたつて停滞した。
表13 昭和五一年九月豪雨の降雨時間及び降雨量
〔建設省八幡雨量観測所観測・単位 時間 ミリメートル〕
区分
第一強雨群
第二強雨群
第三強雨群
第四強雨群
降雨時間
降雨時間
自八日午後八時
自 九日午後四時
自一一日午前一時
自一一日午後一時
至九日午前三時
至一〇日午前一時
至一一日午前九時
至一二日午前五時
時間数
七
九
八
一六
降雨量
全降雨量
二三四
一三七
一七八
二四九
最大時間雨量
五四・五
三六・〇
四八・〇
三四・五
最大時間雨量
発生日時
九日午前一時
九日午後一〇時
一一日午前八時
一一日午後六時
この台風の停滞に伴つて前線も本州を縦断したままの状態で停滞し、台風の影響を受けて活発化したため、東海地方は七日に雨が降始めてから一四日まで実に八日間という長期の連続降雨日数を記録した。この降雨は、木曽川から揖斐川の流域にわたる豪雨となつたが、特に長良川流域においては、豪雨域の中心となつたため総雨量五四〇ミリメートルないし一三〇〇ミリメートルに達した。(以上の台風一七号の経路、地上前線の移動及び長良川流域の降雨量については図2ないし4を参照。)《図2 昭和五一年九月 台風一七号の経路図略 図3 地上前線の移動 九月八〜一五日九時略 図4 木曽川・長良川・揖斐川降雨量分布図 昭和五一年九月七日〜一三日略》
二 降雨
1降雨量
昭和五一年九月七日から一四日にかけて長良川流域に集中した豪雨の降雨量は以下のとおりであつた。
まず、長良川流域における代表地点及び岐阜市忠節地点から上流の流域平均の降雨量は表12のとおりである。
また、九月七日の降始めからの累加雨量の内訳は、八幡地点においては、八日午前九時までに二〇ミリメートル、九日午前九時までに三一〇ミリメートル、一〇日午前九時までに四七〇ミリメートル、一一日午前九時までに六九〇ミリメートル、一二日午前九時までに九七〇ミリメートルで、忠節地点においては、八日午前九時までに一〇〇ミリメートル、九日午前九時までに三三〇ミリメートル、一〇日午前九時までに四一〇ミリメートル、一一日午前九時までに五六〇ミリメートル、一二日午前九時までに八六〇ミリメートルに達した。
これら各地点で観測された一〇〇〇ミリメートルを超え、あるいは、それに近い総雨量は、当該地域の年間降雨量(山地部で約二七〇〇ミリメートル、平地部で約二〇〇〇ミリメートル、流域平均で約二五〇〇ミリメートル)の二分の一ないし三分の一に相当するものであつた。
2降雨の継続時間
昭和五一年九月豪雨の降雨の継続時間は、八幡地点においては七日午後四時から一四日午前二時までの一五四時間のうち延べ一一八時間、破堤時までの一一四時間のうち延べ八八時間であり、忠節地点においては七日午後四時から一四日午前一時までの一五三時間のうち延べ一〇三時間、破堤時までの一一四時間のうち延べ八二時間という長時間となつた。
また右豪雨は、降止むまでに五波、破堤に至るまでには四波に及んだ強雨群によつてもたらされたもので、八幡地点における右破堤時までの四波の強雨群の降雨時間と降雨量は表13のとおりである。
三 洪水
昭和五一年九月豪雨による降雨量と長良川の水位の変化の関係を示すと図5のとおりで、同図によつて明らかなように、長良川の水位の時間的変化は流域内の降雨量の変化に対応し、破堤時までに四波に及んだ上流域の強雨群によつて破堤時までに四山の水位のピークを記録した。特に、第三及び第四の山は計画高水位に迫るもので、墨俣地点においては、計画高水位がTP12.16メートル(7.94メートル)であるところ、それぞれTP11.38メートル(7.16メートル)及びTP11.36メートル(7.14メートル)を記録した。
このように今回の洪水の特徴はその長時間継続性にあるが、警戒水位以上の水位が継続した時間についてみると、忠節地点においては七九時間、破堤時まで五七時間、墨俣地点においては九一時間、破堤時まで六七時間であつた。
四 災害対策
1昭和五一年九月八日、愛知、岐阜・三重・静岡の東海四県に大雨洪水注意報が発令され、建設省中部地方建設局において中部地方建設局災害対策本部、同局木曽川上流工事事務所において木曽川上流工事事務所災害対策部がそれぞれ設置され、同日夕刻より注意の動員態勢に入つた。九日未明の一時に右態勢は警戒の動員態勢に切替えられた。さらに一一日午後一一時に至り、右対策部は非常の動員態勢を発令し、事務所の総力をあげて災害対策に取組んだ。
右対策部のうち、本件破堤箇所を含む長良川の関係区間を担当する長良川第二出張所は、当該区間の対策班として出張所長が班長となり、限られた職員数の中で、日夜連続の動員態勢につき、災害対策に極限の努力を払つていた。
2破堤当日である九月一二日午前七時三〇分頃、安八町役場職員から出張所長へ本件破堤箇所において堤防の亀裂を発見したとの通報があり、同四〇分頃、巡視中の技術係長ら及び出張所からの職員が現地に到着した。その報告を受けた出張所長は現地へ急行し、午前八時一〇分頃到着して現地の確認を行つた。
右出張所長は、安八町建設課長らと対策について協議した結果、亀裂箇所付近の除草・水防資器材の調達・水防要員の増員等の対応策とそれぞれの分担が決定され、これに基づき対策の実施が着手されたが、そのうち亀裂部分については当該部分に山土をもつて埋め、これにビニールシートを張る工法が決定された。
出張所長は、その後、山土運搬と機材等の手配を行い、午前九時頃資材の確保等のため出張所に帰所したが、現地に残つた二名の職員は状況記録、連絡等を行つた。
午前一〇時二〇分頃、堤防が急激に崩壊した旨通報を受けた出張所長は現地へ急行した。手配中であつた山土は積込みを開始した段階であり、現地にブルトーザー一台が到着していたのみであつた。
五 破堤経過
1九月一二日午前七時四〇分頃、亀裂は破堤箇所裏小段中央部に堤防に平行して一条のものであつた。
2同日午前八時一〇分頃には、亀裂は二条となり、長さは堤防縦断方向で約四〇メートルと六〇メートル、幅は広いところで五ないし一〇センチメートル程度であつた。ポールを亀裂部分に力いつぱい刺込むと約1.8メートル入る程度であつた。
3その後、亀裂の発生した小段は大きいところで五〇センチメートル程低くなつて、小段下の法面がややふくらんだ状態となつており、沈下したものでなく、法崩れの状況であつた。
4杭打ちが終了した直後、突然に本件破堤箇所中央部付近の裏小段を上端とするすべり(以下一次すべりという。)が発生し、すべつた部分の土砂の一部は堤防先まで達し、堤内の内水面よりほぼ一メートル盛り上つた状態となつた。
5その後、時間にして二、三分後に天端までの残つた部分の表法肩近傍から堤内側にすべり落ちた(以下二次すべりという。)。二次すべりによつて、堤防表側の残つた部分が崩れ落ち、続いて河川水の流入が始まり、しばらく河川水が堤防表側の崩壊残部から滝状に落ちながら流入する状態となつた。破堤部分は時間とともに拡大して、最終的に破堤口は地盤高の高さのところで長さ約五〇メートル、天端の高さのところで約八〇メートルとなつた。
第四 本件堤防の欠陥の不存在
本件堤防は、以下に詳述するとおり、他の箇所に比してあらかじめ特別の補強措置を講じておく必要があると認められる手がかりとなるような特段の事情は全く存在していなかつたもので、本件堤防には何ら欠陥はなかつた。
一 本件破堤箇所の改修状況
本件破堤箇所(長良川右岸の「33.8キロメートル」の距離標より九九メートル上流から同距離標より一七九メートル上流までの堤防決壊区間をいう。以下本件破堤箇所というとき同じ。)を含む。一連の区間(岐阜県安八郡墨俣町及び安八町両町の地先区間で犀川右岸堤(通称桜堤)取付部から福束輪中堤取付部までの区間をいう。以下単に一連区間という。)の改修は、大別して次のとおり四段階により実施してきている。
1第一段階の改修は、明治年代の明治改修の一環として行われた。この明治改修は、木曽三川を分流することを主目的として実施したことから、一連区間については、輪中堤をそのまま利用して中村川及び中須川を締切つて連続堤とする改修を行つている。
2第二段階の改修は、木曽川上流改修計画に基づく上流改修による築堤である。この築堤は、一連区間を含む上流部が、川幅の狭小、河道の屈曲、河床土砂の堆積に加え堤防そのものが小規模であり、常に洪水の脅威を受けていたことからその必要性が認められ着手したものである。そして右改修においては、旧来の輪中堤(旧堤)に沿つて堤防法線を整正しながら旧堤の拡築を主とした築堤を進めたが、一連区間については、大正一五年から昭和五年にかけて施工したものである。なお、右改修工事については後記二において詳述する。
3第三段階の改修は、明治二八年の木曽川改修総体計画に基づき、昭和三一年から同三八年にかけて、堤防の安全度を高める堤防補強工事を実施し、一連区間においては堤防表側の拡幅(表小段の新設)と護岸の設置をしたものである。本件破堤箇所については、昭和三五年度に堤防補強のために堤防表側の拡幅工事(表小段の設置)を行つた。
4第四段階の改修は、現行の木曽川水系工事実施基本計画に基づき、昭和四七年度以降、計画横断形に対し断面が不足している堤防裏側の拡幅を主とした改修工事に着手し、それ以来岐阜県安八郡安八町森部地先の新犀川逆水樋門設置地点から下流に向つて順次改修を進めてきている中において、昭和五〇年度から同五一年度にかけては、地元の要望をもふまえて岐阜県安八郡安八町地先の中排水樋管の改築工事を完成させ、昭和五二年度以降は、残る区間についても引続き改修を進める計画であり、本件破堤箇所についても同様に改修を実施する予定であつたところである。
右のとおり、一連区間の堤防は、計画堤防として完成させるまでには護岸及び堤防の拡幅工事が未施工となつており、この意味で一連区間はいわゆる暫定堤防区間の一部であつた。しかしながら、今日、長良川においてはもちろん木曽三川を全川的にみても、また全国的にみてもこのような暫定堤防区間が過半であることから、一連区間が暫定堤防区間であつたことは当該区間に限つての特異な事情ではなく、なかんずく本件堤防が暫定堤防であつたことも本件破堤箇所のみが破堤したという事実に徴して、他の箇所に比し特異な事情たり得ないものであることは言をまたないところである。
二 本件堤防の築堤
1調査
一般に河川の改修事業を行うにあたつて事前に行われる調査は以下のとおりである。
(一) 河道の骨格を決めるための基本的な計画に関する調査
その内容は①計画高水流量を決めるための水位、流量等の調査、②河道の計画断面形を決めるための地形の調査、③堤防の形状を決めるための既往洪水時の災害の状況時の調査、④以上のほか堤防が著しく沈下するような、築堤上問題となる軟弱地盤が広範囲に存在する場合における現地踏査等である。
(二) 堤防等の工事を実施するにあたつての実施に関する調査
その内容は、①堤防の設計、施工等に必要な地形、土質の状況に関する調査、②施工上の観点すなわち工事費の多少、施工の難易、施工の準備の立場から地形、地質、河川の状況等の調査であるが、現地における測量、踏査が主であり、主要な水門等の構造物以外はボーリング等による地盤の調査を行わない。
本件堤防の築堤に際し調査が具体的にどのように行われたかは、関係書類が戦災によつて焼失したこと、築堤後約五〇年を経過していることなどから記録がなく、これを詳細に知ることはできない。しかしながら、木曽川上流改修計画は、明治二九年の大洪水を基準として計画高水流量が定められ、また河川敷、堤防の測量に基づいて作成されたことからして、前記(一)の調査の行われたことがうかがわれる。また、丸池の深さを測つて、堤防法先に約二〇メートルの平場を造成したこと、水中盛土には砂の多い土を使い、上の部分には粘土混りの土が使用されたことから、前記(二)の調査が行われたことは明らかである。
2築堤準備
(一) 有機物の除去
堤防を拡築する場合、拡築前のいわゆる旧堤防と拡築する堤防部分との接合を良くするうえから、接合面に生育している芝や雑草等の有機物の除去を必要とするが、本件堤防の築造当時における除草等有機物除去についての一般的な状況をみると、堤防上の芝は新堤の築造工事に利用するため採取されるのが通常であり、また、雑草はほとんど準備行為として刈り取る必要がないほどに、平常から土手焼が行われたり家畜飼料等として付近の人々の手で常に採取されていた状況にあり、本件堤防の場合も例外ではなかつたと考えられる。もつとも、右に述べた築堤準備行為としての有機物の除去は、有機物の分解や堤体の接合が進行するまでの築堤後数年間については堤防の安定に影響するものであるが、もはや築堤後五〇年を経た現在では堤防の安定に影響することはない。
(二) 築堤準備
堤防を拡築する場合、拡築前の堤防と拡築部分との接合のなじみを良くするための措置として、拡築前の堤防の法面を段切りすることが必要とされている。
本件堤防については、旧堤の法面に段切りを四段造り、段切りをしたところの平場は土砂運搬車輛の線路敷として利用したものであつて、新旧堤防の接合には十分配慮して施工されていたものである。
3築堤方法
(一) 盛土方法
昭和初年当時の築堤は、大土工工事では河道の土取場でラダーエキスカベーター(掘削機)を使用して土砂を掘削し、これを土運車(トロという。)に積込み、重量二〇トンの機関車で牽引し、所定の場所に盛土することにより行われていた。一回の盛土の高さは二ないし三メートルで行うこととされ、盛土をこれより高くする場合は線路敷を前回の盛土より二ないし三メートル高くする上げ路工を行い、まき出しを行う方法で施工されていた。また、水中での盛土は、水や泥土を押し出すようにまき出す方法で施工し、適当な上置土を施して小段を造るとされていた。なお、盛土を行つた後は盛土の形状を整形し、土羽工(又は築立)といわれる仕上げ工事を行うこととされていた。
本件堤防の盛土は、当時の大土工工事の一般的な盛土方法で施工された。すなわち、掘削、積込みはラダーエキスカベーターで行い、重量二〇トンの機関車は土運車(三立方メートル積み)を三〇輛連結して運搬し、盛土が行われ、本件堤防の水中部分の盛土は旧堤の法先から堤内側へまき出し盛土され、法先には平場が造られたのである。また、本件堤防の土羽工については明らかでないが、本件破堤箇所を所管していた内務省木曽川上流工事事務所の管内であつた揖斐川の工事において、土羽工は当時の一般的施工法によつて施工されていたことからみて、本件堤防においても揖斐川と同様に土羽工が施工されていたとみられる。
(二) 堤体土の締固め
昭和初年当時の盛土の締固めは、(イ)線路敷設時に行う締固め、(ロ)重量二〇トンの機関車と土運車が盛土上を走行することによる締固め、(ハ)盛土の自重、降雨による締固め(これを自然転圧ともいう。)などである。また、土羽工の締固めは、突固め、土羽撃ち等で行われていた。
本件堤防の施工時の締固めは、(1)の盛土方法からみて昭和初年当時の大河川の一般的方法によつて行われていたものである。また、特に、自然転圧による締固めについては、本件堤防が昭和二年に盛土され、仕上げの土羽工が昭和五年に施工されていることから、施工中に自然転圧の期間が約三年もかけられ、また、築堤後本件破堤まで約五〇年も経過していることから、自然転圧が十分に進んでいたものである。
(三) 堤体材料
堤体材料は、一般に、施工箇所付近において安価でかつ多量に取得できる土砂で、主として河道掘削の土砂が築堤土として利用されていた。その材質は、砂と粘土との適量なる混合物が優良であつて、実験の結果によれば一〇ないし二〇パーセントの砂が混じつた粘土が浸透性が最小であるが、実地作業の点からは砂が三分の一ないし三分の二、粘土が三分の二ないし三分の一の比に混じつたものが好適とされていた。また、水中盛土に使用する材料は、砂を使用するのが最も安全であるとされていた。池の泥土は、盛土法尻線の外に押出すように施工すること、また、適当な上置土を施して小段を造ること等で対処するものとされていた。
本件堤防を含む一連区間の堤体材料は高水敷の土砂が用いられたが、この土砂は、本件破堤後の調査によると、シルト質細砂(三角座標分類法によると大半が砂質ローム)で築堤に好適な土砂であることが確認されている。また、堤防の池の水面より下の部分には砂の多い土砂が用いられ、前述したように、その盛土は池の泥土を外へ押出すように施工されていることから、堤体下部に泥土が層をなして堆積するようなことはなく、堤体下部の材質は良好な材質であつたとみられる。
このように本件堤防の堤体材料については、特段の配慮がなされていたのである。
4堤防法線
本件堤防は、木曽川上流改修計画に基づき、旧堤に沿つて堤防法線を整正しながら旧堤の拡築を主とした築堤を行つたものである。右改修前の長良川は、川幅が狭小であつたうえ、河床土砂の堆積に加えて河道の屈曲が多かつたため、河道の平面形状の整正とそれに伴う堤防法線の整正が改修目的の重要なものの一つであつたが、河道の整正が行われなかつたところでも、洪水の水当りを柔げその円滑な流下を図るために堤防法線の整正が行われた。本件破堤箇所の堤防法線も、改修前には当該地点において局所的に湾曲していたためこれを整正したもので、このため本件堤防はその一部が旧堤の堤内側に存した丸池にかかることになつた。
しかしながら、右丸池の存在は、堤防天端と地盤との高低差が小さいほど堤防が安定しやすいという意味で、堤防の安定性に影響する事柄であるが、長良川を全川的にみれば、本件破堤箇所だけが例外的に著しく高低差があつて堤防の安定を欠く状況にあつたものではない。さらに本件堤防の築造に際し、残存する丸池に面する堤脚部に犬走りを設けたり、約二〇メートルの平場を設けて裏法勾配を緩やかにするなどの措置を講じて堤防法面の安定を図つている。よつて、右丸池は本件破堤とは何ら因果関係を有するものではなく、このことは後記第五の一4(一)のとおりである。
三 本件堤防の構造
1堤防の構造
昭和四三年度になされた測量によれば、本件堤防の構造は次のとおりである。
(一) 堤防高 天端の高さTP約12.8メートル。計画高水位TP10.69メートルより約二メートル高い堤防であつた。
(二) 天端幅 七メートル以上。
(三) 法勾配 平均的にみて五〇パーセント以下(二割以下)の勾配で、堤体の上部より下部の方が緩やかな、堤防の安定上好ましい勾配となつていた。
(四) 小段及び平場 川表の法面に三メートル以上、川裏の法面に四メートル以上のいずれも十分な小段幅を有する小段が設けられていた。堤防法先部分には、堤防の安定を考え、幅約二〇メートルの平場があつた。
なお、右の事実は、新堤築堤時に二〇メートル余の犬走り及び平場が設けられたこと、昭和四三年の測量により法面法尻から丸池縁まで約六メートル、丸池内に約一七メートル、計約二三メートルの犬走り及び平場の存在が確認できること、昭和五〇年には法面法尻から一三メートル余の地点までの丸池には雑草及び葦の生育が見られ、右植生からみて、少なくとも一三メートル以上の犬走り及び平場が確認できること、破堤後の地質調査により法面法尻から約一五メートルの丸池内にTP1.44メートルの在来地盤が確認され、これが平場のこん跡とみられることなどから明らかである。
(五) 護岸 本件堤防付近は河床勾配が緩やかであり、また、堤外側には幅約一五〇メートルの広大な高水敷があつて樹木があり流水の流れが遅いところであることから、護岸を特に必要とせず、施行されていなかつた。
2構造令からみた本件堤防
昭和初年における本件堤防の改修工事は、当然のことながら当時の水準の土木技術によるもので、現時点における基準に照らして当時の技術や施工水準を検討することは必ずしも当を得たものとはいえない。しかしながら、試みに、現在の構造令にあてはめて本件堤防の構造をみると次のとおりであつて、本件堤防は構造令に照らしてみてもこれに適合しており、「流水の通常の作用」に対する安定性を具備していたと認められる堤防であつた。
(一) 構造令一九条は、堤防は盛土により築造するものと土堤原則を規定しているが、本件堤防はこれに適合している。
(二) 構造令二〇条は、堤防の高さは計画高水位に計画高水流量毎秒五〇〇〇立方メートル以上一万立方メートル未満では1.5メートルの余裕高(天端と計画高水位の間の高さをいう。)を加えた値以上とするものと規定している。本件破堤箇所の計画高水流量は毎秒七五〇〇立方メートルであるところ、本件堤防の余裕高は約二メートルであり、十分な高さを有していた。
(三) 構造令二一条は、堤防の天端幅は計画高水流量毎秒五〇〇〇立方メートル以上一万立方メートル未満では六メートルと規定している。本件堤防の天端幅は右規定を約一メートル以上上回り、十分な天端幅を有していた。
(四) 構造令二二条は、盛土による堤防の法勾配は五〇パーセント以下とするものとし、盛土による堤防の法面は芝等によつて覆うものと規定している。本件堤防の勾配は右規定に適合しており、また本件堤防法面は芝草類の草で覆われており、右規定に適合している。
(五) 構造令二三条は、堤防の安定を図るために必要がある場合においては、その中腹に小段を設けるものとし、小段の幅は三メートル以上とするものと規定している。本件堤防の小段は前記1(四)のとおりで構造令に十分適合している。
(六) 構造令二四条の規定に基づき河川管理施設等構造令施行規則一四条で定められた側帯のうち、堤防の安定に係わる側帯である第一種側帯は、旧川の締切箇所、漏水箇所その他堤防の安定を図るために必要な箇所に設けるものとされ、その幅は一級河川の指定区間外においては五メートル以上と規定されている。本件堤防法先部分には、幅約二〇メートルの平場が造られていたが、この平場は右第一種側帯に相当するもので、右施行規則の規定する第一種側帯の幅を大きく上回る幅である。
(七) 構造令二五条は、流水の作用から堤防を保護するため必要がある場合においては、堤防法面又は表小段に護岸を設けるものとすると規定している。本件堤防には護岸が設置されていなかつたが、これを設置する必要がなかつたことは前記1(五)のとおりである。
四 本件堤防の地盤
堤防の場合、その築造される基礎地盤として問題とされるのは軟弱地盤及び透水地盤であるが、本件堤防の基礎地盤は、他の箇所と比較して、特に軟弱地盤や透水地盤に該当する地盤条件が存在していて、築堤にあたり基礎処理や地盤土の置換え等の特別の措置を必要とするような地盤ではない。
ちなみに、本件破堤後、建設省が破堤箇所一帯について地盤調査を行つたが、破堤箇所一帯の地盤は、表層が粘性土の難透水性層から成り、その下が砂層となつていること、また軟弱地盤には該当しないことが判明している。
五 本件堤防の有していた機能
本件堤防を含め現在我が国の河川の各所に存在する堤防は、古くより洪水の災害を受けるたびに、その時々の経験に基づいて得られた知見等の技術を駆使して補強を行うことにより形成されてきたものであり、その内部構造は決して均一なものではない。したがつて、このような堤防がいかなる洪水を防御しうるかという堤防の有している機能を詳しく知見し検証することは、堤防そのものについて具体的な洪水の経験による以外に方法がない。ところで、本件堤防は、以下に述べるとおり本件堤防が経験した主要洪水時に本件堤防に何らの損傷も発生しなかつたから、十分な機能を備えていたことが明らかである。
1本件堤防は明治二九年の大洪水を基準とした木曽川上流改修計画に基づき、旧堤を嵩上げ、拡幅して築堤されたものである。
当時、旧堤を含む森部輪中の堤防は多くの輪中堤の中では安全性が高い堤防とみられており、右明治二九年の大洪水においても、木曽三川下流部のほとんどの輪中の堤防は破堤したが、旧堤を含む森部輪中の堤防は破堤することなく、森部輪中には浸水被害がなかつた。
2本件堤防の築堤以後、戦前及び戦後十数年間は大きな洪水が発生していないが、昭和三〇年代に相次いで昭和三大洪水が発生した。これら昭和三大洪水は、いずれも当時の計画高水流量を大きく上回るものであつた。特に昭和三五年八月洪水では、建設省本郷水位観測所(本件破堤箇所より約一一〇〇メートル上流)で計画高水位TP10.98メートルを上回る最高水位TP11.00メートルを記録し、同成戸水位観測所(本件破堤箇所より約九八〇〇メートル下流)で計画高水位TP8.07メートルを上回る最高水位TP8.11メートルを記録したから、本件破堤箇所においても計画高水位を上回つていたものとみられる。同じく昭和三六年六月洪水においても、右本郷水位観測所で計画高水位を約三〇センチメートル上回る最高水位TP11.34メートルを、右成戸水位観測所で計画高水位を約二〇センチメートル上回る最高水位TP8.35メートルをそれぞれ記録したから、本件破堤箇所においても計画高水位を上回つていたものとみられる。
ところが、この昭和三大洪水において、長良川の堤防の各所において洪水の氾濫、漏水、堤防の損傷が発生したが、本件破堤箇所付近では漏水や堤防の損傷も全く発生せず、右の規模の洪水をいずれも安全に流下させた。よつて本件堤防はその安全性が十分検証された堤防であつた。
3そして、昭和三六年から同五一年九月の本件破堤に至るまで、本件堤防の有していた機能は引続き維持されていたのであり、これは本件堤防を破堤に至らしめた昭和五一年九月洪水によつても検証された。
昭和五一年九月洪水において、九月九日に発生した第一波の洪水は本件破堤箇所で計画高水位に僅か約二〇センチメートルに迫る大洪水で、九月一〇日に発生した第二波の洪水は計画高水位より約1.8メートル低く、九月一一日に発生した第三波の洪水は第一波の洪水と同規模のものであつたが、この第三波の洪水時までに長良川堤防の各所で漏水や堤防の損傷が発生していたが、本件破堤箇所では漏水も堤防の損傷も全く発生していなかつた。その後九月一二日に第四波の洪水が発生し、この洪水の減水しているときに破堤が生じたのである。
右第一波の洪水は、昭和三四年九月洪水及び昭和三五年八月洪水に匹敵する洪水であり、第二波までの洪水は長良川における長時間洪水といわれた昭和三六年六月洪水に匹敵する洪水であり、第四波までの洪水は、長良川が過去に経験した洪水を大きく上回る、高い水位が異常に長時間にわたつて継続する大洪水であつた。
このように、本件堤防は、昭和三大洪水規模の洪水を流下せしめ、さらにこれを上回る洪水の継続にも耐えたものであるが、さらに継続した洪水により遂に破堤に至つたものである。
第五 本件破堤の生起機構とその予測不可能性
前述したところから明らかなとおり、本件破堤箇所は、他の箇所に比して破堤を未然に防止すべき特別の補強を必要と判断すべき手がかりが本件破堤の生起前には一切存していなかつたものである。したがつて、本件破堤の生起機構は、破堤したという結果から逆にその原因を探索究明して推定しうることに止まるにすぎない。そこで、次に、本件破堤が生起した事実をふまえて本件破堤がいかなる生起機構によつて発生したものであるかを究明し、その原因を推定することによつて、破堤の生起機構がいかに現代の科学技術の水準によつても予測不可能なものであつたかについて述べる。
一 本件破堤の生起機構
1破堤の形態とその要因
一般に、堤防の破堤形態としては、過去の破堤例によると、越流、洗掘、漏水(地盤漏水、堤体漏水)、法崩れなどがあげられるところ、本件破堤の形態は前記第三の五のとおりであつて、右外見的現象の経過からみて、越流、洗掘によるものでないことは明らかであり、また漏水によるものでないことはすでに請求原因に対する認否及び反論第四の三1(二)において詳述したとおりである。よつて、本件破堤の形態は法崩れである。
ところで、法崩れは降雨及び洪水による浸透作用によつてもたらされるものであるが、この浸透作用そのものの大小及び浸透作用によつてもたらされる結果を決定づける要因には、一般的に、外的要因として河川水位、洪水継続時間、堤体上への降雨、内的要因として堤体及び地盤の形状、堤体の性質、地盤の性質などがあげられ、過去の破堤例からみると、右要因のいずれか一つのみによつて破堤が生起するという場合は稀で、多くの場合各要因の複合によつて破堤している。
2解明の手法
そこで、次のとおりの手順の計算による堤防の安定解析によつて、右の各要因が本件破堤に関しいかなる影響を及ぼしたものかについて検討する。
(一) 非定常浸透流解析
まず、河川水及び堤体上への降雨がどのように堤体に浸透していたかを求めるため、河川水位と洪水継続時間を河川水位の時間的変化を表わす洪水の波形で表わし、堤体上への降雨を単位時間内に降つた降雨量の大きさとその時間分布で表わし、これを解析の条件として与え、それにより堤体と地盤とを一体とした浸透流解析を行う。その際、実際の堤防の形を忠実にモデル化して解析を行うため、有限要素法を用いる。
(二) 安定計算
次に、右解析により求めた堤体内の浸透状態をもとにして、堤防の安定計算(円弧すべり計算)を行う。これは、堤防断面上の幾つかの円形のすべり面における安全率を計算し、そのうち最小安全率を有するすべり円の中心及び半径を求めるもので、最小安全率が安全限界値1.0を下回つたとき、その最小安全率の円弧の形状がすべり形状となる。
なお、以上のように近年飛躍的に進歩した解析手法にあつても、現実の地盤条件等の再現性におのずから限界があるというような事情もあることから、解析結果値である安全率そのものの把握よりも、むしろ、関係する各要因がどのように安全率低下に対し影響を与えるかという寄与度や、ある条件を変えた場合の安全率低下度の違等の把握に主眼があるものである。それゆえ、このような解析手法によつても、なお事前に破堤の予測を行うことは困難である。したがつて、本件破堤の生起機構の究明も、結果として生起した破堤という事実を前提として、その要因を分析することに主眼があるものである。
3外的要因の影響度
まず、外的要因が本件堤防の安全度に及ぼした影響の度合を求めるため、内的要因を次のとおり定めて、堤防の安定解析を行つた。すなわち、堤体及び地盤の形状については本件堤防の堤体と堤内外地盤の形状をそのまま用い、堤体の性質については破堤後建設省が本件破堤箇所の直上下流の堤防について行つた調査結果を用い、地盤の性質については本件破堤箇所の堤内外残存地盤を含む付近一帯の地盤と同様であると、すなわち表層部が難透水性層で覆われ、その下層が透水性の砂層であるとした。
なお、あわせて、過去の洪水の際における外的要因が本件堤防に及ぼした影響の度合との差を求めるため、本件堤防築造後最大の影響を与えたと考えられる昭和三六年六月洪水について同様の解析を行つた。その結果は次のとおりである。
(一) まず、外的要因のうち、河川水すなわち河川水位と洪水継続時間のみを条件として与えた場合、本件破堤生起時点までの河川水による堤体内の浸潤面の上昇によつて、堤防の安定度は、通常の場合に比べ大幅な低下を示すが、この河川水の浸透のみによつては堤防の安定度が破堤に至るほどまでに低下する結果とはならなかつた。
(二) 次に、堤体上への降雨について、堤体上への降雨が長時間継続していくと、降雨の浸透は遂には浸潤面に達してこの浸潤面の上昇をもたらし、そして、その浸潤面の上昇がもたらされる範囲は、時間の経過とともに堤防法尻から次第に堤体内中央部へ向つて拡大していくことが判明した。
(三) さらに河川水と堤体上への降雨の双方を条件として与えた場合、堤体内の浸潤面は河川水と堤体上への降雨の双方の浸透水による影響を受けて上下し、降雨の影響という条件を考慮せずに求めた場合に比すると大きな差が認められた。特に堤体内中央部から裏法部分においてその差が顕著に現われることが判明し、この場合の堤防の安定度は安全限界近くまで低下するという結果が出た。
(四) 昭和五一年九月洪水について行つた右の解析結果を昭和三六年六月洪水について行つた同様の計算の結果と対比すると、外的要因の影響度は昭和五一年九月洪水の方が明らかに著しく大きくなつている。また、昭和五一年九月洪水の場合は、外的要因による堤防の安定度低下に河川水と降雨の双方が時間的に重複して寄与しているのに対し、昭和三六年六月洪水の場合は、河川水と降雨との寄与する時点に時間差があるため、それぞれの要因がほぼ単独で安定度を低下せしめる結果となつている。
4内的要因の影響度
(一) 丸池の存在
右の計算の中で、本件堤防の堤内側の地盤形状を形成する「丸池」の存在が堤防の安定度にどのように影響を及ぼしたかについてみると、本件堤防の裏法先よりも堤内側の点を一方の端とするすべり面がいかなる条件のもとにおいても最小安全率を示すことがなく、したがつて池を埋立てた場合を想定して同様の計算を行つた場合においても結論に全く差がなかつた。また、破堤当時には、丸池周辺の田に内水が湛水していて、池の水位と内水位とは等しいものとなつていたため、丸池の水のみが独立して堤防に作用するということは到底考えられない。以上のことから、「丸池」の存在は、本件破堤に関し本件堤防の安定度低下には何ら寄与しているものではないというべきである。
(二) 難透水性層の不連続
そこで、本件破堤箇所と外的要因が全く同一であると考えられる他の箇所に破堤が発生することなく、本件破堤箇所のみが破堤したという事実に鑑みると、本件破堤箇所には前記1で想定した標準的な堤体あるいは地盤の性質と異なる堤体あるいは地盤の性質が存していたと推定せざるをえない。
そのような堤体あるいは地盤の性質としてまず考えられるのは、堤体土の土質や締固度の場所的なばらつき、地盤の難透水性層及び透水性層におけるそれぞれの透水性の場所的なばらつき、地盤の固さの場所的なばらつきなどであり、そのようなばらつきによつて本件堤防の相対的強度が他より低かつたということである。
これらのばらつきが存在することによつて、ある程度安定計算の結果に差が出ることは事実であるが、これらのばらつきは本件破堤箇所以外の、破堤しなかつた区間の堤防についても同様に指摘しうるものであるから、本件堤防のみが破堤したことの説明要因としては当を得たものとはいい難い。
一方、本件破堤直後に建設省が行つた地質調査の結果、本件破堤箇所については、その堤内外残存地盤の難透水性層が堤内側と堤外側とで段差を成して存在していたことが確認され、本件破堤箇所の堤防直下の基礎地盤に難透水性層の不連続部分がある可能性が認められた。ところが、これまでこのような地盤状態が河川水の堤体への浸透にどのような影響を及ぼすかの具体的知見がなかつたことから、模型実験を実施したところ、この模型実験によると、浸潤線の上昇は難透水性層が連続して分布している場合より不連続となつている場合が高くなつており、また、不連続の場合について堤体の裏法の安定に大きく影響する裏法先付近の浸潤線の状況についてみると、不連続部分が堤体中央部分のみに存在する場合より堤体中央部から堤内側にかけて長く存在する場合の方が、浸潤線は、早く上昇しかつ高くなる傾向を示している。これから類推すると、難透水性層の不連続部分の態様が堤防との位置関係によつて堤防の安定に大きく影響することが推定された。
そこで、右に述べた内的要因を前提として、前記3で計算したと同様、昭和五一年九月洪水と昭和三六年六月洪水とを対比して、それぞれの場合の外的要因を与えた場合について計算を行つた。
そして、この計算結果によれば、昭和三六年六月洪水の場合には、堤防は未だ相当程度の安定度を保つていたが、昭和五一年九月洪水の場合には、前記3のように内的要因を想定した場合に比べ、更に安定度が低下し、その結果として裏小段を通るすべりが生起しうる状態となつた。このようなことから本件破堤については、地盤に関する内的要因の特殊性がかなりの寄与をしたものと考えるのが相当であり、またこのような地盤の特異性という条件を想定することなしには、本件破堤箇所のみが何ゆえに破堤したのかということを説明し得ないといわなければならない。
5まとめ
以上の検討の結果から本件破堤の生起機構を整理すれば、次のとおりである。
(一) 河川水位と洪水継続時間
河川水位と洪水継続時間について考察すると、昭和五一年九月洪水の最高水位は計画高水位を下回るものであつたことは事実であるが、洪水継続時間は過去の洪水に比較すると格段に長時間にわたつており、このことが本件破堤に致命的影響を与えた一つの要因と考えられる。すなわち、前記3で述べた破堤要因と堤防の安定性の関係からも明らかなとおり、仮に、昭和五一年九月洪水の水位がその生起した水位より高いものであつたとしても、洪水継続時間が短かかつたならば本件破堤は恐らく起り得なかつたであろうといいうる。このことは過去の洪水においても、すべてさきに述べたような経過をたどりながらも破堤に至らず、堤防の安定性を保ち得たことからも窺うことができる。
(二) 堤体上への降雨
洪水の継続時間とともに本件破堤に致命的影響を与えた外的要因の一つに堤体上への降雨があげられる。
過去の洪水、なかんずく既往三大洪水の場合と、昭和五一年九月洪水の場合とを比較すると、過去の洪水の場合においても堤体上への降雨は相当程度あつたものの、洪水と堤体上への降雨とが時間的に重複して生起したことはない。その結果、堤体上への降雨のみをもつては堤防の安定度を極度に低下させることはなかつたと考えられ、現に昭和三六年六月洪水の際もかなりの件数の法崩れが発生したが、降雨又は洪水の一方のみの影響によるものであつたため、破堤にまで至らなかつたものである。他方、昭和五一年九月洪水の場合は、両者が時間的に重複したことにより、致命的な堤防強度の低下をもたらしたものと考えられる。したがつて、仮に、昭和五一年九月洪水の場合、堤体上への降雨と洪水が生起した時間に時間差があつて両者の影響が重複しなかつたならば、本件破堤は起り得なかつたということは推測に難くないところであり、結局、本件の場合、堤体上への降雨は洪水とともに本件破堤の一大要因をなしているのである。
(三) 内的要因の特殊性
本件破堤の生起機構については、右の外的要因のほか、本件破堤箇所のみが破堤したということが事実である以上、破堤の生起機構を十分に説明しうるに足る内的要因が存在していたことは疑いのないところといわなければならない。この観点から検討を加えた結果によれば、本件破堤箇所が破堤したことは、さきに述べたようにその地盤に難透水性層の不連続という特殊事情の存した事実以外には説明し得ないところである。
(四) 要約
以上のこれまでの考察から、本件破堤の要因は、要するに、外的要因として①四山に及ぶ高い河川水位、②長時間の洪水継続時間、③長時間の強い堤体上への降雨、また内的要因として、④堤防の基礎地盤の難透水性層の不連続という四要因につきるというほかはない。
本件破堤の外見的形態から究明した結果、このように考えることによつて初めて、本件破堤箇所が、かつて破堤したことがないのに今回初めて破堤したこと及び本件破堤箇所が破堤したにもかかわらず他の箇所については全く破堤の結果が生じなかつたことが明確に理解できるものといわなければならない。
二 昭和五一年九月降雨・洪水の異常性
昭和五一年九月豪雨とこれによつて生起した洪水は前記第三の二、三のとおりであるところ、本件破堤の外的要因である河川水位、洪水継続時間及び堤体上の降雨は、以下に述べるとおり異常なものであつて、これを事前に予測することが不可能であつた。
1気象現象の異常性
昭和五一年九月豪雨をもたらした気象現象は前記第三の一に述べたとおりであるところ、その原因と誘因について、東京管区気象台は昭和五一年異常現象調査報告第一号において次のように解析している。
(一) 東海地方の八日の大雨は、台風や前線が直接に関係したものでなく、中規模じよう乱現象や対流現象によるものである。
(二) 九日の大雨は、台風の直接の雨でなく、前線と中規模じよう乱によるものである。
(三) 一一日二一時頃から大雨は前線と台風に大きく影響を受けるようになつた。
(四) 要するに、八日から一二日までの東海地方の豪雨は、北太平洋高気圧の西縁辺の湿潤な南風の中で発生した中規模じよう乱と前線が直接的な原因で間接的に台風が影響している。
このように、昭和五一年九月豪雨をもたらした異常気象現象は、単なる台風一七号による直接の雨だけでなく、前線の停滞に伴う同一地域への降雨の集中、更には湿潤な空気の対流現象といつた複雑な気象の偶発的重複現象によつて生起したものである。こうした異常現象の発生は、その時々の気圧配置、台風の位置その他種々の気象条件の組合せによつて生ずるものであつて、いつ、どの地域に、どのような規模でいかなる気象が発生するかは今日でもこれを的確に予測することはほとんど不可能に近いと言つても決して過言ではない。
2降雨量
(一) 既往降雨との比較
長良川上流域(岐阜市忠節地点上流)の流域平均の日雨量は、二日雨量、三日雨量及び四日雨量についての年最大降雨量順位は表14のとおりで、昭和五一年九月降雨は日雨量を除く二日雨量ないし四日雨量で既往最大を上回り、観測史上最大となり、しかも降雨継続日数が長くなるにつれて既往最大値より多くなる傾向を示すという異常な降雨であつた。さらに、長良川の計画高水流量を大幅に増量する契機となつた昭和三大洪水の降雨との比較は表15のとおりで、昭和五一年九月降雨は、雨量の全指標について昭和三大洪水の降雨量を上回り、かつ降雨継続時間が長くなるにつれてその差が多くなるという顕著な特徴を示す異常な降雨であつた。
表15 主要洪水時と昭和51年9月の降雨量及び再現期間
指標
日雨量
2日雨量
3日雨量
4日雨量
洪水名
雨量
再現期間
雨量
再現期間
雨量
再現期間
雨量
再現期間
昭和51年9月
mm
280.9
年
148
mm
479.8
年
693
mm
592.9
年
553
mm
858.0
年
6,048
明治29.9
208.2
16
342.4
43
477.2
98
602.0
248
昭和34.9
135.6
2
252.0
7
278.2
5
285.7
3
昭和35.8
206.2
15
344.7
46
390.7
26
415.5
20
昭和36.6
196.0
11
304.1
20
388.9
26
452.1
33
(二) 降雨量の再現期間
水文統計学では、降雨量等のある水文量が発生する確率を再現期間によつて表わす。
そこで、昭和五一年九月降雨及び主要洪水時の降雨の再現期間を求めると表15のとおりで、昭和三大洪水の各雨量指標の再現期間はいずれも五〇年以下であり、明治二九年九月洪水の再現期間は日雨量から四日雨量へと降雨継続日数が長くなるにしたがつて大きくなり非常に稀にしか発生しない降雨量であることを示しているが、昭和五一年九月降雨の再現期間は明治二九年九月洪水と同様の傾向を示し、かつこれをはるかに大きく上回り、四日雨量では実に六〇〇〇年という統計値として表わすのが困難と考えられる大きな再現期間を示している。
現在わが国の河用の長期的な整備目標の対象とする再現期間は、大河川であつても一〇〇年程度であるから、昭和五一年降雨について二日以上継続の降雨量、特に四日雨量の再現期間は異常に大きく、未曽有の異常降雨と評するほかない降雨であつた。
3堤体への浸透作用
河川水の浸透作用の結果としての、堤体内への浸透距離の大きさ(Xf)と浸潤領域の大きさ(A)は、特定の条件の下では、それぞれ次に示す関数であらわされる。なお、Hoは水位、Tは洪水継続時間である。
Xf=f(HoT)A=g(H3oT)
このことから、浸透距離の大きさについては洪水継続中の河川水位と単位時間の累積和(∑HT)をその指標(以下浸透能ファクターという。)とし、また、浸潤領域の大きさについては洪水継続中の河川水位の三乗と単位時間の累積和(∑H3T)をその指標(以下浸潤域ファクターという。)として用い、これによつて昭和五一年九月洪水と既往洪水との浸透作用の比較等を行うこととした。
(一) 既往洪水との比較
最高水位及び洪水継続時間について、それぞれ長良川年最大の経年変化を図示すると図6、7のとおりであり、またこれらについて昭和三大洪水と昭和五一年九月洪水とを比較すると図10、11のとおりであり、昭和五一年九月洪水は高い水位の洪水が極めて長時間継続したものであり、工事実施基本計画の対象洪水となつた昭和三四・三五年の洪水を含む昭和三大洪水の継続時間をはるかにしのぐものであつたことが明らかである。
また、浸透能ファクター及び浸潤域ファクターについて、長良川年最大の経年変化は図8、9のとおりで、昭和三大洪水と昭和五一年九月洪水との比較は図11のとおりであり、昭和五一年九月洪水は昭和三大洪水の二ないし四倍となつている。
(二) 浸透作用の再現期間
洪水継続時間、浸透能ファクター及び浸潤域ファクターについてその再現期間を求めると、表16のとおりであり、昭和五一年九月洪水は、各指標とも既往洪水を大きく上回る異常なものであつたことがわかる。
4堤体上への降雨
河川水の堤体への浸透作用と堤体上の降雨の堤体への浸透作用が同時に発生した場合には堤体の浸潤が大きく進むから、洪水継続中の堤体上の降雨量について検討する。
(一) 既往降雨量との比較
図10は、昭和五一年九月洪水及び昭和三大洪水につき、堤体上への降雨と洪水の重複の状況を時間雨量分布と洪水の波形との対照によつて表わしたもので、昭和五一年九月洪水が、堤体上への強い降雨と高い水位の洪水とが長時間継続し重複した異常なものであつたことが明らかである。
また図12は長良川最大洪水継続中の堤体上の降雨経年変化を表わしたもので、昭和五一年九月降雨量は、既往最大の昭和三六年六月の降雨量を大幅に上回る異常なものであつたことを示している。
(二) 堤体上の降雨の再現期間
洪水による浸透作用と降雨による浸透作用の時間的な重なり具合の再現期間を、図13浸透能ファクター・堤体上の降雨の複合確率でみると、昭和五一年九月洪水の再現期間は、既往最大の昭和三六年六月洪水よりもはるかに大きく数千年のオーダーの再現期間で統計上表わし得ないほどの異常なものであつた。
5まとめ
このように昭和五一年九月洪水は、最高水位については計画高水位を上回ることはなかつたものの、降雨量をみると、特に四日雨量では過去に例をみない異常に大きなものとなり、この降雨がもたらした洪水の継続時間、浸透能ファクター等をみると、まさに堤防に対して予測できない異常な作用を与えたことが明瞭である。
昭和五一年九月降雨・洪水が長良川の堤防に与えた作用が異常なものであつたことは、昭和五一年九月降雨・洪水時における長良川全川の堤防の状況をみればさらに明確に理解できるところである。すなわち、洪水の堤体への浸透作用の指標でみると、既往最大であつた昭和三六年六月洪水時における長良川の堤防(距離標30.2キロメートルより60.2キロメートル区間)の被災は二一箇所であつたが、昭和五一年九月洪水時には、法崩れ、亀裂時の堤防の損傷がいたるところで発生し、主な被災箇所は昭和三六年六月洪水の三倍に相当する六六箇所に達した。
また、昭和五一年九月洪水による堤防の被災の特徴は被災箇所数が多いことのみにあるのではなく、被災の度合が極めて大きく全川にわたつて危険な状態にまでなつたことであり、このため、かつて実施されたことのなかつた大規模な水防作業が地元住民、自衛隊の応援を得て実施されたのである。
三 地盤の性質の予測不可能性
1本件破堤の破堤要因の一つとして推定される地盤の性質の特殊性は、本件破堤が生起したという事実を前提として、破堤後の地盤調査と堤防の安定解析から、初めて事後的に推認できたものである。
すなわち、我が国の河川堤防の地盤の大部分は、洪水時に流送された土砂によつて形成された沖積地で、その土砂の分布状況は多種多様である。すなわち、堤防の地盤の表層部分は、砂礫土の透水性地盤や粘性土の不透水性地盤等により形成されているものであるが、その層厚や透水性の程度等は様々な形で分布している。このように堤体直下の地盤は様々であり、その結果、洪水時に地盤が堤体に与える影響も様々なものとなるが、堤体が著しく沈下し地盤の入替えを必要とするような軟弱地盤の問題を除いて、個々の地盤の状況を詳細に把握したうえで堤防を築造するということは一般的になされない。
表16 洪水の再現期間
順位
継続時間
浸透能ファクター
浸潤域ファクター
洪水名
継続時間
再現期間
洪水名
HT
再現期間
洪水名
H3T
再現期間
1
昭和年月
51.9
hr
87
年
1,381
昭和年月
51.9
m・hr
397
年
474
昭和年月
51.9
m3・hr
9779
年
302
2
36.6
42
43
36.6
183
30
36.6
4273
33
3
47.7
28
10
47.7
113
8
34.9
3109
16
4
28.6
25
7
34.9
103
7
35.8
2478
10
本件破堤箇所について結果的に推認される地盤の難透水性層の状態も、これをあらかじめ把握しようとすれば、ほとんど無限に近い点について連続して、かなりの深さにわたつて調査することが必要となるが、長大な距離にわたる築堤工事にあたり、このような調査を実施することは今日においても技術的に不可能であり、仮に行うとしてもこのような数多くの点について地質調査のため調査孔を掘ることは、かえつて堤防の基礎を弱くしてしまうことは明白であり、殊に現存する堤防の直下の地盤を調査するためには、堤防そのものを損傷せざるを得ず、調査の目的それ自身を否定することになる。長良川において今日まで経験したあらゆる洪水のもとにおいても、本件破堤箇所のこの地盤条件を予測させるような前兆現象は全く認められておらず、結局、本件破堤箇所がかかる地盤条件であつたことを事前に把握することは全く不可能に属する事柄であつたのである。
2さらに、一般的にこれまでの洪水時の経験によつては、堤体下の基礎地盤のこのような態様が堤体の浸潤を促進し堤体自体の安定を左右する要因となるという認識は持たれていなかつたのであつて、本件破堤についての前記検討によつて、堤体下の基礎地盤の難透水性層の不連続部分が堤体の浸潤に大きく影響することが解明されたのであるが、これはまさに、本件破堤のような破堤型態としては稀な越水なき浸潤破堤という現象を経験することによつて初めて解明されたものである。
このような次第であるから、昭和三大洪水を安全に流下せしめ、十分な安全性を有する堤防であると認識されていた本件堤防について、その基礎地盤の態様を知見する契機は全くなかつたし、仮に事前に地盤の態様を把握し得ていたとしても、これが一要因となつて本件破堤のような現象が発生することを予測し、これに対して適切な処置をとるということは全く不可能なことであつたのである。
四 本件堤防に係る河川管理責任
本件堤防が工事実施基本計画の計画高水流量の策定の基礎となつた昭和三大洪水に耐え得たこと、すなわち、右規模の流水の通常の作用に対し安全であることが実証済みであるにもかかわらず、本件破堤に至つたということは、前述したように、洪水継続時間、堤体上への降雨が通常予想し得ないほど異常な大きさであつたことを端的に表わしているものである。そして、河川管理者にとつて本件破堤を事前に回避しうる手段があり得たかという観点からみても、前述のような(一)異常な降雨量、(二)異常な洪水継続時間は予想し得ないことであるばかりでなく、仮に、堤防の構造(堤体地盤を含む。)を事前に詳細に調査しえたとしても(これも不可能なことであるが)、それに対する流水の作用自体が前述のように必ずしも科学的に明確にされていないところであるから、堤防の全ての箇所について異常な降雨・洪水に対する挙動を予想することも事実上不可能であつて、まして本件の洪水における異常な降雨量及び洪水継続時間を前提にして、堤防の安全性を考え河川改修の計画を立てること自体到底不可能であり、したがつて、本件破堤を事前に回避する処置を河川管理者に期待することは全く不可能を強いることといわねばならない。
すなわち、本件破堤は、異常な降雨・洪水継続時間の外的要因と堤体直下の難透水性層の不連続という内的要因が複合して初めて説明可能なわけであり、そのような事態を事前に予測するという営為にでることは客観的に不可能であつて、河川管理者にかかる破堤機序を有する災害についてまで回避すべきことを期待することはできないというべきである。
このようにして、国家賠償法二条一項は、国又は公共団体の無過失責任を規定したものであるが、客観点に管理可能の状況のもとにおける管理の瑕疵を前提とするものであるところ、本件破堤は、河川管理者として回避可能性がなかつたもの又は不可抗力によるものであるから、本件堤防の設置又は管理に瑕疵はなかつたというべきである。
原告らは、前述の瑕疵推定論に加え、更に本件破堤箇所に地盤の構造、堤体の性質・形状をめぐる欠陥が存在したことが本件破堤を招いたものと主張しているが、右主張は、本件破堤箇所の地盤の構造、堤体の性質・形状、とりわけ丸池の存在を本件破堤箇所に存した特異的要因と称して、それのみを強調した結果論にすぎない。
すなわち、まず、本件破堤をもたらした昭和五一年九月降雨・洪水は、先にも述べたように、極めて異常なものであり、このような降雨・洪水が長良川の全川にわたる堤防に作用し、このため長良川の堤防は数多くの箇所で損傷しているのであつて、長良川の堤防は本件降雨・洪水によりいかなる箇所で破堤しても何ら不思議ではない状態であつたのであるから、原告らのように本件破堤箇所に存する特異的要因と称する丸池を取上げ、これにことさらに破堤原因を求めようとすることは、本件破堤について降雨・洪水が果した大きな役割を無視するものであつて、本件破堤をめぐる各要因に対する評価を誤るものであり、この結果として国家賠償法二条にいう瑕疵の判断を誤らせることになるのである。仮にこれらが堤防の安全性に対して何らかの寄与があるとしても、そのことは、本件降雨・洪水の前述のような異常性に比べれば、営造物の瑕疵の判断においては無視しても差支えないものである。
また、原告らが主張するように、丸池等の存在が本件破堤の原因だとするならば、当然に過去の大洪水においても本件破堤地点で破堤していなければならないはずであるが、本件洪水よりも高い水位を記録した昭和三大洪水時には破堤しておらず、また、原告らが本件降雨・洪水に匹敵するものであると主張している明治二九年九月の降雨・洪水においてすら、全川にわたつていたる所で破堤したにもかかわらず、本件破堤箇所においては破堤していないのであるから、これらの事実に照らしても、丸池等の存在が本件破堤の原因でないことは極めて明らかである。
被告の主張に対する原告らの認否・反論
第一 被告の主張第一について
すべて争う。この点に関する原告らの反論は以下一ないし五に述べるとおりである。
一 災害に対する法的な考え方について
国民は国に対して、生命、身体及び財産の安全確保を付託しており、国は各種災害から国民の生命、身体、財産の安全を確保すべく最大の努力をなさなければならない(憲法一三条、河川法一条、二条、災害対策基本法一条、三条。)。河川管理の側面についていえば、国はその総力をあげて治水事業を推進し、洪水等による災害の発生を防止し、もつて国民の生命、身体及び財産を保護する重大な義務を有するものである。国は河川法等の制定施行に伴い河川管理について、地域住民の関与を排して、これを国の独占的支配下においているが、これは、国が地域住民に対して河川の有する危険からの安全確保につき、極めて高度の義務を負担していることを明言しているにほかならない。
災害を法的責任の問題として取上げる場合の必要かつ重要な視点は自然現象としての災害発生原因から区別された社会現象としての災害を把握することであつて、これにより、災害の発生原因と国家賠償法二条による責任との関連を明確にし得る基礎が存するのである。すなわち、自然現象については、必ずしも学問的にその発生機構が十分解明されているとはいい難いが、自然現象のもたらす災害は、学問的にすべてが解明されなければ防止できないというものではなく、また、そのために防災対策をゆるがせにすることは許されないのであつて、その当時において科学技術の到達した水準に応じて防災の行動をとり得るものであり、防災科学はまさにそのような見地に立つて、自然現象発生の危険性を検討し防災対策を研究する総合的な学問の分野である。災害に対するこのような認識からすれば、営造物を設置し、地域住民の関与を排し、独占的にこれを管理する国又は公共団体は、社会現象たる水害による被害の発生を、その当時における科学技術の最高水準を駆使して防止すべき法律上の義務(防災対策を講ずべき義務)を有すると考えるべきである。国家賠償法二条の河川管理責任は、国又は地方公共団体のこのような高度の防災対策義務を前提として把握すべきである。
ところで被告の述べる「河川管理責任論」は、自然現象としての水害をいたずらに強調することによつて、河川管理責任を原則として行政上の責務であるとするもののようである。このような考え方は「災害天災論」という前近代的な考え方に結びつくものであり、実質的な天災論を強調することによつて法的責任としての河川管理責任をことさら制限したいとの基本的な発想に基づいており、河川管理責任の正当な理解とはいえない。
二 河川管理の特殊性について
1まず、基本的な考え方として、国家賠償法二条との関係で問題とされる公の営造物の管理責任論においては、河川・道路を問わず、いずれもがその自然的、人工的属性に応じて、それぞれの特殊性を有するものであつて、管理責任の一般論を展開するにあたり、国家賠償法二条の法文規定を無視してまで、河川に限りその特殊性を強調し、一般的に責任を限定すべき合理的な理由はないというべきである。
また、これを具体的に検討しても、被告の主張するような道路管理と河川管理との間の質的差異は存しないのである。すなわち、
(一) 降雨・降雪等の自然現象を対象として管理が行われるのは河川の場合だけでなく、道路の場合にも同様であり、また、河川の場合にも船舶の往来、取水口の設置等、人為的な作用に対する管理という側面を有している。したがつて、作用の予測の面において河川管理と道路管理との間には何ら質的差異は存しない。
(二) 現在、社会生活上活用されている道路のほとんどは、国又は公共団体が安全確保義務を負つて管理しなければならないとする以前から存在し、またはその後に、社会生活上の必要から、旧道を廃して付替え、あるいは新道として開設されたものである。このような道路について安全を確認し、あるいは予測される危険に対して一応の対応措置を講じた後に初めて管理し、それまでは管理を開始しないなどということは、現実にはあり得ないことである。被告が、道路は安全を確認し危険に対する対応措置を講じたうえで管理を開始できるとするのは、実態を離れた机上の空論であり、これをもつて河川と道路の管理の間に質的差異が存するとはなし得ない。
(三) 道路の場合の通行止め等による通行上の危険の回避手段に対応するものとして、河川の場合洪水そのものを停止し得ないとしても、これを防災調整池、遊水池等多面的な治水施設を設置して洪水を制御することは可能であり、同時に堤防の機能の強化を図ることにより洪水からの危険を回避し得る。また、道路の場合に降雨による災害が予測され通行規制を実施するとしても、現実の問題として、基準とすべき降雨量の定め方、通行車輛の運転者らとの紛争の解決、食糧供給や通勤・通学の確保等問題が多く、容易に閉鎖、通行禁止の処置はとりえないのである。このように道路=危険回避容易、河川=危険回避困難との図式は、必ずしもそう割切れるものではなく、まして管理責任に質的差異をもたらすなどということはないといわねばならないのである。
(四) 諸制約云々の被告の議論については、前記(二)のとおり、現に国道・県道等として社会生活上活用されている道路を、諸制約に応じて管理しないなどとすることは現実にはありえず、かかる被告の見解は責任免れのための方便にすぎないものである。
2被告の主張する諸制約論に対する批判は以下のとおりである。
(一) 被告の主張するいわゆる「財政的制約論」は、あくまで健全な社会通念に照らして要求される安全性の限度を画し、又は管理の遅滞の有無を判断するうえでの、当然要求される常識的機制として、一般的・抽象的な費用の制約を考慮に入れなければならないとの問題である。
しかしながら、前記のとおり、国家賠償法二条は危険責任を主要な根拠とする無過失責任とされているから、そうであれば客観的に瑕疵が存在する以上、その適用を排除すべき理由はなく、一般的な財政的理由による免責の余地はない。免責理由は特定の箇所に存在する瑕疵との関係で問題とすべきものである。
現に本件破堤箇所が溢水せずして破堤した事実から推認される欠陥の補修は、破堤後直ちに、さほどの費用を要さず、短期間でかつ容易に行なわれていることからしても財政的制約というものがいかに抽象的な制約であるかがわかる。
(二) また被告は、時間制約として、河川工事は大規模工事であるため長い工期を要すると言うのであるが、この点についても、被告は特定の箇所における瑕疵とこの主張が如何なる関連において制約となつているのかを具体的に述べず、前記(一)において述べたと同様に常識的機制として、社会的抽象的な時間制約が働くとしても、それが直ちに不可抗力を導くものではない。
(三) また被告のいう技術的制約、社会的制約も極めて一般的・抽象的であつて、立論の趣旨が不明である。
技術制約についていえば、恣意的に問題点を設定し、我田引水の論を重ねるのみで、論述の前後のつながりも了解できないものである。右の技術的制約が特定の箇所の瑕疵との関連において如何なる制約事由となつているのか被告は具体的に主張すべきである。本来、国はすべての科学技術、科学情報を収集できる最高の能力を有しており、その当時における最高の科学技術等でもつて対処すべきであり、その観点からみた特定の箇所の瑕疵との関連における技術的制約が存するのであれば格別、そうでない限り、これを理由に免責されるものでない。
三 河川法等の法規範性について
1河川法と工事実施基本計画
河川法二条、一三条一項、一六条一項、二項、同法施行令一〇条一項一号、二項、三項の一連の規定をみれば、工事実施基本計画は、洪水による災害に対する安全性確保のための法的準則であつて、河川管理者は、洪水による災害の発生を防止するため、工事実施基本計画を策定し、これに基づいて河川管理をなすことを法的に義務づけられているというべきである。工事実施基本計画は、それ自体としては、直ちに国家賠償法二条の責任判断の基準となるものではないが、河川管理者が防災、安全性確保の観点から作成を義務づけられ、また自ら必要であるとして設定する法的準則である以上、その速やかな達成が義務づけられ、達成された計画内容はそれによる安全性を保証すべき法的義務を伴うものである。
被告はこれを行政上の長期的目標にすぎないと言うのであるが、かかる見解は実定法として明定された河川法の法規範性を行政庁において、無視ないし看過しているものであつて、到底容認されないものである。
2構造令について
被告は、本件堤防は構造令による技術基準に合致しており、安全な構造を具備していたと主張しているが、構造令による技術基準に合致していることが瑕疵の不存在を意味するものでないことは当然である。すなわち、堤防の通常有すべき安全性は、当然堤防について個別的、具体的に判断されるべきものであつて、単に構造令の各基準に適合しているとの一事でもつて通常有すべき安全性が認められるものではない。
また、構造令自体、特定の河川の特定の箇所における安全確保のための基準ではなく、そういつた個別的、具体的な特性を離れた一般的抽象的な最低基準を示すものであるにすぎず、構造令の適用にあたつては個別的、具体的な事情を考慮した安全なものでなければならない(河川法一三条一項参照)とされているのであるから、個別的、具体的な場面においては構造令における基準以上の水準が要求される場合もあることは当然である。
加えて重要なことは、構造令が河川法の下位にある政令にすぎず、しかもその基準設定は、河川管理責任者たる(国家賠償法二条により公の営造物の設置・管理責任の義務を負う。)行政庁が自ら決定していることである。
ところで、河川法に基づく河川管理に関する準則が国家賠償法二条の河川の設置・管理責任を画することになると、右準則の具体的内容が政令に委任されているところから、河川管理責任者(建設省)自らがその管理責任の内容を決することになる。したがつて、かかる見解が不当なことは明らかである。(但し、右の構造令を河川管理責任者たる行政庁自らが措定したことを顧慮するとき、少くとも堤防等の安全に関して最低具備しなければならない最低基準として、建設省自らが画した地域住民への安全保証基準としての機能を果すことが指摘される。)
四 国家賠償法二条の基本的な考え方について
1立法趣旨及び解釈の理念
国家賠償法二条は、客観的に営造物に瑕疵が存在すれば瑕疵によつて発生した損害の賠償責任を負わせるものであり、同条の責任は無過失責任の性質を有するとされている。そして、その根拠は危険責任の考え方に求められるが、さらに次のような立法趣旨が含まれている。
すなわち、同条は、従来ともすれば国又は公共団体であるがために免責されてきたことを反省し、国や公共団体も一般市民と同様に責任を負うものであることを明らかにしたのみならず、さらに進んでその適用範囲、適用要件を緩和して管理者が国や公共団体であればこそ、かえつて一般市民の場合よりも営造物の瑕疵に基づく損害について重い責任があることを認めたものと解すべきであり、同条が市民法的原理の貫徹ばかりでなく、社会法的な考え方を含んでいるものであり、同条の解釈にあたつては、国家が国民の福祉を配慮すべき役割を考えねばならないことを意味するもので、ここに、私人間の利害調整という見地を超えた被害者救済を図るべき根拠が存するのである。
したがつて、同条の解釈、適用にあたつては被害者救済という視点を貫徹することが何よりも重要である。
2その機能について
河川行政になによりも要請されている安全性の確保について、地域住民は、河川からの危険に対する不安を除去するために、自ら河川の改修を行い欠陥を除去補修することは許されず、また事前に災害予防の手段を講じさせるための有効な法的手段も存しないため、わずかに河川災害が発生した後に、事後的な損害賠償を求めることが本条で保障されているにすぎない。そこで、国家賠償法二条は、損害賠償を求めるための手段であるとともに、河川の安全性を確保すべき国の責務を明らかにし、河川行政のあるべき姿を示すための手段として機能することも要請されているのである。
したがつて、本件においても、国家賠償法二条の立法趣旨である被害者救済の視点を貫徹し、国の責任を厳しく認定することが必要である。
五 河川の設置・管理の瑕疵について
被告の主張する河川管理責任論は、加治川水害訴訟一審判決における河川管理責任論に依拠するようであるから、これを批判し、あわせて被告の主張に対する反論の補充とする。
1加治川判決は、道路と河川を比較し両者の間に本質的差異があるものと断定し、そこから短絡的に河川管理責任を限定的に解釈する理論を導入した。しかし、道路と河川は、一般的にみてその自然的属性及び公物としての成立過程に差が存することは否定できないものの、自然的属性及び公物としての成立過程における両者の差異が直ちに公物成立後における管理責任の内容の差に結びつくものではなく、したがつて、国家賠償法二条の帰責構造に関連して、その管理責任のあり方に本質的な差をもたらすものとはいえないのである。むしろ、河川・道路を具体的、個別的にみれば、沿革的にも自然公物的性格を有する道路、人工公物的性格を有する河川も存在するのである。河川堤防に高水工法が採用されて以来、現在までに、大河川の堤防はすべて人工公物的性格を帯有しているといえるのであつて、道路は人工公物、河川は自然公物と単純に図式化することは正しくない。
2加治川判決は、道路の場合に絶対的安全確保義務の存在を措定するが、国家賠償法二条の解釈として道路の場合においても絶対的安全性を確保する義務があると解されているわけではない。道路においても通常有すべき安全性として極めて高度の安全性が要求されているのである。
3加治川判決は、河川自然公物論から短絡的に河川管理責任は政治的責務であると宣言し、例外的に政治的責務が法律上の義務に転化する基準として、「健全なる社会通念等に照らし、個々の国民が国に対し、その作為または不作為を期待し、信頼しうる事情が存するとき」としている。
これについては、そもそも河川管理責任が一般的に政治的責務であると断定すること自体が誤りであるばかりか、瑕疵を具体的に認定する場合の前提として極めて抽象的、不明瞭な基準を設定しており国家賠償法二条の適用を不明確にするおそれがあるといわねばならない。
4加治川判決は、道路と比較して河川の管理責任を限定する本質的差異を道路の場合は道路の廃止・一時閉鎖等が可能であつて、これにより事故を皆無にすることが可能であるが、河川にはかかる容易な回避手段はないことに求めている。しかし、このことは、具体的な事例における設置・管理の瑕疵の設定のうえで問題となることがあるとしても、一般的に管理責任の異質性をもたらすものではない。
仮に河川には究極的な危険回避手段がないとするならば、それより一層(道路以上に)施設対策に大きな予算を投じて危険の除去に対処しなければならないものである。(特に一級河川の中下流域においては、いつたん破堤が生ずれば、その被害が堤内地住民の生命、身体及び財産について極めて甚大となることが予想され、道路における欠陥発生に伴う事故の被害とは比較にならないものがあるから、道路管理の場合以上に河川管理においては施設管理における安全性を確保すべき義務がある。)
5加治川判決は、河川において水害を皆無にするためには長大な堤防を構築する等の治水工事を行うほかないが、これには膨大な費用と時間と人員とが必要で、到底一朝一夕では達成不可能であると判示し、これを河川管理の政治的責務論の論拠としている。ところが、全国を網の目の如く縦横する道路の安全を安全に保つことは河川の場合と同様に一朝一夕に達成できることではない。しかし、道路の管理責任を追及した従来の数多の判例は、道路の完全な管理が不可能であることを理由に、国家賠償法二条の適用において道路の管理責任を限定的に解したことはなかつた。なぜなら、国又は公共団体が利用者、地域住民の関与を排して、道路を独占的に管理する以上、危険物の支配者として、基本的にそれによつて生じた損害を填補するのは当然であるとの思想がその根底に存し、それは公平の理念からも合理的であるからである。この考え方は河川の場合でも異ならない。国や公共団体が地域住民から河川の支配権をとりあげ、独占的な管理体制を敷いた以上、その管理が困難又は不能を理由に責任を回避することは許されないのである。
加治川判決のいわゆる河川管理の政治的責務論は、結局、水害被害者から国家賠償法二条による救済を事実上拒否することになるのであつて、同条の立法趣旨に照らし正しい法解釈とは到底いい得ないのである。
以上のとおり、加治川判決に述べられている河川管理責任論は、結局は行政追随型河川管理責任論ともいうべきであり、河川管理者たる行政庁のずさんな河川管理の現状を肯認し、その懈怠を助長することになるものである。
第二 被告の主張第二について
一 一のうち前段の事実は認める。後段の事実のうち、長良川の流域面積、幹川流域延長、流域の山地面積及びその流域全面積に占める割合については知らない、その余の事実は認める。
二 二の事実は認める。なお、本件破堤箇所を含む森部輪中に沿つた長良川において被告が主張するような流路が変遷したという記録はない。
三 三のうち、被告主張の時期に洪水が生起したことは認めるが、その余の事実は知らない。なお、洪水生起の事実は被告が列挙するものに止まらない。
四 四について
11のうち、被告主張の時期にそれぞれ計画が策定されたことは認めるが、その余の事実はすべて知らない。なお、現在の木曽川水系工事実施基本計画においては、長良川中流部において漏水対策を重点的に実施すべきことが強調されている。
22の事実はすべて争う。なお、木曽川中下流部は「輪中」と呼ばれる、古来幾多の水害に見舞われてきた低湿地帯である。河川改修の必要性は、当該河川の地理的、気象的条件等によつて異なるのであり、これら諸条件の検討を抜きにした単純な数値の比較は全く無意味である。
33(一)のうち第一段及び第二段は否認する。第三段は知らない。第四段の前文は否認し、後文は知らない。
(二)のうち、第一段及び第二段は認めるが、第三段は否認する。
第三 被告の主張第三について
一 一のうち、第一段及び第三段は認める。第二段のうち、気圧の谷と前線の接近に伴い、八日午後から三重県中部を中心に雨が降始めたことは認めるが、その余は知らない。第四段のうち、台風の停滞に伴つて前線も本州を縦断したままの状態で停滞し、台風の影響を受けて活発化したことは認め、その余は知らない。
二 二の事実はすべて知らない。
三 三のうち、破堤時までに長良川に四山の水位のピークがあつたこと、第三及び第四の山が現出したときの墨俣水位観測所の水位が被告主張のとおりであつたことは認め、その余の事実は知らない。
四 四について
11のうち、昭和五一年九月八日岐阜県に大雨洪水注意報が発令されたことは認め、その余の事実は知らない。
22のうち、安八町役場職員から出張所へ亀裂発見の通報があつたこと、出張所職員及び出張所長が現地に到着したこと、出張所長と安八町建設課長の対策協議の結果亀裂部分に山砂を埋める工法が決定されたこと、出張所長が山砂運搬の手配を行つたこと、職員二名が現地に残つたことは認めるが、その余は争う。
五 五の事実は、原告らの主張事実に反する部分はすべて否認する。
第四 被告の主張第四について
一 一について
冒頭部分について、本件破堤箇所が長良川右岸の「33.8キロメートル」の距離標より九九メートル上流から同距離標より一七九メートル上流までの区間であるとの主張は争う。
11のうち、明治改修が木曽三川を分流することを主目的として実施されたことは知らないが、その余の事実は認める。
22のうち、第二段階の改修が大正一〇年に策定した木曽川上流改修計画に基づく上流改修による築堤であること、右改修においては旧堤の拡築を主とした築堤を進めたことは認めるが、その余の事実は知らない。
二 二について
11のうち前段の一般論は認める。但し、軟弱地盤の地盤条件の調査は、具体的な場所毎にその内容が考えられるべきものであつて、場合によつてボーリング等による調査が必要である。
後段のうち、本件築堤に際しての調査の詳細が不明であることは認めるが、その余は争う。特に、被告主張の如き平場は造成されていないから、これを前提として調査がなされたとする主張は失当である。
22について
(一) (一)のうち、堤防を拡築する場合拡築前のいわゆる旧堤防と拡築する堤防部分との接合を良くするうえから、接合面に生育している芝や雑草等の有機物の除去を必要とするとの点は認める。その余は否認する。本件堤防の築堤に当り、有機物の除去が現実になされたことはない。また有機物を除去しなかつたとしても、築堤後五〇年を経れば堤防の安定に影響がないとの見解は間違いである。
(二) (二)のうち、本件堤防については、旧堤の法面に段切りを四段造り、段切りをしたところの平場は土砂運搬車両の線路敷として利用したことは否認する。段切りは極めて不完全にしか行われなかつた。
33について
(一) (一)のうち、本件堤防の盛土を行うにあたつて、掘削、積込みにラダーエキスカベーターが使用され、土砂運搬に二〇トン機関車、土運車が用いられたことを認め、その余は争う。本件破堤箇所において現実に行われた盛土方法は、いわゆる高まき工法である。
(二) (二)の事実は争う。本件築堤に際し、線路敷設時の締固めは行われておらず、また機関車、土運車の走行は本来の締固めではなく、加えて高まき工法がとられたことに照らし、締固めは不十分なものであつた。
(三) (三)の事実は争う。
44について
第一段の事実中、昭和初年に行つた一連区間の改修が当時策定された改修計画に基づき旧堤に沿つて堤防法線を整正しながら、旧堤の拡築を主とした築堤を行つたものであること、及び本件破堤箇所の堤防法線が改修前には当該地点において局所的に湾曲していたためこれを整正したこと、そのため本件堤防はその一部が旧堤の堤内側に存した池にかかることになつたことは認め、その余は争う。
第二段の事実中、本件堤防堤脚部に犬走りが存していたこと、平場が存在したこと、裏法勾配が緩やかになつていたことは否認し、その余の事実は知らない。二〇メートルの平場を造設するためには当該部分を買収、収用しなければならないが、右買収、収用がなされた事実はなく、したがつて二〇メートルの平場を造設した事実もない。
三 三について
11について
1のうち、(一)及び(二)の事実、(四)のうち本件堤防の川表、川裏の法面に小段が設けられていたこと及び(五)のうち本件堤防には護岸が施工されていなかつたことは認める。(四)のうち堤防法先部分に幅約二〇メートルの平場があつたとの主張は否認する。その余の事実は不知ないし争う。
本件堤防法先部分に幅約二〇メートルの平場がなかつたことは以下に述べるとおりである。
(一) 平場の測定方法
被告は、堤防法先部分の平場の幅につき、法面法尻を起点とし、また犬走りも含めて主張している。しかし、問題は定規断面堤防に付加してその先にどれだけの幅の平場が存在していたかであるから、堤防裏堤脚からの幅を測定しなければならない。また犬走りは堤防定規断面に含まれるもので、平場に含めるべきものではない。
そして本件破堤箇所の堤防敷と堤内地との境界は、ほぼ図14のとおりであつて、平場の幅は右線より堤内側に向つて測定すべきものである。
(二) 平場の幅について
被告の主張する昭和四三年の測量において、丸池以外の箇所の定規断面堤防の端を丸池部分まで延長すると、その位置は、被告が法尻といい、平場の幅の測定の基準線としている線より約六メートル堤内側に寄ることとなる。
また、被告は、昭和五〇年には法面法尻から一三メートル余りの地点までは雑草及び葦の生育が見られた旨主張するが、前記(一)の平場測定の正しい境界から葦の生育端までは6.8メートルないし8メートルにすぎない。ところで葦の生育限界は水深約一メートル前後とされているから、右葦の生育端以西は急に一メートルより水深が深くなつていることを意味し、被告の主張とは矛盾する。
さらに、破堤後の地質調査により在来地盤が確認できたと被告が主張する地点は、いずれも平場内の、被告のいう法尻からは約九メートル(堤防敷端からは約四メートル)の位置であるにすぎない。
以上のとおり、被告の主張する各事実は、二〇メートルの平場の存在の証明の根拠とはなり得ない。
(三) いわゆる平場の意味
右の堤防敷端から葦の生育端までの6.8メートルないし8メートルのいわゆる平場は、前記請求原因第四の一4(一)の、埋出し部分が沈下し、田として使用され、さらに沈下していつたものにほかならない。
22の主張は争う。本件堤防は以下の各点において、構造令の基準を満たしていない。
(一) 小段について
小段は、標準的には、①川表にあつては堤防の天端高と河床高との差が六メートル以上の場合に、天端から三ないし五メートル下るごとに設けること、②川裏にあつては堤防の天端高と堤内地盤高との差が四メートル以上の場合に、天端から二ないし三メートル下るごとに設けることとされ、これを参考にしつつ河川の特性に応じて具体的に判断するものとされている。
本件堤防は天端が12.8メートル、周辺堤内地盤高(池底でない所)は3.8メートルでその差は9メートルであつて、標準的には、控え目にみても川裏には小段が天端から三メートル下るごとに必要であり、天端から三メートルの所と六メートルの所にそれぞれ小段が設けられていなければならない。ところが、本件堤防は一段しか小段がなかつたのであるから、小段の設置に関する基準を満たしていないことになる。少なくとも標準的基準のとおり小段が設置されておれば断面幅が三メートルは増幅されることになる。
(二) 側帯について
側帯は、堤防の標準定規断面外(この点で犬走りと異なる。)に設置される堤防の一部である。そのうち、第一種側帯は堤防断面を拡大することにより、浸潤線を堤体内に留め、地盤漏水を堤防から遠ざけ、堤防安定のための押さえ盛土的効果を得ようとするものであつて、右のような機能からすれば、盛土が必要である。また第一種側帯の幅は堤防及び地盤の土質条件等から個別的具体的に定められるべきであるが、構造令施行規則一四条は最底基準を示したもので一級河川の指定区間(河川法九条)外においては標準として、五メートル以上一〇メートル以下とされているが、旧川の締切箇所、著しい漏水箇所及びその他地盤の土質条件の劣悪な箇所においては、これにかかわらず適切な幅を必要とし、標準的には一〇メートル以上二〇メートル以下は必要とされている。
本件堤防は、前記請求原因第四の一2ないし4のとおり、①かつての破堤箇所に位置していること、②押堀である丸池内に大規模なガマが認められること、③また丸池上に新堤が拡築され、堤防に接して丸池が存続し、堤防と丸池との間の田が沈下したことなどから、破堤箇所であるうえ著しい地盤漏水と堤防の不安定が認められており、標準定規断面では堤防の安定を図ることができず、第一種側帯が必要とされる堤防である。ところが、本件堤防には第一種側帯が全く設置されていない。
なお、被告は、本件堤防法尻と丸池との間にかつて存在した田の部分が第一種側帯であると主張するかのようであるが、右の田は旧大森村(現安八町)所有地であつて堤防ではないから、これを側帯ということはできない。また、右の田が機能上側帯と同じものであるとしても、その機能からして盛土を必要とすべきところ盛土が全くなく、本件破堤のころは池の水面下にあつたのであり、また、幅も標準的には周辺地盤と同じ高さの所まで二〇メートルは必要であるが、周辺地盤高以下の低さで約五メートル位しかなかつたのであるから、この点でも不十分であつた。
四 四について
第一段の事実は否認する。第二段の事実中、破堤箇所一帯の地盤が軟弱地盤に該当しないとの点は否認し、その余は知らない。
五 五について
被告の主張は争う。
1被告の主張の最大の問題は、河川管理施設の欠陥による災害発生の予測を、過去の洪水による安全性の検証という概念にすりかえていることである。
すなわち、この主張は一定規模以上の流量の洪水においては常に堤防等の河川管理施設が被災しない限り営造物の欠陥に因る災害発生の予測はできず、また堤防等の河川管理施設の欠陥ないしはその欠陥による災害発生の予測可能性を判断するにあたつては右程度の洪水による何らかの欠陥の徴憑の発現を必要とするとの前提に立脚していることになる。
2しかし、洪水はどれ一つとして同一条件で発生するものではなく、降雨(雨量、降雨期間、降雨の強弱等)、流出(流出率、流出量、流出期間、流出と降雨の重複等)等が複雑に絡み合つて、高い洪水位を経験することもあれば、長時間の洪水を経験することもあるなど多種多様の出現パターンを示すものである。また、洪水による堤防等の河川管理施設に現われる損傷形態も、法崩れ、洗掘、浸潤による堤体の軟弱化、ガマの出現等五官作用で感知し得るものもあれば、堤体内や地盤内の土質構造の変化の如く五官作用では感知し得ないものまで種々様々である。被告の主張はこれらのことを無視するものである。
被告のいう昭和三大洪水もそれぞれ洪水のパターンは異なり、また、それぞれの洪水時の諸条件によつて、堤体等の損傷のパターンも異なるのであるから、過去の洪水によつて検証される安全性というものがあり得るとしても、個々の洪水の特性によつて限定されるものでしかなく、一般的な安全性の検証ということはもともとあり得ない架空の概念である。
ちなみに、パイピングのような浸透作用にあつては、洪水経験の蓄積によつてパイピングが進化していくものであるから、過去の洪水の経験は、欠陥の助長とはなり得ても安全性の確認とはなり得ないものである。
堤体等の欠陥に起因する被災の予測は、過去の洪水による経験ばかりでなく、あらゆる河川工学、土木工学上の知見等から得られるものであつて、この点は原告らが本件堤防の瑕疵及びその予見可能性として詳述したところである。
結局、将来の予測からあらかじめ的確になし得ないから実際の経験を待つほかないという被告の検証論は、予測をなす場面において実際に得られた知見をもとに科学的に推測していくことを放擲するものであつて、このような考え方が河川管理の怠慢を正当化しようとするものでしかないことはいうまでもない。
第五 被告の主張第五について
一 一について
11について
1の前段のうち、本件破堤の形態が越流及び洗掘ではないことは認めるが、その余は争う。後段のうち、過去の破堤例からみて、破堤要因の一つのみによつて破堤が生起することは稀で、多くの場合各種の要因の複合によつて破堤に至つていることは知らないが、その余の事実は認める。
被告は本件破堤の形態は漏水ではなく、浸潤作用による法崩れであると主張し、乙第三五号証の一の第六章六―一には同旨の記載があるが、右見解は以下のとおり誤りであつて、被告の主張は理由がない。
(一) 本件破堤が、その経過からみて浸潤によるものとはいえないことについては、請求原因第四の三1(一)において述べたとおりであるほか、次の点を指摘できる。
(1) 浸潤作用によつてすべりが発生したとすると、本件破堤区間約八〇メートルのうちで一次すべりが発生した部分で浸潤線が最も上昇していたものと考えられる。
ところで、一次すべりの発生箇所は乙第三五号証の一添付の地質断面図の測線No.8に近いものであるところ、右測線No.8の地盤は、後記4(二)、(三)のとおり、難透水性層が連続していることの明らかな位置であるから、難透水性層の不連続によつて浸潤線が上昇し、すべりが発生したとする被告の見解とは矛盾する。
(2) 本件破堤箇所では、前記請求原因第四の三2(三)のとおり、不透水土の旧堤が堤外側に偏在し、他の地点よりも河川水の堤体への浸透をしや断する効果が大きく、また後記4(三)のとおり、不透水性のナメ泥層が、旧堤に接続して、旧堤裏法尻から旧丸池底にかけて一ないし二メートルの厚さで存在していた。したがつて、本件破堤箇所では、外水が堤体及び地盤を通して浸透してくることによる影響は最も小さかつたものといえ、破堤した原因を浸潤に求めることができないことは明らかである。
(二) 乙第三五号証の一には、本件破堤が漏水による破堤とはいえないことの理由として、本件破堤では漏水の一般的形態に沿う事実が存しないと記されているが、右は、調査不十分による事実の誤認に基づくものであつて正当でない。
(1) 同号証のいう漏水の一般的形態とは、堤体漏水又は浸潤の説明であつて、地盤漏水とは関係がない。
(2) 地盤漏水は、堤防の維持管理上重要な問題として、古くから検討されてきたものである。
ところで、本件破堤箇所は、地盤パイピングが発生しやすい特性を有していた。すなわち、本件破堤箇所の堤防地盤は、押掘の一部を埋立てたもので、典型的な漏水地盤であり、現に地盤パイピングが発生していたことなどはすでに請求原因第四の三、2の(一)、(四)で述べたとおりである。さらに、本件破堤箇所を含む一連区間の堤防地盤は、地質的、土質的に地盤パイピングを発生させやすい特性を有していた。すなわち、漏水が問題となる地盤は、ほとんどすべて沖積層の、しかも中下流部の自然堤防地域であつて、それは、地表面近くに存在する河成の堆積物中の粒径の大きく、均等係数の小さい比較的単一粒径の砂礫層が透水層となるからであるところ、右一連区間の堤防はこれに該当している。また、堤内地に地盤パイピングを発生させやすい箇所は、表層の難透水性層の薄い箇所、堤内地地盤に高低差があるときの低湿地、例えば堤防に接近して作られた土取場跡等の窪地であるが、丸池は右のすべての条件を充足していた。
したがつて、本件においては、本件破堤箇所にパイピングが存在したものと想定して破堤原因の検討に入るのが河川工学上の常識に沿う方法である。この観点からすると、現地調査、丸池の生成原因の検討、新堤拡築時の工事関係者よりの事情聴取、新堤拡築後破堤までの異常現象の有無の調査は不可欠で、これらの調査を尽したうえで地盤パイピングがなかつたという確証を得た後でなければ、他の破堤原因の検討に入るべきではない。しかるに、乙第三五号証の一は、本件破堤が地盤パイピングによるものであるか否かについては検討をしていないというに等しく、もしこの点の検討を尽していたならば、地盤パイピングを否定することはできなかつたはずである。
むしろ被告は、丸池地点が過去に破堤の経歴を有すること、丸池がそれによつて形成された押堀であること、したがつて、本件破堤箇所には、地盤パイピングを発生させやすく、堤体の堤内側へのすべり破壊を呼びやすい特異要因が存在していたことなどの明白な事実を故意に無視している。例えば、乙第三五号証の一は、丸池の生成原因について、丸池が押堀であることはほとんど疑いを容れる余地がないにもかかわらず、全く可能性のない他の生成原因を持出して、そのいずれとも確認できないとする。同号証の右の見解は、丸池が押堀であることをあいまい化し、押堀に特有の特異的要因を故意に無視しようとする意図のあらわれであると批判せざるを得ない。
(3) 建設省土木研究所の本件破堤直後の現地調査報告は、地盤パイピングを破堤原因の一としてあげており、正当な指摘といえる。同報告書が他の複合原因として掲げる降雨と洪水の長時間継続は、今回の洪水時に本件破堤箇所を含む一連区間の堤防に全く同様に作用した外力であり、いわゆる一般的要因にすぎないから、結局、本件破堤箇所に固有の特異的要因から導出される破堤原因は地盤パイピングと判断したものと解すことができるのである。
また、同報告書が裏小段に亀裂があることを熟知したうえで、なおかつ、地盤パイピングを破堤原因としていることは、漏水の損傷形態に関する乙第三五号証の一の説明が不正確であることを示すものである。
22について
2のうち、前段の事実は知らないが、後段の事実は否認する。
被告の用いた堤防の安定解析という手法そのものについて、及び乙第三五号証の一、二によつて知られる右解析の具体的方法には、以下(一)ないし(四)に指摘するとおりの難点が存し、右解析によつて得られた結果の正当性は低い。
(一) 安定解析の手法上の限界
堤防の安定解析は、設計施工上の一応の目安を得るために利用されるのが通常であつて、破堤原因を事後的に究明する手段として用いるには、一般的に以下の難点が存する。
(1) 一般に、浸透流解析や安定計算には、現実の複雑な堤防を有りのままの状態で反映させることができない。そこで、計算にあたり、現実には均一でない堤防を均一と仮定したり、土質条件、各種定数や堤防断面をモデル化・単純化せざるを得ず、水の浸透、土の浸潤、土の圧縮などの変化は計算上厳密に盛込むことができない。そのため、いかに計算方法が正確で、かつ最善のものであつたとしても、それは現実の生の堤防の解析結果とは異ならざるを得ない。
(2) 浸透流解析や安定計算においては、各種係数を計測し、これらの係数を基礎として一つのモデル化された堤防を仮定し、この仮定されたモデルを計算の対象としている。しかしながら、各種係数の設定方法は未だ十全のものではなく、例えば透水試験一つをとつてみても種々の困難さが含まれている。そのため、安定計算の結果はしばしば現実と大きな相違をもたらすものであつて、その旨の研究報告や、安定計算の信頼性を不明とする研究報告がなされている。
(二) 堤防・地盤モデルについて
(1) 難透水性層の不連続の堤防モデルについて
本件破堤箇所に難透水性層の不連続が存在しないことは後記4のとおりであるから、これを存在するとする堤防モデルは現実と符合していない。
さらに、被告の難透水性層の不連続のモデル(乙第三五号証の一、五七頁図8―6)は現実と符合せず信用に値しない。すなわち、まず堤外側から延びる上部粘性土について天端直下付近まで存在していたと想定しているが、右想定の根拠となつた乙第三五号証の一の附図である地質断面図断面番号No.6の天端直下の粘性土は堤内側から表小段まで連続して延びているから、右想定は誤りである。また、堤内側からの上部粘性土について堤防裏小段直下まで延びていたと推定しているが、右上部粘性土は堤防天端裏法肩から裏小段肩直下まであつたことが確認されており、さらに堤外側に延び堤防天端付近まであつたと推定できるから、被告の推定は誤りである。
(2) 堤体の断面形状
被告の堤防モデルには、表小段が設けられておらず、犬走り付近から丸池に向つて二〇メートルの平場が作出されており、丸池の深さは2.4メートル余であつて浅すぎる。
(3) 旧堤の存在の無視
被告は堤防の安定解析にあたり旧堤を故意に無視している。ところで、旧堤は不透水性層であつて、破堤箇所では堤外側に偏在しており、天端の高さはTP約9.3メートルであつたから、外水位がTP9.3メートルを越えない限り河川水は浸透しないものである。そして、河川水が旧堤を超えた時間は、九日午前七時から一二時三〇分頃までの五時間三〇分、一一日午前一一時から午後六時三〇分頃までの七時間三〇分、一二日午前〇時から一〇時までの一〇時間の合計二三時間にすぎなかつた。
したがつて、被告の浸透流解析による浸潤線(乙第三五号証の一の図8―9ないし16)は旧堤を度外視した場合の浸潤線であつて、旧堤の存在した実際の浸潤線とは異なつている。河川水の堤体への浸透は、被告の主張するほど長時間継続したものでなく、堤防に対して格別の影響を与えたものではない。
(4) 二次元の堤防モデル
被告の主張によれば、基礎地盤の不透水性層は本件破堤箇所の堤体下のみで欠如していたということである。その欠如部分から堤体へ流入する浸透水は、堤防の横断方向のみでなく、不透水性層の存在する上・下流部へ向つて堤防の縦断方向へも浸透することになる。したがつて、被告のように堤防モデルを二次元的に設定すると、これを三次元的に設定するより堤防の横断方向に流れる浸透量が多くなるといえ、現実よりも浸潤線をより押し上げる結果となるから不当である。
また、被告は、安定計算に用いるすべり面も同様に単に二次元的にしかとらえていないから、現実に発生した椀状のすべり面と比較して、より低い安全率を導き出す結果となつて不当である。
(5) ガマの存在の無視
ガマの存在は、地盤内の水みちに浸透水が集中し流出するため、浸潤線を下げる結果となる。ところが、被告は、本件破堤箇所に存在したことが明らかなガマを無視して浸透流解析を実施したため、現実より高い浸潤線となつている。
(三) 堤防・地盤の土質定数等について
(1) 各種土質定数の採用方法
土質定数を求めるためには、破堤現場の土の状態を可能な限り正確に把握することが肝要であるのに、被告の土質定数の求め方は、ある土質定数については、試験を実施して求め、他のものについては土質試験によらず例えば概略値のみから求めるなど、極めて恣意的で統一性がない。このように異質の方法によつて求められた土質定数を使用してなされた安定解析の結果は、その正当性が減殺されることになろう。
(2) 堤体の透水係数
被告は堤体の透水係数を2×10-3cm/(以下、単位は省略する。)と定めたが、右数値はつぎの諸点より誤りである。
まず第一に、土の透水係数を測定する試験には現場試験と実験室で行う定水位・変水位試験があり、また土粒子の粒径から求める透水係数もあるが、透水係数の確認にあたつては、このうち現場試験の結果を最も信頼性の高いものとして尊重するのが土木工学上の鉄則である。土の透水係数は単に土粒子の粒径のみで定まるものではなく、土の締まり方や細粗粒子の混合状態にも左右されるものであるからである。ところが、現場透水試験の結果は四回とも乾燥密度1.38、透水係数4×10-4を示している(乙第三五号証の二の図4―2)にもかかわらず、被告は全くこれを無視しており、右土木工学上の常識に反する。被告の用いた2×10-3という係数は右現場試験結果に比較して大に過ぎる。
第二に試験方法がずさんである。試験結果が常識的な数値からかけ離れていたり、測定の都度測定値に大幅な開きが生ずる場合、試験過程に何らかの過誤があるものと考えられるところ、被告の行つた室内試験の測定値は、現場透水試験の結果と極めて大きな差異を示し、また測定値に大幅な開きがあり、さらに粒度からみて堤体土は10-3の透水係数を示す砂でないことが明らかであるから、試験結果のうち10-3を示した試験は試験方法に誤りがあつたものとして、透水係数の上で排除すべきものである。また、被告の行つた室内試験は乾燥密度にばらつきがあるが、乾燥密度は透水係数に影響のあるところであるから、室内試験においても乾燥密度は1.38を用いてなさなければならない。
第三に、被告の透水係数の採用方法は全く恣意的なものであつて不当である。すなわち、被告の採用した数値は、四か所の現場試験及び五種の試料を用いた室内試験の合計九試験結果(乙第二二号証の一の図17)のうち、唯一の、しかも最もとび離れ、最も透水性の大きな数値である。そして、右数値は同種の試料であるC1ないしC3を用いた室内試験のうちの一つであり、被告はそのうちC2の結果を採用した。根拠として概略値と一致することをあげているが、平均粒径によつて透水係数を判断することが危険であることはすでに述べたとおりである。むしろ、C1やC3の試験結果は現場試験や他の室内試験の結果とよく一致しているから、C2の結果は最も信頼性が低いのである。したがつて、被告の選択は全く恣意的で不当であり、故意に浸潤線を上昇させるために高透水係数を採用したものといつても過言ではない。
(3) 難透水性層の透水係数
概略値によらず、現場試験により実測すべきであることは前記のとおりであり、また、旧堤の透水係数は新堤よりも数桁小さく実際上ゼロとみるべきであり、またナメ泥の固まつたものの透水係数もゼロとみるべきであるのに、被告は概略値を採用している。このような透水係数の採用のしかたは、解折計算において浸潤線を上昇させるため実際より高い数値を採用したとの謗りを免れない。
(4) 堤体土の強度定数
堤体土の強度定数として内部摩擦角と粘着力を求める場合、一個の試験から両方の値が求められているので、ある試験の結果を採用したとすれば両方の値を一対のものとして採用すべきであるところ、被告は、乙第二二号証の一の表―7によれば、粘着力については圧密排水法の値を採用しながら、内部摩擦角についてはこれによる値を採用せず、圧密非排水法の値の中で最も小さい値を採用しているのであつて、被告の定数の採用方法は恣意的であり不当である。
(四) 現象面との不一致
被告の行つた安定解析の結果は、現実に発生した現象と大きく相違している、これは被告の解析が正確ではないことの何よりの証左である。すなわち、乙第三五号証の一の図8―20においては、0.90を中心点とする円弧が最も安全率が低いから、最もすべりが発生しやすく、しかも、最も時間的に早くすべりが発生しなければならないはずであるのに、右0.90の円弧すべりが現実に発生しなかつたことは被告も認めるところである。
(五) まとめ
被告の行つた安定解析は、以上のとおりの種々の誤りを内包している。以上の問題点に共通して言えることは、外水および透水性基盤内の浸透水が堤体内に浸潤しやすいよう、つまり、浸潤線が上昇しやすいように作為されていることである。これは、被告の破堤原因論の論理構成に明瞭に示されているように、浸潤によつて法崩れが生じたということは安全率が一以下となつたということであるから、安全率が一以下になるようにモデルを想定し、かつ定数を決定したということに原因している。つまり、回答が先にあつて回答より逆算してモデルや定数を決定したということによる。
ともかく、安定解析は仮に基礎式に誤りがなく手法も最善のものを用いていたとしても、その定数如何により全く結論を異にするものである。そのため、浸透流解析は信頼性に乏しいが故に、破堤原因の究明にはなじまず、築堤時の設計施工の目安を得るために用いられているにすぎない。これまでの検討により、被告が恣意的に設定したモデルによつて行つた浸透流解析は、透水係数等の定数に誤りがあるということの外、解析に使用したモデルが破堤箇所に存在した堤防と著しく相違していることが明らかとなつた。特に、旧堤の存在を無視したことは致命的なことである。堤防モデルは堤外側をTP9.3メートルまで不透水性層としなければ浸透流解析はナンセンスな作業と考えなければならない。
したがつて、被告の行つた浸透流解析は、仮に定数の誤りによる影響を度外視したとしても、それは本件破堤の原因を解明することに何の手がかりを与えるものではない。被告の行つた解析は、被告が設定したモデルにおいてはそうなるというだけのことである。
33について
3の主張は争う
外的要因の影響が被告の主張するほど大きくなかつたことは以下に述べるとおりである。
(一) 被告の安定計算の結果をまとめた最小安全率一覧表(乙第三五号証の一の表8―1)によつても、外的要因の影響は、被告が本件堤防に内在したと主張する特異的要因のそれに比し極めて少い。すなわち、河川水位及び洪水継続時間のみを条件として与えた場合の最小安全率は、昭和三六年洪水が1.46、昭和五一年洪水が1.44であつてその差は0.02であり、堤体上の降雨を条件に加えた場合は昭和三六年洪水が1.35、昭和五一年が1.30でその差は0.05であるから、降雨だけの影響についての差は0.03である。ところで、堤体の安全率の計算上0.02ないし0.05という程度の数値は、安定計算が厳密解を求めるのでなく一応の目安を得るために用いられているにすぎないことを考えれば、むしろ誤差の範囲内の差である。一方、右の表において、難透水性層の不連続という特異的要因が最小安全率を0.37又は0.4低下させていることに比べると、外的要因の影響は非常に少いことが明らかである。
(二) 本件破堤箇所を含む一連区間中には、不透水性の旧堤コアの存在しなかつた部分もあつたが、破堤もはらみ出しもなかつたし、本件破堤後も二四時間にわたつて警戒水位以上の高水位が継続した墨俣水位観測所付近でさえ破堤しなかつた。これらの堤防は本件破堤箇所が破堤までに受けた外的要因の影響よりはるかに大きい影響を受けたことは明らかである。しかるに、これらの堤防が破堤しなかつたということは、被告が声高に主張する外的要因の影響が現実には被告がいう程には大きくなかつたことを証明している。また被告は、外的要因の影響の甚だしかつたことの例証として、茶屋新田その他多数の箇所で長良川の堤防が被災したことをあげているが、単なる堤防の損傷と破堤との間には質的な相違があり、被告の右主張は、かえつて、昭和五一年九月降雨、洪水程度の外的要因では、ある程度堤防に損傷を蒙る箇所はあつても、瑕疵さえなければ容易に破堤するものではないことの有力な証明を与えているものである。
(三) なお、被告は、堤体上の降雨を考慮した模型実験を行つている(乙第三五号証の一の図8―3)。しかしながら、右実験には次の問題点がある。
(1) 降雨があつた場合と無かつた場合の実験をしていないため降雨が堤体内の浸潤にどのような影響を及ぼすかが明らかになつていない。
また、同一強度の降雨を継続して降らせたのみであるため、この実験によつては、降雨の中断や降雨に強弱をつけた場合の堤体に与える影響は全く確認できない。
(2) 次に、乙第三五号証の一の図8―3で示される外水位(W―O線)の一部が破線で示され、一部が空白となつている。その意味は同号証には触れられていないが、実験中に測量機が故障したためであるとの証言がある。そうだとすると、まことにずさんな実験といわざるをえない。このような場合には再度実験を行うのが科学的常識であろう。
(3) 外水位の不明な時間内の各浸潤線の動きは、この実験からは判断できないが、少くとも、右実験の各浸潤線の動きから、浸潤線は外水位の低下に即応して低下するものであることがわかる。
さらに、経過時間三五時間目頃からは、連続して同一強度の降雨があつたにもかかわらず、各浸潤線は下降しているのであるから、降雨が浸潤線の上下に寄与する度合は、外水位の変動によるそれに比し、著しく少いものである。
(4) 結局、この実験は、浸潤線の上昇に対して降雨が与える影響いかんを全く示しておらず、むしろ、堤体内の浸潤線の変化は外水位の変化と高い相関を示すということを明らかにしたものにすぎないというべきである。
44について
4の主張はすべて争う。
被告は、本件破堤箇所の堤内外残存地盤の難透水性層が堤内側と堤外側とで段差を成していることから、本件破堤箇所の地盤に難透水性層の不連続があつたと推定できる旨主張し、右不連続の原因としては、乙第三五号証の一によれば、堤外側粘性土の下にある砂が自然堤防的に堆積し、堤内側粘性土が後背湿地的に堆積した旨主張するもののようであるが、右主張は以下に述べるとおり全く理由がない。
(一) 地層分布推定の方法
被告は、ボーリング結果において本件破堤箇所の堤内外残存地盤の難透水性層に層相、層厚並びに標高差のみられることを、難透水性層の不連続を想定する根拠としている。
しかし、点の情報にすぎないボーリング結果だけから地層の分布状況を解明することはできない。地層分布の推定は、ボーリング結果という点の情報を、ボーリング実施地域の堆積環境やボーリング地点の微地形的土地条件等の堆積条件、さらに土地利用状況などの面の情報と組合わせ、その結果を面的な地層分布としてさらに推定していくのが正しい方法である。したがつて、被告の右主張はその方法において不十分である。
(二) 連続・不連続の推定
被告は、本件破堤箇所の模式断面図(乙第三五号証の一、三二頁図5―7)に基づき、堤外の上部粘性土の下にある砂が自然堤防的に堆積し、堤内側粘性土が後背湿地的に堆積したものとして、堤外上部粘性土と堤内上部粘性土との不連続を理由付けようとしている。しかしながら、被告のいう自然堤防・後背湿地的堆積の理論が難透水性層の不連続を説明できず、むしろこれが連続していることを示すものであることは以下に述べるとおりである。
(1) 上部粘性土と土地条件等との対応関係
まず、各ボーリング地点における上部粘性土の位置は図15<略>のとおりであつて、これを右各地点の土地の利用状況から整理すると表17のとおりである。右表17によれば、丸池部分の上部粘性土の位置が最も低く、堤内田及び堤防部分の上部粘性土はほぼTPマイナス二メートル前後から、堤外畑部分の上部粘性土はTPマイナス2.5メートル前後から始まつていることがわかる。
(2) 本件破堤箇所付近一帯の上部粘性土の分布
自然堤防・後背湿地的堆積は、河川に沿つた拡がりのあるものであるから、本件破堤箇所だけでなく、その上・下流側の地層をも検討の対象とすべきである。そこで丸池以外のところの地層をみてみると、前記(1)のとおり堤外側砂の上端よりも堤内側上部粘性土の上端の方が高いところにある。したがつて、堤外側砂が自然堤防で堤内側上部粘性土が同一時代の洪水によつて形成されたこれに対する後背湿地であるとする被告の主張は、自然堤防は後背湿地よりも高所にあるという定義に反し誤りである。
前記(1)によれば、堤内側上部粘性土のうちのTP二メートル前後より上の部分と同じ洪水によつて堆積した部分は、堤外の砂の上にある堤外側上部粘性土と考えられるのであつて、現にいずれの上部粘性土も砂分の混入があつて層相も等しい。したがつて、堤外側上部粘性土と堤内側上部粘性土は連続している。砂堤によつて流失した部分以外は堤内外の上部粘性土が連続していることは被告も認めているところである。
(3) 本件破堤箇所(流失箇所)の上部粘性土の分布
被告の地質調査結果によれば、すなわち、乙第三五号証の一の附図に乙第二二号証の一の図7ないし10を重ねて考えると、堤内外上部粘性土の連続・不連続が未だに確認されていない範囲は縦断方向で右附図の測線No.6と同8の間四〇メートル、横断方向で堤防天端裏肩直下から裏小段肩直下までの一三メートルの範囲となる。そして、右範囲は新堤築堤前の旧丸池の一部である。
表17
① 上部粘性土の下端の高さ
位置・標高(T・P)
土地利用状況
ボーリング地点No.
マイナス約六ないし
マイナス約三・五m
丸池
11、12、13、15
マイナス約三m
堤内田
19
マイナス約二・五ないし
マイナス約二m
堤防
6、7、2、22、23
堤内田
3、24
マイナス約一m
堤内田
(塀潰れの向きが周辺と逆
で堀潰れの密度が小さい)
8
マイナス約〇・五m
丸池(堤内田との境)
14
約二ないし約三m
堤外畑
1、4、9、10、16、17、18、20、21
②上部粘性土の上端の高さ
マイナス約一・五ないし
マイナス約二m
丸池
11、13、14
(13、14はスケッチとボーリングより)
約三m
堤防
7
堤外畑
21
三・八m
堤内田
3、8、14、19、24
(地盤の標高による)
約四ないし七m
堤外畑
1、10、17、20
前記(1)によれば、本件破堤箇所付近一帯の上部粘性土のうち、旧丸池部分の上部粘性土だけが低く位置しており、旧丸池部分だけがいわば凹みがある形となつている。この凹みは、上部粘性土の下の砂と海成粘土とが凹まずに境界をなしていることから、砂層が洗掘され、その砂の上に上部粘性土が堆積したものである。
ところで、旧丸池が押堀で、その部分の上部粘性土がナメ泥であることは後記(三)のとおりであるが、被告はこれを否認し、丸池部分の上部粘性土は後背湿地的に堆積したものであると主張している。右被告の主張を前提とすると、後背湿地的堆積では、堆積地域全域にわたつてシルトあるいは粘土が平坦に堆積するのであるから、堆積前に凹みのある所は凹んだ形をして他の部分と連続してシルト、粘土が堆積することとなる。したがつて旧丸池部分の上部粘性土は他の堤内側上部粘性土と同一洪水で形成された堤内側上部粘性土の一部分を成しており、前記(2)のとおり堤外側上部粘性土とも連続していることになる。
(三) 難透水性層の不連続についての見解
(1) 丸池が押堀でそこにナメ泥の堆積があること
ボーリング結果によれば、丸池堤内側の部分(図15のNo.14地点)の砂が他の部分の上部粘性土の下端よりも高い位置にあるが、これは破堤によつて洗掘された所にさらに砂が堆積したものと考えられる。また旧丸池部分、堤内側部分のうちで、No.11の地点のみが砂、上部粘性土という地層配列になつているが、これはいつたん形成された旧丸池が破堤によつてさらに砂の堆積をみたものと考えられる。以上の事実はいずれも丸池が押堀であることを裏付けている。
次に、旧丸池の上部粘性土は、No.11の地点を除き、砂分の混入がない点で、その他の堤内側上部粘性土と層相が異なつている。
また、No.11、12、13、15の各地点の上部粘性土はN値が3以下で軟弱地盤に該当し、そのうちNo.11、15の地点の上部粘性土には異臭を発する旨の観察が得られており、この異臭は有機物が嫌気性分解されて発生するものである。以上の事実に、No.11、12、13、15の各地点が丸池内に位置し、旧丸池の深部に該当すること等を考えると、右上部粘性土が旧丸池の形成後に池の水中有機物が沈澱堆積し、その有機物が分解して生じた泥すなわちナメ泥であることは明らかである。
(2) 上部粘性土の分布
本件破堤箇所の堤体の中には旧堤が堤外側寄りに包み込まれており、その旧堤裏法堤脚は最も堤外側へ湾曲したところでも新堤堤内側天端肩直下付近まで及んでいた。前記ナメ泥層は旧堤裏法堤脚部から旧丸池底にかけて堆積し、これが新堤拡幅の際に狭み込まれたものである。
したがつて、後背湿地的堆積による堤内側粘性土は旧丸池部分では流失しているが、この流失部分にあつては、ナメ泥である上部粘性土が存し、堤防天端直下に至り旧堤基盤部分と接していることとなり、結局難透水性層は連続している。なお、右流出部分の粘性土の状況は、乙第二二号証の一の図9で確認された露出した上部粘性土(地底)堤外側端にあたる裏小段肩直下からボーリングNo.13とNo.12の上部粘性土の下端を結んだ線を堤外側に延長させて推定できる。
(四) 資料の信用性
被告の主張する堤内外上部粘性土の不連続について、これを推定させうる資料は、乙第二二号証の一の図10において、上部粘性土が砂に指交状に変化しているスケッチだけである。しかし、右資料は、以下に述べるとおり信用できない。
(1) 乙第二二号証の一は、その重要な部分において被告の都合のよいように虚偽の作為があり、乙第二二号証の一の信用性は低い。まず、図8の池水位が虚偽である。つぎに、地質断面図測線No.7のうち、ボーリングNo.13及び地底露頭並びにボーリングNo.11、15の各位置が、いずれも、真実よりも堤内側に五メートル以上離して記載され、この点も虚偽がある。また、同図測線No.6の堤防天端下の上部粘性土は、堤内側から連続し、幅も堤防表小段から裏小段にかけて存在するのに天端中央より表法側は全く記入されていない。
(2) 乙第二二号証の一、二には、右図―10の外、スケッチのとき撮影した写真、立面図も添付されていない。上部粘性土が砂に変化しているという重要な事実が観察されたなら、当然、写真撮影がなされるのが当然であるし、また、右部分は垂直に近い崖を成していたのであるから、より判読しやすい立面図があつて当然であるのにこれらは添付されていない。また、同図―8では、天端下にあたるという右変化の場所が、図―10では、表法に記されているが、ここにもくい違いがみられる。
(3) なお、粘性土と砂とが指交状に変化しているという場所は、乙第二二号証の一の図7、8、10を重ねあわせると、旧堤にあたる所である。
(五) まとめ
以上のとおり、被告のいう形成原因からは、本件破堤箇所の上部粘性土は堤内外で連続しているというべきである。より重要なことは、本件破堤部付近一帯の上部粘性土は後背湿地として一様に堆積し連続した地層を形成しているということであり、その中で、本件破堤箇所は過去の破堤により他と同様に平坦面を形成していた旧丸池部分の表土が洗掘され、そこにナメ泥層が堆積し、その上に新堤が築堤されたものであつて、この意味での地盤の特異性(弱点)が存在したのである。被告のいう難透水性層の標高差が丸池内地点付近と堤外側地点との間のそれを指しているというのであれば、それは結局このことを示しているにすぎないのであり、被告はこれをすりかえて「難透水性層の不連続」なる架空の推論を展開しているのである。
このように、乙第三五号証の一が難透水性層の不連続という要因を仮定するに至つたのは、本件の「破堤誘因」は浸潤であるとの結論(これが誤りであることはいうまでもないが)をまず持ち、これを前提として検討を進めたからにほかならない。そして、浸潤によつて破堤するというためには、計算上あるいは実験の結果、地盤の難透水性層に不連続が存在すると都合がよい(安全率が一以下になる。)ので、不連続が存在したはずであると主張しているにすぎないのである。このように、被告の右推論の筋道が、確認された事実から出発したものではなく、結論がまず先にあり、その結論を裏付けるために都合のよい条件の存在を仮定しただけのものであるという点に留意する必要がある。このような事実の裏付けのない、かつ、被告の形成原因論自体にも反する机上の推論が全く説得力を持たないことは明白である。
二 二について
1冒頭の主張について
昭和五一年九月豪雨・洪水は異常なもので、これを事前に予測することが不可能であつた旨の被告の主張は争う。(一)に述べるとおり、昭和五一年九月豪雨・洪水は既往の洪水と比べて異常なものではなく、また(二)に述べるとおり被告の比較検討方法には誤りがあるから、被告の右主張は理由がない。
(一) 昭和五一年九月降雨・洪水の規模
河川計画あるいは防災の観点から気象現象をとらえる場合、問題となる気象現象(特に降雨)は主として範囲が二〇〇キロメートル以上に及ぶことなどから、特定流域、特定地域の気象現象をミクロにとらえるのではなく、地域特性、降雨特性の近似する他の流域、地域での現象をも検討の対象としたマクロな視点からの把握が必要である。
ところで、揖斐川、長良川の上流域
表18
<明治29年9月降雨>
9/3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
計
長良川流域
岐阜
0.2
34.6
10.4
323.7
151.4
225.2
109.8
107.7
51.7
―
1,014.7
八幡
―
78.3
57.7
175.2
126.0
137
96.3
90.5
54.1
―
※815.1
白鳥
―
59.1
17.3
186.4
114.2
99.7
177.4
135.4
51.9
―
※841.4
葛原
―
126
20.0
334.1
163.1
146
154
164.5
59
―
1,166.7
上有知
―
68.3
50.8
178.5
144.8
156.2
79.5
71.6
66
―
815.7
北方
0.5
46.8
5.0
317
16
15.1
84.6
120
49
―
654
高富
―
56.4
13.9
224.8
148.6
194.3
102.9
85.3
50.5
―
876.7
揖斐川流域
徳山
18.0
37.2
41.7
231.2
302.3
83.7
250.3
97.7
45
52.3
1,159.4
長嶺
115.9
95.6
55.3
329.4
186.3
114.4
262.7
122.5
62.1
―
1,334.2
揖斐
―
93.8
28.1
292
173.5
82.4
117.1
81.1
80.0
―
948
関ケ原
13.3
23.7
1.5
318.2
245.5
75.6
162.8
153.3
113.3
―
1,107.2
垂井
―
12.7
63.5
76.2
269.2
106.7
114.3
181.1
163.8
68.6
1,056.1
高田
7.3
42.0
2.2
261.6
233
118.5
148.8
94.7
57
―
955.1
<昭和51年9月降雨>
9/8
9
10
11
12
13
14
計
長良川流域
岐阜
220
201
64
182
165
6
1
839
八幡
138
301
33
397
163
40
19
1,091
白鳥
131
189
161
226
81
71
50
909
葛原
287
86
430
175
31
120
―
1,129
美濃
145
221
18
269
181
4
2
840
大日岳
141
162
308
195
91
159
119
1,175
白根山
65
195
65
226
95
19
27
692
蕪山
151
181
155
242
108
76
40
953
板取
255
115
272
215
61
129
―
1,047
揖斐川流域
揖斐川
246
63
291
120
49
120
―
889
関ケ原
124
128
215
138
92
40
2
739
東横山
173
82
213
57
46
104
―
675
樽見
159
154
237
129
92
155
25
951
大垣
131
123
69
317
116
62
6
824
は、山岳地帯の斜面が南側に面して形成され、湿つた南風が吹きつけることにより大雨が降りやすい条件を備えており、日本有数の多雨地帯のひとつ、世界的な多雨地帯となつているところ、右両流域は距離的に近接し、大雨発生の地形的条件が共通しており、台風と前線に伴う降雨について区別できるほどの地域性は認められない。したがつて、長良川流域の降雨量を考える際には、揖斐川流域の降雨量も参考にすることが必要である。
以上の考え方を前提として、昭和五一年九月降雨・洪水と明治二九年九月降雨・洪水を比較すると以下のとおりであつて、昭和五一年九月降雨・洪水が異常なものでなかつたことは明らかである。
(1) 気象現象の共通性
昭和五一年九月降雨と明治二九年九月降雨とは、いずれも、九州付近で台風の進行が遅くなり、停滞気味に推移したこと、及び前線が日本の中部に東西にわたつて長く停滞し、進行の遅い台風が停滞している前線を刺激することによつてもたらされた大雨であつて、双方の気象条件は共通している。ただ、降雨の中心部が三〇ないし五〇キロメートルずれていたのみである。
(2) 降雨量と継続日数
昭和五一年九月降雨と明治二九年九月降雨の長良川、揖斐川両流域における観測所の日雨量、継続日数、総雨量を比較すると表18のとおりで、これによれば一雨の総体の降雨量としては明治二九年九月降雨の方が多いことは明らかである。したがつて、昭和五一年九月降雨は、気象観測が始まつた約九〇年間においてさえ、既往降雨をはるかに上回る豪雨ではなく、むしろこれを下回る規模の降雨であるといいうる。
(3) 洪水継続時間
明治二九年九月降雨の長良川の洪水継続時間は、右に述べた降雨量及び降雨継続期間から、昭和五一年九月洪水を上回るものと推定される。
明治二九年九月洪水においては、岐阜測候所において、七日から一一日まで五回の警報を発した旨の記録がある。また、明治二九年九月降雨につき、岐阜測候所の実測降雨記録及び穂積村量水所の水位をグラフにすると表19のとおりである。以上によれば、降雨と洪水継続時間及び洪水波形とは極めて相関性が高く、明治二九年九月洪水はいわゆる一山の洪水でなく、数山に及ぶ洪水の高低があつたものと考えられる。
したがつて、昭和五一年九月洪水は、洪水継続時間、洪水波形についても決して既往最大の洪水でないことが明らかである。
(4) 堤体上への降雨と河川水位との重複
表19によれば、明治二九年九月洪水において堤体上への降雨と河川水位との重複が数回に及んだことが明らかであり、この点につき過去の洪水例にみられなかつたとする被告の主張は失当である。
(二) 被告の比較検討方法について
(1) 降雨パターン検討の欠如
前述のとおり、長良川、揖斐川両流域を全体としてみれば明治二九年九月降雨の方が大規模であつたといえ、昭和五一年九月降雨は岐阜県の典型的な豪雨パターンのひとつであつて、未曽有のものでも、予測しえないものでもなく、十分に予測することが可能であつた。
被告は、かかる明治二九年九月降雨についてその降雨パターンや規模の検討をことさら回避している。
(2) いわゆる昭和三大洪水との比較について
被告は昭和三大洪水との比較において昭和五一年九月降雨・洪水の異常性を強調する。しかしながら、昭和三大洪水は、あらゆる観点から既往最大の洪水であつたわけではない。降雨、洪水を個別的な観点、要素からみれば、昭和三大洪水を上回る日雨量、最高水位の降雨、洪水が昭和三大洪水以前及び同洪水以後に存する。したがつて、このような昭和三大洪水との比較に終始することは無意味なばかりか、恣意的であるといわねばならない。
21について
前段のうち、原告らの主張する調査報告の内容は認める。後段の主張は争う。この気象現象は、太平洋高気圧の外縁を北西進する南東気流と台風の外縁を北上する南風との収束によつて本州に例外なしにもたらされる豪雨で早くから指摘されている典型的豪雨型であつた(昭和五一年異常現象調査報告第一号、異常気象調査報告一頁参照)。予測不可能ではない。
32について
(一) (一)の主張はすべて争う。被告のなした既往降雨との比較は以下の問題点があり、被告の右主張は理由がない。
(1) 被告は、長良川忠節地点上流の流域平均の降雨量について検討している。しかしながら、一般に、流域平均の降雨量を正確にとらえるには観測地点が偏らず、豊富であることが必要であり、誤差を一〇パーセント以内におさえるためには七〇平方キロメートル当り一か所の観測所が必要と考えられているものであるところ、被告は、一九八五平方キロメートルの流域面積をもつ長良川について、忠節地点上流の流域平均雨量を、白鳥、八幡、葛原、美濃、岐阜の五つの観測地点の資料のみによつて算出しているものであつて、このような方法はそもそも手法として問題があり、算出された数値の信頼度は極めて低いというべきである。
(2) 被告は、日雨量から四日雨量までをとりあげて検討している。しかし、既往降雨を検討する目的は、それを防災の観点から河川計画等に反映させることにあり、このような観点からすれば、単なる特定流域、地域における降雨量の比較では不十分であるが、仮に特定流域における既往降雨との比較をする場合、何よりもまず既往降雨を総合的にとらえるべきであり、総雨量が検討の対象とされねばならない。そして、少くとも既往降雨の総雨量程度の降雨量とそれによる洪水を前提にした河川管理が要求されるとの考え方によれば、既往降雨の総雨量以下の雨量で破堤することがあつてはならない。したがつて、本来的に比較すべきは、既往降雨の総雨量と本件破堤時までの降雨量なのである。被告の主張する如き単純な各日雨量の比較はほとんど意味がないばかりか、特定の降雨の一面のみを恣意的に強調する結果となる。
なお、本件破堤時までの降雨量と明治二九年九月降雨の総雨量を比較すれば、後者が前者を上回る規模であることは明らかである。
(二) (二)の主張は争う。被告は再現期間の計算によつて、昭和五一年九月降雨・洪水の異常性を印象づけようとしている。しかし、再現期間の計算は、被告も述べるとおり、過去の資料を統計処理してなされるのであり、その根本的目的は統計数理に基づく理論上の結論をいかに実際に生じる事象に合致させるかにある。しかるに、被告の計算結果は全く現実と合致しておらず無意味な数字にすぎない。すなわち、例えば表15及び乙第三五号証の一の表7―2によれば、四日雨量につき、明治二六年八月には再現期間四三年の降雨があつたが、現実には、三年後の明治二九年七月にはこれを大きく上回る降雨があり、さらに明治二九年九月には再現期間二四八年の降雨があり、そのわずか八〇年後の昭和五一年九月にはこれをはるかに上回る再現期間の降雨があつたとされているのであつて、全く現実の現象と合致していない。
また、一般に被告の採用した対数正規分布法も含め、確率モデルに基づく議論の有効性には一定の限界があるといわれており、確率分布の端の方(再現期間の大きな部分)についての理論上の結論を現実にあてはめることや資料の分布する範囲を越えてまで資料内の傾向を拡げてゆくことは危険であると指摘されている。被告はこの危険性を無視し、結局実際と全く異なる理論上の結論を導き出しているのであり、その計算結果は無意味というほかない。
さらに、被告は、再現確率の計算に際し既述のとおり、揖斐川流域の降雨資料、岐阜地方気象台の降雨資料を除き、総雨量を比較することをせず、また、現実の浸透、浸潤の態様を示していない浸透能、浸潤域ファクターを用いる等各種指標を恣意的、もしくは再現期間を長くすべく意図的に採用している。仮に、再現期間の計算方法自体に誤りがないとしても、指標の採用が恣意的もしくは意図的になされれば、計算結果の信頼性はもはやないに等しい。現実には、明治二九年九月以降昭和五一年九月までの約八〇年間に、同程度の降雨、洪水が二回生起しているのであるから、降雨量の再現期間が六〇四八年であるとか、浸透能ファクター、堤体上の降雨の複合確率が三千数百年に及ぶなどという計算は極めて非現実的、非常識なものといわねばならない。
43について
(一) (一)の主張は争う。被告は、洪水継続時間、浸透能、浸潤域ファクターについて、昭和五一年九月洪水といわゆる昭和三大洪水とを比較しているが、これらの検討においては、観測期間中の既往最大と思われる明治二九年九月洪水が比較の対象とされていないから、その結論は既往洪水との比較という問題としてはほとんど意味がない。
(二) (二)の主張は争う。その理由は前記3(二)と同様である。
54について
(一) (一)の主張は争う。昭和五一年九月降雨の岐阜における総雨量は八三九ミリであり、他方明治二九年九月降雨においては1014.7ミリであつて、後者が前者を大きく上回つている。岐阜における降雨の比較をそのまま本件破堤箇所における降雨の比較とするには問題があるとしても、岐阜は本件破堤箇所に最も近い観測所であるから、岐阜における降雨量から本件破堤箇所の降雨量は容易に推定しうる。
(二) (二)の主張は争う。その理由は前記3(二)と同様である。
65について
昭和五一年九月降雨・洪水が長良川の堤防に対して予測できない異常な作用を与えたとの主張は争う。
三 三について
被告の主張はすべて争う。被告は、被告のいう難透水性層の不連続なるものを事前に調査し、予測することは困難であるという、被告のいう右の難透水性層の不連続が本件破堤の要因とみうるか否かはさておいて、被告の右主張は、「丸池」が堤防決壊によつて形成されたいわゆる「落堀」であること、本件破堤箇所がいわゆる「切所」と言い伝えられてきた場所であること、本件破堤箇所の堤防が「丸池」の一部を埋立てて築堤されたこと、さらに、「丸池」の残存部分が埋立てられずに堤防に接して放置されていることなどの、本件破堤箇所の特殊性を無視し、埋没化しようとする立論であつて不当である。
また、被告は、基礎地盤のこのような態様が堤体の浸潤に大きく影響することはこれまで認識されていなかつた旨主張するが、堤防直下の地盤の地層の違いが堤防の安定に影響をもたらすことについては既に研究され、また経験的にも知られていたことであつて、被告の右主張は失当である。
四 四について
被告の主張はすべて争う。
(証拠)<省略>
理由
第一 当事者
一 原告ら
昭和五一年九月一二日午前一〇時三〇分頃、岐阜県安八郡安八町大森地先の長良川右岸33.8キロメートル付近(以下本件破堤箇所という。)において、長良川の右岸堤防が決壊し(以下本件破堤という。)、流出した河川水によつて同郡安八町及び墨俣町の一部が浸水したこと(以下本件災害という。)は、時刻の点を除き当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件破堤時刻が同日午前一〇時二八分頃であつたと認められる。
そして、<証拠>を総合すると、原告冨田幸子、同冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子(原告番号二―237ないし240、以下原告番号を表示するときは単に番号のみを表示する。)を除くその余の原告ら(但し、別紙相続関係一覧表記載の原告らについてはそれぞれの被相続人ら)並びに亡冨田智太郎は、原告渡辺幸子(一―84)及び同白石寛(四―250)を除き、本件破堤当時、同郡安八町内に居住していた者又は同地内に資産を有していた者で、後述のとおり本件災害又は水防活動による被害のあつた者であることが認められる。
しかしながら、原告渡辺幸子及び同白石寛については、同原告らが本件破堤当時、安八町内に居住していた、又は同地内に資産を有していたとの事実は、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りず、したがつて、その余の点につき判断するまでもなく、同原告らの本件各請求はいずれも理由がないことが明らかである。よつて、以下、右の原告渡辺幸子及び同白石寛の両名を除くその余の原告ら(以下単に原告らという。)の本件請求について検討する。
二 被告
請求原因第一の二の事実は当事者間に争いがない。
第二 長良川及び本件破堤箇所付近(破堤箇所を含む、以下同じ。)の概況
一 長良川流域の概況
被告の主張第二の一の事実は、流域面積、幹線流路延長、山地面積及びその全流域に占める割合を除き当事者間に争いがなく、右流域面積、幹線流路延長、山地面積及びその全流域に占める割合が被告の主張のとおりであることは、<証拠>によつて認められる。
また、<証拠>によれば、次の事実が認められる。
濃尾平野は、かつて現在の伊勢湾を含む大きな海湾であつたもので、木曽三川等の諸河川により海に流送される土砂によつて形成された沖積平野である(以上の事実は当事者間に争いがない。)が、同平野においては西部が沈降し、東部が隆起する濃尾平野構造盆地運動が第三紀中新世の中頃から現在まで継続していること及び木曽三川のうち木曽川の砂礫堆積量が最大であることに起因し、同平野は東高西低の地形で、その西部は低湿地となつている。
ところで、一般に、沖積平野の中心部には河川の氾濫の結果として河川に沿つてやや標高の高い自然堤防が生まれ、その後方には標高の低い後背湿地が形成される場合が多く、この自然堤防は集落や畑として、後背湿地は水田として利用されるのが通常であるところ、濃尾平野の大半も右自然堤防あるいは後背湿地の地形となつている。そして、同平野においては、木曽三川が、過去幾度も河道を変えながら、低湿地である同平野西部に集まり、明治中期以前までは互いに網状に連なつて流下していた(以上の事実は当事者間に争いがない。)から、自然堤防は島状にかつその外周部に環状に形成されたのであり、濃尾平野に独特な輪中堤は、主に右のような自然堤防を基礎としてその上に、集落、農耕地を囲むように築造されたものである。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
二 長良川の治水
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
1明治時代以前(輪中堤の形成)
歴史上の最古の洪水は奈良時代にさかのぼり、そのころの治水工事は自然堤防に土をかきあげた小さな堤であつたと推定されているが、やがて、上流側に凸な半円形をした尻無堤といわれる堤防が造られるようになり、鎌倉時代末期には、木曽三川の下流地方で、高潮による水害の防止のため、新たに下流側に凸に堤防が造られ、これが右尻無堤と一体となつて環状の輪中堤が形成された。
その後、他の周辺地域の尻無堤も徐々に輪中堤へと変つていつたが、特に、慶長一三年(一六〇八年)に木曽川左岸の犬山から弥富までにいわゆる御囲堤といわれる大連続堤防が造られ、その結果、木曽川の洪水が長良川、揖斐川流域の低平地部へ流入することとなつた(以上の事実は当事者間に争いがない。)ため、輪中堤の形成は増加し、江戸時代はその最盛期であつたといわれている。
しかしながら、右御囲堤の築堤、輪中堤の増加等により、洪水時の流出土砂等が河川の中に堆積することとなつて河床が上昇し、また洪水が河道に集中することとなり、この結果洪水位の上昇をもたらし、破堤による水害の発生に加え、輪中内に降つた雨水の排除の困難化による農作物の被害が増加していつた。このため宝暦五年(一七五五年)、洪水の疎通をはかるため木曽三川の分流を意図したいわゆる宝暦治水工事などが行われたうえ、輪中においても、堤防の補強に加え、堤内地の水田を盛土して高くした堀田が造られていった。
なお、長良川では、天文三年(一五三四年)、慶長一六年(一六一一年)、寛永八年(一六三一年)、寛政一〇年(一七九八年)、文化八年(一八一一年)の各洪水(以上の事実は当事者間に争いがない。)を始めとして、多くの洪水があり、堤防は破堤し、多くの死者と甚大な被害が発生したことが記録に残されている。
2明治時代以降
明治に入ると、近代的な土木技術の導入された国の直轄事業として主要な河川の改修が行われるようになり、長良川を含む木曽三川に対しても次の改修工事が行われた。
(一) 明治二〇年に木曽川下流改修計画、いわゆる明治改修が策定され(この事実は当事者間に争いがない。)、これに基づき同年から同四四年にかけて、木曽三川下流部を対象とし、木曽三川を分流して洪水を速やかに流下させることなどを主な目的とする改修工事が実施されたが、右改修の基本となつた長良川の計画高水流量は毎秒一五万立方尺(四一七〇立方メートル)と定められていた。
なお、この間長良川において、明治二一年、同二六年、同二九年(七月及び九月)、同三六年、同三八年、同四三年に洪水が発生し(以上の事実は当事者間に争いがない。)、特に同二九年の二度にわたる洪水は被害が大きかつた。
(二) 大正一〇年、木曽川上流改修計画が策定され(右事実は当事者間に争いがない。)、同年から二〇年間にわたり、前記明治改修に続く木曽三川の上流部を対象とする改修工事が行われたが、右改修の基本となる長良川の計画高水流量は、前記明治二九年の洪水を基準として毎秒一六万立方尺(四四四五立方メートル)に改訂された。
(三) 昭和二八年、木曽川改修総体計画が策定された(右事実は当事者間に争いがない。)が、これは第二次世界大戦後の河川及びその流域の荒廃等を契機とした全国主要河川の改修計画の再検討により、従来の上下流別の改修計画を一本化したものであり、なお長良川の計画高水流量は毎秒四五〇〇立方メートルに改訂された。
右計画に基づき、長良川において河道掘削、しゆんせつ、堤防補強等の改修が実施されたが、改修途上である昭和三〇年代半ばに、昭和三四年九月、同三五年八月及び同三六年六月にいずれも計画高水流量を大幅に上回る大洪水が相次いで発生し、上流部に氾濫による大きな被害が発生した。
このため、昭和三四年九月及び同三五年八月の両洪水を主要な対象洪水とし、岐阜市忠節地点における基本高水流量を毎秒八〇〇〇立方メートル、そのうち毎秒五〇〇立方メートルについては上流部のダムによつて洪水調節を行い、河道の計画高水流量を毎秒七五〇〇立方メートルとする大幅な流量改訂が行われた。
(四) 河川法一六条に基づく現在の木曽川水系工事実施計画においては、前記計画高水流量に対処できるように堤防の嵩上げ、腹付等の堤防の補強を行うとともに、河積の不足する箇所の掘削、築堤を実施して河積の確保を図り、さらに内水対策として、地区内の湛水被害を軽減するため排水機場の増設を図つてきている。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
三 本件破堤箇所付近の概況
1地域的特性
<証拠>を総合すると、本件破堤箇所は、岐阜県安八郡安八町大森地先の長良川右岸33.8キロメートル付近(33.8キロメートル距離標より九九メートルから一七九メートル上流までの区間)に位置し(図16<略>のとおり)、前記一のとおり濃尾平野に一般的な自然堤防・後背湿地の地形を有する地域であること、安八町はかつての森部、中村、大明神、中須、北今ケ淵及び結の各輪中を包含し(この点は当事者間に争いがない。)、本件の破堤箇所付近はこのうち森部輪中に含まれるが、この森部輸中堤は、慶安三年(一六五〇年)の洪水の復旧工事の施行により、森部、南今ケ淵、大森、氷取、善光、大野及び南条の七か村の懸廻堤を完成したものであるといわれていること(森部輪中が右七か村を含むことは当事者間に争いがない。)、なお、本件破堤箇所とその近傍の状況は図17のとおりで、小字名を畚場といい、堤内側に堤防に接して通称丸池と呼ばれる池が存在していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
2丸池の生成原因について
<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 一般に、堤防が決壊すると、これにより流入した洪水によつて、堤防地盤及び堤防直近の堤内外地が洗掘され、その洗掘部に湛水部、いわゆる落堀(押堀とも表記される。)が形成され、さらに堤内側後背部に主として砂からなる微高地、いわゆる砂入が形成されるものであるところから、過去に破堤した箇所の地形は次のような特徴を有していること、すなわち、(1)輪中の土地の利用形態としては相対的に地盤の高い堤防付近に住居、畑が存するのが一般であるところ、堤防直下の堤内側若しくは堤外側、又は堤内外の双方に、池あるいは田の低地が存し、堤防から離れた後背地に住居、畑が存すること、(2)堤防は直線的であるのが一般的であるが、落堀を避けて堤防を再築するため、堤防が弧を描き湾曲していること、(3)破堤によつて堤防寄りが最も激しく洗掘されるため、落堀が堤内側に池として存続する場合は堤防近くに最深部があること、(4)落堀にはガマが存在することがあること、(5)落堀及び砂入の形成によつて従来の田畑の区画が乱されるため、その周辺部とは田畑の区画割が不協和なものとなつていること、(6)砂入によつて水田の地盤が高くなるため、堀田の掘削部すなわち堀潰れの密度がその周辺と不協和な形となること、また、堀田の方向がその周辺と異なることがあること、(7)古くから切所と呼称され、あるいは破堤や治水と関連する字名が付されていたり、治水に縁りのある神社が堤防上に設置され、あるいは郷倉又は護倉と呼ばれる水防倉庫が設置されていたりすることがあること、
(二) 明治二一年の字絵図によると、本件破堤箇所の近傍の輪中堤内には四つの池があり、これらの池は丸池の一部のみを残して破堤当時までに埋立てられていたが、図18のとおり、明治二一年当時、丸池は輪中堤に接してその堤内側に位置し、堤外側に位置する池と輪中堤をはさんで相対する形となつており、輪中堤は丸池に沿つて堤外側に円弧状に湾曲していたこと、また右絵図によると、図18<略>のとおり、丸池の周囲は堀田となつていたが、丸池を南から西に囲う部分は、その周辺と比較して、堀潰れが少なく、その方向も異なつていたこと、さらに、そのころの丸池は輪中堤寄りの北東部が最も深く、水深約七メートルであつたこと、
(三) 本件破堤箇所については、地元住民間に同所が切所であるとの言伝えがあり、水防団内においても危険箇所であると言伝えられてきたこと、丸池北端付近の輪中堤上には郷倉又は護倉と呼ばれる水防倉庫が設置され、丸池の上流部の堤上には神社が存し、いずれも大正一五年頃まで存在していたこと、また、本件破堤箇所の小字名「畚場」の「畚」とは「もつこ」を意味し、治水と関連する語であること、
(四) 「岐阜県災異誌」及びこれが引用する「往昔以来三川出水被害状況」、「名森村史」並びに「濃州徇行記」などの文献によると、
(1) 明和二年(一七六五年)、洪水により、大森村字畚場において、堤防六六間が破堤し、五反二歩の池が形成されたこと、
(2) 天明二年(一七八二年)六月、洪水により、森部輪中に破堤箇所が生じ、字新切所六六間の補修工事が行われたこと、
(3) 寛政一〇年(一七九八年)四月、洪水により、大森村において、堤防五八間が破堤し、一町一反余の池が形成されたが、その後成立した「濃州徇行記」の大森村の項に、大森村字畚場及び字新田と推定される所に池が三か所あり、これは皆「先年切所の水用とみえたり」との記事があることに照らし、右破堤箇所は大森村字番場地内であると推定されること、
(4) 明治二一年七月、洪水により、大森村字畚場に急破所を生じ、字畚場欠所四三間に杭木、束竹を根杭として設置するなどの堤防復旧工事が実施されたこと、
(5) 明治二四年一〇月二八日、濃尾地震が発生し、森部輪中の堤防も大きな被害を受けたこと(本件破堤箇所の堤防も半分程崩落し、その後一年間位は崩落と修復を繰返した。)、
以上の記載があり、その字名等の記載内容からいずれも本件破堤箇所付近に関する記載であり、破堤により生じた池は丸池又はその付近に存した池を指すと推定できること、
以上の事実が認められ、右事実を総合すると、本件破堤箇所は過去の洪水によつて破堤した箇所であり、丸池は右破堤によつて形成された落堀であることが推認できる。<証拠判断略>
四 本件破堤箇所付近の堤防
1改修経過の概要
<証拠>によれば、本件破堤箇所を含む一帯の堤防は主として在来の輪中堤に沿つて築造されたものであり、次のとおりの改修が実施されてきたこと、すなわち、
(一) 明治改修(前記二2(一))の一環として、明治二九年より、在来の輪中堤を結ぶ形で中村川、中須川を締切り連続堤とする改修が行われたが、輪中堤には改修の手は加えられなかつたこと、
(二) 木曽川上流改修計画(前記二2(二))に基づき、大正一五年から昭和五年にかえて、在来の輪中堤を利用し堤防法線を整正しながら堤防を拡築する工事が行われたこと(以下右工事を新堤築堤工事という。)、
(三) 木曽川改修総体計画(前記二2(三))に基づき、昭和三五年、堤防表側の拡築工事が行われたこと、
(四) 現行の木曽川水系工事実施基本計画(前記二2(四))に基づき、昭和四七年度以降安八町森部地先の新犀川逆水樋門地点から下流に向い順次改修が進められてきており、本件破堤箇所付近についても、引続き、堤防裏側の拡幅工事が行われる予定となつていたこと、
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
2新堤築堤工事
<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 工事内容
本件破堤箇所付近の新堤築堤工事は、堤防法線の整正と旧来の輪中堤の拡幅を目的としたものであつた(以上の事実は当事者間に争いがない。)。すなわち、旧輪中堤は、天端幅三間、堤敷一二ないし一三間、表勾配一割五分、裏勾配二割の断面構造であり、図18<略>のとおり本件破堤箇所において丸池に沿つて大きく堤外側へ湾曲していた(この点は当事者間に争いがない。)ものであるところ、これを三メートル前後嵩上げして天端幅を拡幅するとともに、図19のとおり丸池の東半分を埋立てたうえ、もつぱら旧輪中堤の堤内側法面にのみ腹付けし、堤外側法面を削り取つて堤防法線を直線に整正する工事が行われた。
(なお、堤防の改修工事にあたつて実施される調査について、一般に、被告の主張のとおりの調査が行われるものであることは当事者間に争いがないが、新堤築堤工事にあたり現実に如何なる調査が行われたかについてはこれを明らかならしめる証拠はない。もつとも、当時実施されていた通常の調査が行われたであろうとの推認を妨げる事情もまた見当らない。なお、被告は、丸池に接する堤防法先に幅約二〇メートルの平場を造成したこと、水中盛土には砂の多い土が、上の部分には粘土混りの土が使用されたことを根拠として、被告の主張第四の二1(二)の調査が行われた旨主張するが、右根拠事実が認められないことは後記のとおりであるから、被告の右主張はその前堤を欠き理由がない。)
(二) 築堤準備
一般に、堤防の拡築にあたつては、拡築前の堤防と拡築部分との接合を良好にするために、接合面に生育している芝や雑草等の有機物の除去及び拡築前の堤防の法面の段切りを行うことが必要とされている(この点は当事者間に争いがない。)ところ、本件破堤箇所付近の旧輪中堤の法面には芝が生育しており、日頃刈取りなどの手入れは行われていたが、新堤築堤工事にあたつての芝の除去は行われず、また、段切りも、牛で鋤を引いて約三メートルの間隔で四、五本なされたにすぎないうえ、芝が固く張りつめていたため深さ二〇センチメートル程度の浅い筋がついたにとどまり、当時とられていた工法からいつてもいずれも不十分なものであつた。
さらに、丸池は池底にたまつているナメ泥が比較的多い池であつたところ、丸池の埋立に先立ちナメ泥を除去すべく、まず池水をポンプで排水しようとしたが、排水できず、結局ナメ泥の除去は行われなかつた。
(三) 丸池の埋立及び盛土
堤体材料である土砂は、現在の一宮線の上流二〇〇ないし三〇〇メートルの堤外地の河道の土取場において採取されたシルト質細砂で、同所においてラダーエキスカベーター(掘削機)により掘削及び土運車への積込みがなされ、土運車三〇輌を連結した重量二〇トンの機関車によつて丸池付近まで運搬された(以上の事実は当事者間に争いがない。)。
丸池の埋立は、旧輪中堤の裏法肩を高さ約一メートル、幅約2.1メートル切り取つて敷設した線路上の土運車から、土砂をそのまま投下するいわゆる高まき工法によつてなされ、さらにまき出し工法により線路を徐々に移動させながら池側へ埋出して新堤の堤防法線までの埋立が行われた。次に、上げ路工法により、線路を徐々に高くして新堤の天端の高さまで盛土が行われた。
丸池の埋立開始後一週間程経過したとき、埋出した土に約二〇センチメートルの亀裂が生じ、機関車が土砂を積んだ三〇輛の土運車(長さ約九〇メートル)を押して右埋出土上に敷設された線路上に到来した際、右亀裂から丸池の埋出土がほぼ丸池の長さにわたつて崩壊し、二八、二九輛の土運車が路線とも丸池へ転落するという事故が発生し、さらに三、四日程過ぎてから、再び、埋出部分が崩壊し、一五、一六輛の土運車が丸池に転落するという事故が発生したが、復旧後も従前どおりの方法で丸池の埋立及び盛土がなされた。
(なお、被告は、丸池の埋立方法について、一般に水中盛土においては、その材料として砂を使用するのが最も安全であるとされ、池の泥土は盛土法尻線の外に押出すように施工することとされていたところ、本件においても、堤防の丸池水面より上の部分には粘土混りの土砂が用いられたのに対しこれより下の部分には砂の多い土砂が用いられ、またその盛土は池の泥土を外へ押出すように施工された旨主張し、<証拠>によれば、一般に水中盛土をなすには被告主張のとおりの方法が必要であることが認められる。しかしながら、本件における丸池の埋立方法については、<証拠>中には右被告の主張に沿う部分があるが、前認定の土砂採取方法及び埋立が高まき法によつたこと並びに<証拠>に照らし信用できず、被告主張のような埋立方法がとられた事実を認めるに足りる証拠はない。)
(四) 堤体土の締固め
本件破堤箇所の堤防の盛土は右のとおり高まきの方法によつたものであり、盛土に際し締固めは行われなかつた。但し、線路敷設のためには締固めが行われ、また重量二〇トンの機関車及び土運車が盛土上を走行することによつて締固めの効果は有り、さらに仕上げ工として土羽工の締固めは行われた。また、自然転圧、すなわち盛土の自重及び降雨による締固めについては、施工中に約三年間、築堤後本件破堤まで約五〇年の期間が経過しており、右期間は自然転圧が十分進むに足りる期間である。
したがつて、本件破堤時においては、残存する丸池の池水の影響を受ける部分を除き、堤体土の締固めは十分であつた。
(五) 丸池の処理
丸池の一部の埋立が完了し、築堤が終つた後も、丸池に接する新堤法尻には、土留め工事、護岸工事等は何らなされなかつた。
(なお、被告は、丸池の埋立について、一般に水中盛土においては、適当な上置土を施して小段を造ること等で対処するものとされていたところ、本件においては、堤防法先に幅約二〇メートルの平場が造成されたから、水中盛土に適切な方法がとられた旨主張する。しかしながら、堤防法先に幅約二〇メートルの平場を造成した旨の主張につき、証人高橋忠男の証言中にはこれに沿う部分があるが、右証言は、<証拠>によつて認められる、新堤築堤工事にあたり、国が丸池を所有する安八町から収用した丸池の範囲は、ほぼ新堤の堤敷に該当する部分であつて、被告主張の平場に該当する部分を含んでいない事実、並びに、<証拠>に照らし信用できず、他に右平場造成の事実を認めるに足りる証拠はない。)
以上の事実が認められ<る。><証拠判断略>
3新堤築堤後の堤防の状況
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(一) 新堤築堤工事後、本件破堤箇所付近の丸池に接する堤防裏法尻が丸池側に沈下したため、昭和五、六年頃、二、三度修理が行われ、さらに、昭和六、七年頃、約三間の幅で水面より約一メートルの高さ(周囲の田より約三〇センチメートルの高さ)に法先を埋出する補修工事が行われた。なお、右補修工事の際も、埋出土上に敷設した路線が一夜のうちに水の中に落込むという事故が二、三度発生した。
(二) 右補修工事による埋出部は、引き続き沈下したためか、補修工事から二、三年後には水田として使用されるようになつた。
(三) 昭和一〇年頃から、本件破堤箇所付近の堤防裏小段の下付近において、長良川が増水する都度、降雨がなくても水の浸出しが見られるようになつた。
(四) 昭和四〇年頃、前記(一)の埋出部がそれまでの間に丸池の方へすべつたためか、埋出部の水田はその周囲の水田より高さが低くなり、また田の池側に沿つて打たれていた杭が丸池側へ傾いていた。昭和四〇年代の中頃には、埋出部の水田に水がつき、耕運機や植付けた苗が水の中へ沈んでしまうようになつたため、埋出部は水田として使用されなくなり、その後、右埋出部はさらに低くなつて池の中に没し、葦が生育するようになつた。
(五) 昭和四八・四九年頃、本件破堤箇所北端部付近の表法尻と畑の境界部付近に幅約1.5メートル、法面高約三メートルの凹状の陥没が発生し、昭和五〇年に小段の約半分のところまで拡大して幅四ないし五メートルとなり、昭和五一年にはさらに拡大して、小段の道が軽自動車は通れないほど狭まつた。
(六) 丸池の中へ塵埃が不法投棄されるようになり、これを防ぐため、昭和五〇年三月、丸池北側に沿つて、トタン塀が設置され、さらに同年一二月、丸池東側沿いに、丸池水際から約三メートルの位置にトタン塀が設置された。
以上の事実が認められ<る。><証拠判断略>
4本件破堤箇所付近の堤防の構造
<証拠>並びに前記1ないし3に認定の各事実を総合すると次の事実が認められる。
(一) 本件破堤箇所付近の堤防は、堤防高TP約12.8メートル、天端幅約七メートルで、川表に約三メートル、川裏に約四メートルの小段を備え(以上の事実は当事者間に争いがない。)平均的にみて五〇パーセントより下部の方が緩やかな法勾配を有していた。堤防天端は兼用道路となつてアスファルト舗装がなされ、堤体表面は芝草等で覆われており、長良川の一般的な堤防の状態と同じであつた。右堤防の断面図は図20のとおりである(但し、丸池の池底部分を除く。右池底部分については後記(三)、(四)を参照。)。
(二) 前記2に認定したとおり、新堤は丸池に沿つて湾曲していた旧輪中堤を内包するように築堤されたが、旧輪中堤の最も堤外側に突出した部分は新堤断面に収まらず、削り取られたものであるから、本件破堤箇所付近の堤防は、その上下流では旧輪中堤が新堤の中央に内包されていたのに比し、新堤の堤外側に旧輪中堤が偏在していた(図19参照)。そして、右新堤築堤工事の結果として、本件破堤箇所付近の堤体は、粘性土の旧輪中堤の裏法面の上に、右裏法面の下部にあたる部位には丸池の池底に堆積していたナメ泥層を挾んで、砂質土の新堤が乗るという構造となつた。(右堤体構造の点は推認。)
(三) 本件破堤箇所付近の堤防裏法には、丸池東北角の排水路の東側に堤防敷と民有地との境界杭が存しており、堤防裏法尻から右境界線までは五ないし六メートルであつたが、その状況は、裏法尻から約二メートルの幅で平場が存し、トタン塀を挾んで右平場の西に約三メートルの幅で約一割五分の勾配の斜面が存し、丸池の水際と接していた。
丸池の堤防に接する部分には、前記3に認定したとおり、補修工事による埋出部が、水面下に没して存しており、そのため、水深〇ないし約一メートルを生育範囲とする葦が、右境界線から約六ないし八メートルの範囲にわたり繁茂していた。
(四) 丸池の池底はすり鉢状で、南・西部は勾配が緩く、東・北部は勾配が急になつており、東北寄りに最深部分があつた。丸池の深さは深いところで水深約五メートルであつたが池底には人の腰の高さより厚くナメ泥が堆積していた。
なお、丸池の右最深部にあたる箇所には、直径七ないし八メートルの範囲で藻も生えず、冬でも直径約五メートルの範囲で氷の張らない部分があり、右部分は夏は水が冷たく、冬は水が温かく、増水期には池の中からの直径三〇センチメートル程の噴出しを認めることがあつた。また、昭和三四年の伊勢湾台風による増水時以降、本件破堤箇所犬走り付近及び堤外側の畑にガマが発生するようになり、丸池東北角の堤脚下の水路内にもガマが発生することがあつた。さらに、昭和四一・四二年頃、丸池でカイドリ(池の水を排水して魚を獲る漁法)が行われ、八馬力のポンプ二台で約二八時間連続して丸池の水を排水したが、排水しきれなかつた。
以上の事実が認められ<る。><証拠判断略>
被告は、本件破堤箇所の堤防法先には幅約二〇メートルの平場があつた旨主張し、その根拠として、新堤築堤時に約二〇メートルの平場を造成したこと、昭和四三年の測量により、本件破堤箇所の堤防裏法面法先から約二三メートルの犬走り及び平場の存在が確認できること、昭和五〇年頃には法面法尻から約一三メートル余の地点までの丸池には雑草及び葦の生育が見られ、右植生からみて、少くとも一三メートル以上の犬走り及び平場が確認できること、破堤後の地質調査により法面法尻から約一五メートルの丸池内にTP1.44メートルの在来地盤が確認され、これが平場の痕跡とみられることなどの事実を主張している。
しかしながら、新堤築堤時に幅約二〇メートルの平場が造成された事実が認められないことは前記2に認定したとおりである。また<証拠>によれば、昭和五〇年頃、法面法尻から約一一メートルないし一三メートルの地点までの丸池に葦の生育がみられることが認められるが、前記のとおり、堤防敷端は法面法尻から五ないし六メートルの地点に該当し、葦は堤防敷端から約六から八メートルの範囲に生育するにすぎないのであるから、右葦の生育範囲のみからでは被告の主張する幅約二〇メートルの平場の存在を推認することはできず、むしろ、<証拠>によつて認められる葦の植生に照らすと、堤防敷端から約六ないし八メートル以上の地点は、水深一メートル以上となつており、したがつて被告の主張するような平場は存在しなかつたことが窺われる。次に<証拠>によれば、破堤後の地質調査により、乙第二二号証の一、五頁、図―2調査地点位置図(Ⅰ)のナンバー一一の地点において、TP1.44メートルの在来地盤が確認でき、したがつて、右ナンバー一一の地点においては、丸池の深さは水深約二メートル以下であつたことが認められるが、他方<証拠>によれば、右ナンバー一一の地点は、丸池の南寄りの地点であり、かつ、堤防敷端から約四メートル又は約九メートルの地点であつて、比較的水深の浅い部分であり、かつ、補修工事による埋出部の端付近に該当する地点であることも認められるのであつて、右地点が水深約二メートル以下であつたとしても平場の不存在とは何ら矛盾しないといえるから、結局、以上の事実のみによつては、幅約二〇メートルの平場の存在を推認することはできない。
さらに、被告は、昭和四三年の測量により、本件破堤箇所の堤防裏法面先から約二三メートルの犬走り及び平場の存在が確認できる旨主張し、<証拠>中には右主張に沿う記載があるが、右各記載は、前記認定の葦の生育範囲が右主張とは矛盾していること、新堤築堤工事にあたり幅約二〇メートルの平場が造成された事実は認められないこと及び前記3、4認定の各事実に照らし信用できない。
以上のとおりであるから、被告の堤防法先に幅約二〇メートルの平場があつた旨の主張は理由がない。そして、他に右(一)ないし(四)の認定を左右するに足りる証拠はない。
第三 本件災害の発生
一 気象の概況
<証拠>によれば、次の事実が認められる。
昭和五一年九月四日カロリン群島付近に発生した台風一七号は、同月八日午後三時には南西諸島の沖大東島の南方海上に達し、一方、この時間にはシベリヤ東部のアムール河中流域に延びる気圧の谷があり、日本海西部には前線を伴う低気圧があつて東進し、前線が九州にまで延びており、木曽川以西の各地ではその影響を受けてすでに前日七日から雨が降始めていた。
気圧の谷と前線の接近に伴い、八日午後から三重県中部を中心に再び雨が降始め(以上の事実は当事者間に争いがない。)午後三時頃には、岐阜県西濃地方に強い雨が降出し、午後一〇時には、東海地方で所によつては時間雨量五〇ミリメートルを超える非常に強い降雨となつた。
台風一七号は、その後九日には沖繩付近に進み、さらにゆつくり北上したが、その動きは極めて遅く、一〇日からはほとんど動きを止めて、一二日まで九州南西海上において三日間にわたつて停滞し、この台風の停滞に伴つて前線も本州を縦断したままの状態で停滞し、台風の影響を受けて活発化した(以上の事実は当事者間に争いがない。)ため、東海地方は七日から一四日まで八日間の連続降雨日数を記録し、特に長良川流域においては、豪雨域の中心となつたため総雨量五四〇ミリメートルないし一三〇〇ミリメートルに達する大雨となつた。
表20 昭和五一年九月豪雨の降雨量
(単位 ミリメートル)
観測所
景大日雨量
最大二日雨量
最大三日雨量
最大四日雨量
総雨量
白鳥
二六二
四一一
六〇三
七五二
九〇七
八幡
三八四
五四二
六七八
九七三
一〇八二
美濃
三八七
四二九
五三五
七九六
八四一
葛原
四三〇
六〇五
八〇三
九七八
一一二九
忠節
三四四
四二二
五二三
七九八
八四二
以上の台風及び地上前線の移動は図2<略>及び図3<略>のとおりであり、長良川流域を中心とする降雨量の分布は図4<略>のとおりである。
なお、東京管区気象台の報告書によれば、昭和五一年九月の異常気象の特性として、(一)台風が大型で強く、移動速度が遅かつたこと、(二)台風が遠方にある頃から早くも雨が降始めたこと、(三)降雨期間が長く、降雨分布のパターンが定着したため大雨となつたこと、(四)豪雨域が南北に細長くのび、山間部のみならず平野部にも豪雨をもたらしたこと、が指摘されている。
二 長良川の降雨及び洪水
1降雨
<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
昭和五一年九月七日から一四日にかけて長良川流域に集中した豪雨の降雨量につき、長良川流域における代表地点の降雨量は次の表20のとおりであつた。
また、九月七日の降始めから累加雨量の内訳は、八幡地点においては、八日午前九時までに二〇ミリメートル、九日午前九時までに三一〇ミリメートル、一〇日午前九時までに四五〇ミリメートル、一一日午前九時までに六一〇ミリメートル、一二日午前九時までに九九〇ミリメートルであり、忠節地点においては、八日午前九時までに一〇ミリメートル、九日午前九時までに三五〇ミリメートル、一〇日午前九時までに四三〇ミリメートル、一二日午前九時までに八〇〇ミリメートルに達した。これら各地点で観測された総雨量は、当該地域の年間降雨量の二分の一ないし三分の一に相当するものであつた。
次に、八幡地点及び忠節地点の時間雨量分布図は図21のとおりで、降雨継続時間は被告主張(被告の主張第三の二2)のとおりの長時間に及び、また、降止むまでに五波、破堤に至るまでに四波の強雨群があつたもので、八幡地点における破堤に至るまでの四波の強雨群は表13のとおりであつた。
以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。
2洪水
<証拠>を総合すると、前記1の降雨による墨俣地点における長良川の水位の変化は図5のとおりで、破堤時までに四山のピーク、即ち昭和五一年九月九日午前九時頃にTP11.53メートル、同月一〇日午前六時頃にTP9.81メートル、同月一一日午後二時頃にTP11.38メートル、同月一二日午前五時頃にTP11.36メートルを示して増減したものであり、特に第三及び第四のピークは墨俣地点における計画高水位TP12.16メートルに迫るものであつたが、いずれも右計画高水位を下回るものであつたこと(四山のピークを示したこと及びその水位については当事者間に争いがない。)以上のとおり、本件の洪水はその長時間継続性にその特徴があるが、ちなみに、警戒水位以上の水位が継続した時間について、忠節地点においては七九時間、破堤時まで五七時間、墨俣地点においては九一時間、破堤時まで六七時間であつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。
三 破堤経過
<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
1破堤時までの本件破堤箇所付近の状況
(一) 昭和五一年九月八日昼頃降始めた雨は同日夜半になつて第一波の強雨となり、このため長良川の水位は急激に上昇し、翌九日午前九時頃第一のピークに達する大洪水となり、長良川の堤防は各所に法崩れ、漏水などが発生したが、森部輪中内の内水位も同日午前八時三〇分頃4.16メートルに上り、森部輪中の排水ポンプが排水を開始した。この頃まで、本件破堤箇所付近の堤防には異常は認められなかつたが、長良川右岸沿いの堤内地の各所にガマが噴始め、同日午後三時頃には薬師堂北側民家の床下(堤防法先から7.8メートルの地点)及び同民家南側の水田の二、三か所にガマが発生し(以上のとおりガマが発生したことは当事者間に争いがない。)、同民家付近の法先と道路の境のブロック積みが二〇ないし三〇センチメートル沈下した。
(二) 同月九日午後から夜の第二波の強雨の後、翌一〇日午前中は雨が止んでいたが、長良川の外水位は上昇を続けて同日午前六時頃第二のピークに達し、内水位はポンプ排水を続けているにもかかわらず外水位の上昇と共に上昇した。右内水位の上昇は前日夜の降雨の影響に加え、ガマ等を通じた河川水の堤内側への流入によるものであつた。(右上昇原因の点は推認。)
右第二波の降雨・洪水により堤防には各所に新たな法崩れ、漏水等が発生したが、本件破堤箇所付近には特に異常はみられなかつた。なお、同日午後一時四〇分頃、長良川右岸沿いに発生したガマのうち三か所につき月の輪工法による応急措置が講じられたが、その他のガマは内水位が高いため処置できなかつた。
(三) 同月一〇日午後再び雨が降始め、一一日午前中は第三波の強雨となり、このため減水していた外水位も上昇を続けて一一日午後二時頃第三のピークに達し、さらに右洪水が減少し始めたころ第四波の強雨が降始め、外水位も再び上昇して一二日午前五時頃第四のピークに達した。
右外水位の上昇に伴つて、長良川右岸沿いのガマの活動も激化したが、これらについては、丸池上流五〇メートルの堤防法先の水路と畑の境の所に一か所、右箇所から五〇ないし六〇メートル西の農道上に一か所など常時ガマが発生する箇所以外にもガマが発生したこと、右箇所のガマは濁つた水が噴いたことが特徴的であつた。
一一日午後一一時頃、森部輪中排水機場から三〇ないし五〇メートル上流(丸池南端から約五〇メートル下流)の堤防表法肩から表法面にかけて一か所、同排水機場下流の堤防表法肩及び裏法肩に各一か所の亀裂(雨裂)が発見され、杭打ち土のう積み工法により補強工事が行われた。
さらに、同月一二日午前二時頃、本件破堤箇所上流側にある道路標識付近の堤防表法肩に、幅二、三メートル、深さ約1.5メートルの水面下に達する亀裂(雨裂)が発見され、小型ダンプ二台の山土を入れて埋め、ビニールを覆つた上に杭打ち土のう積みをする応急修理がなされた。
2破堤状況
(一) 本件破堤箇所付近においては、同月一二日夜明け頃から雨は小降りになり、破提前三時間程はほとんど雨はあがつていた。長良川の水位は第四のピークが同日午前六時頃から下降し始め、破堤時においては約6.5メートルであつた。
(二) 同日午前六時三〇分頃、本件破堤箇所堤防裏小段に亀裂が発見された旨の通報が安八町役場にあり、直ちに現場に急行した水防団員が、約一メートルの高さの雑草をかき分けて、亀裂の状況を調査したところ、一条の亀裂が堤防裏小段中央の丸池寄りに、南北約八〇メートルの長さ(丸池に対応する位置で、かつ丸池の堤防平行方向の幅と同じ長さ)に走つており、もう一条の亀裂が裏小段法肩から少し下つた箇所に、南北二〇ないし三〇メートルの長さ(丸池北寄りの位置)に走つており、いずれの亀裂も丸池北寄の位置の幅が大きく、約二〇センチメートルあり、亀裂の激しい部分は五〇センチメートルの落差があつた。
(三) 同日午前七時半過頃、建設省長良川第二出張所長堀敏男、安八町建設課長坂博らが現場に到着し、亀裂の激しい部分を調査したところ、亀裂の深さは長さ二メートルのポールがほぼ入る状態であつた。同人らの協議により、押さえ盛土工法を実施することとなり、これを土木業者高田建設に依頼することが決定された。
(四) 同日午前七時五〇分頃、亀裂の状態を知るため、坂建設課長の指示により草刈機を用いて、水防団員及び付近住民(最終的には約二〇〇名)によつて堤防法面の草刈が始められた。草刈は、亀裂から法先の方へ五ないし六メートルの幅、七〇ないし八〇メートルの長さの範囲を、約一時間かけて実施された。
この頃既に、堤防では雑草の根の切れる音がしており、また丸池内に捨てられていた空缶が風もないのに鳴つており、これらの音は破堤まで続いていた。亀裂は裏小段より上の裏法面に拡大し、小段全体が五〇ないし六〇センチメートル沈下していた。
(五) 同日午前九時頃、草刈はほぼ終了したが、依頼した山土が届かないままに、草刈に引き続き山土が到着した場合の準備作業を行うこととなり、草刈が終了したところから杭打ちが始められた。杭打ちは、2.3ないし2.4メートルの杭を、小段下の亀裂から法先の方へ四メートル以上離れた法面に二列打つもので、四、五人が一組となり、三〇キログラムのタコを使用して行つた。
亀裂の激しい丸池北寄りの部分は、下流の部分に比べ、法面が軟らかく、杭打ちは早く進行した。この間も亀裂は拡大を続け、丸池側は沈下し、裏小段上の法面は天端の方に向かい崩れていつた。同日午前一〇時頃には、亀裂の中に徐々に濁り水が溜つてきており泡が見えていた。また、亀裂による崩れは二メートル以上に達していた。しかし、小段の表面は比較的固かつた。
(六) 同日午前一〇時頃、杭打ちが終わつたところから、杭と横にした丸太を針金で結合わせる作業に入り、破堤まで続けられた。
この頃、丸池の水面は、魚がいるかのようにゴボゴボと動いており、水の盛上りや渦巻きのような現象が見られた。裏小段から下の法面にかけ、堤体は少しずつ沈下していき、全体が平地のようになつて小段がどこかわからない状態となり、直線に打たれた杭の列が丸池の北寄りの部分で丸池側に湾曲し、堤防沿いのトタン塀も同様丸池側に湾曲していた。しかし、天端舗装面は沈下しておらず異常がなかつた。また、犬走りも固かつた。
破堤直前にブルドーザーが到着したが、破堤が始まつたためそのまま引き返していつた(この点は当事者間に争いがない。)
(七) 同日午前一〇時二八分頃、杭と丸太をつないでいた針金が連続的に切れ、犬走りから小段にかけて堤防法線と平行に地震のような揺れが起り、法面全般に無数の亀裂が入り、法尻のトタン塀がベキベキという音を立て、ザブンという水の跳び上る音がし、トタン塀は弓なりに曲り、池側で水しぶきが上つた。以上のようにして丸池の北寄り部分の裏小段を上端とするすべりが発生し(一次すべり)、崩落した土砂とともに同所で作業中であつた消防団員らも丸池方向へすべり落ち、その直後に天端表肩付近を上端とするすべりが発生し(二次すべり)、同時に天端舗装部及び同所に駐車してあつた消防自動車やトラックなども土砂の崩落とともに転落した(針金が切れたこと及び消防車、トラック等が転落したことは当事者間に争いがない。)。
(八) 土砂崩壊の後、表法面部分は断崖状となつて残つたが、数分後崩れかかつた法肩から河川水が少しずつ溢水し始め、やがて本格的な破堤へ進展した。なお、小段下の法面は土塊のままで流入水に押流された。
土砂に押流された水防団員らは土砂に埋まりながらも逃げることができたが、安八町善光部落の区長として水防活動に従事していた亡冨田智太郎は逃げ遅れ、濁流に飲込まれて死亡した。
(九) 破堤口は次第に拡大して、早終的には約八〇メートルとなつた。
以上の事実が認められ<る。><証拠判断略>
四 破堤後の状況
1決壊口の状況
決壊口は流入水によつて標高マイナス六メートル(高水敷から一二メートル下)まで洗掘され、浸食面は堤防基礎下の砂層に達したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右破堤口は図22のとおりであつたことが認められる。
2土質調査結果
<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 決壊口においてボーリング等の土質調査が行われた(この点は当事者間に争いがない。)が、右調査結果によると、本件破堤箇所付近の堤体は、上部(新堤)がシルト質細砂、下部(旧堤)がシルト質粘土であつた。また堤体基礎地盤は、最下層に不透水性の海成シルト質粘土(旧伊勢湾堆積層)が分布し、その上に不整合面と基底礫層を挾んで河成沖積層が標高マイナス二メートル程度以下に四メートルないし五メートルの厚さで分布しており(右分布状況は当事者間に争いがない。)、右河成沖積層は均等係数が小さい粒度分布の不良な砂質土であつた。さらに、右河成沖積層の上には堤外側及び堤内側に粘性土(以下上部粘性土という。)が分布しており、右堤内外の上部粘性土は、洗掘されたため不明である部分を除き、堤体下で連続していることが認められた。
(二) 右調査結果によると、旧丸池に該当する地点(ボーリングナンバー一一、一二、一三及び一五の地点)に次のとおりの特徴がみられた。すなわち、
(1) 旧丸池部分の上部粘性土とその下の砂層との境界は、いわば凹んだ形で、堤内側の他の地点より低く位置しており、これは、砂層が破堤により洗掘されて凹みが形成された上に上部粘性土が堆積した結果であると推定できること、なおボーリングナンバー一四の地点(丸池の、本件堤防から最も離れている西北端部の岸付近)の砂層の上端が堤内側の他の地点より高く位置していることは、破堤によつて洗掘された際に砂が堆積したもの(砂入)とも考えることができ、またボーリングナンバー一一の地点にみられる上部粘性土の間に砂層を挾んだ特殊な地層配列は、堆積した上部粘性土の上に破堤によつて砂の堆積が生じ、その後再び上部粘性土の堆積をみたことによるものと考えられ、いずれも右推定と矛盾しないこと、
(2) 堤内側上部粘性土のうち、旧丸池部分以外の地点ではその上層部分に砂の混入がある層相をなしているのに対し、旧丸池部分では、ボーリングナンバー一一を除き、砂の混入がなく、層相が異なつていること、
(3) 旧丸池部分の上部粘性土はN値が3以下で軟弱地盤に該当し、特にボーリングナンバー一三の地点(丸池部分)では非常に軟弱である旨観察されており、またボーリングナンバー一一及び一五の地点では異臭を発する旨の観察が得られているが、この異臭は有機物が嫌気性分解されて発生するものであつて、旧丸池部分の上部粘性土は池底に池中の水中有機物が沈澱堆積して形成された泥(いわゆるナメ泥)であると考えられること、
以上の特徴がみられ、したがつて、旧丸池部分の上部粘性土は池底に堆積した軟弱なナメ泥層であると考えられる。(右の点は推認。)
そして、本件破堤箇所の堤体には旧堤が堤外側寄りに包み込まれて存在していたから、前記(一)の上部粘性土の分布状況が不明な箇所においては、上部粘性土は、堤外側粘性土と連続して存在する粘性土の旧堤裏法尻から、旧丸池底にかけて、厚さ一メートルないし二メートルのナメ泥層をなして、連続して存在する。(右の点は推認。)
以上の事実が認められる。
なお、<証拠>中には、本件破堤箇所の堤体下にはナメ泥層は存在せず、堤内地全般に一連の粘土が存在したと考えられる旨の供述があるが、右供述は、前記(二)(1)ないし(3)の特徴を無視するもので、たやすく信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
3復旧工事
本件破堤箇所の堤防につき復旧工事がなされたこと、並びにその日時及び内容については、右内容のうちのナメ泥を除去した点を除き、当事者間に争いがない。
第四 破堤原因
一 破堤原因究明についての基本的な考え方
堤防を破堤にまで至らしめる要因には様様なものがあるが、これらの要因は一定の地域において普遍的に存在する要因(以下一般的要因という。)と当該破堤箇所に特有の要因(以下特異的要因という。)とに大別できる。
ところで、破堤原因の究明方法は、右目的に応じ様々であるところ、本件においては、本件破堤箇所の堤防に何らかの瑕疵が存していたか否かを検討する前提として、何故に他の箇所でなく、本件破堤箇所という特定の地点において破堤するに至つたのかを検討していこうとするものであるから、一般的要因を明らかにし得たのみでは無意味であると言わざるを得ず、本件破堤箇所に存した特異的要因を明らかにすることこそが重要である。
したがつて、以下は右の基本的考え方に立脚して本件破堤原因を検討していくこととする。
なお、以下の検討過程において判示する認定事実は、特に証拠を掲記していない限り、<証拠>並びに前記認定の各事実によつて認められるものである。
二 丸池の存在について
1本件破堤の経過において生じた現象をみると、
(一) 図22<略>の破堤口の状況から明らかなとおり、本件破堤はまさに、丸池の、堤防と平行方向の幅とほぼ正確に対応した箇所で発生し(前記第三の四の1)、また破堤前に堤防裏小段付近に発生した亀裂の位置、長さも同様であつたこと(同三2(二))、
(二) 破堤後現われた地盤の地盤高は図22のとおりであるところ(同四1)、新堤築堤工事によつて埋立てられる以前の旧丸池は堤防寄りの埋立部分が最も深く、水深約七メートルであつたもので(同第二の三2(二))、また残された丸池も堤防寄りが最も深く、水深約五メートルであつたこと(同四4(四))、さらに破堤後現われた地盤に工事用の杭が発見されたとの事実に照らし、破堤後現われた地盤は丸池及び旧丸池の地底面であると推定できること、
以上(一)及び(二)の事実が指摘でき、これよりすれば、堤防は丸池の池底から流失し去つたものということができ、したがつて、本件破堤と丸池の存在との間に何らかの因果関係が存したことが強く窺われる。
2そこで、丸池の存在が堤防に対し如何なる影響を及ぼしていたかについて検討すると、
(一) 本件破提箇所の堤防は、いわば丸池の地底から立上つていたわけで丸池の深さだけ他の箇所よりも堤防が高くなつていたにもかかわらず、裏法先に幅約五メートルの埋出部が存在したのみで、法尻から丸池底までの勾配が急となつていたから、堤体がそれだけ不安定な形状となつていたこと、
(二) 本件破堤箇所の堤防が丸池と接していた部分は、何ら堤脚保護工事が施されず、常時池水と接触していたから、堤体支持力の低下を招き、堤体の丸池内へのすべりや崩落を発生させやすい状況となつていたこと、
(三) 本件破堤箇所の堤防は、丸池の深さの分だけ押さえ盛土の役割を果たすものが存在せず、堤体のすべり破壊を助長しやすい状況となつていたこと、
(四) 破堤後の地質調査の結果により、旧堤裏法尻から旧丸池底にかけて一メートルから二メートルの厚さで存在していたことが判明したナメ泥層は、湿潤するとすべりやすく、堤体を不安定にさせるものとなつていたこと、
(五) 本件破堤箇所の堤防は、新堤築堤工事により旧堤が堤外側へ偏在しており、このため粘性土の旧堤裏法斜面から丸池の池底へと連続する大きな斜面の上にナメ泥層を挾んで、砂質土の堤体が乗るという構造を有しており、新堤部分が堤内側へすべりやすい構造となつていたこと(同第二の四4(二))、
(六) 新堤築堤工事において、ナメ泥を除去せず、旧堤裏法の芝の除去や段切り等の処理が不十分であつたこと(同第二の四2(二))により、築堤後の腹付けが弱く、新堤部分が堤内側へすべりやすいという構造をより助長していたと考えられること、
(七) なお、新堤築堤時に埋出部が丸池へ崩落する事故が二回発生したこと(同第二の四2(三))、その後約五メートルの幅で法先部分に埋出された補修部は、徐々に沈下し、やがて水面下に没してしまつたこと(同3(一)、(二)、(四))は右(一)ないし(四)の本件破堤箇所裏堤脚部の弱さを示す事実と考えられること、
以上の事実が認められ、本件破堤箇所の堤防は、丸池が存在することにより、右(一)ないし(六)のとおりの、特に堤防の安定を害する要因を内蔵していたということができる。
そして、右事実に、本件破堤経過において生じた前記1に認定の諸現象及び、本件破堤において、裏小段に発生した亀裂は丸池北寄り側が激しく(同第三の三2(二))、一次すべり及び二次すべりも丸池寄り側で発生したものであるところ、右丸池の北寄り部分は、丸池の最深部の存する部分である(同第二の四4(四))から、右(一)ないし(三)の各要因の、堤防の安定を害する程度が高い部分と推定されること、また本件破堤において発生した二次すべりは、その部位から新堤部分がすべつたものと推定でき、右(五)、(六)の要因と符合することなどを総合すると、本件破堤は、本件降雨及び洪水によつて堤防の安定の度合が弱くなつたため(その理由は、のちに審究する。)、本件破堤箇所の堤防に存した右(一)ないし(五)の要因が顕在化して生じたものであると推認できる。
なお、被告は、丸池の存在は本件破堤に何ら影響していないと主張するが、右主張は本件破堤箇所の裏法先に幅一七メートル以上の平場があつたことを前提とするものであるところ、右のような平場の存在した事実が認められないことは前記第二の四4記載のとおりであるから、被告の右主張はその前提を欠き、理由がない。
また、被告は、丸池の存在が本件破堤の原因であるなら、当然、過去の大洪水の際本件破堤地点で破堤したはずであるのに、本件洪水よりも高い水位を記録した昭和三大洪水時には破堤しておらず、また原告らが本件降雨・洪水に匹敵するものであると主張している明治二九年九月の降雨・洪水においてすら破堤していないのであるから、丸池の存在が本件破堤の原因でないことは極めて明らかである旨主張する。しかし、洪水の発生条件はそれぞれ異なり、洪水が堤防に及ぼす影響も様々であること、堤体の欠陥は時間の経過によりあるいは洪水経験の蓄積によつて進行していくものもあることなどからして、右のように抽象的な被告の主張は、それのみでは、丸池の存在と本件破堤の因果関係を否定する論拠として不十分である。
三 浸潤について
本件破堤が浸潤及び漏水のいずれかによつて引起こされたものであるとの限度では破堤原因につき当事者間に争いがない。そこでまず、本件破堤が浸潤によるものであるか否かについて検討する。
一般に、浸潤による破堤は原告ら主張(請求原因第四の三1(一))のとおりの経過で発生することが認められるところ、本件破堤前に本件破堤箇所の堤防裏小段に発生していた亀裂に濁り水が溜つてきていたこと(前記第三の三2(五))は、本件におけるそれまでの長時間に及ぶ降雨及び洪水の継続(同二、三1)と、この濁り水がみられた頃は降雨がほとんど無かつたこと(同三2(一))に照らし、右濁り水の位置までの浸潤線の上昇を推認させるものであり、この事実と、杭打ち作業中、丸池北寄り側の堤防裏小段下法面が軟かくなつていたこと(同(五))を併せ考えると、本件破堤箇所の堤防において浸潤が相当程度進行していたと認められるというべく、そうすると、本件破堤は浸潤によつて引起こされたものであるとの推定の成立つことは否めない。
しかるところ、原告らは、本件破堤は浸潤によるものではない旨主張するので、以下順次検討する。
1まず原告らは、本件における最高浸潤線の位置は理論上裏法先犬走り付近となるが、犬走り付近は固く、堤体土が浸潤された状況は何ら認められなかつたから、浸潤線は右位置までは上昇していなかつたものであり、したがつて裏小段の亀裂内の濁り水は浸潤線の上昇によるものとは考えられず、堤体の不同沈下によつて生じた亀裂に溜つていた雨水が浸出したものと考えるのが合理的であると主張し、<証拠>には右主張に沿う記載がある。
しかしながら、犬走り付近の法面が原告ら主張のとおり固かつたことは前記のとおりであるが(同(五))、<証拠>によれば、例えば河川水、雨水及び透水地盤からの浸透水などが重なり合い、裏法部の自由水面が山型となる場合があるなど、浸潤線は甲第二〇五号証の一図27に示されるような形を示すものとは限らず、したがつて、犬走り付近が固かつたからといつて裏小段の亀裂の部分にまで浸潤線が到達していなかつたとはいえないことが認められ、右事実に、後述のとおり裏小段に生じた亀裂は原告らの主張するパイピングに起因する堤体の不同沈下によつて発生したクラックであるとは考えられないこと及び裏小段下の法面にも軟弱化がみられたことを考え併せると、亀裂内の濁り水は浸潤線の上昇によるもと考えるのが合理的であつて、原告らの右主張は理由がない。
2次に原告らは、亀裂から下部の崩落した堤体は大きな土塊のままで流入水に押流されていること、及びすべり発生後の残存堤体に湿潤が認められなかつたことを挙げ、右事実は本件破堤が浸潤による破堤であるという推定と矛盾する事実であると主張する。
原告ら主張のとおり、堤体が大きな土塊のままで押流されたことは、前記認定のとおりである(同(八))が、右現象は本件破堤箇所の堤防が丸池側にすべりやすい構造を有していたことに起因するものとも考えられ、浸潤によつて右すべりが引起こされたとの推定とは必ずしも矛盾しない。また、残存堤体が、浸潤によるすべりであるとの推定を否定するほどに乾いていた事実を認めるに足りる証拠もない。したがつて、原告らの右主張は理由がない。
3次に原告らは、本件破堤が浸潤によるものとすると、破堤直前に丸池内でみられた水面の波立ち、水の盛上がりないしは渦巻き現象を説明できないと主張する。
原告ら主張のとおりの現象がみられたことは前記のとおりであり(同(六))、右現象はいわゆるガマ、すなわちパイピングによるボイリングであると推定されるが、<証拠>によれば、一般に浸潤による法すべりには漏水を伴うことも多いことが認められ、したがつて右現象は本件破堤を浸潤による破堤であると推定することと何ら矛盾しない。
4また原告らは、浸潤によつて発生するすべりは通常法尻部に生じた小規模なすべりが法面上部に向つて徐々に拡大し進行していくものであるから、本件破堤のように大きくかつ一気に発生したすべりは浸潤によるものとは考えられない旨主張する。そして、<証拠>によれば、浸潤によるすべりの進行の具合は通常原告らの主張するとおりであつて、浸潤によつて、本件において発生したような一次すべり及び二次すべりといつた大きなすべりが引起こされることは従来の知見からは考えられないことが認められる。
しかしながら、本件にあつては、本件堤防の新堤部分が丸池側にすべりやすいという、特異な形態のすべりを招来する構造上の特性を有していたことが特徴的であり、反面、後述のとおり本件一次すべり及び二次すべりがパイピングによるものとは考えられないことからすれば、本件におけるすべりの形態の特殊性はもつぱら右本件堤防の構造上の特性に起因するものですべりそれ自体の原因が浸潤であることと相いれないものではないと考えられ、したがつて、原告の右主張は採用できない。
5また原告らは、一般に浸潤によつて法すべりが発生する場合、法すべりが発生した時点において浸潤線が最も上昇しているものであり、他方外水位の変動が裏法尻部における浸潤線の変動として現われる時間差は敷幅五〇メートルの堤防では約一時間と指摘されているところ、本件破堤は外水位のピークが過ぎてから5.5時間、降雨が中断してから2.5時間を経過し、堤防が安定性を回復しつつある時点で発生したものであるから、浸潤による破堤とは考えられない旨主張し、<証拠>によれば、長良川下流部における堤防幅が五〇メートルから六〇メートル程度の堤防の場合、外水位の変化が堤内地へ約一時間で伝達されるとの報告がなされていることが認められる。
しかし、<証拠>によれば右伝達速度は堤体土の透水係数によつて変化するものであることが認められるところ、前記報告の結果をそのまま本件堤防にあてはめるのを妥当とすると認めるに足りる資料はなく、前記認定のとおり、外水位の第四のピークは破堤当日の午前五時頃であつたが、外水位はその後も破堤時までに徐々に減水しながらも高水位を維持していたこと(同二2)、他方本件破堤箇所裏小段の亀裂が発見されたのは同日午前六時半頃であつたから、右時刻頃には既に堤防の損傷が発生し、進行していたものであること(同三2(二))などの事実を総合すると、本件破堤が外水位のピーク後5.5時間を経過して発生したことは、必ずしも本件破堤を浸潤によるものと推定することと矛盾しないということができる。
また<証拠>には、同号証の図28を根拠として、浸潤作用は外水位より雨量との相関が大きく、それにもかかわらず降雨が止んでから2.5時間も経過して破堤が起きたことから考えると、浸潤線が裏小段の亀裂の位置にまで上昇していたとは考えられない旨の記載があるが、右立論の根拠となつている図28は<証拠>に照らし信用できず、したがつて右記載はその前提を誤るものであるから信用できない。
以上のとおり、原告らの右主張は理由がない。
6さらに、原告らは、本件破堤箇所付近の堤防にあつては、堤外側へ偏在していた粘性土の旧堤が、本件破堤箇所以外の堤防に比し、河川水の堤外側法面からの浸透をよりしや断する効果をもたらしていたはずであるから、本件破堤原因を浸潤に求めることはできない旨主張する。
しかしながら、外水による浸潤線は堤外側が最も高くなるのであるから、旧堤の堤外側への偏在(同第二の四4(二))は、旧堤を越えるような高水位が継続する場合にはむしろ、他の箇所より裏法尻部への浸潤線の到達を早めるともいえ、原告の主張するように本件破堤箇所における浸潤が常に他の箇所より遅れるとはいえないし、また、本件破堤箇所の堤防には、丸池側にすべりやすい構造上の特性という浸潤の速さとすべり発生の有無との対応を妨げる要因を存したのであるから、原告ら主張のような結論以外は考えられないというものでもない。
四 漏水(地盤パイピング)について
次に、本件破堤が漏水によるものであるか否かについて検討する。
一般に、パイピングによる破堤が原告ら主張(請求原因第四の三の1(二))のとおりの経過で発生することが認められる。
そして、
1長良川、矢作川、吉野川などの河川中下流部の自然堤防地域、三角州地域の沖積層地盤は元来漏水を起こしやすい地盤であり、特に、表層の難透水性層の薄い箇所、堤内地地盤に高低差があるときの低湿地、例えば堤防に接近して作られた土取場跡等の窪地など、あるいは過去に洪水によつて破堤した箇所はいずれも漏水の起こりやすい箇所であると指摘されていること、しかるところ、本件破堤箇所付近は右低湿地にあたり、また丸池は過去の破堤によつて形成された落堀であると推定されること(前記第二の三2)、さらに本件破堤後の地質調査によると、本件破堤箇所付近の地盤にはT・Pマイナス三メートルから六メートル下に透水性の砂層が存在していることが判明しているところ、本件破堤においては深さT・Pマイナス六メートルまで洗掘されていることに照らし、過去の破堤により形成された旧丸池の深部は右透水性の砂層に到達していた可能性も存し、したがつて、当時の旧丸池の池底においては表層の難透水性層が存しないかあるいは非常に薄かつたものと推定できることなどから、本件破堤箇所付近は漏水を発生させやすい地盤構造を有していたと認められること、
2新堤築堤後も丸池の一部が残されたことにより、右1に述べたパイピングを起こしやすい状態が維持されたのみならず、丸池においては、その周辺に比べ土の代わりに池水があるだけ水頭損失が小さくなり、しかも丸池が堤防に接して存在することから浸透経路長が短かい分水頭損失が小さくなり、一層パイピングを発生させ、集中させる結果となつたこと、
3右1、2の事実と、新堤築堤時に丸池の水をポンプで排水しようとしても排水できなかつたこと(前記第二の四2(二))、丸池の東北寄りの部分には直径七ないし八メートルの範囲で藻も生えず、冬でも直径約四メートルの範囲で氷の張らない部分があり、増水期には直径三〇センチメートル程の噴出しをみたことがあつたこと(同4(四))から、丸池には本件破堤前すでにパイピングが生じていたものと推定できること、
4本件破堤直前に丸池内にみられた波立ち、水の盛上がりないしは渦巻き現象は、右1ないし3の事実に照らし河川水が堤体基盤の土砂とともにパイピングによつて丸池内へ噴出したボイリング現象であると考えられること、
以上の事実が認められる。
そうしてみると、丸池には相当大規模なパイピングが存し、本件破堤時においてもこれが進行していたことが推認でき、さらに、前記第三の三1(三)に記載のとおり本件破堤箇所上流側の堤防表法肩に発見された亀裂はパイピングによつて生じたものと説明できなくもないことなどを考え併せると、丸池に存在したパイピングが本件破堤に対し何らかの寄与をなした可能性も、これを否定することはできないと考えられる。
もつとも、原告らは本件破堤がもつぱらパイピングに起因するものであると主張するが、<証拠>によれば、パイピングによる沈下、陥没はパイピング孔が存在する範囲での局所的なものに限られるから、これにより亀裂が生じたとしても、局所的なものにとどまり、また、パイピングによる亀裂はむしろパイピングの方向に沿つて、すなわち堤防の横断方向に発生するものであるから、本件破堤箇所堤防裏小段に幅約八〇メートルの幅で発生した亀裂がパイピングによるものであるとすると、右亀裂を発生させるような巨大なパイピング孔の存在を要するが、このようなパイピング孔の存在は到底考えられないものであることが認められるし、右亀裂がパイピングの水みちの陥没に起因するものとすると、前記第三の三に認定のように丸池内のガマ(パイピング)が破堤直前まで激しかつたことの説明がつき難い。そして、原告らがその主張の根拠として挙げる、本件破堤における堤体のすべり面が深くかつ大きかつた事実及び崩落した堤体が大きな土塊のままの状態で丸池側へ押流された事実は、必ずしも地盤パイピングを破堤原因としなければ説明し得ない現象とはいえず、むしろ、右は、本件破堤箇所の堤防が、新堤部分が丸池側にすべりやすい構造上の特性を有していたことに起因する現象と考えられる。
以上のとおり、本件破堤がもつぱらパイピングによるものであるとの原告らの主張は理由のないものである。
五 被告の主張する破堤原因について
被告は、<証拠>に依拠し、堤防の安定解析という手法を使用して、本件破堤の要因は①四山に及ぶ高い河川水位、②長時間の洪水継続時間、③長時間の強い堤体上への降雨、④堤防の基礎地盤の難透水性層の不連続の四要因である、すなわち、本件破堤箇所の特異的要因としては④の要因によるものと主張している。しかしながら、以下に述べるとおり、被告の手法には多くの問題点があり、かつ本件破堤箇所の堤防基礎地盤の難透水性層の不連続があつたものとは認められないから、被告の右主張は採用できない。
1被告の手法について
(一) <証拠>によれば、一般に、浸透流解析や安定計算は、設計施工上、土質構造物の安定性についての一応の目安を得るために使用されるものであつて、技術上の制約から、現実の複雑な土質構造を有りのままの状態で反映させることができず、構造物の断面、土質条件及び各種定数等をモデル化、単純化さぜるを得ないから、現実の構造物を解析した結果とは異ならざるを得ず、また右各種定数の設定方法も未だ十全のものとはいえないなどの限界が存し、実際にも安定計算結果が現実と大きくくい違つた例が報告されていることが認められ、したがつて、被告の手法には破堤原因を事後的に究明する手段としては一定の限界が存することがまず銘記されるべきである。
(二) <証拠>によれば、被告は本件破堤箇所の堤防断面を<証拠>のとおりと措定して堤防の安定計算を行い、すべりが生じうる場合である安全率が一以下の場合のすべり面が本件破堤の一次すべりのすべり面と符合し、かつ右すべり面が丸池に達していないから、右計算結果は妥当なものであり、丸池はすべりの原因とはならないと結論付けたことが認められる。しかしながら、本件破堤箇所の堤防断面は前記第二の四4に認定のとおりであつて、被告の措定した堤防断面は、特に、堤防裏法先に幅約一七メートルの平場を措定し、丸池の水深を約2.4メートルと措定している点において現実の堤防と大きく異なつており、前記二に認定のとおり丸池の存在が本件破堤箇所の堤防の安定性に大きな影響を与える要因であると推定されることに照らし、被告が措定した堤防断面に基づく解析結果は、もはや本件に即して破堤原因を探究する資料としては価値が乏しいと考えざるを得ない。
(三) 被告が安定解析に用いた堤防モデルが<証拠>のモデルであることは前記認定のとおりであるところ、<証拠>によれば、新堤に内包されていた旧堤(輪中堤)については安定計算を可能ならしめるため、その一部を堤外側からの粘性土(難透水性層)と一体としたものであることが認められる。
しかしながら、本件破堤箇所の堤防における旧堤の状態は前記第二の四4に認定のとおりであるから、右モデルはいずれも、旧堤を無視しているというに等しく、したがつて右堤防モデルに基づく解析の結果得られた浸潤線、すなわち乙第一三号証の図5ないし図12(乙第三五号証の一の図8の9ないし16)は、実際の浸潤線と異なつていることは明らかである。
(四) さらに、右乙第一三号証の図3の難透水性層の不連続を措定したモデルは、<証拠>によれば、堤外側の粘性土については<証拠>の附図地質断面図のうち断面番号ナンバー六において天端直下に粘性土があることから、この付近まで粘性土が存在していたものとし、堤内側の粘性土については右地質断面図のうち断面番号ナンバー七において上部粘性土が堤防裏小段直下まで延びていたと推定されることから、粘性土の先端を堤防裏小段直下までとしたものであることが明らかである。
しかしながら、後述のとおり本件破堤箇所付近の堤防には被告の主張するような難透水性層の不連続は存在しなかつたと考えられるのみならず、被告のした右不連続の位置の推論方法には次のような誤りがある。
すなわち、まず、本件破堤において一次すべり及び二次すべりは丸池北寄り側で発生しているから、右地質断面図のうち断面番号ナンバー七及び八を基に推論すべきであつて、ナンバー七及び六を基礎とするのは妥当でない。
さらに、右断面番号ナンバー六における堤外側からの粘性土は、<証拠>によつても天端直下までではなく堤防裏小段下付近まで連続して存在していることが明らかで、<証拠>によれば、堤内側粘性土と連続していることが認められるから、天端直下まで粘性土が存在していた旨の右推論は何ら根拠がない。また、右断面番号ナンバー七において、ボーリングナンバー一二箱及び一三のAm/層の上下線を直線で延ばすとその端部は少くとも天端直下まで延びていることが認められ、堤内側の粘性土が堤防裏小段直下まで延びていたとの右推論は合理的でない。右断面番号ナンバー七において、堤外側に粘性土の旧堤が存在していたことを考え併せるとむしろ粘性土は連続していたものと推定でき、結局以上の事実に基づくならば、難透水性層の不連続部分は無かつたと考えるのが合理的であるといわざるを得ない。
(五) 浸透流解析や安定計算は、土質定数、特に土の透水係数の値によつて結論を異にするものであるから、その値は慎重に決定する必要がある。ところで、一般に、土の透水係数を求めるには現場試験、室内で行う定水位、変水位試験などの試験によつて求める方法と、粒径によつて求める方法とがあるが、室内試験によつて得られる数値は実際の地盤における土の透水係数とかなり違いをみる場合があるため、これのみに頼ることは危険であつて現場試験を併用すべきであり、また現場試験のうちでも多孔井の揚水試験がより信頼でき、単孔井の場合は小さい値を示すことがあることが指摘され、また粒径に基づく透水係数は参考値にとどめるべきで、特に粒径が0.1ミリメートル付近の土はその状態によつて値に大きな開きが出てくるので、これのみで判断するのは危険とされている。
被告は堤体の透水係数につき現場試験、室内試験の結果と概略値(粒径に基づく透水係数)を勘案して2×10-3cm/Secと定めた旨主張しているが、右値は四か所の資料に基づく現場試験の結果とも大きく異なつているばかりでなく、かなりばらつきのある結果を示した室内試験のうち、最も高い値を採用しているのであつて、右値を採用するについては概略値の値を重視したものとも窮われ、さらに<証拠>によれば本件堤体の透水係数について2.15×10-4cm/Secとの測定結果が発表されていることに照らし、右値を採用したことの妥当性には相当疑問があるといわざるを得ない。
(六) 以上のとおり、被告の手法にはそもそも一定の限界が内在しているのみならず、解析の基本となる堤防モデルは、丸池につき一七メートル以上の平場が存在したとするなど看過し難い現実の堤防との大きな相違点を含むものであり、また土質定数の設定にも疑問がある。
右に指摘した点が、安定解析の結果に影響するか否か、影響する場合どのような差異が生じるかを明らかならしめる証拠はないが、前記問題点の重大さにかんがみると、これにつき検証を経ていない被告の解析の結果を本件破堤原因解析の資料に用いることは、ためらわざるを得ない。
2難透水性層の不連続について
被告は、本件破堤箇所の堤防基礎地盤には難透水性層の不連続があつた旨主張するのであるが、その根拠とするところは、本件破堤箇所付近の堤内外に存する上部粘性土は堤内側と堤外側ではその層相及び層厚を異にしており、これは、堤外側はより自然堤防的堆積環境に、堤内側はより後背湿地的堆積環境にあつたという、堆積環境の違いによるものと推定でき、特に乙第三五号証の一附図地質断面図の断面番号ナンバー九において堤内側上部粘性土が砂層と指交状の変化を示し、断続的に急に厚くなつている状態が観察されることから、堤内側と堤外側の粘性土が本件破堤箇所において連続していない可能性も考えられ、以上の土質分布状況のみからではこれが連続しているか否かを確定できないものであるところ、堤防の安定解析によれば、本件破堤箇所の難透水性層が不連続の場合でなければ破堤し得ない結果であつたため、難透水性層の不連続を推定できるというにあると解される。
しかしながら、被告のなした安定解析の結果は採用し難いのであるから不連続の推定はその根拠を失うのみならず、右地質断面図からは、かえつて上部粘性土の連続を推定できることは前記1に説示したとおりである。本件破堤箇所において堤内側と堤外側とで上部粘性土の層相、層厚が異なるのは、堤内側上部粘性土が旧丸池底に堆積されたナメ泥層であるからであつて、被告の主張は本件破堤箇所のこのような特殊性を無視している点で既にその前提を誤るものというほかなく、被告主張のように堤内側上部粘性土がすべて後背湿地的環境にあつたと考えるのであれば、むしろ本件破堤箇所においてもその上、下流部と同様に堤内外の上部粘性土が連続していたと推定すべきであること、被告の主張する堤内側上部粘性土が指交状の変化を示しているのは、<証拠>によれば、旧堤の下の位置であつて、旧堤に接する部分は薄く堤外側粘性土と連続していると認められること、また旧堤もシルト質粘土であるから、旧堤の存在も考慮に入れると、右指交状の変化を示す部分においても堤内外上部粘性土は完全に連続していることとなるから、右指交状の変化を示すことによつては堤内外上部粘性土の不連続を推定できないことなどからすると、難透水性層の不連続なる被告の主張は根拠を欠くというべきである。そして、本件破堤箇所においては堤外側上部粘性土が旧堤から旧丸池底のナメ泥層へと連続して存在していたと推定できることは前記第三の四2に認定したとおりである。したがつて、被告の右主張は理由がない。
六 まとめ
以上認定したところによれば、本件破堤は、本件破堤箇所において、丸池の存在によつて堤防及び堤防裏堤脚部が不安定な構造となつていたうえ、新堤築堤工事によつて新堤部分が丸池側にすべりやすい構造となつていたところ、本件降雨・洪水により浸潤が進んだことにより、さらに丸池内に存在したパイピングの激化が加わつて、堤防の弱体化を招き、堤防裏小段に亀裂を発生させ、一次すべり、二次すべりを引起こして破堤に至つたものということができる。
第五 河川の設置・管理の瑕疵
一 河川の設置・管理の瑕疵の基本的考え方
国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物の設定・建造又はその維持・修繕・保管に不完全・不十分な点があつて、当該営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国及び公共団体の賠償責任については、その過失の存在を必要としないと解され(最高裁判所判決昭和四五年八月二〇日民集二四巻九号一二六八頁参照)、この営造物が通常有すべき安全性については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものと解されている(最高裁判所判決昭和五三年七月四日民集三二巻五号八〇九頁参照)。
そこで、これを河川についてみれば、河川において通常有すべき安全性とは、当該河川の置かれている地形、地質等の自然的諸条件の下で、当該河川につき通常予測される洪水を安全に下流へ流下させ、もつて右洪水による災害を堤内地住民に及ぼすことのないような安全な構造を備えることであると解される。
なお、当裁判所は、営造物の設置又は管理の瑕疵による損害賠償責任を検討するにつき、人工公物、自然公物といつた公物の成立過程からみた分類に対応した管理責任の質的差異が存するとか、あるいは河川については自然公物であるが故に判断基準に制限が設けられるべきであるとの考え方は採らない。
二 瑕疵の推定について
原告らは、主位的主張として、洪水が堤防を越流することなく、又は洪水が計画高水流量、計画高水位以下の規模であるのに堤防が破堤した場合、右事実から直ちに、当該堤防に何らかの瑕疵があつたことすなわち当該堤防が通常有すべき安全性を備えていなかつたことを推測できるから、過失の一応の推定の法理により、右事実のみから当該河川の設置又は管理の瑕疵を推定できる旨主張する。
そこで、まず、右推定の法理の当否について考えてみると、原告らが立論の根拠とする過失の推定については、過失の「一応の推定」によつていると説明される判例及び右推定を肯定する学説が存在するところ、この過失の「一応の推定」といわれているものは、不法行為に基づく損害賠償請求訴訟において、加害行為ないし損害の発生の客観的事情に基づいて経験則の適用によつて過失事実を推認することをいうものと解される。
しかして原告らは、右過失事実の推認には、抽象的、不確定的認定も許されるのであり、このことは、とりもなおさず「過失」そのものが、推認されることとなると主張するのであるが、この点については、過失の「一応の推定」が、経験則による事実上の推定が適用される一場面であることからいつて、法的な価値判断、法的評価の結果である「過失」が推認されることはないにしても、法的な過失の概念に導かれて構成された過失行為それ自体が、抽象的にあるいは選択的に推定される場合が想定され得ないではなく、このような場合にはこの推認された事実から直ちに過失が認定されることとなるといえよう。
したがつて、右過失の「一応の推定」の場合、推定の結果は、いかなる事実が推定のもととなる事実であるかと、経験則の内容によつて定まるものというべく、このことは、右「一応の推定」が事実上の推定の一態様であることからいつても当然である。
そうしてみると、国家賠償法二条の営造物の設置又は管理の瑕疵につき過失の「一応の推定」の法理が適用されるか否かを抽象的に論じることは、本訴請求の当否を判断するにつきさして有用とは解されず、むしろ原告ら主張の具体的な推定の当否が検討されるべきである。
そこで、原告らの瑕疵推定の主張を判断するにあたり、まず計画高水流量及び計画高水位の意義について検討を加える。
河川法は、同法一条、二条一項において、洪水、高潮等による災害の防止を河川管理の主要な目的の一つであると定め、その目的に資するため同法一三条一項において、河川管理施設は、水位、流量、地形、地質その他の河川の状況及び自重、水圧その他の予想される荷重を考慮した安全な構造のものでなければならない旨定めたうえ、同法一六条において、河川管理者に対し、河川工事についての工事実施基本計画(計画高水流量その他当該河川の河川工事の実施についての基本となるべき事項)の作成義務を課し、これを作成するにあたつては、しばしば洪水による災害が発生している区域につき、災害の発生を防止し、又は災害を軽減するために必要な措置を講ずるように特に配慮しなければならない旨定めている。右の定めをうけて、河川法施行令一〇条は、右工事実施基本計画の作成の準則を具体的に定めており、同条一項において、洪水、高潮等による災害の発生の防止又は軽減に関する事項については、過去の主要な洪水、高潮等及びこれらによる災害の発生を防止すべき地域の気象、地形、地質、開発の状況等を総合的に考慮することとし、同条二項において、工事実施基本計画には、基本高水、並びにその河道及び洪水調節ダムへの配分、そしてこれを受けた主要地点における計画高水流量、計画横断形、計画高水位を定めなければならないとしている。
そして、<証拠>によれば、以上の各規定に基づき河川管理者が実際に工事実施基本計画を作成するにあたつては、まず、当該河川の既往洪水、当該河川の重要度等を総合考慮して、降雨の年超過確率を基準として基本高水が決定され、これを河道、洪水調節ダム等に合理的に配分して、河道の最大流量である計画高水流量が定められ、さらに当該河川の状況に即して計画高水流量に対応した流下断面(流水の流下に有効な河川の断面)を確保することを基本として計画横断形が定められ、このような計画横断形のもとで計画高水流量が流下する場合において達するであろう河川の水位が計画高水位として計算されるものであるところ、計画高水流量及び計画高水位が右のとおり工事実施基本計画の基本、すなわち河川改修の基本となる基準とされたのは、我が国の洪水が、我が国の自然特性から被告の主張第一の一3のとおり短時間に高い水位の洪水が発生することが多いという特性を備えているために、我が国の治水施設の整備方針が右のような短期集中型の洪水を対象として実施されていることによるものであることが認められる。
右に認定したところからすれば、計画高水流量及び計画高水位は、工事実施基本計画の基本であり、河川改修の基本となる基準ではあるが、その意味するところは、当該地点の堤防が、ある時点において流下させるべき最大流量あるいは最高水位に関する基準であることが明らかである。
ところで、前掲各証拠によつて認められるとおり、洪水現象は、単に最高水位あるいは最大流量のみが堤防の安全性に影響を及ぼす要素なのではなく、このほか洪水継続時間、洪水位の変動、流水の作用等の様々な要素要因が堤防の安全性に影響するものであるから、計画高水流量及び計画高水位の基準としての意義が右に述べたごときものである以上、計画高水流量及び計画高水位は、最大流量あるいは最高水位に限定されない、すべての洪水現象による様々な作用に対する堤防の一応の安全性を担保する数値であるとはいい得ない。
したがつて、我が国の治水施設の整備方針及びこれに基づく工事実施基本計画の設定のしかた自体の当否の問題は残るとしても、計画高水流量、計画高水位以下の洪水によつて破堤したからといつて、右破堤が堤防に何らかの瑕疵があつたことに基因するものと推認することはできないといわざるを得ないから、原告らの瑕疵が推定されるという主位的主張は理由がない。
三 長良川の設置・管理の瑕疵
原告らは、予備的主張として、長良川の設置・管理の瑕疵について具体的に主張するので、検討する。
1本件破堤箇所の堤防の危険性
これまでに認定した各事実から、本件破堤箇所の堤防が次のような危険性を有していたことは明らかである。
(一) 堤体の性質・形状をめぐる危険性
(1) 本件破堤箇所の堤防は、丸池の深さの分だけ天端までの比高が周辺部より大きく、不安定な形状となつていた。
(2) 本件破堤箇所の堤防は、周辺部と比べ、丸池の掘れている分だけ押さえ盛土の役割を果たすものがなく、堤体の滑動を助長しやすい構造となつていた。
(3) 本件破堤箇所の堤防裏法尻は、護岸、土留めなどの堤脚保護工事が施されず、常時池水に接していたため、堤体支持力の低下を招いた。
(4) 新堤築堤工事により、旧丸池底に存在した軟弱なナメ泥層の上に新堤腹付け部分が乗る形となり、堤体を不安定ならしめる構造となつていた。
(5) 新堤築堤工事により、旧丸池のため湾曲していた旧堤が新堤の堤外側に偏在する構造となり、粘性土の旧堤裏法斜面に砂質土の新堤が乗るという堤内側へすべりやすい構造となつていた。
(6) 新堤築堤工事にあたり、旧堤法面の芝の処理をなさず、段切りも不十分のままであつたため、新旧堤体の接合面には弱点が存在し、すべりを助長する構造となつていた。
(二) 地盤の構造をめぐる危険性
(1) 旧丸池は過去の破堤により形成された落堀であり、本件破堤箇所の地盤はパイピングを起こしやすい透水性の地盤であつた。
(2) 新堤築堤時、丸池を埋立てず放置した結果、周辺部分より水頭損失が低くなり、パイピングを招きやすく、またこれを集中させやすい構造となつていた。
(3) 丸池内にはパイピングが発生しており、堤体の安定性に影響を及ぼす可能性があつた。
なお、被告は、堤防の構造の基準につき定めている河川管理施設等構造令(昭和五一年政令第一九九号)の各規定に照らしても、本件破堤箇所の堤防はこれに適合しており、流水の通常の作用に対する安全性を備えていた旨主張するが、被告の右主張は、本件破堤箇所堤防裏法尻に幅約二〇メートルの平場が存在したことを前提とするものであるところ、右平場の存在が認められないことは前記第二の四4に認定したとおりであるから、被告の右主張はその前提を欠き、理由がないといわなければならない。
かえつて、前記第二の四4に認定した堤防の構造等からすると、同令二四条及び同令施行規則一四条一〇号によつて、本件破堤箇所の堤防裏法脚部に幅五メートル以上の第一種側帯を設けられるべき(なお、同令及び同令施行規則の運用についての通達(昭和五二年二月一日建設省河川局水政課長、同治水課長)によれば、地盤の土質条件の劣悪な箇所においては、適切な幅が、標準的には一〇メートル以上二〇メートル以下が必要とされている。)ものであつて、本件破堤箇所の堤防が右の点において、同令の定める基準を満たしていなかつたことが明らかである。
また被告は、本件破堤箇所の堤防は、新堤築堤工事以前の旧輪中堤時代に経験した明治二九年の大洪水によつて破堤することがなかつたうえ、新堤築堤工事以後においても本件災害に至るまで破堤することがなく、特に本件洪水に匹敵し、あるいはこれを上回る洪水位を示した昭和三大洪水によつても破堤することがなかつたのであるから、その安全性が十分検証された堤防であつた旨主張する。しかし、洪水は、その降雨及び流出等の様々の条件が複雑にからみあつて多種多様の態様を示すものであり、これに基づく堤防の損傷形態も多様なものであること、堤防の欠陥もまた種々のものがあるがそのうちには洪水経験の蓄積等時間の経過によつて進行していくものも存することなどを考慮すれば、仮に過去の洪水によつて堤防の安全性が検証され得たとみうるとしても、それは当該時点の当該洪水における堤防の安全性が検証されたといえるにすぎないから、被告の主張は採用できない。
2危険性の認識予見と除去措置の施行可能性について
(一) 危険性の認識、予見の可能性について
まず、前記1(一)の堤体の性質・形状をめぐる危険性のうち、(1)ないし(3)の、丸池が堤防堤脚部に接していることから生ずる堤防の危険性については、新堤築堤当時の河川工学上の技術水準によつてもこれを認識し得たことは、当時、前記第二の四2(二)、(五)に認定したとおり水中盛土について格別の措置を講ずべきものとされていたことからも明らかであり、さらに丸池は、右のとおりの状態で本件災害に至るまで放置されていたのであるから、右危険性を予知することは何時の時点においても容易であつたものといいうる。また前記1(一)の(4)ないし(6)の危険性についても、右危険性は新堤築堤工事によつて生じたものであり、当時これを予知することは容易であつたことは明らかである。特に、前記第二の四2(二)に認定したとおり、新堤築堤工事にあたり、丸池のナメ泥を除去しようとして丸池の排水に着手した事実は、右(4)の危険性について現実の認識を持つていたことを推測させる事実である。さらに、以上の(1)ないし(6)に基づく堤体の不安定は、新堤築堤時に二度にわたつて埋出部が崩落したこと(前記第二の四2(三))、新堤築堤後の修補箇所が徐徐に沈下し、ついには水面下に没したこと(同3(一)、(二)、(四))などの事実からも予測しえたものと考えられる。
次に、前記1(二)の地盤の構造をめぐる危険性については、(3)の丸池内にパイピングが発生していたことは、前記第二の四4(四)後段に認定した各事実及び前記第二の四2(二)に認定した新堤築堤工事の際丸池内の水を排水しきれなかつたことなどから予測することが可能であつたと考えられる。被告は、右事実によつてパイピングを予見することは不可能であると主張するが、証人高橋忠男の証言によれば、同人は新堤築堤にあたり丸池内にガマが発生していると推測していたことが認められ、右事実に照らし、被告の右主張は理由がない。
また、前記1(二)の(2)の危険性は河川工学上の知識から容易に予見しうるところである。
さらに、前記1(二)の(1)の危険性については、前記第四の四1に認定したとおり、本件破堤箇所の位置する長良川中流域はそもそも漏水を起こしやすい地盤であること、本件破堤箇所は河川工学上特に漏水を起こしやすい地盤を有すると推定される地形的特色を備えていたこと、また前記第二の三2に認定したとおりの本件破堤箇所が落堀であると推測させる事実が存していたことなどから、その予測は可能であつたと考えられる。
被告は、原告らの主張する調査によつては、本件破堤箇所が落堀であることを確定できず、まして原告らの主張する欠陥を予見することは到底できないし、原告らの調査から何らかの事実が判明したとしても、あまりにも古く、かつ不確かな事実であつて、これらは堤防の築堤あるいは改修に際し考慮されるべき事情には到底あたらないものであると主張するが、漏水を起こしやすい箇所であるか否かは堤防の築堤あるいは改修に際し考慮すべき重要な事項であること、なるほど被告の主張するように前記第二の三2の事実から本件破堤箇所が落堀であることを確定することはできないが、そうである可能性が高度であると推測することは可能であつて、現に証人高橋忠男の証言によれば、新堤築堤当時、同人はかかる推測をなしていたと認められること、右第二の三2の事実は被告の主張するような古くかつ不確かな事実といえないことは明らかであることなどを総合すると、被告の右主張は到底採用し得ない。
(二) 危険性除去措置の施行可能性について
前記危険性を解消し、本件災害の発生を回避することが可能であつたか否かについてであるが、まず、右危険性のうち前記1(一)の堤体の性質・形状をめぐる危険性は、丸池の放置に起因するものが多いから、丸池の埋立ては右危険性を解消するための容易かつ有効な対策であることは明らかである。さらに、新堤築堤工事に際し、丸池底のナメ泥を除去し、また旧堤法面の芝の除去、十分な段切りを施し、裏法尻に堤脚保護工を講じ、さらに堤体の不安定な形状を補うため堤防断面を増大し、あるいは押さえ盛土を置くなどの方法により、右危険性の発生を防止しあるいは解消し得たことは明らかである。
また、前記1(二)のパイピングを発生、拡大させやすいという地盤の欠陥に対しては、新堤築堤時又はその後に、原告ら主張のとおりの対策(請求原因第四の四3(一)の(1)ないし(6))を講ずることにより、本件災害を回避することが可能であつたことは明らかである。
被告は、本件破堤箇所の堤防は、本件破堤に至るまで何らの損傷も生じなかつたから、原告らの主張する結果回避の措置を講ずる必要はなかつた旨主張するが、仮に堤防に視認可能な損傷が何ら生じていなくとも、堤防に瑕疵が存し、災害の発生を予見しうる以上、これを回避する措置を講ずべきことは当然であつて、被告の右主張は失当である。
また被告は、本件破堤箇所における堤防は、構造令に合致する構造を有しており、また、地元民等から過去において一度も補修、改修等の陳情があつたことはなく、また昭和三大洪水を疎通せしめた実績を有しているから、原告ら主張のような結果回避措置をとることは必要なかつた旨主張するが、本件破堤箇所の堤防が構造令に合致していないこと、昭和三大洪水を疎通せしめた実績があるからといつて堤防に何ら瑕疵がないとはいえないことは前記1のとおりであり、また、地元民等による補修等の陳情の有無によつて被告の負つている結果回避措置義務が左右されるものでもないうえ、<証拠>によれば、昭和三〇年代及び同四二年、揖斐川以東水害予防組合は、木曽川上流工事事務所長らに対し、丸池その他の危険箇所について対策を講じて欲しい旨を陳情したことが認められるから、被告の右主張は理由のないものである。
3被告の諸制約論について
被告は、河川管理においては様々の制約がある旨主張し、右主張は、右諸制約のため本件災害の発生を事前に予測し、あるいは回避し得なかつた旨の主張ともみられるので、この点につき判断する。
一般に、河川が客観的に安全性を欠いている場合であつても、その危険が管理者において管理を開始する以前から管理者の責任に依らずして河川自体に自然的に内在していたような場合など、右危険が外因的に招来された場合には、管理者においてその危険の存在を速やかに把握して、その除去、回復に努め、あるいはその危険から生じうべき災害の回避措置を講ずべきものではあるが、河川管理には被告らの主張するような諸制約があるから、右危険の把握、その除去、回復あるいは災害の回避措置を講ずるまでにはある程度の時間を要することは当然の事理であり、しだがつてそれが合理的理由に基づくものと認められる限り、その間に仮に災害の発生があつたとしても管理者は免責されるものと解すべきである。以上のとおり、被告らのいう河川管理上の諸制約は、これを違法性阻却事由として考慮すべきものであることは当然の事理である。
しかしながら、被告がこれを違法性阻却事由として主張するにあたつては、河川管理者において、管理を開始してから本件災害発生時までの間に、右危険の把握、その除去、回復あるいは災害の回避措置について、現実に実施してきたところ以上の措置は右諸制約のためにこれをとることができなかつたとする所以につき、具体的な事実関係との関連においてこれを明らかにすべきものと解するのが相当であるところ、本件においては、被告は右諸制約の存在を抽象的に主張するにすぎず、本件における具体的な事実関係との関連においてこれを主張するものではないから、結局被告の右主張は採用できない。
4異常な降雨、洪水の主張について
被告の、本件降雨及び洪水は異常なものであつて、これを予測し得ないものであつた旨の主張は、本件破堤箇所の堤防は通常予測しうる降雨及び洪水に対しては十分耐えうるものでこれを改修する必要はなかつたところ、本件降雨及び洪水は、右通常の予見の範囲を超えたもので、客観的に管理責任の範囲を逸脱するものであつたから、本件災害は不可抗力によるものであるとの主張と解されるので、以下この点について判断を加える。
(一) <証拠>によれば、本件降雨及び洪水についてその規模の点を既往の降雨及び洪水と比較すると、被告の主張第五の二のとおりであることが認められる。
しかしながら、被告のなした右の比較には次の問題点が存する。すなわち、
(1) 被告は、降雨量を比較する場合には明治二六年八月洪水以降の既往洪水を対象としているにもかかわらず、その余の点を比較する場合には昭和二八年以降の洪水を対象としているにすぎないものであるところ、降雨量の比較においては明治二六年八月降雨、同二九年七月及び九月降雨等が既往降雨の中で降雨量の多いほうに数えられるものであることが認められるのであるから、これらの洪水をその比較の対象に含めていない降雨量以外の点の比較は不十分なものであるといわざるをえないこと、
(2) 被告は、本件洪水と昭和三大洪水との比較を特に重視しているようであるが、表14及び16などからも明らかなように、昭和三大洪水が既往洪水の中で特に大規模なものであつたものとは認められないから、本件降雨及び洪水の規模を既往の降雨及び洪水との比較によつて検討しようとする場合に、昭和三大洪水のみをとりあげて比較することは、さして重要な意味を有しないと考えられること、
(3) 被告は、降雨量の比較をする場合に、長良川忠節地点上流の流域平均雨量によつているが、その算出された流域平均雨量が真実の流域平均雨量と厳密に合致しているか否か不明であること、すなわち、<証拠>によれば、適切に設定地点の選ばれた十分な数の観測点雨量が存する場合には実相に極めて近似した流域平均雨量を求めることができることが認められるが、被告は、全流域面積が一九八五平方キロメートルに及び長良川の、忠節地点上流の流域平均雨量を五つの観測地点の雨量のみによつて算出したものであること、
(4) 被告は再現期間という指標を用いて、本件降雨及び洪水と既往降雨及び洪水とを比較しているが、<証拠>によれば、被告の採用した対数正規分布法も含め、確率モデルに基づく議論の有効性には一定の限界があり、資料の分布する範囲を超えてまで資料内の傾向を拡げていくことは危険であると指摘されていることが認められ、したがつて、被告の算出した再現期間のうち、その値が異常に大きいものについては右危険をふまえてこれを評価すべきであること、
以上の点が指摘できる。
もつとも、右(1)ないし(4)の問題点を考慮に入れても、冒頭に認定した事実からすれば、本件降雨が、長良川忠節地点上流域平均雨量について、二日雨量、三日雨量及び四日雨量において既往最大を上回り、本件洪水が、最高水位について昭和二八年以降の洪水中の既往最大である昭和三四年洪水に迫る値を示し、また洪水継続時間について昭和二八年以降の洪水中の既往最大をはるかに超えるものであつたことが認められ、したがつて、本件降雨及び洪水は相当大きな規模のものであり、特に長期間継続したところに特徴を有していたものといえる。
(二) 次に、<証拠>を総合すると次の事実が認められる。
(1) 長良川及び揖斐川の上流域は距離的に近接しており、また、山岳地帯の斜面が南側に面していて、ここに湿つた南風が吹きつけることにより大雨が降りやすいという地形的条件も共通しており、例えば本件降雨と明治二九年九月降雨とを比較しても、明治二九年九月降雨は、九州付近で台風の進行が遅くなり、停滞気味に推移し、これが日本の中部を東西にわたり長く停滞していた前線を刺激したことによつてもたらされた大雨であつて、本件降雨をもたらした前記第三の一の気象条件と共通する気象条件であつたのであり、ただ降雨の中心部が三〇キロメートルから五〇キロメートルのずれがあつたのみであるなど、台風と前線に伴う降雨について長良川上流域と揖斐川上流域とを区別できるほどの地域的特性を認めることはできないこと、したがつて、長良川流域の降雨量を考えるにあたつては揖斐川上流域の降雨量も参考にするのを相当とすること。
(2) 本件降雨と明治二九年九月降雨との長良川、揖斐川両流域における観測所の日雨量、継続日数及び総雨量を比較すると表18のとおりであること、そして、右事実によれば、明治二九年九月降雨は本件降雨に匹敵し、あるいはこれを上回る規模であつたことが推認できること、また、明治二九年九月洪水においては岐阜測候所において同月七日から一一日まで五回の警報を発したこと、明治二九年九月降雨及び洪水における岐阜測候所の実測降雨記録及び穂積村量水所の水位は表19のとおりであること及び表18を総合すると、明治二九年九月洪水の洪水継続時間は本件洪水に匹敵しあるいはこれを上回るものであつたことが推認できるとともに、明治二九年九月洪水においても本件洪水と同様に一山でなく複数の山を持つ洪水波形を示したこと及び提体上の降雨と洪水とが相当期間重複したことをも推認できること。
(3) なお、すでに、昭和一四年に、明治二九年九月降雨の研究をもとに、岐阜地方には一週間に一〇〇〇ミリメートルの降雨がありうる旨の報告がなされており、本件災害後においても、本件降雨と明治二九年九月降雨との降雨パターンの類似性は、岐阜県の豪雨パーターンを類推させるものである旨の報告がなされていること。
(三) 右(一)、(二)に認定したところからすれば、本件降雨及び洪水は相当大規模なものではあつたが、既に明治二九年九月に、本件降雨及び洪水に匹敵し、あるいはこれを上回る規模の降雨及び洪水が発生しており、かつ右事実に基づき、明治二九年九月降雨及び洪水に相当するような降雨及び洪水が今後も発生する旨の予測が昭和一四年に報告されていることが認められるのであるから、むしろ本件降雨及び洪水は、予見可能の範囲内にあつたというべく、河川管理責任の範囲外の不可抗力による天災と認めることはできない。
よつて、被告の右不可抗力の主張は理由がない。
四 瑕疵についての結論
以上の次第で、本件破堤箇所付近の堤防には、これが築造に手落ちがあつて、その性状に判示のような欠陥が存し、破堤の危険性を内在させていたもので、かつ、本件災害時まで右欠陥が放置されてきていたものであるところ、本件降雨、洪水により右危険性が現実に発現、露呈して破堤をみたものであることが明らかである。そして、右降雨、洪水が予測不可能な異常のものであつたなど、本件災害が不可抗力ないし回避可能性のない場合であつたとすべき事由はなんら認められないのである。
したがつて、本件災害当時、本件の破堤した堤防は、一級河川による河川管理施設として通常備えるべき安全性を欠いていたもので、右安全性の欠如は、被告の、河川の設置・管理の瑕疵によるものということができる。
第六 被告の責任
以上のとおり、被告につき河川の設置・管理の瑕疵が認められるのであるから、被告は、国家賠償法二条一項により、原告らが本件災害より蒙つた後記損害を賠償する責任を負うものである。
第七 原告冨田幸子、同冨田定幸、同冨田きよみ及び冨田ゆみ子(二―237ないし二―240)を除くその余の原告ら(以下本項においては単に原告らという)の損害について
一 損害の概要
原告ら(但し、別紙相続関係一覧表記載の原告らについてはそれぞれの被相続人ら、以下この第七においては一三の3の場合を除いて同じ。)が、昭和五一年九月一二日当時、岐阜県安八郡安八町内に居住し、又は同地内に家屋等の資産を有していたところ、本件災害により被災したものであることは前記第一の一に認定したとおりであり、また、<証拠>を総合すると、
1昭和五一年九月一二日午前一〇時二八分頃本件破堤により、長良川の濁流が安八町内に流入し、同日午前一一時過頃には旧森部輪中に該当する地域の全域が水没し、同日夕方頃までにはほぼ安八町全域が水没したが、右濁流の流入はさらに翌一三日午前二時頃まで続き、同町及び墨俣町のうち約一七平方キロメートルが冠水(湛水水深は最大約四メートル、平均約二メートル)する結果となつたこと(このうち本件破堤により安八町の一部が浸水したことは当事者間に争いがない。)、右湛水は同月一六日以降まで続き、安八町森部地区では排水までさらに二日以上を要したこと、このため安八町住民は、破堤後直ちに出されたサイレンによる避難命令に従つて避難を開始し、湛水のため孤立した住民に対しては同月一二日から一四日にかけて救援活動が行われ、結局安八町のほぼ全住民が、結、名森の両小学校等安八町の一四、一五か所の避難場所に避難し、同所において数日間(一部の住民は同月二四日に至るまで)の避難生活を送らねばならなかつたこと、以上の本件水害によつて、安八町内においては以下2ないし5に述べるとおりの総額一三九億円を超える被害(昭和五二年一〇月当時の安八町の試算による。)を受けたこと、
2安八町内二九〇〇余戸のうち、一七四四戸が床上浸水、三六六戸が床下浸水、八四戸が半壊の被害を受け、家屋内に収蔵されている家財等の財産も流失又は冠水の被害を受けたこと、
3安八町地内は県下屈指の穀倉地帯であつたところ、七六〇ヘクタールの田が冠水し、16.4ヘクタールの田が埋没して、水稲は安八町内で約五〇〇トンの収穫があつたのみの、ほとんど収穫皆無の状態となり、また二五〇ヘクタールの畑も冠水し、蔬菜類等が大幅な減収となつたほか、農機具、飼料等の冠水、養豚、養鶏、乳牛等の家畜類の流失、へい死もあつたこと、
4安八町内には撚糸、織物、縫製業を中心として、木材、鉄工業などの各製造業者が存したところ、事業用の機械、器具、自動車等の冠水、流出等及び保管中の原材料、半製品等の冠水、流出等、さらには加工賃収入を得られないなどの被害を受け、また安八町内各販売業者も事業用の機械、器具、自動車等の冠水、流出、在庫商品の冠水、流出などの被害を受けたこと、
5被災者はいずれも、数日間の避難生活及びその後の復旧作業のため、相当期間の休業を余儀なくされたこと、
以上の事実が認められ、したがつて、原告らが本件災害によりそれぞれ右1ないし5に認定の被害を受けたものであることが認められ、他に右認定に反する証拠はない。
二 損害の特殊性
本件の如き洪水災害は、被災者の生活基盤、事業基盤そのものを破壊する被害の甚大性、すなわち被災者の多岐多様の財産が混然とかつ甚大な被害を受けること、及び被災者の数が多数にのぼることを特徴としており、通常の不法行為の場合における損害の発生形態とはかなり様相を異にするものである。したがつて、個別の損害費目の下に分析算定された個別の損害額を集積合算するという従来の財産上の損害額の算定方式をかような洪水災害の算定にあたり厳格に貫くときは、これら多岐多様の個々の損害を遺漏なく列挙することは不可能に近く、仮にこれを主張し得たとしてもその個個の損害の立証が極めて困難なものとなることはいうまでもない。そのうえ、多数にのぼる被災者の各人について右のような主張立証を要求するときは、被災者に著しい困難を強いるだけでなく、審理が著しく長期化し、洪水災害により甚大な損害を蒙つたこと自体は明らかな被災者の救済を著しく遅延させ、場合によつては事実上救済を拒むこととなる。本件においては原告数一二〇〇名余の水害訴訟であるうえ、前記一に認定したとおり、その被害の程度も重大なものであるから、右主張立証の不可能ないし困難性及び審理の長期化のおそれは一層強く指摘できる。
原告らは、財産上の損害の一部について、損保方式等の定型的損害額算定方法を採用すべき旨主張するものであるところ、我が国の損害賠償請求訴訟において、或る種の分類的区分法に従つて区別された一群の対象物に関する平均的数値を採用して損害額を算定すること自体は既に確立された手法であるといえるから、右に説示したとおりの洪水災害における損害の特殊性等に照らし、それが合理的な算出方法であつて相当であると判断しうる限り、これを採用する具体的な必要性があるものといわざるを得ない。
そこで、次項以下において、原告ら主張の各費目毎に、原告らの主張する損害額算出の具体的方法が合理性、相当性を有するものと判断できるか否かについて検討したうえで、原告らの個別の損害額を検討していくこととする。
なお、原告らが、原告ら各自の損害額算定の基礎となる事実を証明する証拠としてそれぞれ被害報告書(<証拠>、以下これらの証拠たる文書を被害報告書と総称する。)を提出していることについて、被告は、原告らはその損害につき個別、具体的にこれを主張するものであるから、原告ら各自の被害につき個別訴訟の場合と同様に立証すべきであり、また住民票、家屋課税台帳等のように容易な立証方法が存するのであるから、原告ら本人の一方的供述を記載したアンケート方式による被害報告書のみでは損害の立証がなされたものとはいい得ない旨主張する。
しかしながら、<証拠>を総合すると、原告らの被害報告書は以下のとおり慎重な手続で作成されたものであること、すなわち、原告ら代理人は、昭和五二年四月二日及び同月九日の両日、安八町内一四会場において損害調査票記入のための説明会を開催したうえで、同年五月九日から同月三一日にわたり、それぞれの担当する原告らと個別に面接し、原告らによつて記入された損害調査票について、住所、世帯は安八町作成の住民票謄本を、所有建物は同町作成の家屋課税台帳を、耕作田畑は同町作成の耕作証明書を、その他の事項は原告らの持参した領収証、青色申告書控等の各書類をそれぞれ照合のうえ、確認したこと、さらに原告ら代理人は、同五三年一二月一三日、再び安八町内一四会場において、損害調査のための説明会を開催し、同所において被害報告書作成の目的、方法の説明をなし、その後原告らにおいて家財被害の一覧表用紙への記人、各原告団ブロック役員において各原告らの浸水位の測定、右浸水位その他の被災状況を示す写真の撮影、各原告ら代理人において右損害調査票から被害報告書用紙への転記等の準備が行われたうえ、同五四年四月中旬から五月下旬にかけて、再び原告ら代理人と原告らとの個別面接が行われ、原告一人あたり平均約二〇分から三〇分にわたり被害報告書の各事項について質疑応答を経たうえ、記入あるいは確認がなされたこと、以上の手続により被害報告書が作成されたものであることが認められ、また、昭和五五年一〇月二一日の本件訴訟の進行等に関する打ち合わせの席上において、原告ら代理人から損害立証の方針、特に各原告の個別の損害立証については被害報告書によること及びその裏付資料である住民票、家屋課税台帳及び耕作証明書はぼう大な量になるため被告に異議がなければ提出しない旨が述べられたところ、被告代理人からは、これに対し、本件口頭弁論終結時の直前の昭和五七年三月頃に至るまで、何らの異議も述べられなかつたことは当裁判所に顕著な事実であり、以上の事実に、本件訴訟においては右に説示したとおりの洪水災害における損害の特殊性が存することを併せ考えると、被害報告書の記載は、後に個別に判断するとおり、信用できるものとして証拠価値を認めうる部分があるというべきである。
三 建物損害について
1損害額の算出方法について
(一) 損害率による算定方法について
原告らは、建物の浸水による損害額は浸水時における建物の価格に損害率を乗じて算出する方法を採用すべきであり、右損害率は「損害調査資料」所載の「浸水建物の損害率表」(表1)によるべき旨主張し、被告はこれに対し、右損害額とは建物が修復可能な場合には支払修復費用又は見積修復費用であり、修復が不能な場合には交換価値の減価をいうのであるから、これらを個別的、具体的に主張、立証すべきであり、また本件はこれが可能な事案であつて、原告ら主張の算定方式では、単に被害規模の想像値が得られるだけで損害の証明がなされたものとはいえない旨主張する。
よつて、検討するに、<証拠>によれば、損害保険においては、損害割合の認定は、保険金支払の有無及びその額を決定するものであるから、その適正な評価をなすことは極めて重要は意味を持つものであるところ、甲二三四号証の「損害調査資料」は、損保協会が昭和五〇年に発行したもので、風水害損害の一時多発的性格とそれがため特に求められる迅速、円滑、公平な損害処理の確保に資するため、損害率算定上の参考資料としてまとめられたものであること、「浸水建物の損害率表」(「損害調査資料」所載の「建物の浸水による損害基本率早見表」)は、一センチメートル毎の浸水位についてそれぞれ、建物の各構成部分につきその材質等に応じた浸水による損傷及び修理の必要等を勘案して浸水割合、浸水のため損害として査定した割合及び部分修理のため割高となる率を算定し、各構成部分の価格割合にこれを乗じたものを合算して作成されたものであることが認められ、以上の作成目的及び内容等に照らし、「損害調査資料」及び「浸水建物の損害率表」はいずれも客観性及び信用性の高い資料であると考えられること、本件は建物が浸水した事案であつて、建物が流出した事案などと異なり、個別に修理費用又は交換価値の減価額を立証することは必ずしも不可能ではないが、建物の浸水被害は補修によつて回復可能なものばかりであるとはいえず、建物の交換価値の減価の額を主張、立証することは容易なことではないこと、その他前記二に説示したとおりの本件訴訟の特殊性を総合すると、建物の浸水損害につき、浸水時における建物の価額に「「浸水建物の損害率表」に基づく損害率を乗じて算出する方法は、合理的かつ相当な算定方法であつて、十分に採用に値するものと考えられる。
被告は、水害統計における損害率をあげて、「浸水建物の損害率表」の合理性を争うが、水害統計における損害率が民事上の損害額算定の資料として合理性を有するものであるか否かについては何ら主張立証がなく、したがつて水害統計における損害率をもつて「浸水建物の損害率表」の合理性を判断する資料とはなし得ないこととなるから、被告の右主張は採用できない。また被告は、原告らの主張する右算定方法により算定された損害額は現実の損害額より過大となるから、右算定方法は合理的でない旨主張するが、右主張に沿う事実は本件全証拠によつても認められないから、被告の右主張は理由がない。
なお、原告らは、「浸水建物の損害率表」は、構造・用途を問わずすべての建物に対し適用すべきである旨主張する。しかしながら<証拠>によれば、「損害調査資料」においては、「浸水建物の損害率表」は木造専用住宅に対してのみ適用し、木造専用住宅以外の建物については個々に調査のうえ損害割合を判定する旨明記されていることが認められ、また<証拠>によれば、木造専用住宅とそれ以外の建物とは建物の各構成部分の価格割合が異なつていることが認められ、したがつて、前記認定の浸水建物の損害率の決定方法に照らし、木造専用住宅とそれ以外の建物とでは損害率が異なることが推認できるうえ、前掲各証拠によれば建物の使用材料及び構造等に照らし、木造専用住宅の浸水による損害率はそれ以外の建物より高い場合が多いことが窺われ、したがつて木造専用住宅の損害率が常にこれ以外の建物の損害率を下回るものであるとは到底いえないことなどを総合すると、「浸水建物の損害率表」を木造専用住宅以外の建物に適用し、あるいは類推適用することは相当でないと考えざるを得ない。
以上によれば、原告らの所有物のうち、木造専用住宅(併用住宅については住居専用部分)については原告らの主張する算定方式により損害額を算出することは相当であるといえる。しかしながら、本造専用住宅以外の建物については、「浸水建物の損害率表」を適用することは相当でなく、その他にその拠るべき損害率につき原告らにおいて何ら主張・立証しないから、建物の時価に損害率を乗じて算出するという原告ら主張の算定方式によつてはその損害額を算出し得ない。さらに、木造専用住宅以外の建物の浸水による損害の額を認めるに足りる証拠はない。
(二) 建物の時価について
原告らは、建物の浸水による損害の算定の基礎となる建物の時価につき、「手引き」に従い、建物の構造別新築単価によつて算出した再取得価額に残価率を乗じて推計する方法を採用すべき旨主張し、被告はこれに対し、原告らの建物の材質、構造等は一律ではないから、実際の取得価額を基礎に適正な物価上昇率及び減価償却を考慮して算定すべき旨主張する。
よつて検討するに、一般に損害額の算出方法としての具体的妥当性ないし合理性は被告主張の方法がより優れていることは明らかである。しかしながら、本件においては前記二に説示したとおりの特殊性が存すること、また<証拠>を総合すると、損害保険においては、保険契約の目的の価額(保険価額)は損害額算定の基礎となるものであるから、その適正な評価をなすことが保険契約を締結する上で極めて重要な意味を持つものであるところ、損保協会の発行にかかる「手引き」は、保険者たる損害保険会社及びその代理店が契約締結にあたつて保険価額を適正に評価するための基本的な資料として配布されている小冊子であつて、昭和四〇年にその初版が発行され、二年毎の改訂により、甲第二三五号証の「手引き」が昭和五〇年一一月一日増補改訂第六版として発行され、さらに甲第三〇四号証の「手引き」が、その後の物価の動向に対応して価格及び指数等を一部補正し、昭和五一年六月現在の価格を示すものとして同年九月三〇日に発行されたものであることが認められ、右「手引き」の作成目的及び内容等に照らし、「手引き」は客観性及び信用性の高い資料であると考えられることなどを総合すると、「手引き」に従い、建物の構造に区別の指標を求めて建物の新築価格を算出し、これに残価率を乗じて建物の時価を算出する方法は、合理的かつ相当なものであつて十分採用に値するものと考えられる。
次に、原告らは、木造専用住宅の新築単価が3.3平方メートルあたり三〇万円である旨主張するが、前掲甲第三〇四号証によれば、昭和五一年六月現在において、木造専用住宅の標準新築単価は、その等級に応じ、3.3平方メートルあたり二六万七〇〇〇円から四九万五〇〇〇円であることが認められるところ、原告らは右等級等について及び昭和五一年六月から同年九月一二日の本件災害時までの物価の動向について何ら主張・立証をしないから、本件災害時における木造専用住宅の3.3平方メートルあたりの新築単価は小なくとも二六万七〇〇〇円であつたものと認定せざるを得ない。したがつて、これを基礎として、木造専用住宅の再取得価格を算定すべきである。
なお、被告は、建物の経年減価率について、固定資産税の評価基準における「木造家屋経年減点補正率基準表」のとおり、経年減価率は各年一律ではないから、原告らの主張する各年一律の割合で減価していく方法は合理的とはいえない旨主張する。しかしながら、ここでの問題は、損害額算定の基礎となる建物の時価を推計するにつき、「手引き」が減価控除の方法として、企業会計原則にも認められた減価償却の一方法としてのいわゆる定額法を採用していることの当否であることにかんがみれば、右の定額法に依拠することには合理性があり、これを排斥すべき理由はない。
(三) 損害額の算出方法
以上によれば、木造専用住宅の浸水による損害額は次の式によつて求めることができる。
建物損害額=延床面積(m2)/3.3m2×
267,000円×0.84×残価率×
一階床面積(m2)/延床面積(m2)×損害率
なお、残価率は、昭和三二年以降に建築された木造専用住宅については次の式によつて求めることとし、右の式によつて得られる数値が最終残価率の0.2より小となる昭和三一年以前築造の木造専用住宅については残価率をいずれも0.2とすることとする。
2原告らの損害額について
前記一に認定の各事実及び別紙原告別認定損害一覧表甲号証記載の各被害報告書によれば、原告らが、本件災害当時それぞれ同表建物損害欄記載のとおりの木造専用住宅を所有しており、右建物について浸水被害を受けたものであることが認められる。
なお、被告は、不動産登記簿上未登記のもの及び原告とは所有名義が異なるものが多いことを挙げて、被害報告書のうち所有建物に関する記載の信用性を争つているが、被害報告書が慎重に作成されたものであり、特に所有建物に関する記載については原告ら代理人により安八町作成の家屋課税台帳と照合のうえ確定されたものであることは前記二に認定したとおりであるところ、建物を建築しても未登記のままであつたり、相続があつても登記上未処理のまま放置する場合があることから、建物の所有権の帰属については、家屋課税台帳の記載は登記簿に比しより信用性が高いものであると考えられることを考慮すると、被害報告書のうち右所有建物に関する記載については信用できるものと解される。
次に、原告らは、右木造専用住宅につき、それぞれ被害報告書記載のとおりの浸水位の浸水被害があつた旨主張する。そして、被害報告書が慎重な手続で作成され特に浸水位については、原告団の各ブロック役員の立会の下で各原告の浸水位の測定及び写真撮影が行われ、これに基づいて記入されたものであることは前記二に認定のとおりであること及び前記一に認定の損害の概要を総合すると、被害報告書の浸水位に関する記載は、その正確性はともかく、一応信用できるものと考えられる。しかしながら、前記二のとおり、各原告らの浸水位の測定は本件災害から二年余り経過した時点で実施されたものであるから、記憶もあいまいになつていると考えられること、また浸水の痕跡も補修等によつて既に消滅している場合もあること、被害報告書添付写真によつて認められる浸水位測定の実施方法は簡便なもので、厳密な値は得られないこと、他方、浸水の痕跡や原告らの現認した浸水位は最高浸水位とは考えられないこと、さらに、<証拠>によれば、「損害調査資料」においては、床上浸水の深さは、畳下荒床板面より測定し、かつ一階及び二階の各部屋の浸水の深さを測定してその平均値を求めることとされていることが認められるところ、被害報告書によれば、原告らは各建物につき一箇所を測定しているにすぎず、また測定の起点も統一されていないことが窺われることなどを総合すると、「浸水建物の損害率表」を適用するにあたつては、各原告らの主張する浸水位から、それぞれの二割を減じた、別紙原告別認定損害一覧表建物損害の浸水位欄記載のとおりの値を浸水位として建物損害の額を算定するのが相当である。
右浸水位に基づき、原告らの所有する木造専用住宅についての浸水による損害額を算定すると、同表建物損害の損害額欄記載のとおりとなる。
四 家財損害について
原告らは、家財の浸水による損害の額は浸水時における家財の額に損害率を乗じて算出する方法を採用すべきであり、右損害率は「損害調査資料」に基づき、「浸水家財の損害率表」(表4①、2及び)を使用すべき旨主張し、被告は建物の場合と同様に右算定方法の合理性を争う。
よつて検討するに、「損害調査資料」がその作成目的及び内容等に照らし、客観性及び信用性の高い資料であることは前記三1(一)において説示したとおりであり、<証拠>によれば、原告ら主張の「浸水家財の損害率表」(表4①及び②は、「損害調査資料」所載の家財についての「損害割合簡易認定基準表」(イ)及び(ロ)に該当し、表4②は「損害調査資料」の損害割合認定方法に基づき、延床面積に対する一階床面積の割合が一〇分の五から一〇分の六までのものにつき、これを最低限の一〇分の五とみなして損害割合を算出したもの)についても右説示が妥当するものであることが認められる。
しかしながら、<証拠>によれば、「損害調査資料」においても、家財の浸水損害を考えた場合、個々の家財品の収容場所は各家庭により異なり、千差万別であること、日中と夜間とで、あるいは季節によつても収容場所に変動があること、さらに水災の予知如何によつては家財の避難が可能であることなどの変動要因があるので、一律に損害割合認定基準を数値で示すことは困難であり危険であつて、具体的に現場調査により個別に損害認定をすることが望ましいとされていることが認められる。また<証拠>によれば、「浸水家財の損害率表」は搬出、避難した家財は無いものと想定して作成されたものであつて、浸水が早く、家財の搬出、避難な困難な状況である場合に一応の目処として同表により損害割合を認定して差支えないものとされていることが認められるところ、前記一に認定の各事実及び同記載の各証拠を総合すると、本件災害においては、本件破堤後直ちにサイレンによつて避難命令が出されたものであるが、原告らのうちには、その居住地域によつて、あるいは浸水位によつて推認しうるその居住建物の地盤の高さによつて、浸水するに至つた時刻が遅く、二階等に家財を避難する時間的余裕があつたと認めらるる者も存することが認めらる、したがつて、すべての原告らに対し一律に「浸水家財の損害率表」を適用することは、その前提を欠き、相当であるとは考えられない。以上の事実に、原告らは、家財のうち一部のものについては特別損害として個別に損害額を主張、立証していること、また被害報告書添付の家財被害の一覧表において家財被害の大様を記載していることに照らし、必ずしも、原告ら主張の方法でなければ、家財の損害額の立証が不能であるとはいえないことなどを考えあわせると、前記二に説示した本件訴訟の特殊性を十分に考慮してもなお、原告らの主張する、家財額に「浸水家財の損害率表」の損害率を乗じて家財の浸水による損害額を算出する方法は、合理的かつ相当な方法であるとは解されない。
しかして、他に右損害額を認定するに足りる証拠資料もないから、原告らの蒙つた家財についての損害の額については立証がないことに帰する。
五 農作物損害について
1稲作につて
(一) 損害の算出方法について
原告らは、稲作に関する損害額の算出方法について、原告らはいずれも平年水田991.7平方メートル(一反)あたり少くとも四八〇キログラム(八俵)の米の収穫をあげていたところ、本件災害による水田の冠水のため、稲はほぼ壊滅状態に陥り、若干の収穫米も全く商品価値のないものであつたから、六〇キログラム(一俵)あたり少くとも金一万五〇〇〇円以上の割合による損害を受けたことを前提として、右損害額は水田の冠水面積(反)に一二万円を乗じて算出できる旨主張する。
よつて検討するに、まず<証拠>によれば、安八町における水田991.7平方メートルあたりの平年の収穫量が、少くとも四二〇キログラム(七俵)であつたことは認められるが、これを超える収穫量を認めるに足りる証拠はない。次に本件災害による水田の冠水のため、安八町においては五〇〇トンの米の収穫(平年の一五パーセントの収穫)があつたにすぎず、大幅な米の減収の被害を受けたことは前記一に認定したとおりであるところ、原告らは、右収穫米は商品価値が全くなかつたから、これについてもすべて損害と評価すべきである旨主張し、証人高木栄一の証言中には右収穫米が商品価値のないものであつた旨の供述があるが、他方<証拠>によれば安八町は右収穫米については損害として評価していないことが認められるから、同証言をそのまま採用することはできず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。次に、<証拠>によれば、昭和五一年度の米の政府買上げ価格が六〇キログラムあたり一万五〇〇〇円(一キログラムあたり二五〇円)を超える価格であつたことが認められる。以上の事実を総合すると、米の減収による損害額を算出するにあたつては、水田の冠水面積に一二万円を乗ずるという原告ら主張の方法を採用することは相当でないことは明らかであつて、これを算出するにつき、実際に収穫のあつた米の価格を控除しなければならず、さらに前掲各証拠によれば、安八町においては本件災害当時若干の休耕田が存在したことが認められるから、水田の冠水面積を基準にして稲作についての損害額を算出する場合には、右休耕田の面積を控除する必要があることも考慮しなければならない。
ところで、農業災害補償法によれば、耕作地の一筆毎の基準収穫量の三割以上の減収があつた場合に、その三割を超える減収量に対して、所定の共済金が支払われるものであるところ(同法一〇九条参照)、証人高木栄一の証言によれば、安八町においては右基準収穫量は991.7平方メートル(一反)あたり四三〇キログラム、右共済金の額は一キログラムあたり二〇〇円と定められていたこと、また、水稲を作付けした者はすべて安八町の行う農作物共済に加入することとされ、年度毎に作付面積を申告していたことが認められ、したがつて、原告らに支払われた右共済金の額を参考として原告らの米の減収量を推認することは十分に可能であり、すなわち、原告らは、少くとも、原告らの耕作地には休耕田が存しなかつたと仮定して右共済金の額から導き出された減収量に相当する米の減収の被害を受けたものと推認できる。
以上を総合すると、その支払を受けた共済金の額により、全く収穫がなかつたと推認できる者については、次の式により損害額を算出できる。
損害額=耕地面積(m2)/991.7m2×420Kg
×250円
また、その余の者については、少くとも次式(1)によつて求められる額の損害を受けたものと推認できるところ、同式中の「収穫量」は次式(2)のとおり、共済金の額から導き出すことができるから、結局、次式(3)により損害額を算出できることとなる。
(1) 損害額=(耕地面積(m2)/991.7m2×420Kg
−収穫量)×250円
(2) 共済金額={(耕地面積(m2)/991.7m2
×430Kg−収穫量)
−(耕地面積(m2)/991.7m2×430Kg
×0.3)}×200円
収穫量=(耕地面積(m2)/991.7m2×301Kg
−共済金額)÷200円
(3) 損害額=耕地面積(m2)/991.7m2×29,750円+共済金額×1.25
(二) 個々の損害額について
別紙原告別認定損害一覧表稲作損害の欄に損害額の記載のある原告らについては、右一覧表甲号証欄記載の各被害報告書により、同原告らが耕作し、本件災害により冠水した水田の面積がそれぞれ同表稲作損害の冠水面積記載のとおりであることが認められる(なお、右事実に関する被害報告書の記載は、被害報告書が慎重な手続で作成されたものであり、特に右記載は安八町作成の耕作証明書と照合されたものであることなど前記二に説示したところから、十分に信用できると考えられる。)。また右原告らが同表損害の填補の農作物共済金欄記載のとおりの農作物共済金の支払を受けたことは当事者間に争いがない。したがつて、以上の事実に基づき、前項に説示したとおりの算出方法によつて、右原告らの米の減収による損害の額を算出すると同表稲作損害の損害額欄記載のとおりとなる。
2畑作について
原告らは、畑作の冠水による損害は、991.7平方メートル(一反)あたり少くとも六万円以上の割合である旨主張する。
よつて検討するに、<証拠>によれば、昭和五一年九月二〇日の安八町の調査結果(その記載から、明らかに概算であると考えられる。)から、安八町においては本件災害により畑二五〇ヘクタールが冠水し、そのうち野菜を栽培していた畑107.1ヘクタールにおいては、いずれも基準生産量を基準とすると、さといもにつき約八七パーセント、トマト(苗)につき一〇パーセント、にんじん、だいこん、きゆうり、なす、いちご(苗)、はくさい、キャベツ、ほうれんそう、秋冬ねぎ及び自給野菜につきいずれも約九五パーセントの減収の被害を受け、右減収による被害金額は自給野菜につき991.7平方メートル(一反)あたり約一八万円であり、その余の野菜についてはいずれも右金額を大幅に上回る金額であつたもので、したがつて、安八町内の野菜を栽培していた畑においては、平均して991.7平方メートル(一反)あたり六万円を大幅に上回る割合の減収被害を受けたことが認められる。
しかしながら、他方、被害報告書及び前掲各証拠によれば、原告らがそれぞれ畑において栽培していた野菜は多種多様であるところ、右のとおり野菜の種類によつて減収被害の程度が異なり、さらにごく一部の畑は冠水しなかつたことからも明らかなように、地域及び畑の地盤の高さによつても減収被害の程度が異なつていることが認められるから、原告らにおいて野菜の栽培につき一律に一定割合以上の減収被害があつたとはいえないこと、野菜以外の作物を栽培していた畑についてはその減収被害の程度が明らかでないこと、畑作においては作物の種類によつて作付け時期及び収穫時期が異なるから、その冠水による被害の態様も異なることなどを総合すると、安八町内の野菜を栽培していた畑において、平均して991.7平方メートル(一反)あたり六万円を大幅に上回る割合の減収被害を受けたことのみでは、原告らの畑作の冠水による損害が991.7平方メートル(一反)あたり少くとも六万円以上の割合であつたと推認することができず、他に右損害額を認めるに足りる証拠はない。(なお、被害報告書のうちの一部には、畑作につき本件災害の時季に平年六万円相当の収穫があつた旨の記載があるが、畑作による収穫は作物の種類及びその価格等が多種多様であるにかかわらず、右記載は何ら具体性がなく、その算出の根拠が不明であるから、前記二に説示した事情を考慮しても到底信用することができないうえ、減収の程度について(収穫量について)の記載がないから、右被害報告書の記載は、これを原告らの畑作における減収被害の額の認定資料として使用できないといわざるを得ない。)
以上のとおりであるから、その余の事実につき判断するまでもなく、原告らの畑作における減収損害の額に関する原告らの主張は理由がない。
六 家畜損害について
別紙原告別認定損害一覧表その他の損害欄に家畜損害の記載のある原告らについては、前記一に認定した事実、<証拠>及び右一覧表甲号証欄記載の各被害報告書により、同原告らが、同表その他の損害欄記載のとおり、その所有する家畜について、本件災害によるへい死あるいは流出するという被害を受けたもので、その損害額が同欄記載のとおりであることが認められる(なお、被害報告書の家畜損害に関する記載は、前記二に説示したところ及び<証拠>に照らし、信用できるものと考えられる。)。
七 機械、器具、車輛損害について
1全損のものについて
原告らは、機械、器具、車輛につき、その全損の場合の損害額は、その物の再取得価額の一〇パーセント(最終残価率)である(但し、自動車については、当時の同種車輛の中古価格の場合もある。)と主張するので、検討するに、<証拠>を総合すると、「手引き」においては機械及び装置の最終残価率が一〇パーセントと定められていること、もっとも、「手引き」においてはその用途を考慮して、そこでいう機械及び装置から多種にわたる機械・装置が除外されているところ、農業用機械器具、自動車及び自動二輪車(原動機付自転車を含む)は除外される機械類の中に含まれていること、しかしながら、本訴原告らの主張にあらわれる機械、器具、車輛については、その最終残価率を機械・装置一般と別異にすべき程の事情は何ら認められないこと、以上の事実が認められるから、機械、器具、車輛の全損の場合の損害額は、少くとも当該機械、器具、車輛の再取得価額の一〇パーセント(最終残価率)とするのを相当とする。なお、自動車について、本件災害当時の同種車輛の中古価格が明らかである場合は、右価格を損害額と認めるべきである。
そして、別紙原告別認定損害一覧表その他の損害欄に、機械、器具又は車輛の全損の記載のある原告らについては、前記一に認定した事実及び右一覧表甲号証欄記載の各被害報告書(及びこれに添付されている領収書などの、当該機械、器具又は車輛の再取得価額又は本件災害当時の同種車輛の中古価格を証明する書面)により、右原告らが、それぞれ同表その他の損害欄記載のとおり、その所有する機械、器具又は車輛について、本件災害による冠水のため全損の被害を受け、その損害額が少くとも同欄記載のとおりであることが認められる。
しかしながら、機械、器具又は車輛の全損による損害を請求する原告らのうち、当該原告の被害報告書に領収書等当該機械、器具又は車輛の再取得価額又は本件災害当時の同種車輛の中古価格を証明する書面が添付されていないものについては、右被害報告書の機械、器具、車輛の全輛被害に関する記載は簡略にすぎ、その再取得価格又は中古価格の根拠が全く不明であるところ、例えば、原告山北稔本人尋問の結果によれば、同原告の被害報告書に記載されている再取得価額はあいまいなものであることが認められ、他方、領収書等の書面を証拠として提出することは容易であることを考えあわせると、右被害報告書の記載は、前記二に説示したところを十分考慮してもなお信用できないといわざるを得ず、他に右再取得価額又は中古価格を認めるに足りる証拠はない。したがつて、機械等の全損による損害を請求する原告らのうち、前記一覧表その他の損害欄に機械等の損害の記載のない原告らについては、機械、器具、車輛等の全損の被害に関する主張は理由がないものといわなければならない。
2修理を要するものについて
別紙原告別認定損害一覧表その他の損害欄に、機械、器具又は車輛の修理費用の記載のある原告らについては、前記一に認定した事実及び右一覧表甲号証欄記載の各被害報告書(及びこれに添付されている領収書等当該機械、器具、車輛等に要した修理費用の額等を証明する書面)により、右原告らが、それぞれ同表その他の損害欄記載のとおり、その所有する機械、器具、車輛等について、本件災害による冠水のため、同欄記載のとおりの額の修理費用を要したことが認められる。
しかしながら、機械、器具又は車輛等の修理費用を損害として請求している原告らのうち、同原告らの被害報告書に領収書等当該機械、器具、車輛等に要した修理費用の額等を証明する書面が添付されていないものについては、前項に説示したところと同様に、右被害報告書の記載が簡略にすぎ、その修理費用の額の根拠が全く不明であるところ、領収書等の書面を証拠として提出することは容易であること、さらに例えば、原告柴田三男本人尋問の結果によれば、同原告の所有する農機具について業者が無料で修理した旨の同原告の被害報告書の記載に反すると思われる事実が認められることなどを総合すると、右被害報告書の記載は、前記二に説示したところを考慮してもなお信用できず、他に右修理費用の額を認めるに足りる証拠はない。したがつて、右の修理費用を請求する原告らのうち前記一覧表その他の損害欄に修理費用の記載のない原告らについては、機械、器具、車輛等の修理費用に関する主張は理由がない。
八 商品、製品、原材料損害について
1小売、卸売等販売業の場合の損害額算定方法について
原告らは、販売業における在庫商品の浸水被害について、個別にその損害額を主張、立証する場合を除き本件災害当時に原告らが所有していた商品等の価額に、表4の「浸水家財の損害率表」の損害率を乗じて、右被害の額を算出すべき旨主張する。
しかしながら、家財の浸水被害について、本件災害当時の家財額に「浸水家財の損害率表」の損害率を乗じてその損害額を算出する方法は合理的かつ相当な方法であるとはいえないことは前記四において説示したとおりであるが、右説示は在庫商品の浸水被害について、その損害額を算出する場合にも当てはまることは明らかであるのみならず、「浸水家財の損害率表」はそもそも家財についての浸水被害の額の目安として作成されたものであるところ、家財と商品とは収容状況が異なることは明らかであるから、「浸水家財の損害率表」を商品についてまで適用することはその前提を異にし、相当でないと考えられる。
よつて、原告らの、在庫商品の浸水被害算定方法についての主張は、採用できない。
2個別の主張について
別紙原告別認定損害一覧表その他の損害欄に、商品、製品又は原材料の損害が掲記されている原告らについては、前記一に認定した事実及び右一覧表甲号証欄記載の各被害報告書(及びこれに添付されている、その所有する商品、製品、原材料等の品名、数量及び単価を証する書面)によつて、同原告らが、それぞれ同表その他の損害欄記載のとおり、その所有する商品、製品、原材料について、本件災害による浸水のため同欄記載のとおりの額の損害を受けたことが認められる。
しかしながら、商品、製品又は原材料の損害を請求している原告らのうち、当該原告の被害報告書に前記の数量、単価等を証する書面が添付されていないものについては、右被害報告書の商品、製品、原材料の被害に関する記載は、単に損害額総額を記載するのみで、その算出の根拠が不明であるばかりでなく、原告坂雄彦、同西松芳弘、同白木学、同日比野政美、同山北稔及び同日比清一の各本人尋問の結果によれば、同原告らの被害報告書の右記載はいずれも概算で、到底信用できないことが認められ、右事実を総合すると、被害報告書の右記載は、前記二に説示したところを十分に考慮しても信用性を有しないものといわざるを得ず、他に右損害額を認めるに足りる証拠はない。したがつて、商品等の損害を請求する原告らのうち、前記一覧表その他の損害欄に商品等の損害の記載のない原告らについては、商品、製品、原材料についての損害に関する主張は理由がない。
九 加工賃損害について
原告らの主張する各加工賃損害について、被害報告書の記載は、単に加工賃金額の総額を記載するのみで、何ら具体性がなく、その根拠が不明であるから、前記二の事情を考慮してもなお信用することができないといわざるを得ず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。
一〇 休業損害について
原告らの主張する休業損害額について、被害報告書には、右主張に沿う、一か月平均売上高、粗利率、休業期間及びこれらに基づく休業損害額の記載がある。
しかしながら、まず、右粗利率の記載については、例えば第一グループ(一―1ないし127)及び第二グループ(二―1ないし240)の原告らのうち、織物業、縫製業、撚糸業を営む者五九名において、粗利率を売上げの一〇〇パーセントとするものが五九名中一〇名も存し、また右同一業種中においても粗利率に三〇パーセントから一〇〇パーセントまでのばらつきが見られるなど、その記載のみによつても合理的でないことが窺われること、原告坂雄彦、同坂又治、同西松芳弘、白木学、同日比野政美、同鷲見新吉、同山北稔、同日比清一及び同宮部勝治の各本人及び原告不二種苗株式会社代表者の各尋問の結果によれば、同人らの粗利率の定め方はまちまちであつて、必らずしも原告らすべてが共通かつ正確な認識のもとに粗利率の記載をなしたものとはいえないことが推認できることなどを総合すると、被害報告書の粗利率の記載は到底信用できないといわざるを得ない。なお、原告らは、原告本人らは長年その業に携わつており、経験的に粗利率を相当程度正確に把握している旨主張するが、右のとおり、同一業種中においても粗利率の記載に大きなばらつきがみられることに照らし、右主張は採用し難い。また原告らは、一〇〇パーセントの粗利率は、織物業、縫製業といつても、小規模な賃加工業であり、原材料及び機械を問屋、元請から提供され、もつぱら労働力を提供しているにすぎない状態であるから、何ら異常ではない旨主張するが、例えば、粗利率が一〇〇パーセントであるとの記載をなす原告鷲見新吉(三―102)についてみるとき、同原告の本人尋問の結果によれば、同原告は織機等を所有して織物業を営んでいるもので、原告らの主張するような状態ではないことが認められるから、原告らの右主張は理由がない。
さらに、被害報告書のうち一か月平均売上高の記載についても、損益計算書等の書面が添付されているものを除き、その根拠が明らかでないし、休業期間の記載も半月から二か月のばらつきがあり、いずれもたやすく信用し難いものといわざるを得ない。
以上のとおりであるから、被害報告書の休業損害に関する記載は結局信用できないものであつて、他に、原告らの休業損害額がその主張のとおりであると認めるに足りる証拠はない。
一一 特殊な損害について
別紙原告別認定損害一覧表その他の損害欄に前記六ないし八以外の損害が記載されている原告らについては、前記一に認定した事実及び右一覧表甲号証欄記載の被害報告書(及びこれに添付されている領収書等その損害の額を証明する書面)により、同原告らが、それぞれ同表その他の損害欄に記載のとおり各損害を蒙り、その額が同欄記載のとおりであることが認められる。(なお、原告らは、仏壇、ピアノその他の物につき、買替費用全額を損害額として主張するが、右主張は仏壇、ピアノその他の全損をいうと解されるから、その物の本件災害当時の価額をもつて損害額とすべきものであつて、新たに購入した仏壇、ピアノその他の物の代金額を損害額と認めることはできない。右仏壇、ピアノその他の物の本件災害当時の価額は、前記七に説示したところに、<証拠>を総合すると、少くともその再取得価額の一〇パーセントとするのを相当とするから、右一〇パーセントの額をもつてその損害額と認める。)
しかしながら、原告らがその請求原因において特殊な損害と主張する損害を請求している原告らのうち、当該原告の被害報告書に領収書等その損害の額を証する書面が添付されていないものについては、右被害報告書の記載は、損害項目及びその損害額が記載されているのみであつて、何ら具体性がなく、その根拠が明らかでないから、容易に信用し得ず、他に原告らが特殊な損害としてあげる各損害について、その損害額が原告ら主張のとおりであることを認めるに足りる証拠はない。したがつて、右の特殊な損害を請求する原告らのうち、前記一覧表その他の損害欄に右の特殊な損害に該当する損害の記載のない原告らについては、この損害に関する主張は理由がない。
一二 慰謝料について
1基本的考え方
前記一に認定した事実及び<証拠>を総合すると、原告らが請求原因第五の一1(八)において主張するとおりの事実が認められ、右事実によれば、原告らが本件災害によつて受けた精神的苦痛は、単に財産的損害が補填されれば右苦痛も当然に慰謝される性質のものに止まらず、右財産的損害とは別途に賠償されるに値する非財産的損害というべきであつて、これに対して慰謝料が支払われるべきであることはいうまでもない。
なお、原告らのうち、法人については、浸水によつて自然人が受けたのと同じように精神的苦痛を受けたものとはいい難く、したがつて、精神的苦痛に対する慰謝料を求める限りにおいては、事柄の性質上、その請求は根拠を欠くものであつて、失当であるといわざるを得ない。
次に、原告らは、財産的損害のうち、請求原因第五の一3(一)ないし(九)の各損害項目によつて把握しきれないものは、慰謝料によつて補完されるべきである旨主張するが、本件において原告らの挙げる右各損害項目は通常洪水災害によつて蒙ることが予想される財産的損害をほとんど網羅しており、本件訴訟資料上、右各損害項目に掲げられた財産的損害以外に、原告らが主張するような、慰謝料をもつて、補完すべき財産的損害は見出しえないから、原告らの右主張は採用できない。
そして、前記認定事実によれば、原告らが本件災害によつて受けた精神的苦痛は、その被害の程度によつて異なるから、これを原告らの主張のとおり、浸水位及び浸水被害の程度に応じ五つのランクに区分することは十分合理的であると考えられる。
よつて、前記認定事実に表れた諸般の事情を考慮すると、
(一) 居宅に、床上五〇センチメートル以上の浸水被害を受けた原告らに対する慰謝料としては金五〇万円、
(二) 居宅に、床上で、五〇センチメートル未満の浸水被害を受けた原告らに対する慰謝料としては金三〇万円、
(三) 居宅の床下に浸水被害を受けた原告らに対する慰謝料としては金一五万円、
(四) 居宅以外の建物(工場、店舗、倉庫、納屋等)に浸水被害を受けた原告らに対する慰謝料としては金一〇万円、
(五) 右(一)ないし(四)に記載のもの以外(田畑等)に浸水被害を受けた原告らに対する慰謝料としては金三万円
とするのが相当である。
2原告らの各損害額について
別紙原告別認定損害一覧表甲号証欄記載の各被害報告書によれば、原告らが、それぞれ同表慰謝料欄に記載するとおりのランクの浸水被害を受け、同欄記載のとおりの額の慰謝料が相当であることが認められる(なお、居宅に床上浸水の被害を受けた右原告らのランクを判定するにあたつては、浸水位についての被害報告書の記載には前記三2に認定したとおりの問題があることにかんがみ、同表建物損害の浸水位欄記載の浸水位を基準とする。)
一三 原告らの各損害額について
1損害の填補
以上三ないし一二の損害額を合計すると、原告らにつき、それぞれ、別紙原告別認定損害一覧表小計()欄記載のとおりであるところ、右原告らがそれぞれ同表損害の填補欄に記載のとおりの損害の填補を受けたことは当事者間に争いがなく、その合計額(同表小計()欄記載のとおり)を右各金員から差し引くと、右原告らの損害額は結局同表との差額()欄に記載のとおりとなる。
2弁護士費用
本件訴訟における事案の内容、訴訟遂行の難易度、認容額など諸般の事情を考慮すると、本件災害と相当因果関係にある損害として原告らが被告に対して請求しうる弁護士費用は、別紙原告別認定損害一覧表の弁護士費用()欄記載の各金員をもつて相当と認める。
3相続関係
別紙相続関係一覧表記載のとおり、同表被相続人欄記載の各被相続人が死亡し、同表相続人・原告欄記載の原告らが、同表相続分欄記載のとおりの各相続分に応じて、右被相続人らの財産権を相続により承継取得したことは当事者間に争いがないから、右原告らは別紙原告別認定損害一覧表相続欄記載のとおりの額の損害の賠償を求めることができる。
第八 原告冨田幸子、同冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子(二―237ないし240)の損害について
一 亡冨田智太郎の死亡による損害について
1前記第一の一及び第三の四2(一)に認定したとおり亡冨田智太郎は本件災害の際の水防活動により死亡したものであるところ、<証拠>によれば、次のとおり合計金一四二二万二〇〇〇円の損害を受けたことが認められる。
(一) 得べかりし利益の喪失
亡冨田智太郎は、本件災害当時、満五六才の健康な男子で、妻原告冨田幸子、長男同冨田定幸(高校生)、二女同冨田きよみ(中学生)、三女同冨田ゆみ子(小学生)及び亡父の妻冨田志やうとの六人家族の支柱として、農業を営むかたわら、株式会社安田製作所に勤務し、一か月平均一〇万円以上の賃金を得ていたことが認められるところ、満五六才の男子の就労可能年数は一一年であると考えるのが相当であり、また同人の生活費はその収入の三分の一と考えるのが相当であるから、同入が本件災害によつて死亡したため喪失した得べかりし利益は金六八七万二〇〇〇円である。
計算式 (1,200,000円−1,200,000円×1/3)×8.590(ホフマン係数)=6,872,000円
(二) 葬儀費用
亡冨田智太郎の葬儀費用としては金三五万円が相当である。
(三) 生命侵害による慰謝料
前記(一)に認定の各事実を考慮すると、亡冨田智太郎の死亡に対する慰謝料としては金八〇〇万円が相当である。
2相続
亡冨田智太郎の死亡により、その財産権を、原告冨田幸子が三分の一、原告冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子が各六分の一宛の各割でそれぞれ相続したことが認められるから、右原告らは、亡冨田智太郎についての右損害額の賠償を、それぞれ次の金額につき求めることができる。
(一) 原告冨田幸子
金四七四万〇六六六円
(二) 原告冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子
各金二三七万〇三三三円宛
二 本件災害による浸水被害について
前記第七の一に認定の各事実及び<証拠>によれば、亡冨田智太郎は、本造瓦葺平屋建居宅床面積約133.000平方メートル(昭和三年新築)の建物を所有し、また七九三四平方メートルの田を耕作しており、同人の死亡により、右資産を、原告冨田幸子が三分の一、原告冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子が各六分の一宛の割合で相続したものであるところ、本件災害により次のとおりの被害を受けたことが認められる。
1建物損害
右建物は、既に耐用年数を経過しており、浸水位床上二メートルの浸水被害を受けたから、「浸水建物の損害率表」による損害率は0.67であつて、前記第七の三1に説示した算出方法によりその損害額を算出すると、金一二一万一二四七円となる。
計算式 (133m2/3.3m2×267,000円×0.84)×0.2×133m2/133m2×0.67
=1,211,247円
2農作物損害
右田は冠水により米の減収の被害を受けたから、前記第七の五1に説示した算出方法によりその損害額を算出すると、金八二万〇五一一円となる。
計算式 29,750円×(7,934m2
÷991.7m2)+446,000円
×1.25=820,511円
3損害の填補
<証拠>によれば、右原告らが、農作物共済金四六万六〇〇〇円及び建物共済金一五万九〇〇〇円の支払を受けたことが認められる。
4以上のとおりであるから、右原告らの浸水被害についての各損害額は次のとおりとなる。
(一) 原告冨田幸子
金四六万八九一九円
(二) 原告冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子
各金二三万四四五九円宛
三以上の損害額を合計すると、原告冨田幸子について金五二〇万九五八五円、原告冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子について、各金二六〇万四七九二円となる。
そして、前記第七の一三2に説示したところと同様に、右原告らが被告に対して請求しうる弁護士費用は、原告冨田幸子について金五二万円、原告冨田定幸、同冨田きよみ及び同冨田ゆみ子について、各金二六万円をもつて相当と認める。
第九 結論
以上の次第で、原告らの本訴請求のうち、別紙認容金額一覧表記載の原告らの請求については、被告に対し、同表欄記載の各金員及び内同表欄記載の各金員に対する本件不法行為の日である昭和五一年九月一二日から、内同表欄記載の各金員に対する本判決言渡の日の翌日である昭和五七年一二月一一日から、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、右原告ら(但し、同表欄が空欄である原告らを除く)のその余の請求及び別紙認容金額一覧表原告欄に記載のない原告らの請求については、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、仮執行免脱の宣言は相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。
(秋元隆男 松永眞明 筏津順子)
認容金額一覧表
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
一|1
坂正三
一、〇九八、五八六
九九八、五八六
一〇〇、〇〇〇
一|2
高橋光行
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|4
高橋時雄
一、八三一、二九〇
一、六六一、二九〇
一七〇、〇〇〇
一|5
坂幹男
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|6
浅野力
二、六七七、八七五
二、四三七、八七五
二四〇、〇〇〇
一|7
坂喬
二、二〇〇、〇〇〇
二、一二八、〇一八
七一、九八二
一|8
坂又治
一、九三二、四九〇
一、七五二、四九〇
一八〇、〇〇〇
一|9
坂義信
六一八、一〇八
五五八、一〇八
六〇、〇〇〇
一|10
坂元七
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
一|12
坂義雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|13
坂守
六六〇、二二三
六〇〇、二二三
六〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
一|14
坂隆智
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|15
坂茂雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|16
高橋義春
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
一|17
高橋善男
五六九、一八〇
五一九、一八〇
五〇、〇〇〇
一|18
坂芳雄
一、六九〇、四五七
一、五四〇、四五七
一五〇、〇〇〇
一|19|(1)
坂千代子
三七六、一〇六
三四二、七七三
三三、三三三
一|19|(2)
坂俊春
一二五、三六八
一一四、二五七
一一、一一一
一|19|(3)
坂正俊
一二五、三六八
一一四、二五七
一一、一一一
一|19|(4)
森真知子
一二五、三六八
一一四、二五七
一一、一一一
一|20
坂末吉
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|21
坂喜晴
八一八、四三二
七四八、四三二
七〇、〇〇〇
一|22
坂三郎
一、九〇九、三四九
一、七三九、三四九
一七〇、〇〇〇
一|23
坂定一
一、六九七、一三四
一、五四七、一三四
一五〇、〇〇〇
一|24
坂こしを
四三二、二六四
三九二、二六四
四〇、〇〇〇
一|25
坂幸四郎
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|26
坂敏一
一、四三二、五五四
一、三〇一、五五四
一三〇、〇〇〇
一|27
坂繁明
一、〇八一、八五八
九八一、八五八
一〇〇、〇〇〇
一|28
坂季子
四一〇、五五二
三七〇、五五二
四〇、〇〇〇
一|29
坂牧義
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
一|30
坂幹雄
六九〇、三四八
六三〇、三四八
六〇〇、〇〇〇
一|31
坂義夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|32
坂一三
一、四九五、三七九
一、三五五、三七九
一四〇、〇〇〇
一|33
浅野均
三三九、三七五
三〇九、三七五
三〇、〇〇〇
一|34
坂義一
六八一、二七九
六二一、二七九
六〇、〇〇〇
一|35
浅野精一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|36
浅野久男
一、一三七、八〇四
一、〇三七、八〇四
一〇〇、〇〇〇
一|37
坂勇吉
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|38
浅野政治郎
一、四五四、四六一
一、三二四、四六一
一三〇、〇〇〇
一|39
坂保
五五六、〇四一
五〇六、〇四一
五〇、〇〇〇
一|40
坂進一
四四三、三〇一
四〇三、三〇一
四〇、〇〇〇
一|41
浅野清光
七六九、九〇二
六九九、九〇二
七〇、〇〇〇
一|42
坂甚一
一、四一八、〇九五
一、二八八、〇九五
一三〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
一|43
坂世司美
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
一|44
浅野宗雄
八四二、四一〇
七六二、四一〇
八〇、〇〇〇
一|45
毛利一郎
九二六、四四六
八四六、四四六
八〇、〇〇〇
一|46
坂勝三
一、七七五、五九四
一、六一五、五九四
一六〇、〇〇〇
一|47
浅野冨士吉
三九九、五八九
三五九、五八九
四〇、〇〇〇
一|48
浅野きぬ
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
一|49
坂義明
二、四九二、七三七
二、二六二、七三七
二三〇、〇〇〇
一|50
坂義数
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|51
坂忠義
一、五八七、九五六
一、四四七、九五六
一四〇、〇〇〇
一|52
坂正行
四五〇、七六二
四一〇、七六二
四〇、〇〇〇
一|53
廣瀬孝久
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|54
坂孝行
一、四一八、一二九
一、二八八、一二九
一三〇、〇〇〇
一|55
浅野和夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|56
坂敏明
六八二、五四八
六二二、五四八
六〇、〇〇〇
一|57|(1)
浅野志ま
一三〇、一五二
一二〇、一五二
一〇、〇〇〇
一|57|(2)
浅野武美
六五、〇七六
六〇、〇七六
五、〇〇〇
一|57|(3)
松野栄子
六五、〇七六
六〇、〇七六
五、〇〇〇
一|58
金森正臣
六四四、九二九
五八四、九二九
六〇、〇〇〇
一|59
毛利兼己
四五六、三二三
四一六、三二三
四〇、〇〇〇
一|60
坂専一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|61
浅野光雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|62
浅野正廣
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
一|63
浅野勇
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|64
坂秀憲
一八三、四六九
一六三、四六九
二〇、〇〇〇
一|65
毛利幹夫
一、六三五、四二八
一、四八五、四二八
一五〇、〇〇〇
一|66
坂吉郎
五九二、一〇九
五四二、一〇九
五〇、〇〇〇
一|67
浅野治一
一、八三一、九七九
一、六六一、九七九
一七〇、〇〇〇
一|68
坂多美雄
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
一|69
清水英明
二、一一二、二〇九
一、九二二、二〇九
一九〇、〇〇〇
一|70|(1)
川地清吉
三二三、一五四
二九三、一五四
三〇、〇〇〇
一|70|(2)
松田美知子
三二三、一五四
二九三、一五四
三〇、〇〇〇
一|71
川地重男
九九二、〇三五
九〇二、〇三五
九〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
一|72
坂哲雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|73
坂忠次
九八八、六一七
八九八、六一七
九〇、〇〇〇
一|74
渡辺俊夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|75
渡辺茂
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
一|76
金森清七
九八七、五九九
八九七、五九九
九〇、〇〇〇
一|77
渡辺逸藏
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|78
渡辺富義
一、四〇七、五七九
一、二七七、五七九
一三〇、〇〇〇
一|79
渡辺昭二
一、五一九、〇七三
一、三七九、〇七三
一四〇、〇〇〇
一|80
渡辺利與吉
五三二、二七二
四八二、二七二
五〇、〇〇〇
一|81
渡辺嘉一
六七三、四六一
六一三、四六一
六〇、〇〇〇
一|82
渡辺一巳
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|83
金森好
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
一|85
渡辺啓二
二五三、六二七
二三三、六二七
二〇、〇〇〇
一|86
渡辺久吉
一七〇、〇〇〇
一五〇、〇〇〇
二〇、〇〇〇
一|88
渡辺真一
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
一|89
川合吾一
一、五〇五、四七八
一、三六五、四七八
一四〇、〇〇〇
一|90
川合三夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|91
片岡喬
一、八九〇、九二一
一、七二〇、九二一
一七〇、〇〇〇
一|92
佐竹秀一
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
一|93
金森萬利
二八〇、六九四
二五〇、六九四
三〇、〇〇〇
一|94
高橋清治
八三九、二三〇
七五九、二三〇
八〇、〇〇〇
一|95
川合三吉
一、〇五三、二九四
九五三、二九四
一〇〇、〇〇〇
一|96
川合政義
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|97
金森憲夫
三一一、〇五七
二八一、〇五七
三〇、〇〇〇
一|98
川合豊
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
一|99
種田實
四三五、二〇六
三九五、二〇六
四〇、〇〇〇
一|100
渡辺一夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|101
金森因
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇八五、〇二九
一四、九七一
一|102
種田一彦
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|103
金森三藏
五、五〇〇、〇〇〇
五、五〇〇、〇〇〇
一|104
金森茂春
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
一|105
渡辺清治
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|106
渡辺榮一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|107
武本一巳
三、五〇五、七六七
三、一八五、七六七
三二〇、〇〇〇
一|108
富田和夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|109
富田勝廣
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
一|110
富田美恵子
九四八、七八八
八五八、七八八
九〇、〇〇〇
一|111
富田與一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|112
富田定夫
一、七八三、〇四七
一、六二三、〇四七
一六〇、〇〇〇
一|113
富田重雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇三五、九一五
六四、〇八五
一|114
富田鉦二
三一五、三五四
二八五、三五四
三〇、〇〇〇
一|115
富田長輔
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
一|116
富田長一
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
一|117
富田久
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
一|118
富田龍雄
二四八、二二六
二二八、二二六
二〇、〇〇〇
一|119
富田祐夫
二五六、九七五
二三六、九七五
二〇、〇〇〇
一|120
富田菊雄
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
一|121
金森繁夫
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
一|122|(1)
富田正子
三六六、六六六
三六六、六六六
一|122|(2)
富田忠幸
一八三、三三三
一八三、三三三
一|122|(3)
富田勵子
一八三、三三三
一八三、三三三
一|122|(4)
岩田僚子
一八三、三三三
一八三、三三三
一|123
富田幸則
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
一|124
富田太市
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
一|125
富田正美
七三三、三三三
六八三、三三三
五〇、〇〇〇
一|126
金森潔
二八六、六〇六
二五六、六〇六
三〇、〇〇〇
一|127
富田忍
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
二|1
西松昭彦
三、二八三、〇五〇
三、九八三、〇五〇
三〇〇、〇〇〇
二|2
大橋忠男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|3
坂一義
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|4
坂要
二、六二七、一八八
二、三八七、一八八
二四〇、〇〇〇
二|5
西松治太郎
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|6
坂力
五二二、四六八
四七二、四六八
五〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
二|7|(1)
小林よつ
七九〇、四六四
七二〇、四六四
七〇、〇〇〇
二|7|(2)
佐野律子
一五八、〇九三
一四四、〇九三
一四、〇〇〇
二|7|(3)
田中明美
一五八、〇九三
一四四、〇九三
一四、〇〇〇
二|7|(4)
小野勝代
一五八、〇九三
一四四、〇九三
一四、〇〇〇
二|7|(5)
安福忠雄
一五八、〇九三
一四四、〇九三
一四、〇〇〇
二|8
小林正一
一五八、〇九三
一四四、〇九三
一四、〇〇〇
二|9|(1)
小田すま子
三六六、六六六
三六六、六六六
二|9|(2)
小田美奈子
三六六、六六六
三六六、六六六
二|9|(3)
小田誠
三六六、六六六
三六六、六六六
二|10
坂金一
二、七〇〇、六〇二
二、四五〇、六〇二
二五〇、〇〇〇
二|11
西松宗之助
四〇三、一八〇
三六三、一八〇
四〇、〇〇〇
二|12
西松広衛
四三一、二六七
三九一、二六七
四〇、〇〇〇
二|13
坂実
二、六六八、五八七
二、四二八、二八七
二四〇、〇〇〇
二|14
西松喜作
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇二九、二四八
七〇、七五二
二|15|(1)
西松しよう
一、八三三、三三三
一、八三三、三三三
二|15|(2)
西松豊
一、二二二、二二二
一、二二二、二二二
二|15|(3)
西松和子
一、二二二、二二二
一、二二二、二二二
二|15|(4)
近藤由利香
一、二二二、二二二
一、二二二、二二二
二|16
西松忠治
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
二|17
西松信尋
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|18
坂義治
一、二三二、五六七
一、一二二、五六七
一一〇、〇〇〇
二|19
西松準三
一、六五〇、〇〇〇
一、六〇一、〇五四
四八、九四六
二|20
西松はまえ
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
二|21
坂寅吉
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|22
西松勉
三、三〇〇、〇〇〇
三、一六七、一二五
一三二、八七五
二|23
水野芳之助
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
二|24
浅野光敏
二、九五九、一六三
二、六八九、一六三
二七〇、〇〇〇
二|25
水谷富三郎
一、四五一、五七〇
一、三二一、五七〇
一三〇、〇〇〇
二|26
西松勝
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|27
水谷金十郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇二九、五一〇
七〇、四九〇
二|28
水谷勇
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|29
西松義夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇三五、五七七
一六四、四二三
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
二|30
西松旗八郎
三、〇〇八、四四五
二、七三八、四四五
二七〇、〇〇〇
二|31
西松芳弘
一、五四一、六三六
一、四〇一、六三六
一四〇、〇〇〇
二|32
森政彦
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|33
坂一郎
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|34|(1)
西松信子
七九四、〇一四
七二〇、六八一
七三、三三三
二|34|(2)
西松賢
五二九、三四二
四八〇、四五四
四八、八八八
二|34|(3)
西松健次
五二九、三四二
四八〇、四五四
四八、八八八
二|34|(4)
西松晁子
五二九、三四一
四八〇、四五四
四八、八八八
二|35
西松由造
三、〇三七、〇〇〇
二、七五七、〇〇〇
二八〇、〇〇〇
二|36
西松幸三郎
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|37
坂信義
二、八六三、七七七
二、六〇三、七七七
二六〇、〇〇〇
二|38
西松嘉美
二、四五三、〇一三
二、二三三、〇一三
二二〇、〇〇〇
二|39
西松康雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|40
西松重吉
六二四、一二三
五六四、一二三
六〇、〇〇〇
二|41
竹森豊二
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
二|42
山口富代
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
二|43
浅野博
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|44
西松正子
四四六、五五三
四〇六、五五三
四〇、〇〇〇
二|45
佐藤正則
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|46
藤田金明
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|47
西松正明
三、三〇〇、〇〇〇
三、二一四、六七〇
八五、三三〇
二|48|(1)
西松シマエ
四三八、九一九
三九八、九一九
四〇、〇〇〇
二|48|(2)
西松喜男
四三八、九一九
三九八、九一九
四〇、〇〇〇
二|48|(3)
寺井陽子
四三八、九一九
三九八、九一九
四〇、〇〇〇
二|49
高山正博
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|50
坂守
一、六一九、一七二
一、四六九、一七二
一五〇、〇〇〇
二|51
西松正幸
三、三〇〇、〇〇〇
三、二八一、五五〇
一八、四五〇
二|52
坂茂
三、三三七、六七〇
三、〇三七、六七〇
三〇〇、〇〇〇
二|53
西松九三
一、〇七二、六五三
九七二、六五三
一〇〇、〇〇〇
二|54
西松弘
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|55
富田進
二、五七五、五二〇
二、三四五、五二〇
二三〇、〇〇〇
二|56
富田健司
一七〇、〇〇〇
一五〇、〇〇〇
二〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
二|57
浅野久
一、九七三、二三二
一、九七三、二三二
一八〇、〇〇〇
二|58
坂義一
五、五〇〇、〇〇〇
五、五〇〇、〇〇〇
二|59
西松幸雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|60
西松巌
三、二八四、〇〇〇
二、九八四、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
二|61
河合繁
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|62
河合進一
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|63
西松周六
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|64
坂一一
二、四二、六六六
二、一九一、六六六
二二〇、〇〇〇
二|65
西松一市郎
六九六、二六七
六三六、二六七
六〇、〇〇〇
二|66
西松一俊
一、五四四、九八四
一、四〇四、九八四
一四〇、〇〇〇
二|67
西松文代
二、八四六、九六五
二、五八六、九六五
二六〇、〇〇〇
二|68
西松美義
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇九二、五八六
一〇七、四一四
二|69
西松育雄
八四二、五五〇
七六二、五五〇
八〇、〇〇〇
二|70
坂梅乃
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|71
西松春雄
七〇五、〇一七
六四五、〇一七
六〇、〇〇〇
二|72
河合敏雄
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|73
川合秀雄
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|74
西松登美夫
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|75|(1)
西松成
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|75|(2)
西松浩義
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|75|(3)
西松みゆき
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|76
坂秀康
一、五四五、三一〇
一、四〇五、三一〇
一四〇、〇〇〇
二|77
坂はつえ
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
二|78
坂稔
一、八七八、九九六
一、七〇八、九九六
一七〇、〇〇〇
二|79
坂政一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|80
坂元彦
一、四四六、五〇一
一、三一六、五〇一
一三〇、〇〇〇
二|81
西松守正
一、七四四、三九八
一、五八四、三九八
一六〇、〇〇〇
二|82
坂久義
四六六、二八九
四二六、二八九
四〇、〇〇〇
二|83
坂進
二、〇五九、〇六七
一、八六九、〇六七
一九〇、〇〇〇
二|84
坂輝雄
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|85
坂秋夫
二、二三六、六二七
二、〇三六、六二七
二〇〇、〇〇〇
二|86
坂正義
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
二|87
西松正造
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|88
坂長一
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|89
坂義國
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|90
坂重吉
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|91|(1)
坂みつを
九九八、八〇七
九〇八、八〇七
九〇、〇〇〇
二|91|(2)
坂キヨ子
九九八、八〇七
九〇八、八〇七
九〇、〇〇〇
二|91|(3)
坂巌
九九八、八〇七
九〇八、八〇七
九〇、〇〇〇
二|92
西松秋市
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|93
西松一彦
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|94|(1)
坂まさえ
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|94|(2)
渡邊八重
七三三、三三三
七三三、三三三
二|94|(3)
坂一乗
七三三、三三三
七三三、三三三
二|94|(4)
坂浩明
七三三、三三三
七三三、三三三
二|95
西松義尊
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
二|96
坂善照
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|97
旭野久芳
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|98
西松助市
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|99
西松徳夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|100
坂三郎
四六一、四三三
四二一、四三三
四〇、〇〇〇
二|101
坂忠正
一、九一二、五一六
一、七四二、五一六
一七〇、〇〇〇
二|102
坂與七
二、八七〇、四二八
二、六一〇、四二八
二六〇、〇〇〇
二|103|(1)
坂たず子
四三八、三〇〇
三九八、三〇〇
四〇、〇〇〇
二|103|(2)
坂文雄
一〇九、五七五
九九、五七五
一〇、〇〇〇
二|103|(3)
山川敏子
一〇九、五七五
九九、五七五
一〇、〇〇〇
二|103|(4)
坂武
一〇九、五七五
九九、五七五
一〇、〇〇〇
二|103|(5)
坂忠
一〇九、五七五
九九、五七五
一〇、〇〇〇
二|104
坂正俊
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|105
西松禎一
一、六五〇、〇〇〇
一、六五〇、〇〇〇
二|107
坂幹雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|108
坂光男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|109
坂桂造
二、六三三、九六七
二、三九三、九六七
二四〇、〇〇〇
二|110
坂照和
二、八九三、一一二
二、六三三、一一二
二六〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
二|111
坂?之助
一、九五七、六三四
一、七七七、六三四
一八〇、〇〇〇
二|112
西松憲夫
三、六四八、九八七
三、三一八、九八七
三三〇、〇〇〇
二|113
坂準一
一、七九二、七一六
一、六三二、七一六
一六〇、〇〇〇
二|114
西松勇
一、二三四、四一〇
一、一二四、四一〇
一一〇、〇〇〇
二|115
西松多作
二、四八五、七八三
二、二五五、七八三
二三〇、〇〇〇
二|116
坂桂吉
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|117
北村宗知
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|118
坂幸雄
一、三六五、〇三四
一、二四五、〇三四
一二〇、〇〇〇
二|119
坂良一
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|120
坂時治
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇七三、五三三
一二六、四六七
二|121
坂義光
五、五〇〇、〇〇〇
五、五〇〇、〇〇〇
二|122
西松芳子
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|123
坂豊
一、二四八、四五九
一、一三八、四五九
一一〇、〇〇〇
二|124
西松知光
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|125
川合清
五、五〇〇、〇〇〇
五、五〇〇、〇〇〇
二|126
坂明
一、五三八、九〇二
一、三九八、九〇二
一四〇、〇〇〇
二|127
西松一郎
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|128
坂順徳
三五五、四二一
三二五、四二一
三〇、〇〇〇
二|129
坂博雄
一一〇、〇〇〇
一〇〇、〇〇〇
一〇、〇〇〇
二|130
坂勉
二、五四一、七二〇
二、三一一、七二〇
二三〇、〇〇〇
二|131
岡本正一
一、二三六、四九七
一、一二六、四九七
一一〇、〇〇〇
二|132
坂雅佐
二、八六三、五九〇
二、六〇三、五九〇
二六〇、〇〇〇
二|133
坂一美
二、五九五、四九七
二、二五五、四九七
二四〇、〇〇〇
二|134
坂榮一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|135
坂敬次
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|136
西松敏
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇六〇、三七七
三九、六二三
二|137
西松仁一
二、八三〇、八五五
二、五七〇、八五五
二六〇、〇〇〇
二|138
西松義之
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|139
坂稔
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|140
西村克己
九六九、八五二
八七九、八五二
九〇、〇〇〇
二|141
坂博
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|142
西松春男
二、〇六七、八六二
一、八七七、八六二
一九〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
二|143
西松勝一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|144
坂徹
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
二|145
坂宏一
八三九、〇六四
七五九、〇六四
八〇、〇〇〇
二|146
坂つい
一、六五〇、〇〇〇
一、六五〇、〇〇〇
二|147
坂武夫
八九一、八六五
八一一、八六五
八〇、〇〇〇
二|148
宗教法人興久寺
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇六一、五一一
三八、四八九
二|149
西松守
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|150
坂下儔
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
二|151
青木薫司
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|152
森愛雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|153
江口重義
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|154
佐藤隆男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|155
高島義郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|156
川合眞
一一〇、〇〇〇
一〇〇、〇〇〇
一〇、〇〇〇
二|157
川合幸夫
二、八七一、二二二
二、六一一、二二二
二六〇、〇〇〇
二|158
川合治夫
一、二〇〇、四五二
一、〇九〇、四五二
一一〇、〇〇〇
二|159
白木学
一、三二四、一五九
一、二〇四、一五九
一二〇、〇〇〇
二|160
広瀬治
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|161|(1)
説田千代子
一、一五七、八六五
一、〇五二、八六五
一〇五、〇〇〇
二|161|(2)
説田善吉
七七、一九一
七〇、一九一
七、〇〇〇
二|161|(3)
説田總太郎
七七、一九一
七〇、一九一
七、〇〇〇
二|161|(4)
馬渕さゝの
七七、一九一
七〇、一九一
七、〇〇〇
二|161|(5)
馬渕小波
七七、一九一
七〇、一九一
七、〇〇〇
二|161|(6)
三浦桂子
二五、七三〇
二三、三九七
二、三三三
二|161|(7)
尾田久美子
二五、七三〇
二三、三九七
二、三三三
二|161|(8)
説田哲夫
二五、七三〇
二三、三九七
二、三三三
二|162
高田徹幸
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|163
白木光男
一一〇、〇〇〇
一〇〇、〇〇〇
一〇、〇〇〇
二|164
戸田正敏
二、六八二、七二六
二、四四二、七二六
二四〇、〇〇〇
二|165
子安建治
九五一、三〇〇
八六一、三〇〇
九〇、〇〇〇
二|167
戸田松男
八五八、四三九
七七八、四三九
八〇、〇〇〇
二|168
岡田宗雄
二、三〇一、九九〇
二、〇九一、九九〇
二一〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
二|169
安藤重夫
一、九五一、八〇六
一、七七一、八〇六
一八〇、〇〇〇
二|170
山北栄二
一、三九九、一八八
一、二六九、一八八
一三〇、〇〇〇
二|171
山北栄一
一、四三〇、〇〇〇
一、四三〇、〇〇〇
二|172
安八撚糸
株式会社
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|173
金森昭八
二四三、五八〇
二二三、五八〇
二〇、〇〇〇
二|174
脇坂真一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|175
辻一雄
三、一五七、〇二九
二、八六七、〇二九
二九〇、〇〇〇
二|176
辻繁雄
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|177
坂正幸
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
二|178
坂學
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|179
辻保行
七九四、三九六
七二四、三九六
七〇、〇〇〇
二|180
辻想一
七七〇、〇〇〇
七七〇、〇〇〇
二|181
飯村隆衛
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|182
坂勝彦
二、二〇〇、〇〇〇
二、一三八、〇〇一
六一、九九九
二|183
坂加壽一
一、五六三、五四五
一、四二三、五四五
一四〇、〇〇〇
二|184
飯村敏郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇三二、五一四
六七、四八六
二|185
坂幸吉
一、二三一、七五八
一、一二一、七五八
一一〇、〇〇〇
二|186
海老加壽雄
六五七、四九五
五九七、四九五
六〇、〇〇〇
二|187
吉井晋一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|188
坂繁
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
二|189
安田勝美
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|190
坂幸蔵
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
二|191
安田正敏
一、〇五一、三二一
九五一、三二一
一〇〇、〇〇〇
二|192
坂利雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇二九、一〇〇
七〇、九〇〇
二|194
安田青一
一三二、九六七
一二二、九六七
一〇、〇〇〇
二|195
金森志郎
八五一、三五六
七七一、三五六
八〇、〇〇〇
二|196|(1)
山本久子
四四〇、〇〇〇
四〇六、八一三
三三、一八七
二|196|(2)
小林智芳
四四〇、〇〇〇
四〇六、八一三
三三、一八七
二|196|(3)
小林武一
四四〇、〇〇〇
四〇六、八一三
三三、一八七
二|196|(4)
小林秀幸
四四〇、〇〇〇
四〇六、八一三
三三、一八七
二|196|(5)
富田浩子
四四〇、〇〇〇
四〇六、八一三
三三、一八七
二|197
小林利男
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
二|198
小林恒康
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|199
小林淳一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|200
森芳春
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|201
坂龍夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|202
小林武一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|203
坂芳男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|204
坂貞一
七七七、九六四
七〇七、九六四
七〇、〇〇〇
二|205
辻敏彰
二、七八五、六一〇
二、五三五、六一〇
二五〇、〇〇〇
二|206
坂光三
二、二〇〇、〇〇〇
二、一三六、三三一
六三、六六九
二|207
安田篤男
七七〇、〇〇〇
七七〇、〇〇〇
二|208
安田輝治
一、四三〇、〇〇〇
一、四三〇、〇〇〇
二|209
冨田増五郎
一、〇九四、〇一〇
九九四、〇〇〇
一〇〇、〇〇〇
二|210
冨田廣忠
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|211
海老栄一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|212
高木房
二、五〇八、〇七八
二、二七八、〇七八
二三〇、〇〇〇
二|214
高木静子
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇六四、八一五
三五、一八五
二|215
冨田義郎
四七三、六二三
四三三、六二三
四〇、〇〇〇
二|216
渋谷喜太郎
一、八七二、一二〇
一、七〇二、一二〇
一七〇、〇〇〇
二|217
冨田善一
一、〇八五、〇六八
九八五、〇六八
一〇〇、〇〇〇
二|218
渋谷美範
八二五、〇〇〇
八二五、〇〇〇
二|219|(1)
伊藤美喜子
五五、〇〇〇
五五、〇〇〇
二|219|(2)
堀江範治
五五、〇〇〇
五五、〇〇〇
二|219|(3)
土屋和子
五五、〇〇〇
五五、〇〇〇
二|219|(4)
国島正子
五五、〇〇〇
五五、〇〇〇
二|219|(5)
尾崎芳雄
五五、〇〇〇
五五、〇〇〇
二|220
高木秀雄
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|221
海老薫
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|222
海老登子雄
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
二|223
渋谷徳應
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
二|224
高木登
二、一五八、四二六
一、九五八、四二六
二〇〇、〇〇〇
二|225
海老孝次
九六三、五三四
八七三、五三四
九〇、〇〇〇
二|226
冨田宗一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
二|227
冨田憲一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|228
柴田三男
二、〇四五、八一六
一、八五五、八一六
一九〇、〇〇〇
二|229
冨田嘉藏
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
二|230
柴田政秋
二、九六二、六一九
二、六九二、六一九
二七〇、〇〇〇
二|231
冨田哲愛
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
二|232
桑原末吉
一、三九四、九九二
一、二六四、九九二
一三〇、〇〇〇
二|233|(1)
宇野光江
三六六、六六六
三六六、六六六
二|233|(2)
所みゆき
三六六、六六六
三六六、六六六
二|233|(3)
桑原てる子
一八三、三三三
一八三、三三三
二|233|(4)
杉本よしえ
一八三、三三三
一八三、三三三
二|234
渋谷茂
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
二|235
片桐一彦
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
二|236
三好通夫
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
二|237
冨田幸子
五、七二九、五八五
五、二〇九、五八五
五二〇、〇〇〇
二|238
冨田定幸
二、八六四、七九二
二、六〇四、七九二
二六〇、〇〇〇
二|239
冨田きよみ
二、八六四、七九二
二、六〇四、七九二
二六〇、〇〇〇
二|240
冨田ゆみ子
二、八六四、七九二
二、六〇四、七九二
二六〇、〇〇〇
三|2
日比野竹男
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
三|3
矢野治郎吉
一、六八五、一四七
一、五三五、一四七
一五〇、〇〇〇
三|4
岩田平治郎
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|6
高橋孝一
九二九、二九一
八四九、二九一
八〇、〇〇〇
三|7
中島正三
四六二、〇〇〇
四二二、〇〇〇
四〇、〇〇〇
三|8
石田鎌一
一、四三一、一八〇
一、三〇一、一八〇
一三〇、〇〇〇
三|9
岡田織物
有限会社
一、一四一、八七六
一、〇四一、八七六
一〇〇、〇〇〇
三|10
近藤武司
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
三|11
岡田文男
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
三|12
下村みさを
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
三|13
安田賢一
一七四、六四九
一五四、六四九
二〇、〇〇〇
三|14
田中茂夫
一七〇、〇〇〇
一五〇、〇〇〇
二〇、〇〇〇
三|15
飯沼輝夫
五五〇、〇〇〇
五四五、七五六
四、二四四
三|16
高田忠仁
一一〇、〇〇〇
一〇〇、〇〇〇
一〇、〇〇〇
三|17
富田喜好
一一〇、〇〇〇
一〇〇、〇〇〇
一〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
三|18
山北稔
七三九、二六六
六六九、二六六
七〇、〇〇〇
三|19
岡田和郎
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|20
村田義博
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|21
大橋和男
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|22
渡邊梅雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|23
竹中彰久
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
三|24
早田太郎
六六四、八三三
六〇四、八三三
六〇、〇〇〇
三|25
合資会社杉山
製作所
一、一一八、五〇三
一、〇一八、五〇三
一〇〇、〇〇〇
三|26
森勝美
九〇六、四〇三
八二六、四〇三
八〇、〇〇〇
三|27
小寺兼喜
一、三八九、一九六
一、二五九、一九六
一三〇、〇〇〇
三|28|(1)
佐竹みよ子
三六六、六六六
三六六、六六六
三|28|(2)
井上悦子
二四四、四四四
二四四、四四四
三|28|(3)
佐竹美津子
二四四、四四四
二四四、四四四
三|29
佐竹妙子
七九四、四四四
七四四、四四四
五〇、〇〇〇
三|30
辻正一
九八八、九三六
八九八、九三六
九〇、〇〇〇
三|31
前田豊一
二三八、八六五
二一八、八六五
二〇、〇〇〇
三|32
金森武雄
二三一、五九七
二一一、五九七
二〇、〇〇〇
三|33
桑原正作
八三八、七八八
七五八、七八八
八〇、〇〇〇
三|34
鷲見政雄
一、〇一八、六五〇
九二八、六五〇
九〇、〇〇〇
三|35
鷲見政江
五四〇、八七八
四九〇、八七八
五〇、〇〇〇
三|35|2
鷲見松太郎
八六〇、二三八
七八〇、二三八
八〇、〇〇〇
三|36
日比野幸夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|37
鷲見茂
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|38
杉山三郎
一、一二六、一七一
一、〇二六、一七一
一〇〇、〇〇〇
三|39
高田明
二、二〇〇、〇〇〇
二、一〇九、一四〇
九〇、八六〇
三|40
井戸末勝
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|41
武藤好宣
一、〇六九、五四三
九六九、五四三
一〇〇、〇〇〇
三|42
高木敏郎
一、九五四、四一九
一、七七四、四一九
一八〇、〇〇〇
三|43|(1)
石田きみ子
三一九、一一〇
二八九、一一〇
三〇、〇〇〇
三|43|(2)
坪井冨美子
一五九、五五五
一四四、五五五
一五、〇〇〇
三|43|(3)
大野喜代子
一五九、五五五
一四四、五五五
一五、〇〇〇
三|43|(4)
棚橋久子
一五九、五五五
一四四、五五五
一五、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
三|43|(5)
石田政昭
一五九、五五五
一四四、五五五
一五、〇〇〇
三|44
森敏夫
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
三|45
森きみえ
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|46
岩田達夫
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
三|47
石田哲男
七五三、八〇〇
六八三、八〇〇
七〇、〇〇〇
三|48
石田正子
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|50
浅野登
一、一六五、〇〇〇
一、〇六五、〇〇〇
一〇〇、〇〇〇
三|51
岩田数男
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|52
前田喜代一
一、六八一、四六五
一、五三一、四六五
一五〇、〇〇〇
三|53
杉山鉄夫
二、九五八、五一二
二、六八八、五一二
二七〇、〇〇〇
三|54
杉山清一
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|55
岩田つる子
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|56
石田正邦
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|57
前田久子
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|58
前田市松
一、七八五、二七八
一、六二五、二七八
一六〇、〇〇〇
三|59
日比野政美
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
三|60
金森進
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|61
坂繁
五五〇、〇〇〇
五二九、九八一
二〇、〇一九
三|62
岩田久男
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|63
川合進
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|64
岩田進一
一一〇、〇〇〇
一〇〇、〇〇〇
一〇、〇〇〇
三|65
岩田隆男
一、〇七四、五八五
九七四、五八五
一〇〇、〇〇〇
三|66
岡田友市
二、二一〇、〇〇〇
二、〇一〇、〇〇〇
二〇〇、〇〇〇
三|68
岡田由男
一、三八一、二六四
一、二五一、二六四
一三〇、〇〇〇
三|69
宗教法人通性寺
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|70|(1)
高木修子
二七五、〇〇〇
二五〇、〇〇〇
二五、〇〇〇
三|70|(2)
井深恵子
六八、七五〇
六二、五〇〇
六、二五〇
三|70|(3)
高木宗子
六八、七五〇
六二、五〇〇
六、二五〇
三|70|(4)
高木亮道
六八、七五〇
六二、五〇〇
六、二五〇
三|70|(5)
今井田玲子
六八、七五〇
六二、五〇〇
六、二五〇
三|71
坂正晴
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
三|72
矢野善三
二、三八五、五四二
二、一六五、五四二
二二〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
三|73
矢野信光
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|74
安田昌享
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|75
杉山勝義
二、三八四、三六五
二、一六四、三六五
二二〇、〇〇〇
三|76
尾藤清
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇一四、一二六
八五、八七四
三|77
石田キエ
九九三、一〇七
九〇三、一〇七
九〇、〇〇〇
三|78
渡辺昭六
八一五、六六三
七四五、六六三
七〇、〇〇〇
三|79
西松利定
八一五、六六三
七四五、六六三
七〇、〇〇〇
三|80
辻信一
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|81
牧野隆一
八一五、六六三
七四五、六六三
七〇、〇〇〇
三|82
神谷尚扶
八五二、九五八
七七二、九五八
八〇、〇〇〇
三|83
日比野国夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇七六、五九一
一二三、四〇九
三|84
高橋靖男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|85
説田勉
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|86
安藤貢
八一五、六六三
七四五、六六三
七〇、〇〇〇
三|87
田中密藏
八一五、六六三
七四五、六六三
七〇、〇〇〇
三|88
田中昌幸
八一五、六六三
七四五、六六三
七〇、〇〇〇
三|89
富田信義
九〇〇、五六三
八二〇、五六三
八〇、〇〇〇
三|90
増野聴圓
一、七八三、〇九四
一、六二三、〇九四
一六〇、〇〇〇
三|91
山田忠雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|92
高田文子
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|93
石田明
七四八、四三七
六七八、四三七
七〇、〇〇〇
三|94
日比野銀一
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|95
日比野勝一
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
三|96
高田光治
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|97
番雪男
七四〇、九〇一
六七〇、九〇一
七〇、〇〇〇
三|98
宮川八太夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|99
高田義明
一、二七七、九一九
一、一五七、九一九
一二〇、〇〇〇
三|100
白木兼昭
七八八、五二八
七一八、五二八
七〇、〇〇〇
三|101
河合克己
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇七七、二六八
二二、七三二
三|102
鷲見新吉
五、五〇〇、〇〇〇
五、五〇〇、〇〇〇
三|103
太田哲明
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|104
岡田行夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
三|105
日比野新之助
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|106
佐藤昌利
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|107
野島鈴市
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|108
沖野米三
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|109
矢野隆
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|110
山田三郎
五五〇、〇〇〇
五二六、一八〇
二三、八二〇
三|111
富田昇
五五〇、〇〇〇
五五五〇、〇〇〇
三|112|(1)
岩田充代
六六一、八八五
六〇一、八八八五
六〇、〇〇〇
三|112|(2)
岩田和己
六六一、八八五
六〇一、八八八五
六〇、〇〇〇
三|112|(3)
岩田剛一
六六一、八八五
六〇一、八八五
六〇、〇〇〇
三|113
岩田敏弘
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
三|114
日比野嘉三
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|115
安藤輝夫
一、〇六九、五四三
九六九、五四三
一〇〇、〇〇〇
三|116
後藤政勝
九九四、六四四
九〇四、六四四
九〇、〇〇〇
三|117
大神勇雄
九九四、六四四
九〇四、六四四
九〇、〇〇〇
三|118
田中重男
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇二〇、四二八
七九、五七二
三|119
金森光重
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇〇八、七五九
九一、二四一
三|120
田中勝利
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|121
坂喜久男
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇三八、六〇五
六一、三九五
三|122
杉山明由
一、〇八五、六六四
九八五、六六四
一〇〇、〇〇〇
三|123
木村照秋
八五〇、五四三
七七〇、五四三
八〇、〇〇〇
三|124
渡辺茂喜
一、〇九七、二七一
九九七、二七一
一〇〇、〇〇〇
三|125
杉山好三
一、〇六九、五四三
九六九、五四三
一〇〇、〇〇〇
三|126
毛利守義
八一五、七八〇
七四五、七八〇
七〇、〇〇〇
三|127
太田義雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|128
杉山廣
九二七、四九一
八四七、四九一
八〇、〇〇〇
三|129
日比野國吉
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|130
服部玄三
三、三〇〇、〇〇〇
三、一五二、一二一
一四七、八七九
三|131
服部光夫
三、〇一七、五八三
二、七四七、五八三
二七〇、〇〇〇
三|132
高田仙市
二、七九二、七六九
二、五四二、七六九
二五〇、〇〇〇
三|133
石田喜市
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|134
岡田友三
四四三、六九三
四〇三、六九三
四〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
三|135
森博義
八一七、七七九
七四七、七七九
七〇、〇〇〇
三|136
棚橋貫一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|137
棚橋益夫
一、〇六七、二五九
九六七、二五九
一〇〇、〇〇〇
三|138
棚橋昭夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|139
棚橋道夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|140
高田高夫
二、五九二、七八一
二、三五二、七八一
二四〇、〇〇〇
三|141
高田登
七四一、二〇五
六七一、二〇五
七〇、〇〇〇
三|142
日比野増五郎
六七五、五三七
六一五、五三七
六〇、〇〇〇
三|143
日比野仁郎
一、五七一、四七六
一、四三一、四七六
一四〇、〇〇〇
三|144
道家さくを
八九七、〇八五
八一七、〇八五
八〇、〇〇〇
三|145
古沢正市
三三三、〇〇〇
三〇、〇〇〇
三、〇〇〇
三|146
田中平吉
三〇四、五〇三
二七四、五〇三
三〇、〇〇〇
三|147|(1)
廣瀬すま子
二六二、五二〇
二三七、五二二〇
二五、〇〇〇
三|147|(2)
古澤和美
二六二、五二〇
二三七、五二〇
二五、〇〇〇
三|148
岩田正太郎
三四八、五二二三
三一八、五二三
三〇、〇〇〇
三|149
古沢治
五二〇、七七八
四七〇、七七八
五〇、〇〇〇
三|150
古沢寛一
二九六、五三三
二六六、五三三
三〇、〇〇〇
三|151
田中勝一
二八四、七四三
二五四、七四三
三〇、〇〇〇
三|152
古沢四四六
三四一、七一二
三一一、七一二
三〇、〇〇〇
三|153
安藤進
一五二、九一七
一四二、九一七
一〇、〇〇〇
三|154
坂定夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|155
吉井文一
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|156
三浦元男
九九六、六八八
九〇六、六八八
九〇、〇〇〇
三|157
加藤龍英
三三〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
三|158
安藤功
三三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
三|159
岩田実
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|161
小寺克司
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|162
古川多嘉夫
六四〇、一六一
五八〇、一六一
六〇、〇〇〇
三|163
岩田一郎
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|164
野呂宝雄
一、四九二、七七二
一、三五二、七七二
一四〇、〇〇〇
三|165
河合武士雄
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
三|166
吉沢吉郎
一、六四三、五一六
一、四九三、五一六
一五〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
三|167
関谷達夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|168
加藤勝廣
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|169
古沢正行
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|170
安田裕
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|171
河合哲郎
四〇〇、〇〇〇
三六〇、〇〇〇
四〇、〇〇〇
三|172
古沢博
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|173
田中為治郎
五九二、七七一
五四二、七七一
五〇、〇〇〇
三|174
白木政利
一、七九六、三〇二
一、六三六、三〇二
一六〇、〇〇〇
三|175
白木基伊
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|176
白木徳市
九七九、一六四
八八九、一六四
九〇、〇〇〇
三|177
吉村助雄
四七六、六九〇
四三六、六九〇
四〇、〇〇〇
三|178
白木晃敏
五一三、七三四
四六三、七三四
五〇、〇〇〇
三|179
白木昇治
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|180
白木桂
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|181
白木千鶴子
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|182
白木忠義
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|183
白木勘六
一、七七二、三三二
一、六一二、三三二
一六〇、〇〇〇
三|184
白木惣七
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇七二、四〇九
二七、五九一
三|185|(1)
白木鈴子
三六六、六六六
三六六、六六六
三|185|(2)
白木洋子
三六六、六六六
三六六、六六六
三|185|(3)
白木明
三六六、六六六
三六六、六六六
三|186
古沢文一
二、四三五、五五〇
二、二一五、五五〇
二二〇、〇〇〇
三|187
白木孝七
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|188|(1)
古澤すゑ
七三三、三三三
七三一、三四〇
一、九九三
三|188|(2)
安藤千代子
七三三、三三三
七三一、三四〇
一、九九三
三|188|(3)
古澤峯子
七三三、三三三
七三一、三四〇
一、九九三
三|189
古沢孝昭
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
三|190
古沢栄藏
二、〇五五五、九六三
一、八六五、九六三
一九〇、〇〇〇
三|191
古沢栄助
七〇五、八九五
六四五、八九五
六〇、〇〇〇
三|192
白木幸雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|193
古沢秀夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇四四、一〇三
五五、八九七
三|194
坂口政行
八六三、〇一七
七八三、〇一七
八〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
三|195
浅野恵美
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
三|196
坂勉
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
三|197
桑原俊彦
七七〇、三八〇
七〇〇、三八〇
七〇、〇〇〇
三|198
江森實
四七九、五七三
四三九、五七三
四〇、〇〇〇
三|199
安藤重明
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|200
堀正己
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|201
小川清市
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|202
江森博
二、二〇〇、〇〇〇
二、一二五、三一六
七四、六八四
三|203
江森安男
八八六、一二〇
八〇六、一二〇
八〇、〇〇〇
三|204
川瀬武
九六五、七七〇
八七五、七七〇
九〇、〇〇〇
三|205
宮下喜好
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|206
渡辺志郎
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
三|207
高木行雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|208
桑原信夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
三|209
桑原一郎
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
三|211
棚橋信幸
四四〇、八三二
四〇〇、八三二
四〇、〇〇〇
三|212
棚橋俊一
一、六七三、五五四
一、五二三、五五四
一五〇、〇〇〇
三|213
富田正雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇〇二、一四九
九七、八五一
三|214
小山忠文
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
三|215
富田康憲
六七〇、三九五
六一〇、三九五
六〇、〇〇〇
三|216
大橋外人
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
三|217
杉政雄
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
三|218
中村重信
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
三|219
浦越実
六四六、七五〇
五八六、七五〇
六〇、〇〇〇
三|220
黒木正富
六二九、七五五
五六九、七五五
六〇、〇〇〇
三|221
松浦英郎
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
三|222
畑地孝吉
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
三|223
堀田康治
六七〇、〇〇〇
六一〇、〇〇〇
六〇、〇〇〇
三|224
中下煕人
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
四|
1
浅野政一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|
2
安井円藏
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|
3
椙原勲
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
四|4
岩田武雄
一、六八〇、五八八
一、五三〇、五八八
一五〇、〇〇〇
四|5
山田幸一
一、〇〇八、一三四
九一八、一三四
九〇、〇〇〇
四|6
山田孝三
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|7
栗田武雄
一、三一一、四〇九
一、一九一、四〇九
一二〇、〇〇〇
四|8
梶田周男
九一九、六五二
八三九、六五二
八〇、〇〇〇
四|9
岩田誠
五、五〇〇、〇〇〇
五、四一三、六一四
八六、三八六
四|10
岩田繁
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|11
岩田哲雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、一八一、四二七
一八、五七三
四|12
岩田松雄
一、〇八八、四二四
九八八、四二四
一〇〇、〇〇〇
四|13
梶田和夫
八三三、八九四
七五八、八九四
八〇、〇〇〇
四|14
藤嶋富三郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|15
岩田孝夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇〇七、三五一
九二、六四九
四|16
河村勝
六九八、五三六
六三八、五三六
六〇、〇〇〇
四|17
安井清子
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|18
安井藤夫
五五〇、〇〇〇
五〇二、一一一
四七、八八九
四|19
河村明
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|20
安井俊吉
一、四五六、六九六
一、三二六、六九六
一三〇、〇〇〇
四|21
安井正行
七四四、〇五六
六七四、〇五六
七〇、〇〇〇
四|23
成松光友
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|24
安井一美
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|25
安井昇
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|26
安井満夫
七六〇、一六一
六九〇、一六一
七〇、〇〇〇
四|27
安井稔
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|28
安井勝吉
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|29
安井勲
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|30
安井国博
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|31
安井義廣
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|32
安井孝一
八一五、四〇四
七四五、四〇四
七〇、〇〇〇
四|33
安井ひさ子
一、〇七三、七九八
九七三、七九八
一〇〇、〇〇〇
四|34
安井正彦
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|35|(1)
安井ゆき
七三三、三三三
七三三、三三三
四|35|(2)
安井さよ子
二九三、三三三
二九三、三三三
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
四|35|(3)
安井竹士
二九三、三三三
二九三、三三三
四|35|(4)
古澤ゆり子
二九三、三三三
二九三、三三三
四|35|(5)
側島えみ子
二九三、三三三
二九三、三三三
四|35|(6)
増田梅子
二九三、三三三
二九三、三三三
四|36
安井正義
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|37
安井肇
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|38
安井毅
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
四|39
山田春夫
七三五、三五一
六六五、三五一
七〇、〇〇〇
四|40
山田進
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|41
梶田美義
一、八九七、七二八
一、七二七、七二八
一七〇、〇〇〇
四|42
山田竹一
七二六、七七六
六五六、七七六
七〇、〇〇〇
四|43
山田善美
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇八六、七〇四
一三、二九六
四|44
山田新作
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|45
梶田京子
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
四|46
山田茂
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|47
山田修
一、七八一、七五七
一、六二一、七五七
一六〇、〇〇〇
四|48
山田清三郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|49
山田彦七
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|50
岩田文義
九一五、五三一
八三五、五三一
八〇、〇〇〇
四|51
藤島賢一
二、七五三、二三三
二、五〇三、二三三
二五〇、〇〇〇
四|52
岩部和
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|53
岩田昭南
三六七、〇三四
三三七、〇三四
三〇、〇〇〇
四|54
標信久
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|55
岩田定雄
一、九〇一、六三一
一、七三一、六三一
一七〇、〇〇〇
四|56
岩田豊夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|57
北嶋宗春
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|58
岩田徳太郎
一、〇五〇、六七九
九五〇、六七九
一〇〇、〇〇〇
四|59
岩田玲子
八九四、八八九
八一四、八八九
八〇、〇〇〇
四|60
北嶋惣一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|61
藤島拓
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|62
山北一郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|63
山北正澄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
四|64
日比野増美
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|65
山北正美
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|66
山北稔夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|67
山北牛之助
六四三、二〇九
五八三、二〇九
六〇、〇〇〇
四|68
山北スミエ
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|69
山北義一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|70
山北正孝
三五、〇〇〇
三二、〇〇〇
三、〇〇〇
四|71
山北勲
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|72
金森新一
一、六五一、二〇三
一、五〇一、二〇三
一五〇、〇〇〇
四|73
河村典與
一、一三六、八四八
一、〇三六、八四八
一〇〇、〇〇〇
四|74
安藤広藏
一、六三三、九三四
一、四八三、九三四
一五〇、〇〇〇
四|75
安藤美義
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|76
安藤明
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|77
浅野秀雄
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
四|78
石田甚助
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|79
浅野豊
一、四二七、四一七
一、二九七、四一七
一三〇、〇〇〇
四|80
赤尾鈴一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|81
安田義道
六七七、一一八
六一七、一一八
六〇、〇〇〇
四|82
岡田恒男
一三六、六一三
一二六、六一三
一〇、〇〇〇
四|83
岡田卯助
五二六、八八〇
四七六、八八〇
五〇、〇〇〇
四|84
岡田毛織丸恒
有限会社
二、九〇四、〇四六
二、六四四、〇四六
二六〇、〇〇〇
四|85
岡田又男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|86
赤尾順一
六二五、六七三
五六五、六七三
六〇、〇〇〇
四|87
岩田勝男
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
四|88
安田善一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|89
安田幸藏
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|90
安田好
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|91
安藤重雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|92
河村藤雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|93
海田一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|94
安藤行雄
一、五二八、八〇九
一、三八八、八〇九
一四〇、〇〇〇
四|95
安藤義明
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
四|96
安藤数雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|97
安藤巖
四四三、八九四
四〇三、八九四
四〇、〇〇〇
四|98
海田稔
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|99
安藤吉廣
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|100
安藤一好
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|101
安藤行成
一、三八五、三〇六
一、二五五、三〇六
一三〇、〇〇〇
四|102
川井晃一
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇〇〇、二四八
一九九、七五二
四|103
伊藤勲
一、七八一、二一五
一、六二一、二一五
一六〇、〇〇〇
四|104
尾崎一夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|105
尾崎豊
一九三、四一三
一七三、四一三
二〇、〇〇〇
四|106
尾崎義一
一、二八七、五八七
一、一六七、五八七
一二〇、〇〇〇
四|107
尾崎昭造
一、八四一、〇五二
一、六七一、〇五二
一七〇、〇〇〇
四|108
尾崎正治
二、一一九、三九九
一、九二九、三九九
一九〇、〇〇〇
四|109
尾崎正孝
二、一一六、九二五
一、九二六、九二五
一九〇、〇〇〇
四|110
伊藤廣造
一、九〇八、四一二
一、七三八、四一二
一七〇、〇〇〇
四|111
七野三雄
九六七、四七八
八七七、四七八
九〇、〇〇〇
四|112
尾崎清次郎
六五六、三五一
五九六、三五一
六〇、〇〇〇
四|113
中西皆男
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
四|114
坂井田新吾
三、八五〇、〇〇〇
三、八五〇、〇〇〇
四|115
尾崎成一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|116
尾崎孝
二、一八七、二三五
一、九八七、二三五
二〇〇、〇〇〇
四|117
前田昇
一、五三八、五四五
一、三九八、五四五
一四〇、〇〇〇
四|118
溝上頼三
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|119
岡田仙市
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|120
坂井田忠雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|121
七野千代子
七七六、四一五
七〇六、四一五
七〇、〇〇〇
四|122
七野和子
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|123
尾崎誠
二、〇八二、四九七
一、八九二、四九七
一九〇、〇〇〇
四|124|(1)
伊藤たづ
七二一、六四三
六五四、九七六
六六、六六七
四|124|(2)
河村志げ
四八一、〇九五
四三六、六五一
四四、四四四
四|124|(3)
伊藤松雄
四八一、〇九五
四三六、六五一
四四、四四四
四|124|(4)
伊藤正之
四八一、〇九五
四三六、六五一
四四、四四四
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
四|125
森川明
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|126
高橋正歳
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|127
名田昌
二、一一九、六一五
一、九二九、六一五
一九〇、〇〇〇
四|128
井上武夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、一〇九、四九二
九〇、五〇八
四|129
片山茂
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇四八、七四九
一五一、二五一
四|130
渋谷春海
二、二〇〇、〇〇〇
二、一〇九、四九二
九〇、五〇八
四|131
矢島敦美
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|132
山田洋臣
一、〇九三、八二八
九九三、八二八
一〇〇、〇〇〇
四|133
安井増太郎
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|134
安井東
一、八七三、二七五
一、七〇三、二七五
一七〇、〇〇〇
四|136
説田五郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|137
梅村喜久夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|138
梅村一一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|139
説田寿一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|140
高田正春
一、五五八、四三〇
一、四一八、四三〇
一四〇、〇〇〇
四|141
梅村喜邦
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|142
梅村音一
一、〇八六、三〇四
九八六、三〇四
一〇〇、〇〇〇〇
四|143
鈴木豊
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|144
吉田幸雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|145
鈴木義昭
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|146
森北行雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|147
白木馨
七九〇、一五九
七二〇、一五九
七〇、〇〇〇
四|148
森北正行
二、二〇〇、〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|149|(1)
安藤静子
八九二、九〇六
八〇九、五七三
八三、三三三
四|149|(2)
丹羽景子
三五七、一六二
三二三、八二九
三三、三三三
四|149|(3)
安藤恒子
三五七、一六二
三二三、八二九
三三、三三三
四|150
梅村正芳
五五〇、〇〇〇
五〇四、六〇二
四五、三九八
四|151
梅村源市
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|152
傍島勝
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|153
吉井松雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|154
傍島京一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|155
森治夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、一八五、三七九
一四、六二一
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
四|156
傍島嶽千代
三〇一、七四六
二七一、七四六
三〇、〇〇〇
四|157
坂サエ子
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|158
傍島正夫
一、九七五、一五七
一、七九五、一五七
一八〇、〇〇〇
四|159
吉井初次郎
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|160
坂栄司
二、一五五、一五二
一、九五五、一五二
二〇〇、〇〇〇
四|161
白木敏夫
一、三九五、九四三
一、三一五、九四三
八〇、〇〇〇
四|163
坂一三
一、四三〇、〇〇〇
一、四三〇、〇〇〇
四|164
坂順一
七七〇、〇〇〇
七七〇、〇〇〇
四|165
鈴木寿子
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|166
森伊織
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|167
渕野英雄
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|168
大澤次郎
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|169
山中守
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|170
松岡徳三郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|171
森幹男
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇四七、四七四
五二、五二六
四|172
後藤昭一
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|173
森一夫
一、〇七六、六一〇
九七六、六一〇
一〇〇、〇〇〇
四|174
白木賢一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|175
傍嶋とみえ
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|176
傍嶋正義
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|177
白木桂一
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|178
白木正信
二三八、五三九
二一八、五三九
二〇、〇〇〇
四|179
白木荘造
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|180
白木茂
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|181
山中正義
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|182
坂一郎
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|183
後藤荘太郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|184
森廣之
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|185
梅村文男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|186
堀清
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|187
佐々木隆
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|188
傍島喜藏
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
四|189
傍嶋二郎
九七五、四八一
八八五、四八一
九〇、〇〇〇
四|190
堀勇
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|191
松野文夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|192
森清雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|193
藤岡勝行
八七一、七六七
七九一、七六七
八〇、〇〇〇
四|194
白木鐵男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|195|(1)
桑原節子
三六六、六六六
三五一、一五八
一五、五〇八
四|195|(2)
原正治
二四四、四四四
二三四、一〇五
一〇、三三九
四|195|(3)
桑原明夫
二四四、四四四
二三四、一〇五
一〇、三三九
四|195|(4)
桑原孝夫
二四四、四四四
二三四、一〇五
一〇、三三九
四|196
吉田祐造
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|197
井上猶行
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|198
岩崎貢
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|199
蜂矢秀次
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|200
染矢福茂
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|201
辻準次
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|202
大泉奎治
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|203
中野寛之
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|204
馬淵正則
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|205
青山光宏
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|206
田中圀治
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|207
渡辺正雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|208
森北定男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|209
梅村幸一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|210
山中進
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|211
傍嶋成六
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|212
森北茂久
一、〇一四、一九二
九二四、一九二
九〇、〇〇〇
四|213
末松五朗
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|214
今井美喜雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|215
坂志郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|216
山中一輝
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|217
傍嶋勝雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
四|218
山中義弘
五七五、六九六
五二五、六九六
五〇、〇〇〇
四|219
広瀬七郎
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
四|220
佐々木正春
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|221
若山勇
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|222
堀田政一
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|223
椎山正幸
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|224
渡辺春夫
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
四|225
金森總一
一、七九八、二四九
一、六三八、二四九
一六〇、〇〇〇
四|226
山田武男
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|227
竹内信夫
一、五〇四、三九四
一、三六四、三九四
一四〇、〇〇〇
四|228
竹内外實男
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇九〇、〇七〇
一〇九、九三〇
四|229
竹内嘉彦
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|230
竹内当志え
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|231
竹内要吉
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|232
竹内義信
七九四、九五三
七二四、九五三
七〇、〇〇〇
四|233
戸田和博
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|234
金森松男
一、七二五、八二八
一、五六五、八二八
一六〇、〇〇〇
四|235
戸田進
二、四〇四、九二〇
二、一八四、九二〇
二二〇、〇〇〇
四|236
戸田光昭
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|237
牛田敏雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|238
戸田松慈
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|239
美甘定治
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|240
山田實男
七五六、二三六
六八六、二三六
七〇、〇〇〇
四|241
牛田義和
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|242
戸田敏夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|243
戸田喜吉
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
四|244
竹内高義
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|245
伊藤正幸
五〇〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
四|246
清水仁士
六五一、〇〇〇
五九一、〇〇〇
六〇、〇〇〇
四|247
金森謙二
五三四、七〇五
四八四、七〇五
五〇、〇〇〇
四|248
谷登
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
四|249
長元三十四
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
四|251
牧野円融
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇七二、四七〇
二七、五三〇
四|252
説田俊市
一、四一九、九〇〇
一、二八九、九〇〇
一三〇、〇〇〇
四|253
児玉良雄
二、一八〇、六四六
一、九八〇、六四六
二〇〇、〇〇〇
四|254
児玉善道
九一四、六三六
八三四、六三六
八〇、〇〇〇
四|255
児玉はつみ
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇四六、九〇八
一五三、〇九二
四|256
牛田政吉
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
四|257
児玉弥一
二一四、三七〇
一九四、三七〇
二〇、〇〇〇
四|258
戸田昭男
一、二五五、九六二
一、一四五、九六二
一一〇、〇〇〇
四|259
戸田源一
二、五一四、四四七
二、二八四、四四七
二三〇、〇〇〇
四|260
金森銀一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|261
金森幸男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|262
戸田みよを
一、七三〇、七四五
一、五七〇、七四五
一六〇、〇〇〇
四|263
戸田順市
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|264
竹内桂司
七三九、九一九
六六九、九一九
七〇、〇〇〇
四|265
竹内ひさを
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|266
金森茂
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|267
竹内健治
八〇七、〇五九
七三七、〇五九
七〇、〇〇〇
四|268
竹内義夫
一、四七二、九六一
一、三四二、九六一
一三〇、〇〇〇
四|269
児玉弘
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
四|270
富田武夫
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
四|271
富田與一
三六八、九四二
三三八、九四二
三〇、〇〇〇
四|272
富田博
一、六六七、九三二
一、五一七、九三二
一五〇、〇〇〇
四|273
金森泰三
二、四五五、七四六
二、二三五、七四六
二二〇、〇〇〇
四|274
山田宗男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|275
児玉正美
一、三一六、八七一
一、一九六、八七一
一二〇、〇〇〇
四|276
説田光邦
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|277
浅野新一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|278
戸田圓一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|279
竹内高一
三、三〇〇、〇〇〇
三、三〇〇、〇〇〇
四|280
牛田順一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
四|281
竹内太一
二、六五二、七三二
二、四一二、七三二
二四〇、〇〇〇
四|282
戸田和吉
一、二九七、三七〇
一、一七七、三七〇
一二〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
五|1
堀武雄
一、九六六、一〇九
一、七八六、一〇九
一八〇、〇〇〇
五|2
堀幸一
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇九五、五四三
四、四五七
五|3
桑原幸作
一、一四九、〇一八
一、〇四九、〇一八
一〇〇、〇〇〇
五|4
堀満雄
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
五|5
堀進
一、四五三、八四八
一、三二三、八四八
一三〇、〇〇〇
五|6
堀宗弘
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇〇九、五四〇
九〇、四六〇
五|7
桑原敏夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、一五六、三四五
四三、六五五
五|8
堀定好
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|9
藤井實
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
五|10
安藤惣吉
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|11
堀昌一
八三〇、四三三
七五〇、四三三
八〇、〇〇〇
五|12
堀美枝
一七〇、〇〇〇
一五〇、〇〇〇
二〇、〇〇〇
五|13|(1)
堀助義
三二六、六四五
二九六、六四五
三〇、〇〇〇
五|13|(2)
田渡浪子
三二六、六四五
二九六、六四五
三〇、〇〇〇
五|13|(3)
早崎ゆり子
三二六、六四五
二九六、六四五
三〇、〇〇〇
五|13|(4)
堀昌一
三二六、六四五
二九六、六四五
三〇、〇〇〇
五|13|(5)
川合芳子
三二六、六四五
二九六、六四五
三〇、〇〇〇
五|14
堀一雄
七二二、三八〇
六五二、三八〇
七〇、〇〇〇
五|15
堀一次
一、〇五四、一八〇
九五四、一八〇
一〇〇、〇〇〇
五|16
安藤孝男
一七〇、〇〇〇
一五〇、〇〇〇
二〇、〇〇〇
五|17
安藤實
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|18
堀孫一
七〇九、五四九
六四九、五四九
六〇、〇〇〇
五|19
堀一一
八八七、四五〇
八〇七、四五〇
八〇、〇〇〇
五|20
堀弘
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|21
堀歳明
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|22
堀嘉三
一、七二九、〇五二
一、五六九、〇五二
一六〇、〇〇〇
五|23|(1)
安藤千枝子
三六六、六六六
三六六、六六六
五|23|(2)
安藤一仁
三六六、六六六
三六六、六六六
五|23|(3)
渡辺教子
三六六、六六六
三六六、六六六
五|24
堀善衛
二九二、九〇六
二六二、九〇六
三〇、〇〇〇
五|25|(1)
堀たみ
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|25|(2)
岩佐すみえ
一一〇、〇〇〇
一一〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
五|25|(3)
坂井田ます子
一一〇、〇〇〇
一一〇、〇〇〇
五|25|(4)
伊藤てる子
一一〇、〇〇〇
一一〇、〇〇〇
五|25|(5)
堀保
一一〇、〇〇〇
一一〇、〇〇〇
五|25|(6)
堀よ志子
一一〇、〇〇〇
一一〇、〇〇〇
五|26
堀正年
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|27
桑原敏幸
九一四、六二二
八三四、六二二
八〇、〇〇〇
五|28
堀順一
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|29
西垣家具工芸
株式会社
五、五〇〇、〇〇〇
五、五〇〇、〇〇〇
五|30
桑原慶一
二五九、三五〇
二三九、三五〇
二〇、〇〇〇
五|31
桑原忍
六四六、〇七八
五八六、〇八七
六〇、〇〇〇
五|32
大月竹雄
八八〇、〇〇〇
八二六、七四二
五三、二五八
五|33
大月辰夫
二二〇、〇〇〇
二二〇、〇〇〇
五|34
古澤榮一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|35
堀勇
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|36
桑原三郎
四四〇、〇〇〇
四四〇、〇〇〇
五|37
桑原忠雄
一一〇、〇〇〇
一一〇、〇〇〇
五|38
安藤武雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|39
堀志ず
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|40
堀正一
六六八、四八二
六〇八、四八二
六〇、〇〇〇
五|41
北瀬鈴雄
六五四、七一七
五九四、七一七
六〇、〇〇〇
五|42
古澤浩
五五〇、〇〇〇
五〇二、六一〇
四七、三九〇
五|43
桑原昇
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|44
大月輝充
二九六、二五四
二六六、二五四
三〇、〇〇〇
五|45
堀幸太
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|46
桑原順市
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|47
桑原徳一
二一四、二七六
一九四、二七六
二〇、〇〇〇
五|48
渡部春一
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|49
新井一市
二一八、〇二七
一九八、〇二七
二〇、〇〇〇
五|50
古澤太一
一九六、六七七
一七六、六七七
二〇、〇〇〇
五|51
安藤伊三郎
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|52
堀秀榮
二一八、〇〇一
一九八、〇〇一
二〇、〇〇〇
五|54
堀敏康
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
五|55
清水照男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|56
桑原繁
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|57
堀貞義
六四八、二七三
五八八、二七三
六〇、〇〇〇
五|58
桑原金市
五四一、六二四
四九一、六二四
五〇、〇〇〇
五|59
堀和實
一、八三二、七九七
一、六六二、七九七
一七〇、〇〇〇
五|60
清水春一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|61
土屋芳夫
一、〇六〇、九五〇
九六〇、九五〇
一〇〇、〇〇〇
五|62
西垣茂雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
五|63
伊藤克己
六三九、〇七八
五七九、〇七八
六〇、〇〇〇
五|64
伊藤一成
三、〇六七、三八〇
二、七八七、三八〇
二八〇、〇〇〇
五|65
伊藤 鉄工
有限会社
五、五〇〇、〇〇〇
五、五〇〇、〇〇〇
五|66
牧野大淳
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|67
古沢八郎
一、四〇九、〇五七
一、二七九、〇五七
一三〇、〇〇〇
五|68
矢野新治
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|69
朝田二三男
八九四、七〇五
八一四、七〇五
八〇、〇〇〇
五|70
堀正男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|71
木下勝司
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|72
小笠原壽實
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|73
鈴木拓美
八八〇、三四一
八〇〇、三四一
八〇、〇〇〇
五|74
市川新一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
五|75
岡田進
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|76
酒井基
一七〇、〇〇〇
一五〇、〇〇〇
二〇、〇〇〇
五|77
堀薫
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|78
堀善七
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|79
堀みきえ
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|80
岩田豊
七四七、六六一
六七七、六六一
七〇、〇〇〇
五|81
栗田一夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
五|82
石原政文
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|83
岩田正春
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|84
坂孝男
八九一、六一五
八一一、六一五
八〇、〇〇〇
五|85
増元弘義
二、〇六六、八九二
一、八七六、八九二
一九〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
五|86
坂秀雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|87
内園鷹治
四八一、一二〇
四四一、一二〇
四〇、〇〇〇
五|88
岩田宗一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|89
坂照三
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|90
岩田幸一
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|91
岩田榮
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|92
岩田登
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|93
伊藤幹夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|94
横山春子
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|95
木村優
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|96
南谷嘉壽美
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|98
長屋民男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|99
長瀬昭二郎
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|100
末松勝美
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇七〇、六九四
二九、三〇六
五|101
堀勇
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
五|102
坂清
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|103
渡部進
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|104
坂菊一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|105
日比清一
一、四七一、二一一
一、三四一、二一一
一三〇、〇〇〇
五|106
金森兵衛
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|107
岡田貞一
五五〇、〇〇〇
五四〇、九〇五
九、〇九五
五|108
岡田多津子
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|109|(1)
浅野君子
一二七、九二九
一一五、四二九
一二、五〇〇
五|109|(2)
柳沢千代子
一二七、九二九
一一五、四二九
一二、五〇〇
五|109|(3)
山田久雄
一二七、九二九
一一五、四二九
一二、五〇〇
五|109|(4)
河村照子
一二七、九二九
一一五、四二九
一二、五〇〇
五|110
梶井一美
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
五|111
梶井和子
七七〇、〇〇〇
七七〇、〇〇〇
五|112
高橋榮一
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
五|113
寺澤一重
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇一七、九一九
八二、〇八一
五|114
児玉孝義
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|115
堀利雄
六三三、〇五八
五七三、〇五八
六〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
五|116
奥田正八
一、九八一、一三七
一、八〇一、一三七
一八〇、〇〇〇
五|117
今井祥二
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇二〇、〇七〇
七九、九三〇
五|119
古澤昇
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|120
西川住枝
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|121
桑原富夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|122
渡部宗治
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇六七、七〇八
三二、二九二
五|123
岩佐三郎
九八〇、五五四
八九〇、五五四
九〇、〇〇〇
五|124
水野金子
一一七、一〇二
一〇七、一〇二
一〇、〇〇〇
五|125
伊藤徹
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|126
朝倉一夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|127
金森安之
一、六二六、七七九
一、四七六、七七九
一五〇、〇〇〇
五|128
橋戸健次
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|129
棚橋治吉
九二七、八一六
八四七、八一六
八〇、〇〇〇
五|130
棚橋勝治
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|131
山中巌
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|132
堀タマエ
一、〇三三、八四五
九四三、八四五
九〇、〇〇〇
五|133
田辺仁
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|134
酒井喜久子
三三〇、〇〇〇
三三〇、〇〇〇
五|135
酒井隆
二二〇、〇〇〇
二二〇、〇〇〇
五|136
棚橋石雄
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇五〇、四三五
四九、五六五
五|137
桑原弘
五五〇、〇〇〇
五一一、二七九
三八、七二一
五|138
佐野善和
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|139
田中正昭
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|140
堀有司
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|141
西山新次
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|142
桑原孝信
四四〇、〇〇〇
四四〇、〇〇〇
五|143
桑原多喜子
六六〇、〇〇〇
六六〇、〇〇〇
五|144
棚橋よ志え
一、一四一、三三〇
一、〇四一、三三〇
一〇〇、〇〇〇
五|145
棚橋良雄
一四二、八四六
一三二、八四六
一〇、〇〇〇
五|146
堀秋夫
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|147
岩田一夫
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|148
岩田正義
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
五|149
川合定行
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|150
渡部融
五九九、六〇四
五四九、六〇四
五〇、〇〇〇
五|151
野村昭市
七九二、五〇六
七二二、五〇六
七〇、〇〇〇
五|152
古澤由尾
六九八、三三九
六三八、三三九
六〇、〇〇〇
五|153
秋場善之
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇二一、三八七
七八、六一三
五|154
瀧澤信也
五六九、九〇〇
五一九、九〇〇
五〇、〇〇〇
五|155
岡田幸一
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|156
大澤英夫
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|157
古澤行夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇一一、三二四
一八八、六七六
五|158
古澤弘安
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|159
堀義隆
九六一、五九一
八七一、五九一
九〇、〇〇〇
五|160
武藤征士
九六一、五九一
八七一、五九一
九〇、〇〇〇
五|161
坂民好
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|162
片原衛
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|163
金森幸孝
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|164
木下忠昭
二二〇、〇〇〇
二二〇、〇〇〇
五|165
桑原晋
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|166
平野ウメ子
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|167
小西進
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|168
山本愛子
四四〇、〇〇〇
四四〇、〇〇〇
五|172
棚橋末次
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|173
笠野勉
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|175
坂和
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|176
吉田住子
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|177
西山金次
八七九、三三七
七九九、三三七
八〇、〇〇〇
五|178|(1)
藤井まさを
一一〇、〇〇〇
一〇〇、〇〇〇
一〇、〇〇〇
五|178|(2)
大橋芳子
四四、〇〇〇
四〇、〇〇〇
四、〇〇〇
五|178|(3)
藤井正博
二二、〇〇〇
二〇、〇〇〇
二、〇〇〇
五|178|(4)
大橋次子
二二、〇〇〇
二〇、〇〇〇
二、〇〇〇
五|178|(5)
吉井正子
四四、〇〇〇
四〇、〇〇〇
四、〇〇〇
五|178|(6)
藤井善光
四四、〇〇〇
四〇、〇〇〇
四、〇〇〇
五|179
藤井義孝
二六四、〇〇〇
二六〇、〇〇〇
四、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
五|180
堀一六八
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
五|181
渡部勉
一、一四五、四五四
一、〇四五、四五四
一〇〇、〇〇〇
五|182
不二種苗
株式会社
五、五〇〇、〇〇〇
五、五〇〇、〇〇〇
五|183
稲葉太郎
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|184
棚橋しずえ
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|185
大橋正治
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
五|186
長谷川庄五郎
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
五|187
株式会社
岐阜武
五、五〇〇、〇〇〇
五、五〇〇、〇〇〇
六|1
横幕重夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇〇三、七六九
九六、二三一
六|2
岡田章
一、〇〇八、三七八
九一八、三七八
九〇、〇〇〇
六|3
水波敬一
九二五、一一七
八四五、一一七
八〇、〇〇〇
六|4
古澤秀幸
二、二〇〇、〇〇〇
二、一一一、九六三
八八、〇三七
六|5
横幕高行
一、六二三、四三三
一、四七三、四三三
一五〇、〇〇〇
六|6
馬渕昭夫
一、〇二五、七八六
九三五、七八六
九〇、〇〇〇
六|7
岡田貢
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
六|8
横幕正廣
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇五〇、〇七七
四九、九二三
六|9
横幕孝之
一、八六一、二八八
一、六九一、二八八
一七〇、〇〇〇
六|10
小川義廣
一、九五九、〇六三
一、七七九、〇六三
一八〇、〇〇〇
六|11
大橋栄次郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|12
渡辺保三
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|13
家下昭春
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|14
小川勇
一、七一二、九六五
一、五五二、九六五
一六〇、〇〇〇
六|15
室賀宗男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|16
渡邊貞幸
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|17
長谷川喜尚
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|18
吉田録造
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|19
大倉忠司
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
六|20
木佐健一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|21
碓井貫市
八八〇、〇〇〇
八八〇、〇〇〇
六|22
碓井昭夫
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
六|23
真鍋勝弥
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
六|24
羽田悟和
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
六|25
川部宗雄
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
六|26
大谷真人
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|27
宮部昇一
七七〇、〇〇〇
七七〇、〇〇〇
六|29
小川詔司
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|30
馬渕武
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|31
森川二六
四一五、九四三
三七五、九四三
四〇、〇〇〇
六|32
高橋春雄
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇八二、五四〇
一一七、四六〇
六|33
岡田正義
八七一、一〇七
七九一、一〇七
八〇、〇〇〇
六|34
高橋豊
一、九三五、九八六
一、七五五、九八六
一八〇、〇〇〇
六|35
山岸誠蔵
一、九六八、〇九一
一、七八八、〇九一
一八〇、〇〇〇
六|36
小川新海
三三九、七七九
三〇九、七七九
三〇、〇〇〇
六|37
谷畠美智子
一、二二八、三一七
一、一一八、三一七
一一〇、〇〇〇
六|38
酒井ぎく
四四〇、〇〇〇
四四〇、〇〇〇
六|39
酒井正己
二六二、八二四
二四二、八二四
二〇、〇〇〇
六|40
古澤昭一
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
六|41
金森実
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
六|42
佐藤保之
二、二〇〇、〇〇〇
二、〇一八、〇〇〇
一八二、〇〇〇
六|43
小野島信雄
一、三六一、七九八
一、二四一、七九八
一二〇、〇〇〇
六|44
大石銑十郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|45|(1)
加藤明子
三六六、六六六
三六六、六六六
六|45|(2)
加藤広美
七三三、三三三
七三三、三三三
六|46
碓井登
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|47
馬渕邦治
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|48
碓井信義
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
六|49
平塚義雄
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
六|50
岡田春雄
五一五、二九二
四六五、二九二
五〇、〇〇〇
六|51
金森義夫
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
六|52
末松金男
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
六|53
碓井秀夫
三五四、二二四
三二四、二二四
三〇、〇〇〇
六|54
阿久津正高
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|55
平塚義治
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
六|56
渡辺茂雄
七九〇、八五六
七二〇、八五六
七〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
六|57
宇野清
五〇一、四七二
四五一、四七二
五〇、〇〇〇
六|58
日比廣治
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
六|59
広瀬隆義
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
六|60
渡辺春夫
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
六|61
小川久義
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
六|62
岡田貞男
一、八九六、六六五
一、七二六、六六五
一七〇、〇〇〇
六|63
坂博實
一、七一四、一五一
一、五五四、一五一
一六〇、〇〇〇
六|64
古澤正男
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
六|65
三輪文夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|66
堀光男
一、〇五五、五三四
九五五、五三四
一〇〇、〇〇〇
六|67
竹内直
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|68
酒井利男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|69
金森登
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|70
長谷繁樹
二、〇七三、一八九
一、八八三、一八九
一九〇、〇〇〇
六|71
渡辺田三
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|72
清水金光
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
六|73
田渡迪博
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇八三、二八五
一六、七一五
六|74
野一色幹司
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|75
末松正幸
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|76
宇佐見春美
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|77
佐藤好朗
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|78
村瀬永吉
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|79
臼井隆
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|80
渡部恵次
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|82
菱田賢三
一、五八九、九七五
一、四四九、九七五
一四〇、〇〇〇
六|83
古沢恒次郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|84
吉田勤
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|85
藤井勉
五三六、四八五
四八六、四八五
五〇、〇〇〇
六|86
吉田貞男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|87
古澤道隆
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|88
奥田国男
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|89
吉田正一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
原告
認容金額(円)
内訳
番号
氏名
弁護士費用を除く額(円)
弁護士費用(円)
六|90
守田信吾
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|91
吉田武彦
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
六|92
久保田武三
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|93
石原箕好
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|94
渡辺勝利
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|95
吉田吉夫
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|96
加藤好弘
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|97
平井敏雄
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
六|98
須貝克次
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|99
國枝省五
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|100
伊藤辰夫
三三〇、〇〇〇
三〇〇、〇〇〇
三〇、〇〇〇
六|101
降旗篤磨
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
六|102
加藤武
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
六|103
平沢稔
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|104
二川政夫
五五〇、〇〇〇
五五〇、〇〇〇
六|105
高橋進
二、二〇〇、〇〇〇
二、二〇〇、〇〇〇
六|106
国枝寿夫
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇
六|107
大平春夫
五六五、二九八
五一五、二九八
五〇、〇〇〇
六|108
岡田輝美
一、六一二、三九七
一、四六二、三九七
一五〇、〇〇〇
六|109
斉藤三行
一、一〇〇、〇〇〇
一、〇八〇、六五〇
一九、三五〇
六|110
島抜七郎
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|111
川口定博
二、四三九、六九〇
二、二一九、六九〇
二二〇、〇〇〇
六|112
古澤輝久
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|113
河野弘仁
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|114
藤澤武一
一、一〇〇、〇〇〇
一、一〇〇、〇〇〇
六|115
大岐興業
株式会社
五八〇、九八〇
五三〇、九八〇
五〇、〇〇〇
六|116
三村久雄
五二七、七〇〇
四七七、七〇〇
五〇、〇〇〇
六|117
浅井總明
一一〇、〇〇〇
一〇〇、〇〇〇
一〇、〇〇〇
六|120
堀義広
二、一八〇、〇五二
一、九八〇、〇五二
二〇〇、〇〇〇
六|121
田中満美
五五〇、〇〇〇
五〇〇、〇〇〇
五〇、〇〇〇